空を見ていた少女
初投稿です。
よろしくお願いします。
# プロローグ 空を見ていた少女
天宮ソラは、窓の外を見ていた。
青い空。
白い雲。
そのさらに手前を、一羽の鳥が横切っていく。
羽ばたいて。
風に乗って。
病院の建物よりも高い場所へ上がり、そのままどこか遠くへ消えていった。
「……いいな」
十四歳の少女が、小さく呟く。
ベッドの上。
白いシーツ。
白い壁。
消毒液の匂い。
ソラにとっては、もう見慣れすぎた景色だった。
生まれつき身体が弱い。
特に免疫力が低く、普通の人なら数日寝込む程度の風邪でも、高熱を出して入院することがある。
学校へ通えた期間より、病院で過ごした時間の方が長い。
勉強は通信教育。
同年代の子供たちと接する機会も少なく、友達と呼べる相手もほとんどいない。
だからソラは、よく空を見ていた。
窓の向こうには壁がない。
ずっと遠くまで続いている。
青い空の下には、自分が見たことのない場所がたくさんある。
けれど。
自分がそこへ行くことはできない。
ましてや、あの鳥のように自由に空を飛ぶことなど。
ソラは鳥が消えていった方向を、しばらく黙って眺め続けた。
◇
その男がソラと出会ったのは、偶然だった。
「……ここは?」
久遠零司が目を覚ましたとき、最初に見えたものは、見覚えのない白い天井だった。
規則正しく聞こえる電子音。
鼻につく消毒液の匂い。
身体を起こそうとして、左腕に点滴の管が繋がっていることに気づく。
「病院……?」
零司は眉を寄せた。
どうして自分が病院にいる。
最後に覚えているのは会社だった。
会議室で新型VR機器の開発進捗を確認して。
その後は開発部門へ移動し、システムの調整状況を確認した。
海外支社から届いた報告書にも目を通した。
確か、そのあとにも予定があったはずだ。
「……」
そこから先が思い出せない。
記憶が途中で途切れている。
零司が頭を押さえながら記憶を辿っていると、病室の扉が開いた。
「ああ、目が覚めましたか」
白衣姿の医師が入ってくる。
手元の端末を確認しながら、ベッドのそばまでやってきた。
「先生。ここは?」
「病院です」
「それは見れば分かります。なぜ俺が病院に?」
医師は一度、零司の顔を見た。
「覚えていないんですか?」
「会社にいたところまでは」
「その会社で倒れたんですよ」
「俺が?」
「ええ」
医師が端末を操作する。
「勤務中に突然意識を失ったそうです。同僚の方が救急車を呼び、そのままこちらへ搬送されました」
「……そうですか」
「そうですか、ではありません」
すぐに返ってきた言葉に、零司が医師を見る。
その表情はかなり険しい。
「まず結論から言います。命に別状はありません」
「なら――」
「ですが」
零司が口を開いた瞬間、医師が遮った。
「今回、倒れた主な原因は過労です」
「過労」
「睡眠不足。長時間労働。不規則な食事。疲労の蓄積。検査結果を見る限り、身体が限界を訴えていたと考えてください」
「そこまで酷かったですか?」
「酷いです」
即答された。
零司は少し黙る。
「最近、一日何時間寝ていました?」
「四時間くらいは」
「毎日ですか?」
「……平均すれば」
「平均しなければ四時間にも届かない日がある時点で駄目です」
「新型機器の開発と、ゲームの正式サービスが重なっていまして」
「仕事の事情を聞いているわけではありません」
「しかし、会社の――」
「久遠さん」
医師が強い口調で名前を呼んだ。
零司が口を閉じる。
「あなたは三十六歳です。まだ若いから多少無理をしても大丈夫だと思っているのかもしれませんが、身体は会社の都合を考えて倒れる時期を選んではくれません」
「……」
「今回は幸い、命に関わるような異常は見つかりませんでした」
そこで医師は少し声を落とした。
「ですが、それは今回の話です」
「今回?」
「同じ生活を続けて、次に倒れたときも同じ程度で済む保証はありません」
零司は黙った。
