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全て満月のせい  作者: 史音
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序章 まだ新月の頃 ③

俺はついに水村との距離を縮めるための行動を開始した。


まずは藤田と知り合いになることにした。

俺一人で話しかけても、水村はそっけない返事ばかりで、これではダメだと思ったのだ。

だけど、これはとても簡単だった。

藤田は同期の中でも一番と言っていいほどいいやつだったから。


俺は難なく藤田のメシ友達になり、あいつと出かけて水村の話もよく聞いた。

「あいつ、お酒強いんだよ」

「へえ、お前弱いのに」

「そうそう、だからオレと飯に行っても、水村あんまりお酒飲まないんだよ」

なんか悪いよね、そう言って藤田は本当に人が良さそうに笑う。


俺は藤田に向けて笑った。

「じゃあ、今度飲みに行く時、俺にも声をかけてよ。俺、酒強いから」

そう言ったら、藤田は本当に嬉しそうに笑った。

「助かるな。じゃあ今度ね」


藤田の友達になってしばらくして、水村と藤田が話しているのを見かけた。

これはチャンスだと、それとなく加わったけれど、水村にかなり警戒されて、ろくに話もできないかった。あっという間に離れていった水村を見て、藤田が苦笑いした。

「川原、水村になんかしたの?」

俺は苦い顔をした。


何もしていない。

まだ、何もできていない。

だけど、これではどうにもできない。


その頃、ついに俺の水村への気持ちを決定づける事件が起きた。

日にちの変わる頃まで残業をした夜のことだった。


帰ろうと俺がエレベーターを待っていると、そこに水村がやってきた。

水村も残業だったのか、そう思って声を掛ける。

「お疲れ」

俯いていた水村は目線だけを上げて、

「お疲れ」

そう言って頭を下げた。


「残業?」

「うん。川原も?」

「そう」

当たり障りのない会話だけど、それ以上は水村が許してくれないような雰囲気だった。

不自然なまでに下を向いていて、相変わらず警戒されていると苦笑いしてしまう。


ちょうど来た二人でエレベーターに乗り込む。それとなく食事に誘ってみようかと、迷う。

だけど、あっという間にロビーについてしまった。

ドアが開いてすぐに、水村は歩いて行こうとして、俺は反射的に水村の腕を掴んだ。

「水村、あのさ」

水村が振り返った。

その目が大きく見開かれて、俺を見た。


それは本当に偶然だった。

水村の顔を見て、違和感があった。


何かが違う、と思って、その顔を見ると、違和感の原因に気がついた。

夜遅くまでの残業で、おそらくメイクが取れかけていて、でも直す時間もなかったのだと思う。

いつもキリリと流れるような水村の目とは、違っていた。


驚いて見開かれた目は、丸くぱっちりとしていて、どちらかというと少し垂れ目だった。

それが違和感の正体で、目の印象が違うだけで、彼女はいつもよりもずっと幼く見えた。

まだ学生と言っても通用しそうだった。

その顔に俺は驚いて、言おうとしていた言葉がどこかに行ってしまった。


俺は彼女の顔から目が離せなくて、じっと見てしまった。

だけど、俺を見て水村は何かに気がついたように慌ててパッと顔を逸らすと、逃げる様にエレベーターを降りた。

「じゃあ、お疲れ」

振り返らずに言って、俺が何か言う前に、まるで逃げるように小走りで去っていった。


俺は一人取り残された。

最後の水村の顔が、どうしても忘れられなかった。


「あいつ……」


小柄で目のキリッとした子、そう言われていた彼女がさっき見せたのは、全く違う彼女だった。

あっという間に逸らされた、その顔が頭から離れなかった。


タイプじゃない。


そう思っていたのに。


「すげえ、タイプかもしれない」


これが彼女への思いがしっかりと形になった時だった。



***


なんとなく気になる存在、で終わるはずだった水村を、はっきりと好きだと自覚した後。

変わらずに女性から声をかけられることもあったけれど、俺はそれを断るようになった。

藤田の話では、水村はとても真面目だから、きっとそれは恋愛に対しても同じだと思った。

そんな彼女には、以前の俺の交友関係は許せないだろうと予想したからだ。


いくら真面目な態度を見せても、すぐに彼女の俺への警戒が薄れるはずもなく……。

それでも縮められない距離に、人知れず自分の気持ちを拗らせ始めた頃。

俺は藤田から飲みに誘われた。


その時は何も考えずに頷いたけれど、あいつは飲めないのにおかしいと思ったのは、お店に着いた時だった。

俺はビールを、あいつは烏龍茶を手に乾杯する。

あいつが思い切ったように話し出したのは、大学の同級生のことだった。


よくある、昔からずっと好きだった人、ってやつだ。

その人にまた会う機会があって、今度こそ気持ちを伝えたい。

でもどうやって気持ちを伝えたらいいのかわからない、という相談だった。

藤田は烏龍茶なのに、お酒を飲んでいるみたいに真っ赤になっていた。

「川原なら、女性が喜びそうなことわかってそうだし、お前に聞くのが一番だと思って」

「そんなことないよ」

だけど藤田は期待を目にのせて俺を見る。

「どうしたらいいと思う?」


俺はため息をついて、ビールを飲んだ。


俺に恋愛のことを聞くなんて、間違っている。

だって今の俺は好きな人とちゃんと話すことも出来ない男だ。

気持ちを伝えるよりも、ずっと前の段階で足踏みしている。

アドバイスできるようなものはない。


