表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
痴漢冤罪で人生を壊された男は、異世界で《証明者》となり、嘘で人々を支配する聖女を断罪する  作者: 月瀬 リュカ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
39/45

第39話 聖女の筆跡



 ギルド会議室の机の上に、証拠が並べられていく。


 禁書棚の貸出帳。


 削られた閲覧記録。


 返却箱から出た焦げた紙片。


 使用禁止の文字が残った禁書資料の写し。


 そして、その裏に書かれていた短い覚え書き。


『表層濁り 消える』


『根部阻害 残る』


『再浄化 可能』


『民衆告知 時期調整』


 俺はその文字を、黙って見下ろしていた。


 短い言葉だ。


 だが、短いからこそ逃げ道がある。


 ミコトは言った。


 懸念を書き留めただけだと。


 民に不安を与えないための配慮だと。


 あいつなら、いくらでも綺麗な言葉に変えられる。


 だから必要なのは、筆跡だ。


 その文字が、誰の手で書かれたのか。


 前に祈りの間で見つかった紙片と同じか。


 ミコト本人の筆跡と一致するのか。


 そこを繋げる必要がある。


「筆跡資料は、すぐに集めます」


 エルハルト監査官が言った。


 彼の顔には疲労が滲んでいる。


 神殿の監査官として、聖女の私室を二度も調べた。


 禁書資料の無許可写しも見つかった。


 もう後戻りはできない。


 エルハルト自身も分かっているはずだ。


 ここから先は、神殿を守るための監査ではない。


 神殿の白い場所に隠れていたものを、外へ引きずり出すための監査になる。


「聖女様の筆跡が分かる資料は?」


 クララが尋ねる。


「公式文書はいくつかあります。祈祷文、告知文、礼状、認定式関係の書状などです」


「それ、本人が書いてるんですか?」


 マーヤが聞いた。


 エルハルトは首を横に振る。


「多くは書記が清書します。聖女様は最後に署名を入れるだけです」


「署名だけでは足りないな」


 バルトが腕を組む。


「はい。署名は崩し方も違います。文章として書かれた筆跡が必要です」


 エルハルトは書記へ指示を出した。


「聖女ミコト様の自筆資料を集めてください。公式祈祷文の草稿、薬湯礼状、湿地浄化前後の私的覚え書き。監査対象として提出を求めます」


 書記は硬い顔で頷き、部屋を出ていった。


 残された俺たちは、机の上の紙片を見続けた。


 マーヤが小さな拡大鏡を取り出す。


「文字って、意外と癖が出るんだよね」


「薬師も筆跡を見るのか?」


 俺が聞くと、マーヤは頷いた。


「処方箋とか薬草記録って、書いた人の癖が大事だから。数字を間違えると薬が毒になるし」


 彼女は裏書きの文字を指で示した。


「この『根』って字、最後の払いが短い。途中で止める癖がある。それと『再』の横線が少し右上がり。あと、『民』の最後の曲がり方が独特」


 クララが感心したように覗き込む。


「そんなところまで分かるんですね」


「完全な証明は専門の記録鑑定士に任せた方がいいけど、似てるかどうかは見られるよ」


 マーヤは、祈りの間で見つかった紙片を横に置いた。


『根部阻害、残存』


『再浄化日程』


『民衆告知、聖女判断』


 二つの紙片。


 別の場所で見つかった文字。


 だが、並べると不気味なほど似ていた。


 『根』の止め方。


 『再』の傾き。


 『民』の曲がり。


 そして、言葉の選び方。


 根部阻害。


 再浄化。


 民衆告知。


 同じ思想が、別々の紙に残っている。


「これを書いた人は、同じ可能性が高いです」


 マーヤが言った。


「少なくとも、同じ言葉を使ってる」


「問題は、それがミコト本人かどうかだ」


 俺は呟いた。


 あいつは、まだ言える。


 サーシャが書いた。


 オルグが書いた。


 誰かが私室に残した。


 聖女判断という文字も、聖女本人が書いたとは限らない。


 だから、本人の筆跡が必要になる。


 しばらくして、書記が戻ってきた。


 手には数枚の文書を抱えている。


「こちらが、聖女様の署名入り公式告知文です。こちらが湿地浄化後の民への礼状。こちらが祈祷文の草稿です」


 エルハルトが受け取る。


 まず公式告知文。


