第1話 天才魔女の目覚めと、終末世界の歓迎
「——循環、還元……再生、ふ、ふふ……できた、できたのだわ……!」
ヴィノール聖王国と呼ばれる世界有数の大国の辺境に位置する、鬱蒼とした名もなき森の深奥。
長い年月を経て苔むした石造りの研究小屋に、澄んだ、しかしどこか誇らしげな女性の声が響き渡った。
床一面に描かれた複雑怪奇な幾何学模様の魔法陣が、眩いほどの青白い光を放ち、そしてゆっくりと収束していく。
光の中心に立つのは、毛先が赤く染まった長い銀髪に、明るく輝く碧眼を持つ女性――シルヴィア・ティア・ロード。
栄華を極めるこのヴィノール聖王国において、その絶大な功績から「”再生”の魔女」という名誉ある称号を授けられた、天才である。
「……長い永い研究の成果がついに……はぁ、ようやく、ようやく目標達成なのだわ……」
シルヴィアは自身の両手を胸の前に掲げ、その掌を見つめながら恍惚とした吐息を漏らした。
自ら開発した魔法によって不老不死を実現した彼女にとって時間は制限になり得ない。
しかし、それでもこの研究はこれまでの人生において最大規模の一大プロジェクトであることに違いはなく、達成感もひとしおである。
「あぁ、なんて美しい術式なのかしら。私ってば、本当に恐ろしいほどの天才ね!」
誰もいない小屋の中で、シルヴィアは白衣を翻しながら自慢げに胸を反らした。
本当に長い時間をかけた。彼女の体感としてはおよそ百年近くの年月がこの研究へと費やされ、来る日も来る日も検証、実験、失敗の繰り返し。
研究を始めて十年そこらで事実上の不老不死を実現し、そこから更に本命の研究を始めて幾星霜。
ようやく成し得たという実感は、どれだけ喜んでも気持ちが浮ついてしまうほどであった。
「長い事王都を空けちゃったけれど……まあ、この世紀の大発見を見せれば、学会の連中もひれ伏して泣いて喜ぶに決まってるわ。国王陛下だって、私にもう一つくらい新しい称号をくれるかもしれないわね。次は何かしら……”永遠”の魔女……とか、ふふ、楽しみなのだわ……!!」
世紀の大発明を褒めちぎられ、あわよくば憧れである”原初”の魔女と並ぶ存在として、魔法学の歴史に名と顔を残すことができるかもしれない。
そんなウキウキとした高揚感を胸に、シルヴィアは外出の準備を始めた。
白衣を脱ぎ捨て身に纏うのは、最高級の霊糸で織られた漆黒のローブ。そして、つばの広い大きな三角帽子。
やや時代遅れのクラシカルなデザインではあるが、原初の魔女であるマリアが着用していた装束を模した自分だけの魔女服だ。
「よし、今日も私は完璧な魔女なのだわ! それじゃあ、久しぶりのシャバの空気を吸いに行くとしましょう!」
弾むような足取りで、シルヴィアは数百年ぶりに森の外を目指して研究所の扉を押した。
━━━━━━
日の光も差し込まない森を抜け、王都へを目指す道中は、シルヴィアにとって少しばかりの違和感を伴うものだった。
「……なんだか、空気が薄い……? いえ、違うわね」
彼女は何度か深呼吸を繰り返し、首を傾げた。
呼吸が苦しいわけではな、酸素は十分に足りている。しかし、何かが足りない。
その欠乏感に首を傾げながら、丘に向かう。
「ずっと森の中に居たから感覚が鈍ったのかしら……ま、そのうち慣れるでしょ。それにしても天気が悪いのだわ。折角の外出なのだから晴天にしなさいよね、空も気が利かないのだわ」
そんな呑気なことを口にしながら、シルヴィアは森の出口である小高い丘へと歩を進める。
この丘を越えれば、遠く先には世界最高峰の魔法技術が集約された、美しく洗練されたヴィノールの王都が広がっている。
今はどんよりとした曇り空だが、夜になればエーテルの街灯が星屑のように煌めき、空には優雅な魔導船が浮かぶ、白亜の都市が。
丘を登り切り、視界が開けた瞬間――シルヴィアの足がピタリと止まった。
「え……?」
帽子を押さえていた手が、力なく下ろされる。
碧眼が見開かれ、その瞳孔が震えていた。
「なに、これ……」
眼下に広がっていたのは、彼女の記憶にある美しい魔導都市ではなかった。
どんよりと濁った、薄汚れた灰色の空。
白亜の塔が建ち並んでいたはずの場所には、赤錆びた無骨な鉄の建造物が無秩序にひしめき合っている。天を衝くように伸びた時計塔だけが、爛々とした光を灯していた。
空を覆うのは優雅な魔導船ではなく、無数の巨大な煙突から吐き出される、鼻をつくような黒煙だ。
「嘘でしょ……王都はどこ……? 道を間違えた――わけない! いくら長い事外に出てなかったとは言っても、森は私の庭同然ッ! 王都はどうなってるの……?」
深い霧に包まれるような、蒸気吹き出す機械仕掛けのダンジョンじみた見知らぬ街並み。