だけど藤田の期待がわかったから、俺はやむなく口を開く。

特にいい考えなんてない。だから思いつくままを伝えた。

「変に考えないで、思った通りに言えばいいんじゃない?」

「なんて?」

「ずっと好きだったって」


かなり投げやりな意見だと思う。

だけど、藤田はそれを聞いて少しの間黙って、それから嬉しそうに笑った。

「さすが川原。やっぱりいいこと言ってくれるな」

「そんな大したアドバイスじゃないよ」

「いや、すごくよかった。やっぱりストレートに言うのがいいよな」

藤田はお茶を飲んで、大きく頷いた。


どうやら俺の適当な意見は、藤田の心には刺さってしまったようだ。

責任重大だ。


藤田は俺の焦りを気にすることもなく、大きく息を吐いた。

「本当に川原はいいよなあ」

「は?どこが」

そう呆れる俺に、藤田はうなずく。

「全部、川原の全部がすごいよ」

そうしてまた、嬉しそうに笑った。


「いいなあ、俺も川原みたいになりたい」


その満面の笑みを、俺は真っ直ぐ見られなかった。


俺は世界で一番、お前が羨ましい。

だって水村が好きなのは、お前なんだから。


ため息と共に飲み干したその日の酒は、とても苦かった。


***


その次の週だった。俺はずっと出張で、金曜に久しぶりに出社した。

仕事を処理するために、時間よりもずっと早くに行って取り掛かる。

その俺を待ちかねたように、昼休みに藤田がやってきた。


「おう、久しぶり」

忙しなく書類を捌きながら声をかけると、藤田は俺に頭を下げた。

「川原、ありがとう」

「何が?」

俺は机の上の封筒を開けながら返事すると、藤田はありがとう、と繰り返した。

「お前のおかげでうまくいった」


なんの話だっけと思って、すぐに理解した。俺は藤田に笑いかけた。

「よかったな」

藤田は笑って大きく頷いた。とても嬉しそうな顔だった。

「いや、本当に川原のおかげ。やっぱりストレートに言うのがいいんだな」

「まあ、そうかもな」


そう言う俺は、ストレートに好きだ、なんて告白したことはないし、現在かなり自分の思いを拗らせている。

だけど、それは置いておこう。


藤田は俺にもう一度頭を下げた。

「川原、今夜ヒマ?」

「え?どうして?」

「お礼に飯でも行かない?俺、奢る」

「いや、いいって」

断った俺に、藤田は首を横に振った。

「そう言うわけには行かないよ。今日がダメなら他の日で」


俺はいいと断った。本当に大したことはしていない。

思い付きの、投げやりな意見を言っただけだ。だから、こんなに感謝されるのが逆に困る。


だけど藤田はとても頑固だった。絶対に俺に奢ると言って聞かない。

だから俺は少し困って

「いや、でもお前の彼女との話を一人で聞くのもきついって。俺、いま一人だし」

そう、からかうように言ったら、藤田は

「じゃあ、誰か他にも誘うよ。川原のいいって言う人に声かけるから」

それを聞いて、俺は思わず手を止めた。


それから、少しの間、考えた。


本当に少しだけ、考えてから、口を開いた。

「じゃあ、一人誘ってもらおうかな」


藤田は笑って頷いた。


俺も笑った。


「誰がいいかな?」

そう言って同期の男の名前を出した藤田に向かって、俺は首を振った。


「あのさ、藤田」


俺はある人の名前を口にした。


藤田はそれを聞いて、戸惑った顔をした。

「え。川原と水村って仲が良かったっけ?」

俺は笑って首を横に振った。

「いや、この間仕事で迷惑かけたから、そのお礼をしたいんだ」

そう言ったら、藤田は大きく頷いた。

「わかった。じゃあ、俺、声かけとく」

「悪いな」

すまなそうに言う俺に、藤田は笑った。


「なに言ってるんだよ、川原の頼みなら俺は断らないよ」

そう言う藤田に、俺は笑って手を振った。


「ありがとう、藤田」

「気にするなよ」

「……お前、本当に頼りになるよな」

「なんだよ、急に」


藤田は笑った。


また連絡する。そう言って離れていく藤田に、俺はもう一度笑いかけた。



***



それから約24時間後、俺は自分の家のベッドで目覚めた。

よく寝たな、と思って体を動かそうとして、腕の中に人がいることを思い出す。腕の中の彼女はまだぐっすりと眠っていた。



少し無理させたような気もするから、彼女はまだ起きないだろうと思いながら、腕に力を入れて、そっと抱き寄せた。

自分の腕の中に彼女がいると思うと、より愛しさが強くなる気がする。


目覚めたら、彼女はどんな顔をするだろうか。


きっと嫌な顔をして、何か文句を言うだろう。

なんとなく、予想はできる。

でも、それも全部、しっかりと受け止めようと思う。


ようやくこうして彼女を抱きしめられたのだから、このチャンスを逃すなんてありえない。


俺はそっと彼女に唇を寄せる。

首の後ろ、やや肩よりの所にそっと、だけど強く口付けた。


ここは、彼女より背の高い男なら、洋服の合間からしっかり見える位置だ。


彼女のそばに俺がいるって、わからせないといけない。


彼女に密かに心を寄せる奴らを、牽制する意味合いもある。

放っておいたら、いつか誰かに声をかけられるだろうし、のんびりしている時間はない。

彼女が他の男と話すのすら、今は許せない気がした。



腕の中の彼女は小さな声を出して、俺の胸にすり寄ってきて、思わず笑みが浮かぶ。

彼女をより強く抱きしめて、その耳元に顔を寄せる。

「好きだよ」

まだ寝ている彼女に、そうささやいた。







序章 まだ新月の頃 






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