普段、会社では彼にここまで強く物を言える人間は多くない。
大手電子機器メーカーの若き代表取締役。
三十六歳にして会社の頂点に立ち。
今や世界中で利用され始めている完全没入型VRシステムを開発した技術者でもある。
だが。
病院では、そんな肩書きに意味はないらしい。
「あなたがどれほど大きな会社の社長でも、優秀な技術者でも、身体を壊してしまえば仕事はできません」
「それは……その通りですが」
「でしょう?」
医師が小さくため息をつく。
「ですから、検査と経過観察を兼ねて、数日入院してもらいます」
「数日?」
零司が、この日初めて明確に嫌そうな表情をした。
「そこまで必要ですか?」
「必要です」
「明日には会社へ戻りたいのですが」
「戻しません」
「では、仕事用の端末だけでも」
「駄目です」
「メールの確認くらいなら」
「駄目です」
「緊急の連絡が入る可能性も――」
「久遠さん」
また名前を呼ばれた。
「あなたの会社は、社長が数日休んだだけで立ち行かなくなる会社なんですか?」
「……いや」
「なら、部下の方を信用してください」
正論だった。
零司は何も言い返せない。
「今のあなたがするべき仕事は、休むことです」
「休むのが仕事……」
「そう思ってください」
「……善処します」
医師の眉が動いた。
「善処ではなく、休んでください」
「努力します」
「仕事をしないでください」
「それは難しいですね」
「久遠さん?」
「……分かりました」
これ以上言えば、本気で怒られそうだった。
零司は渋々頷いた。
しかも。
どうやら医師だけではなく、会社の人間たちも零司がこうなることを予想していたらしい。
仕事用の携帯端末。
ノート端末。
書類。
その他、仕事ができそうなものはすべて会社の人間によって回収されていた。
「……徹底しているな」
ベッドの上で零司は呟いた。
久遠零司、三十六歳。
大手電子機器メーカーの若き代表取締役。
完全没入型VRシステムを生み出した開発者。
常に何かしらの仕事を抱えていた男は、こうして強制的に数日間、仕事から引き離されることになった。
本人にとっては、非常に不本意な休暇だった。
だが。
もし、このとき倒れていなければ。
もし、この病院へ運ばれていなければ。
零司は一人の少女と出会うこともなかった。
◇
入院して二日目。
「暇だ……」
零司は病室で天井を見つめていた。
仕事がない。
正確には、仕事をする手段をすべて奪われている。
こうなると何をすればいいのか分からなかった。
仕方なく病室を出て、院内を歩く。
医師からも、軽く歩く程度なら問題ないと言われていた。
そんなときだった。
廊下の窓際に、一人の少女がいるのを見つけた。
細い身体。
病院着。
長い時間、ただ窓の外を見ている。
通り過ぎようとした零司だったが。
少女があまりにも長く同じ場所を見続けていることが気になり、足を止めた。
「何を見ているんだ?」
思わず声をかける。
少女が振り返った。
少し驚いたように零司を見る。
しかし、すぐに窓の外へ視線を戻した。
「空」
「空?」
「うん」
会話終了。
「……」
零司は少し困った。
会社では、相手が黙れば部下の方が勝手に話を続けてくれる。
だが、少女は本当にそれ以上何も言わなかった。
「空が好きなのか?」
「うん」
「毎日見ているのか?」
「たぶん」
「たぶん?」
「晴れてたら」
「なるほど」
短い。
驚くほど短い。
だが、嫌がっているわけでもなさそうだった。
零司も窓の外を見る。
特別変わったところのない青空。
遠くに、小さな鳥が飛んでいる。
少女の目は、その鳥を追っていた。
「鳥が好きなのか?」
少女は少し考えた。
「飛ぶのが好き」
「飛ぶのが?」
「見てるのが」
そう言った少女は、ほんの少しだけ笑った。
零司は、その横顔を見た。
◇
少女の名前は、天宮ソラ。
十四歳。
それから何度か院内で顔を合わせるうちに、零司は少しずつ彼女のことを知った。
生まれつき身体が弱いこと。