 美しい文字だった。


 だが、すぐに分かる。


 これは本人の字ではない。


 書記が清書した整った文字だ。


 最後に『聖女ミコト』と署名だけが入っている。


 次に礼状。


 これも清書体。


 署名だけ本人。


 問題は祈祷文の草稿だった。


 紙には、柔らかな文字が並んでいる。


 綺麗だ。


 だが、綺麗すぎる。


 俺は眉を寄せた。


「これは、いつ書かれたものですか」


 書記は一瞬詰まった。


「……先ほど、提出を求めた際に、聖女様の侍女より受け取りました」


「先ほど?」


「はい。保管されていたものだと」


 マーヤが紙に顔を近づけた。


 指先で触れず、匂いを確かめる。


「インクが新しい」


 部屋の空気が変わった。


 書記が青ざめる。


「新しい?」


「乾いてはいるけど、紙への染み方が浅い。昨日以前のものには見えない」


 クララが目を細める。


「つまり、今用意した可能性がある?」


「断言はまだできない。でも、少なくとも古い草稿には見えない」


 俺はその祈祷文を見た。


 綺麗な文字。


 崩れの少ない書き方。


 癖を抑えた筆跡。


 あいつらしい。


 必要になると分かった瞬間、綺麗な文字を差し出す。


 用意された白い証拠。


 それで疑いを薄めるつもりか。


「この草稿は、本人が書いたものですか」


 エルハルトが書記に問う。


「侍女は、そう申しておりました」


「誰ですか」


「補助侍女の一人です。名は、ノーラと」


「呼んでください」


 書記が頷いて出ていく。


 俺は新しい祈祷文を見下ろす。


 文字は綺麗だ。


 だが、綺麗すぎる文字は、時に仮面になる。


 マーヤが小声で言った。


「これ、裏書きとは少し違う。癖を消そうとしてる感じがする」


「本人が意識して書いた可能性は?」


「ある。急いで書いた文字と、人に見せるために整えた文字は違うから。でも、完全には隠せないと思う」


 マーヤは祈祷文の中の『民』を指した。


「ここ。最後の曲がり方だけ、少し似てる」


 次に『再』。


「こっちも右上がり」


 さらに『根』。


「この字は入ってないね。都合よく」


 俺は小さく息を吐いた。


 偶然か。


 それとも、見せたくない字を避けたのか。


 どちらにせよ、これだけでは弱い。


「他に古い自筆はないのか」


 バルトが言う。


 エルハルトは考え込んだ。


「聖女様の私的祈りの記録は、提出を拒まれる可能性があります。信徒の名前や相談内容が含まれるためです」


「そこを隠して出せばいい」


 俺が言うと、エルハルトは頷いた。


「求めます。ただ……時間がかかるかもしれません」


「時間をかければ、また清められる」


 俺が言うと、部屋が静まった。


 誰も否定しない。


 すでに、何度も清められてきた。


 記録も。


 紙片も。


 証人も。


 その時、部屋の扉が叩かれた。


 入ってきたのは、若い補助侍女だった。


 顔色が悪い。


 名をノーラというらしい。


 彼女はエルハルトの前で深く頭を下げた。


「聖女様より、祈祷文の草稿をお預かりしました」


「これは、いつ書かれたものですか」


 エルハルトが尋ねる。


 ノーラは少し迷った。


「保管されていたものです」


 その瞬間、俺の内側で刃が鳴った。


 短く。


 ノーラの肩が跳ねる。


 エルハルトが静かに言った。


「正確に答えなさい」


 ノーラの唇が震える。


「……本日、書かれたものです」


 クララが小さく息を吸う。


 バルトが低く舌打ちする。


 マーヤは驚かなかった。


 やはり、という顔だ。


「誰が書きましたか」


「聖女様です」


 刃は鳴らない。


 本人が書いた。


 それは本当らしい。


「なぜ、本日書かれたものを、保管されていた草稿として提出したのですか」


 ノーラは顔を伏せた。


「聖女様が……古い草稿は祈りの内容に信徒の名が含まれるため、外へ出すべきではないと」


「それで、新しく書いたものを?」


「はい。筆跡確認に必要なら、これで足りるはずだと」


 刃は鳴らない。


 ミコトの言葉としては本当なのだろう。


 だが、足りない。


 意図的に整えられた筆跡は、証拠として弱い。


 俺はノーラを見た。


「古い草稿は、まだ残っているのか」


