正体
渡り人たち。
神妙な面持ちできたアルベルティーナは、結局泣きべそをかいてしまった。そのままグレイルの胸で心行くまで涙を流した。その後、すっきりして眠ってしまった。ずっと胸の中で抱え込んでいた閊えが取れて、心も晴れやかなのだろう。
執務室の隣には、小さいながらも仮眠室がある。小さいと言っても、貴族基準だ。セミダブルはあるベッドは、十分手足を伸ばして眠れる大きさだ。
アルベルティーナがうとうとした時点で、控えていたセバスにアンナたちを呼ばせて任せる。無意識でも離れがたかったのか、アルベルティーナはグレイルの襟元を掴んでいた。
着ていた上着は娘に預け、グレイルはセバスに新しい上着を受け取る。起きるまで抱きかかえていてもいいが、アルベルティーナの体に良くない。寝違えなど起こさないか、心配である。
アルベルティーナへの優しさや気配りを、万分の一でも他に施せたらグレイルの評価は魔王にならなかっただろう。分かっていても変えるつもりがないのがグレイルである。
再び執務に戻るため、椅子へと戻ったグレイル。そして、執務机の中に――本来足があるべきところで、頭を抱えて項垂れているゼファールを見つけた。
いつからいたかなんて、愚問だ。この弟は最初からいた。
激務で睡眠時間がなかなか取れないゼファールが、仮眠をさせてくれと執務机に隠れるようにして横になったのだ。
自分の執務室でやれと言いたかったが、グレイルに知られたくない問題を抱えた文官や貴族たちが押し寄せてできやしないのも知っていた。
仮眠室を貸さなかったのが、ゼファールの疲労度からして仮眠で済まないと察したからである。まともな寝台にいたら、日付が変わるまで眠ってしまう。
「どきなさい、ゼファール。仕事の邪魔だ」
「……最初から、全部知っていたのか。兄様は……あの子の中身が本当は違うって」
「そうだね。私がやったから。本来のアルベルティーナは壊れていてた」
「娘を、復讐に利用しようとしていたの? 愛していなかったのか?」
「誘拐前の娘には、愛情より嫌悪が強かったかな。クリスによく似た面差しで、私の悪いところばかりを色濃く継いでしまった。冷酷で他人の痛みに共感しないところなんかは特にそうだ。違う点と言えば人間への興味はあった。好意はなかったが、誰かが苦しみ痛がる様を見るのを好んでいた」
クリスティーナは人と関わるのが好きだった。そういう意味ではアルベルティーナも同じだが、その姿勢は大きく違う。
アルベルティーナは幼いながらに嗜虐的な遊びを好んだ。人を玩具として好んでいたのだ。
グレイルが淡々と言うと、のろのろとゼファールは顔を上げる。仮眠でだいぶマシになったはずの顔色が、絶望に白く染まっている。
「そこまで酷かったのか?」
「あれがあのまま成長していたら、サンディス王家も元老会も纏めて食い潰す化け物になっただろうね。育ちとかそういう問題ではない。生まれながらに持った欠落だ」
グレイルは生まれた娘を愛そうとしたこともあった。最愛の妻との娘だ。可愛いと思いたかった。
だが、どうにも好きになれない。小さな違和感は成長と共に増していった。グレイルの判断力は、親の欲目程度ではどうにもならないほど冷徹なままだったのだ。幸か不幸かその愛情のなさが、迅速な行動へと繋がったのである。
人、動物、あらゆる生き物への興味を持つと同時に、死に至る経緯にも着目した。特にもがき苦しむ様子を観察することを好んだ。アルベルティーナは、毒を手に入れた。本来、貴族令嬢が持つべきではないが、使用人が漏らした情報で知ったのだ。
ただの観賞用の花でも、毒を含んでいることは多い。
アルベルティーナは賢く、行動力もあったが倫理観はかけていた。
「……クリス義姉様は知っていたのか?」
「その前に、理由をつけて隔離した。クリスの体調が思わしくなかったこともあって、不自然には見えなかったはずだ」
ゼファールの問いに、なんでもないように答えるグレイル。
腹を痛めて産んだ最愛の娘が化け物なんて、口が裂けても言えやしない。
成長と共に収まるかと思いきや、その逆だった。最初は使用人をいじめる程度だったが、だんだんとその苛烈さは増していく。
そのうち、クリスティーナが飼っていたペットにまで手を出した。犬と猫、そして籠の中守られていたはずの鳥まで殺した。