免疫力が低く、何度も入退院を繰り返していること。
学校へほとんど通えていないこと。
勉強は通信教育で続けていること。
人と接する機会が少なかったため、会話にもあまり慣れていないこと。
そして。
外へ出られる日が、普通の子供よりずっと少なかったこと。
その話を聞いた夜。
零司は一人、自分の病室の天井を見ながら考えていた。
自分は、なぜVRを作ったのか。
ただ便利な技術が欲しかったからではない。
新しい市場を作りたかったからでもない。
ゲームを売るためだけでもない。
現実ではできないことを、できる世界。
現実では行けない場所へ、行ける世界。
身体の大きさも。
年齢も。
住んでいる場所も。
現実の制約すら越えて。
誰もが、別の世界を自分自身の身体で体験できる。
そんなものを作りたかった。
それが。
自分が完全没入型VRという技術へ夢中になった、一番最初の理由だった。
「……なるほどな」
零司は目を閉じた。
今なら。
あの少女に見せたいものがある。
翌日。
零司はソラの病室を訪れた。
◇
「ゲーム?」
ソラが首を傾げた。
「ああ」
零司はベッド脇の椅子へ座り、私物として手元に残されていた薄型端末を取り出した。
「ゲームはするか?」
「少し」
「VRは?」
「ない」
「そうか」
零司は画面を操作する。
「なら、これを知っているか?」
表示されたのは、一つのゲームの公式ホームページだった。
黒い背景。
その中央に映るのは、青い空と広大な大陸。
巨大な山脈。
深い森。
石造りの都市。
広い海。
そして。
雲の向こうに浮かぶ、正体不明の遺跡。
中央には大きなタイトルが表示されていた。
---
『ALCADIA CHRONICLE』
『アルカディア・クロニクル』
---
「……知ってる」
「ほう」
「ニュースで見た」
発売から一か月。
現在、世界で最も売れている完全没入型VRMMORPG。
零司の会社が開発した最新作だった。
「これを作った会社、俺の会社なんだ」
ソラが零司を見る。
「社長?」
「ああ」
「すごい」
表情はあまり変わらなかった。
「……もう少し驚いてくれてもいいんだが」
「驚いてる」
「そうか」
「うん」
零司には違いが分からなかった。
だが、本人が言うのだから驚いているのだろう。
「どんなゲーム?」
珍しく、ソラの方から聞いた。
零司は少しだけ笑う。
「興味があるか?」
「ある」
「なら、最初から見てみるか」
公式ホームページのメニューを開く。
最初に選んだのは――。
『WORLD』
「アルカディアの世界についてだ」
画面が切り替わる。
壮大な音楽とともに、一枚の絵が現れた。
何もない暗闇。
その中央。
小さな光が生まれる。
「このゲームの世界には、創世神話がある」
「神話?」
「ああ」
ページを進める。
暗闇の中で光が広がり。
大地が形作られ。
海が生まれ。
その上に空が広がっていく。
---
『はるか昔。』
『神々は混沌より世界を形作り、大地と海と空に生命を育んだ。』
---
次の絵。
広大な大陸。
森にはエルフ。
山にはドワーフ。
草原には獣人。
都市には人間。
さらに、翼を広げて空を飛ぶ者たちの姿も描かれている。
「神々によって世界が作られ、そこに多くの種族が生まれた」
「いっぱい」
「そうだ。だが、ずっと平和だったわけじゃない」
零司が画面を送る。
青かった空が赤黒く染まった。
大地へ巨大な亀裂が走る。
深い闇の底から、いくつもの異形の影が現れる。
---
『やがて深淵より、悪魔たちが現れた。』
『神々と悪魔は長い戦いを繰り広げ――』
『ついに世界のすべてを巻き込む最後の戦争へと至る。』
---
画面いっぱいに映し出される。
天から光を降らせる神々。
地上を埋め尽くす悪魔。
崩れる都市。
折れる山。
割れる大地。
そして。
---
『神魔終焉戦争』
---
「神と悪魔の最後の戦争だ」
零司が説明する。
「戦争がどう終わったのか、正確にはゲームの世界でも分かっていない」