 ノーラは喉を鳴らした。


「……分かりません」


 刃は鳴った。


「分かっているな」


 ノーラの目に涙が浮かぶ。


「私は、ただ……整理を手伝っただけです」


「何を整理した」


「祈りの箱です」


 エルハルトの顔が険しくなる。


「祈りの箱?」


「聖女様が、日々の祈りや覚え書きを納める箱です。信徒の名前や悩みが書かれているので、普段は誰も触れません」


「その箱を整理したのか」


「はい。聖女様が、監査で余計な誤解を生まないようにと……」


 まただ。


 余計な誤解。


 混乱を避ける。


 民のため。


 白い言葉で、証拠が消える。


「整理したものはどこへ」


 ノーラは答えない。


 刃が鳴る前に、彼女は震えながら言った。


「清め場へ……」


 クララが目を閉じた。


 バルトが拳を握る。


 エルハルトは書記へ鋭く命じた。


「清め場を封鎖。今すぐ」


「はい!」


 書記が駆け出す。


 俺はノーラへ問う。


「全部燃やしたのか」


「まだです」


 刃は鳴らない。


 ノーラは涙をこぼした。


「全部は、まだ。量が多かったので、清めの順番待ちになっているはずです」


「案内しろ」


 俺たちはすぐに立ち上がった。


 ノーラを責める時間はない。


 今は、残っているかもしれない紙を押さえる方が先だ。


 神殿の清め場は、前にも灰を調べた場所だった。


 白い石造りの炉。


 香の匂い。


 灰を集める壺。


 そこに向かう途中、ノーラは小さく呟いた。


「聖女様は、悪いことをしようとしたわけではありません」


 俺は答えなかった。


 ノーラは続ける。


「ただ、信徒の方々の悩みが外に出たら、皆が傷つくからと」


「その中に、湿地の覚え書きもあったのか」


「……分かりません」


 今度は刃が鳴らなかった。


 本当に分からないのだろう。


 ノーラは命じられたものを運んだだけ。


 中身を見ていない。


 それでも、記録を消す手伝いをした事実は残る。


 清め場に着くと、神殿兵が炉の前に立っていた。


「封鎖しました。まだ未焼却の箱があります」


 炉の横に、白い布をかけられた箱が三つ。


 そのうち一つに、白い花の印が押されている。


 ノーラが震えた。


「それです。祈りの箱から移したものです」


 エルハルトが慎重に布を外す。


 中には紙束が入っていた。


 祈り札。


 信徒の名前。


 短い相談。


 病のこと。


 家族のこと。


 貧しさのこと。


 確かに、外へ出せないものも多い。


 ミコトの言い分は、半分正しい。


 だから厄介なのだ。


 正しさの中に、都合の悪いものを混ぜて燃やす。


 俺は紙束を一枚ずつ確認していく。


 信徒の私的な内容には触れすぎない。


 必要なのは、筆跡だ。


 ミコト本人が書いた覚え書き。


 湿地に関するもの。


 祈りの文。


 マーヤが横で手伝う。


「これ、本人の字っぽい」


 差し出された紙には、短い祈りが書かれていた。


『北区の老女へ。薬湯を三日分。痛みを軽く。祈り後、様子確認』


 丁寧だが、急いだ文字。


 新しく提出された祈祷文よりも崩れている。


 俺は裏書きと並べた。


 『民』はない。


 『再』もない。


 だが、『痛』の中の払い方、『様』の止め方に癖が出ている。


 マーヤが頷く。


「こっちの方が自然。隠してない字」


 さらに探す。


 紙束の中から、湿地という文字が出てきた。


 俺の指が止まる。


『湿地祈祷後、白銀草の葉色は戻る』


『薬効は根に残るため、確認必要』


『民には安心を先に』


 クララが小さく声を漏らした。


 マーヤが目を細める。


「これ、かなり近い」


 俺は紙を保全袋へ入れた。


 まだだ。


 もっと直接的なものが欲しい。


 箱の底に近い紙束。


 そこに、半分折られた小さな紙があった。


 端に黒い染み。


 香油の匂いがする。


 マーヤが試薬を落とす。


「香油反応。あと、黒泥成分がほんの少し」


 紙を開く。


 そこには、短い箇条書きがあった。


『禁書記録 使用禁止』


『ただし表層浄化効果あり』


『根部阻害は残る』


『一度で終えない』


『再祈祷の理由になる』


 室内ではない。


 清め場だったが、空気が凍った。


 一度で終えない。