母親の大切な動物を殺すのすら厭わない。何かを殺し、甚振ることへの執念を感じる。
クリスティーナには隠していたが、グレイルは娘の性質に悍ましさを感じていた。恐怖はなかったが、疎ましく視界に入れたくない。ある程度好きにはさせていたが、それは愛情ではなかった。
愛する妻の子供すら愛せない己に、吐き気がした。
だから、グレイルは躊躇がなかった。アルベルティーナを見つけたのは、クリスティーナの訃報を聞いてから。
どうなってもいいからできたこと。誘拐後の娘もそうだ。どこまでも甘やかして、更なる化け物にするつもりだった。来るべき時が来たら王家にやって、アルベルティーナに国中を引っ掻き回されてしまえばいい。
そう思って、育て始めたのだ。
滔々と、まるで他人事のように語るグレイルに、ゼファールは憐れなほど震えている。
「どうして、兄様は気が変わったの?」
聞かれると思っていた。
これが、グレイルの最大の誤算だった。
「だって、可愛いだろう? 私の娘は」
可愛かった。それに尽きる。
臆病で、優しくて、少し思い込みが激しくてよく表情の分かる女の子。
かつてのアルベルティーナには微塵も重ならなかったのに、その姿に愛しい面影を見たのである。幼い頃のクリスティーナを思い出した。
暗い感情に支配されていたグレイルにとって、それは希望だった。失った妻との記憶をなぞるように、アルベルティーナの成長を見守る。今の娘になって、やっとグレイルはアルベルティーナを娘として愛せたのだ。
「……それだけ?」
可愛いから、気が変わった。その言葉に、ゼファールは目を限界まで見開いて固まる。
こういっちゃなんだが畜生より人情が薄いこの兄から、そんな腑抜けに突き抜けた返事が来るなんて予想できなかった。
だが、今の娘溺愛ぶりを見ると否定できない。現実はその通りなのだから。
「捨て駒にするつもりだったんだ。そのはずが、私ともあろうものが愛着を持ってしまった。あの子は、私がどういう人間か知っていて、慕っている。憐れなほど一途で、疑いようもなく」
たった一年で気が変わった。
あまりの激変に、グレイルすら当惑したくらいだ。
臓腑を焼け焦がすような怒りが、アルベルティーナといる時だけ消えるようになったのはいつからだろう。
父を恋しがって泣くから?
自分の娘がいいと言ったから?
あの声に、笑顔に、失った面影を感じたから?
思い当たる節が多すぎて、数えきれない。アルベルティーナはいつだって、正解を超える大正解を引き当て続けた。
「あの子に、生きて欲しいと思ったんだ。未来を望み、作戦を変えた。初動を間違えたせいで、アルベルの体は酷く脆い。あの子を殺そうとした私だから、命を懸けてでも守りたかった」
ずっと救われてばかりだった。
完全に巻き込まれたのはあの子なのに、グレイルを本当の意味で守ったのはアルベルティーナである。
クリスティーナを失ったグレイルを慰め、日の当たるほうへと手を引いて行った。
本当は分っていた。復讐に身をやつしたとしても、果たされたとしても満たされない。グレイルの行動を、クリスティーナは喜ばない。幸福から目を背け、娘を復讐の駒として使い潰し、不幸に囚われ続ける姿を嘆くだろう。
少なくとも、今は拗ねて小突かれる程度で済むはずだ。
システィーナの代から続いていた、悪質なストーカーから娘を守ったのだから。
「……マジか。兄様を変えたのか、あの子」
「そうだよ。私も驚いた。死ぬまで復讐を続けると思っていたからね」
クリスティーナを殺したコーディーに、元老会に、サンディスという国に、死の商人たちに。この世界のあらゆるすべてへ憎悪を撒き散らそうとしていた。
「だから、私はあの子のためなら死ねる。アルベルのいない世界に価値はない」
これくらいの我儘、クリスティーナだって許してくれるはずだ。本人も不本意だったろうに、早世してしまった。だから、グレイルはできる限りアルベルティーナの成長を見守るつもりであった。
その手段が少々苛烈でも、愛嬌だろう。
「で、どうするの」
「どうするとは?」
「あの子が渡り人であることは変わりない。それも、かなり記憶が鮮明なタイプだ。これを知られたら国内外から引く手あまたになるだろう」