「分からない?」
「ああ」
次のページ。
誰もいない神殿。
崩れた塔。
草木に覆われた古代都市。
遥かな空へ伸びながら、途中で崩れている巨大な建造物。
---
『戦争の終結とともに、神々も悪魔も地上から姿を消した。』
『残された者たちは長い年月をかけ、再び文明を築いた。』
『だが世界各地には、今なお神々と悪魔が残した遺跡や伝承が眠っている。』
---
「これが、現在のアルカディアだ」
「神様、いない?」
「少なくとも、普通に歩いていて会えるような存在ではないな」
「悪魔も?」
「同じだ」
ソラは画面をじっと見ていた。
特に気になっているのは。
雲の上まで伸びる巨大な塔。
そして遠い空に描かれた、小さな翼のある影。
その二つだった。
零司は次の項目を開く。
『GAME SYSTEM』
「プレイヤーは、この世界に暮らす一人の冒険者になる」
画面に映像が流れ始めた。
剣を手にモンスターへ挑む冒険者たち。
古代遺跡の内部を探索する一団。
鉱山で鉱石を掘るドワーフ。
鍛冶場で武器を作る者。
露店で商品を並べるプレイヤー。
湖でのんびり釣りをしている獣人。
仲間と料理を囲む者。
巨大な街を観光する者。
そして。
地図にも描かれていない土地へ向かって旅立っていく冒険者たち。
「冒険者は何するの?」
「何をしてもいい」
ソラが零司を見る。
「何でも?」
「ああ」
零司は画面を指で送った。
「モンスターと戦ってもいい」
戦闘。
「冒険者ギルドから依頼を受けてもいい」
大勢の冒険者で賑わうギルド。
「未知の土地を探索してもいい」
地図を片手に、まだ道のない場所へ進むプレイヤー。
「古代遺跡を探して、神々や悪魔が残した謎を調べるのもいい」
苔に覆われた巨大な神殿へ足を踏み入れる一団。
「武器や防具を作ってもいい。料理をしてもいい。商人として金を稼いでもいい。釣りだけしているプレイヤーだっている」
「戦わなくてもいい?」
「もちろん」
「飛ぶだけでも?」
零司の指が止まった。
「飛ぶ?」
ソラが画面を指す。
そこには、崖の上から空へ飛び立つ翼を持った種族が映っていた。
「これ」
「ああ」
零司は『RACE』の項目を開く。
「アルカディアでは、人間以外にも色々な種族を選べる」
画面へ複数の種族が並んだ。
---
『ヒューマン』
平均的な能力を持ち、多くの武器や防具を扱える。
『エルフ』
魔法や感覚に優れた森の民。
『ドワーフ』
頑強な肉体と優れた生産適性を持つ。
『獣人』
種族ごとに異なる身体能力を持つ。
『リザードマン』
高い生命力と強靭な身体を持つ。
『オーガ』
圧倒的な筋力を持つ大型種族。
---
「他にもいる」
零司が画面を横へ送る。
人魚。
小人。
人間とは大きく身体構造の異なる亜人。
そして。
翼を持った者。
「種族によって得意なことも、身体の動かし方も違う」
「翼も?」
「ある」
零司が一つの画像を開いた。
少女に近い上半身。
だが。
人間の腕があるべき場所には、大きな翼。
腰から下には人間の太腿。
そして膝から先は、鋭い鉤爪を備えた鳥の脚。
---
『ハーピー』
---
ソラの目が、わずかに大きくなった。
「飛べる?」
「飛行能力を持つ種族だ」
「ずっと?」
「ゲームのルール上、飛行が制限される場所はある。ただ、基本的には自分の翼で飛べる」
「自分で?」
「ああ」
零司は頷く。
「完全没入型だからな」
ボタンを押せば、自動的に空を飛ぶわけではない。
自分の身体の一部として翼を感じる。
動かす。
羽ばたく。
風を受ける。
そして。
自分自身で、空を飛ぶ。
「……」
ソラはハーピーの画像を見つめたまま、動かなくなった。
「気になるか?」
「うん」
これまでより返事が早い。
零司は少し笑った。
最後に公式ホームページのトップへ戻る。
そこでは、アルカディアの大陸を上空から見下ろす映像が流れていた。
広大な草原。
深い森。
雪に覆われた山脈。
果ての見えない砂漠。