 再祈祷の理由になる。


 これは、懸念ではない。


 結果を利用する言葉だ。


 民の不安を避けるためではない。


 救いを、何度も発生させるための考えだ。


 エルハルトの手が震えた。


「これを、保全します」


「筆跡は?」


 バルトが聞く。


 マーヤは裏書き、祈りの覚え書き、そして今の紙を並べた。


「同じ人の可能性が高い。少なくとも、さっきの新しい祈祷文よりずっと自然に一致してる」


 俺はその紙を見つめる。


 一度で終えない。


 再祈祷の理由になる。


 ミコトが、言い逃れできる余地はまだある。


 これも、悪意ではなく警戒の言葉だと言うかもしれない。


 再祈祷の必要性を考えただけだと。


 だが、紙は積み上がる。


 言葉は繋がる。


 根部阻害。


 再浄化。


 民衆告知。


 一度で終えない。


 再祈祷の理由。


 ここまで来れば、もう単なる偶然ではない。


 その時、清め場の入り口から声がした。


「その箱は、信徒の祈りを納めたものです」


 振り返る。


 聖女ミコトが立っていた。


 いつ来たのか。


 白い衣のまま、清め場の入口に静かに立っている。


 神殿兵が慌てて頭を下げる。


 ミコトは、俺たちではなく、箱を見ていた。


「どうか、丁寧に扱ってください」


 エルハルトが前に出る。


「聖女様。この箱の中から、湿地浄化に関する覚え書きが見つかりました」


「そうですか」


 ミコトは静かに答える。


 驚かない。


 慌てない。


 だが、ほんの少しだけ、目の奥が硬い。


「あなたの自筆ですか」


 俺が聞いた。


 ミコトは俺を見る。


「私が書いたものも、含まれているでしょう」


「この紙は?」


 俺は保全袋越しに、問題の紙を示した。


『一度で終えない』


『再祈祷の理由になる』


 ミコトはその文字を見た。


 数秒、沈黙した。


 そして言った。


「私の字です」


 刃は鳴らなかった。


 認めた。


 清め場にいた全員が息を詰める。


 ミコトは続けた。


「ですが、それは罪の計画ではありません」


 来る。


 俺は黙って聞いた。


「湿地の穢れが深い場合、一度の浄化ですべてを解決できない可能性がありました。ならば、民に過度な期待を抱かせず、必要なら再び祈る。そういう意味で書いたものです」


 刃は鳴らない。


 言葉は綺麗に整えられている。


 だが、鳴らない。


 ミコトは、本当にそう説明できる場所に立っている。


「使用禁止の記録を読んだ上で、第二箱の泥を見た」


 俺は言った。


「根部阻害が残ることも知っていた」


「危険があることは知りました」


「それでも、湿地浄化は行われた」


「湿地には、すでに異常がありました。民は苦しんでいました」


「そして、浄化後も薬効阻害は残った」


「だから、再び祈る必要があると考えました」


 言葉だけなら、まだ聖女だ。


 傷が残ったから、もう一度祈る。


 苦しみが残ったから、支える。


 それだけなら正しい。


 だが、紙には違う熱がある。


 一度で終えない。


 再祈祷の理由になる。


 その言葉の順番が、綺麗すぎる言い訳の下から覗いている。


「あなたは、湿地を一度で救うつもりがなかったのか」


 俺が問う。


 ミコトの表情は変わらない。


「救えるなら、救いたかった」


 刃は鳴らない。


 俺の胸の奥が冷える。


 そうだろう。


 あいつは本当に救いたかったのかもしれない。


 ただし。


 救われる民と。


 救う自分。


 その構図が残る形で。


「救えるなら、か」


 俺は呟く。


 ミコトは静かに言った。


「私は、すべてを救える神ではありません」


「神でないなら、なぜ神のように見せた」


 初めて、ミコトの目が揺れた。


 ほんのわずか。


 だが、揺れた。


 清め場に沈黙が落ちる。


 俺は続ける。


「見える穢れを消した。民は歓声を上げた。白銀草の根には傷が残った。薬効阻害は残った。再浄化の理由も残った」


 ミコトは答えない。


「あなたは、救いを終わらせたくなかったんじゃないのか」


「……違います」


 刃は鳴らなかった。


 強い。


 あいつは、自分で自分を信じている。


 自分は救いたかった。


 その仮面は、内側まで深く食い込んでいる。


 俺は分かっている。