かつてこの大陸に名を遺した賢者スズキ・タロー。各地に遺跡や逸話を残し、多くの文明の礎になったと言われている。
多くの学者や魔法使いたちが、彼の文献を紐解きたいと願っているものの、挫折するのが大半である。いまだに謎が多く残っている。
異界の文字は、この世界の大半にとって難解だ。基礎的な文字数も多く、文法も異なる。最も大きな要因は、あまりに違いすぎて文字として認識もしづらい。
アルベルティーナはすでに、古文書を解読した実績もある。それだけで莫大な利益が約束されたも同然だ。
この世界に前世を覚えている人は意外と多い。だが、成長と共にその記憶が劣化していく。文明や知識まで持ち越せる者はほとんどいない。
「させないさ。何のために邪魔な連中を一掃したと思っている。王太女なら手も出しにくい」
その通りだ。ただの公爵令嬢なら大国からの圧力を退けにくい。だが、次期女王なら国の根幹に関わるのでNOを突きつけやすい。王妃でもなんとかなるかもしれないが、王太女には大きく劣る。
それに、王妃では主導権が伴侶や王家に握られてしまう。別の利益のために、アルベルティーナが売り払われる可能性がある。
だから、グレイルは保険も用意していた。
「最悪お前を差し出せばいい」
「…………は?」
「お前も渡り人だろう。アルベルが書いていた文字は、お前が幼少期に使っていたものと同じだ。同じ『ニホン』の転生者だろう」
グレイルが涼しい顔でのたまうが、ゼファールの顔色は当惑と焦りがどんどん広がっていく。
「なっ」
「切り札は多いほうがいいからな。今まで黙っておいた。嫌なら陞爵を受け入れ、さっさと妻を娶れ。婚約者は最低でも一年内に作るように」
「い、いつから……」
「子供の頃には薄々と。アルベルの字を見て確信した」
この魔王はやる。実弟だろうが、娘と天秤にかける前にさっさとゼファールを売り飛ばすだろう。この場で釘を差すだけ、今回は良いほうである。
幼少期、アルベルティーナは夢中になると日本語で走り書きを入れていた。この国で使われるのは大陸語であり、周辺国もこの文字を用いている。
今はそんなことはないが、昔はそうだった。スケッチなどを盗み見ていたジュリアスなら、変な文字があると知っていたかもしれない。それも子供がやりがちな間違い、もしくは造語か略字だと思っていただろう。
人に見せられるくらい整理した後だと、その文字は削除されていた。それよりも、アルベルティーナの作る物に興味がいっていたはずだ。
「そういえば、例の小娘もそうらしいな。頭の出来のわりに、学園では派手な交友関係を築いていた。未来や過去を見ていたタイプか?」
渡り人には稀にいる。本人しか知り得ぬ過去を知り、未来を知る者がいるのだ。
知識だけでなく、預言に近い能力を持つとなれば、利用したがる者は多くなる。無防備な渡り人が政治の道具になり、情報だけ抜かれて捨てられた事例はある。
いくら重要な情報を持っていても、有効活用できるとは限らないのだ。
「僕はそのことに関しては、あまり」
「そうだろうね。お前が知っていたら、行動を起こしていただろう。リリーシャたちを守ったように」
そこまで知られているのかと、ゼファールの顔色が変わる。
ゼファールが騎士時代、保護した子供たち。今は自分の養子にしているが、元はヴァレンシュタット皇族だ。母の急死から後ろ盾を失い、権力争いに負けた。
流れに流れ、サンディスで保護された。奴隷として扱われていたリリーシャたちを、ヴァレンシュタットは皇族として認めず、迎えも寄越さなかった。行く場所のない彼女を自分の庇護下に置き、苦難に晒され悪人に落ちぬようにしていたのだ。
幸い、ゼファールのそんな思惑など知らずにリリーシャたちはゼファールを慕っていてくれる。
「ゼファール、お前が何を覚えていようが問うつもりはない。悪用する奴ではないのは知っている」
「……ありがとうございます」
「だが、配偶者に関してはまた別の話だ。お前の女運が壊滅的なのは知っているが、王家に近くなり、名家として注目を浴びるのは間違いない。いい加減に、腹を括れ」
「あのね! そう簡単にいってくれますが、僕の女性関係の拗れは兄様方が好き勝手したのも原因ですよ!」