青い海。
巨大な都市。
地図にも名前のない土地。
古代の遺跡。
そして。
雲を突き抜けるほど巨大な塔。
「アルカディア・クロニクルに、決められた一つの遊び方はない」
零司は言った。
「冒険者として誰より強くなるやつもいる。誰より先に未知の土地を発見したい奴もいる。神々が残した謎を追っている奴もいる」
ソラは黙って聞いている。
「だから――」
零司は少女を見る。
「君は、ゲームの世界で何をしてみたい?」
ソラはすぐには答えなかった。
画面を見る。
剣を持った冒険者。
巨大な怪物。
遺跡。
宝箱。
知らない街。
どれも、現実では体験したことのないものだった。
でも。
ソラが一番長く見ていたのは、そのどれでもない。
画面の上。
どこまでも広がる青い空。
その中を、小さな影が飛んでいる。
ソラは病室の窓へ顔を向けた。
現実の空。
いつも見ている空。
見えるのに。
手は届かない。
ずっと憧れていた場所。
ソラはもう一度、ゲームの画面へ視線を戻した。
「空を飛びたいです」
零司は何も言わず、その続きを待った。
「どこまでも、自分の翼で」
「……そうか」
零司は笑った。
「いい答えだ」
◇
数日後。
零司の退院の日。
検査結果にも問題はなく、ようやく病院から出られることになった。
ただし医師からは、
「今度同じ生活をしたら、本気で怒りますからね」
と最後まで念を押された。
「もう十分怒られたと思うんですが」
「まだ足りないようなら増やします」
「……気をつけます」
そんなやり取りを終えたあと。
零司は病院を出る前に、一度だけソラの病室を訪れた。
「これ」
差し出したのは、一枚のカード。
「?」
「プレゼントだ」
そこには。
---
『アルカディア・クロニクル』
---
ソラが目を瞬く。
「……ゲーム?」
「ああ」
「くれるの?」
「そのつもりで来た」
「でも」
「気にするな」
零司は言った。
「俺としても、自分たちが作った世界を君がどう見るのか興味がある」
さらに。
「ゲームを動かす最新のVR端末も、後日ここへ届くように手配してある」
「端末も?」
「ああ」
「高い?」
「そこを気にするのか」
「うん」
零司は苦笑した。
「ゲームだけ渡して、遊ぶための機械は自分で用意してください、では格好がつかないだろう」
「……そう?」
「そういうことにしておいてくれ」
ソラは手の中のカードを見る。
アルカディア。
神々が世界を作り。
悪魔との戦争によって、どちらも地上から消えた世界。
人間。
エルフ。
ドワーフ。
獣人。
そして。
翼を持つ種族。
冒険者たちが戦い。
旅をして。
誰も知らない場所を探す世界。
その世界なら。
自分も。
「ありがとう」
小さな声だった。
表情も、ほとんど変わっていない。
けれど。
カードを持つ手は、大切なものを落とさないように、しっかりと握られていた。
零司は病室を出ようとして。
一度だけ振り返った。
「天宮」
「?」
「飛べるといいな」
ソラは少しだけ目を細めた。
「うん」
◇
その日の午後。
ソラは、いつものように窓の外を見ていた。
一羽の鳥が空を横切る。
羽ばたき。
風を掴み。
高く上がっていく。
いつもなら。
ソラはただ、それを見送るだけだった。
今日は違う。
手元を見る。
そこには一枚のカード。
---
『アルカディア・クロニクル』
---
神々と悪魔が消えた世界。
無数の種族が暮らす世界。
冒険者たちが未知の土地へ旅立つ世界。
そして。
翼があれば。
自分自身で空を飛べる世界。
ソラはカードを胸元へ置き。
もう一度、窓の向こうへ目を向けた。
「もうすぐ」
鳥が遠くへ飛んでいく。
けれど。
今日は、その姿がいつもより少しだけ近く感じられた。
ソラは小さく。
ほんの少しだけ嬉しそうに呟いた。
「飛べる」
青い空の向こうへ、鳥が消えていく。
数日後。
天宮ソラは初めて。
自分自身の翼で――。
あの空へ飛び立つことになる。
良ければ感想お願いします。