 ここで力任せに剥がそうとしても、証明にはならない。


 必要なのは、もう一つ。


 ミコトが救いを終わらせたくなかったこと。


 民を救うことと、自分が聖女として見られ続けることを結びつけていたこと。


 その思想が、もっとはっきり残った証拠だ。


 ミコトは俺を見た。


「レン・クゼ様。あなたは私を責めたいのでしょう」


「違う」


「では?」


「証明したい」


「何を」


「あなたが、何を救いと呼んでいるのかを」


 ミコトは静かに息を吐いた。


 その顔は悲しそうだった。


 けれど、俺にはもう、その悲しみがどこへ向いているのか分からなかった。


 民へか。


 側近へか。


 自分へか。


 それとも、白い場所から引きずり出されそうなことへか。


 エルハルトが証拠の保全を命じる。


 清め場の箱はすべて封印された。


 信徒の私的な祈り札は、内容を伏せたまま別保全。


 湿地関連の覚え書きだけを写し、原本は封緘する。


 ミコトは抵抗しなかった。


 抵抗しないことすら、自分を白く見せると分かっているようだった。


 清め場を出る時、ノーラが泣きながら頭を下げた。


「申し訳ありません……」


 俺は彼女を見た。


「謝罪は記録に残します。事情も聞きます」


「はい……」


「ただし、証拠を燃やす前に残した。それも記録に残る」


 ノーラは顔を上げた。


 少しだけ、息をした。


 全部が罪になるわけではない。


 全部を誰か一人に背負わせるわけでもない。


 俺は、それを証明するためにもここにいる。


 ギルドへ戻る道で、クララが隣を歩いた。


「また、近づきましたね」


「ああ」


「でも、まだ決め手じゃない」


「そうだ」


 クララは悔しそうに唇を噛んだ。


「どうしてあんなに逃げられるんですか」


「嘘だけで作られていないからだ」


 俺は答えた。


「ミコトの言葉には、本心も混じっている。民を救いたい気持ちも、おそらくある。だから刃が鳴らない部分がある」


「じゃあ、どうすれば」


「その本心の下に、何を隠しているかを見る」


 クララは黙った。


 ミコトは単純な悪人ではない。


 だからこそ厄介だ。


 聖女の力は本物。


 救いたい気持ちも、たぶん本物。


 だが、その救いの形が歪んでいる。


 人が何度も救いを求める状況。


 自分が何度も救う側に立てる構図。


 そこにミコトの白い仮面がある。


 俺たちはギルドに戻り、証拠を机に並べ直した。


 新たに見つかった紙片。


『禁書記録 使用禁止』


『ただし表層浄化効果あり』


『根部阻害は残る』


『一度で終えない』


『再祈祷の理由になる』


 マーヤがその横に、前の紙片を置く。


『根部阻害、残存』


『再浄化日程』


『民衆告知、聖女判断』


 そして禁書写し裏面。


『表層濁り 消える』


『根部阻害 残る』


『再浄化 可能』


『民衆告知 時期調整』


 三枚の紙。


 三つの場所。


 同じ筆跡。


 同じ言葉。


 同じ方向。


 俺はそれを見た。


 線は、はっきりしてきた。


 ミコトは禁書記録を読んだ。


 使用禁止を知っていた。


 根部阻害を知っていた。


 再浄化を予定に入れていた。


 民衆告知の時期を調整しようとしていた。


 そして、救いを一度で終わらせないことを考えていた。


 だが、最後の一点が足りない。


 なぜ、終わらせたくなかったのか。


 その答えが必要だ。


 その時、エルハルトが一枚の古い祈祷予定表を持ってきた。


「清め場の箱の底から、これも見つかりました」


 予定表。


 湿地浄化後の日程案。


 そこには、まだ公表されていない再祈祷の候補日が三つ書かれていた。


 そして余白に、小さく一文。


『救いは、続くほど信仰になる』


 誰も声を出さなかった。


 俺はその文字を見つめた。


 白い聖女の奥にあるものが、ようやく形を持ち始めていた。


 救いは、続くほど信仰になる。


 次に証明すべきものは決まった。


 ミコトが民を救いたかったのか。


 それとも。


 救われ続ける民を必要としていたのか。


 嘘は、全部を消せない。


 そして本心もまた、紙の上では隠れきれない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