まるで別の世界に迷い込んでしまったかのような錯覚。天才的な頭脳をもってしても、目の前の現実が全く処理できない。
パニックになりかけた頭をブルブルと振り、シルヴィアは自身の頬を両手でパチンと叩いた。
「お、落ち着きなさいシルヴィア。天才たるもの、常に冷静沈着よ。ええと、そう。きっとあれは王都の隣の……ええと、新しくできた工業特区か何かに違いないのだわ! とにかく、近場の町まで降りて情報を集めないと」
自分に言い聞かせるように呟き、シルヴィアは足早に丘を駆け下りた。
━━━━━━
丘を下った先の道の脇に、古びた看板が立っていた。文字は長年の風雨に晒されてほとんど掠れているが、辛うじて読み取れる。[――獣、出没につき立ち入り禁止]
ふうん、とシルヴィアは一瞥しただけで通り過ぎる。看板の先にあるのは枯れた山……果たしてこのような荒廃した土地に獣など出るものなのかと、かつてこの看板が正しく機能していた光景を思い浮かべながら、変わり果てた大地を一歩一歩踏みしめていく。
かつては白煉瓦で舗装されていたはずの街道は、争いの痕が深く刻まれた泥土へと変わり果てていた。町を囲む防壁も、魔法で強化された白亜の石壁ではなく、粗悪な鉄板と鋲で継ぎ接ぎされた廃材の塊のようだった。
「ひどい有様ね……いくら何でも景観を損ねすぎじゃないかしら」
ブツブツと文句を言いながら、シルヴィアは町の入り口である巨大な鉄格子の門へと向かった。
そこには、門番らしき数人の男たちが立っていた。しかし、彼らの装備もまた、シルヴィアの常識から大きく外れていた。
魔法騎士団が着るような美しい銀銀甲冑ではなく、油汚れと煤にまみれた分厚い外套。頭には奇妙なゴーグルを乗せ、手には粗悪な銃を握っていた。
とても正規騎士とは思えないような出で立ちは自警団か何かだろうか。
門に近づくシルヴィアの姿に気づくや否や、門番たちの動きがピタリと止まった。
そして次の瞬間、彼らは恐怖心に駆られたかのように急いで銃を構え、その銃口をシルヴィアへと向けたのだ。
「止まれ! 何だお前は!?」
野太く、ひどく切羽詰まった怒声が飛ぶ。
いくら変わり果てた姿の町であったとしても、魔女として歓迎される気満々だったシルヴィアは、突然の敵意に目を丸くした。
「え? 何って……見て分からないかしら?」
シルヴィアは立ち止まり、自身の立派な三角帽子をクイッと持ち上げてみせる。
由緒正しき、国家公認の魔女の姿である。ヴィノールの民であれば、この装束を見ただけで道を譲り、深々と頭を下げるのが当然の礼儀だ。
……というのがやや誇張されたシルヴィアの自認であっても、少なくとも魔女を見かけた時の反応とは到底思えないものであった。
彼らはシルヴィアの姿をまじまじと見た途端、まるでこの世の終わりでも見たかのように血相を変え、ガチガチと歯の根を鳴らして後ずさったのだ。
「そ、その格好……ふざけやがって! 気でも狂っているのか!?」
「くそっ、なんでこんな町に……! おい、応援を呼べ!!」
「一歩でも動いてみろ! 蜂の巣にしてやるぞ!」
向けられるのは尊敬や称賛ではない。明らかな「恐怖」と、吐き気を催すほどの「嫌悪」だった。
シルヴィアはムッと頬を膨らませ、形の良い眉を大きくひそめた。奇異の目で見られるだけならまだしも、罵倒される謂れなど無いのだから。
「何よ、失礼ね! いきなり人を見て狂人扱いするだなんてどういう教育を受けているの?」
男たちのあまりの無礼さに、シルヴィアの堪忍袋の緒が切れた。
魔女という、国に貢献した偉人への名誉ある称号を与えられた自分に対して、いくら何でも扱いが酷すぎる。確かに百年ぽっち研究に引きこもっていた間にシルヴィアという名前が忘れられていたとしても、それは仕方の無いことだと理解はできる。
だが、だからといっていきなり発狂したように銃を突きつけ声を荒げるような者に門番を任せるなど、この国の教育レベルはどうなってしまったのか。
(全く、最近の若い兵士は礼儀というものを知らないのね。ここは一つ、私が誰なのかをしっかり教えてあげないといけないのだわ)
ピリついた空気に我慢ならなくなったシルヴィアは、堂々と胸を張って高らかに、かつての誇りとともに名乗りを上げた。
「よく聞きなさい、無礼者! この私こそヴィノール聖王国が誇る”再生”の魔女、シルヴィア・ティア・ロードなのだわ!」
そして、抗議の意味を込めて、彼女がドンッと力強く一歩を踏み出した。
その瞬間――
ぱぁん、と無情で乾いた破裂音が、薄汚れた灰色の空に響き渡った。
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