ゼファールの婚約、結婚は兄たちの行動が大きくかかわっている。長男が出奔し、その婚約者の後釜をグレイルが拒否したから回ってきたのだ。
身分の高い貴族ほど、婚約は早く決まる。身分や財産、年齢を鑑みて決められるが、長男次男は年齢が近かったが、三男のゼファールとは干支が回るくらい違う。当然、婚約者とも年齢が離れている。
それでも成立したのは、ゼファールの顔が非常に良かったからだ。グレイルという、将来性を感じさせる見本もいた。
紆余曲折の婚約だったが、ゼファールは紳士的に接していた。不安にさせたつもりはないのに、いつの間にか婚約者のメンタルがとんでもなくヘラッていた。情緒が乱気流のごとくである。今も何が悪かったのか分からない。
「兄や私なら流血沙汰になどなるか。お前はいい顔をしすぎるから、相手がつけあがるんだ。優しさを与える相手を考えろ」
「理不尽だ」
不本意ながらバツ三。もう結婚はしたくないゼファールだが、そうも言ってられない。
王太女の婚約、結婚に合わせて貴族たちも動き出すはずだ。王太女の配偶者を望めないならその子供たちを狙う。未来の王子や王女の婚約者、側近の席はまだ空席である。
王太女の叔父などという美味しい立場の重役付き、かつ二十代半ばの独身男なんて最高に狙い目だろう。
何より、ゼファールには実子がいない。
バツ三なのに、一人もいない。
後妻は自分が実子を産めば、クロイツ家の継嗣となると思うだろう。養子など蹴散らせると考えて輿入れしてくる。正直、ゼファールは揉めたくない。
子供たちが憎み合って争う姿を見たくないのだ。なら、実子を望まないほうがいいとすら思っている。
「リリーシャを娶ればいいんじゃないか。他家に養子縁組後、婚姻で戻せば問題ない」
「十二歳差! なんで十代半ばの乙女が、二十代の後半に差し掛かろうとしているオッサンと結婚したがるんだよ……」
「当のリリーシャは昔からお前に惚れ込んでいるだろう」
「あれは子供が『将来はパパのお嫁さんになる』みたいな感覚だろう。僕は義父だし」
手近な相手で済ませようと提案するグレイルに、ゼファールは全力で反発する。
何が悲しくて女難度がハードを超えてヘルモード級の地雷男(バツ三義父)と結婚したがるというのだ。リリーシャはまだ学生だし、ちゃんと婚約者もいる。幼馴染の侯爵子息だ。跡取りではないが、ゼファールが職場を斡旋するので、将来は安定している。それに、何よりリリーシャが気心の知れた相手である。
「とにかく、兄様は余計なことしないでよ!」
「考えておく」
「濁さないでよ」
考えた結果、いつでもグレイルの考えで何かを画策する奴である。この兄はやると、ゼファールは人生=弟歴なので知っていた。むしろ、強制的に理解させられ続ける日々である。
「リリーシャ……確か、今年で十五か十六だったな。ふむ」
「何をする気?」
「アルベルはこの年齢まで、社交ができない状態だったからな。これからはフォルトゥナ伯爵夫人にシャペロンを頼んでお茶会を開くのもいいだろう。
しかし話題の王太女がお茶会やサロンを開催したら、貴族が殺到する。まずは親しい人や、年代の近い令嬢を招待し、慣れさせたい」
アルベルティーナが参加した行事は、ほぼ強制参加で本人の意思とは関係ないものである。王族として、王太女として義務で足を運んでいたにすぎない。
どうしてもやりたくないというならばグレイルは強要するつもりはないが、社交が嫌な思い出ばかりというのも可哀想だ。
そもそも、アルベルティーナは人を歓待するのが好きな子だ。予定や体調に支障のない程度に催しをするのはガス抜きになるだろう。
「まあ、アルベルの気分次第だ。最近は自称反抗期を頑張っているようだから、そちらの気が済んでからかな」
「……ああ、うん。アレか」
アルベルティーナの自称反抗期。悪い子キャンペーンは現在も、絶好調で空回っている。
本人の意向の真逆になっているので、何とも言えない表情になるゼファールだ。王宮内の空気は悪くなるどころか、微笑ましく見守られている。
ジュリアスがアルベルティーナのレシピを商品化しようと目を光らせているから、そのうちローズ商会系列で新メニューが出るだろう。
ヴァユの離宮に行くたびに感じていた。鼻孔から食欲を刺激するスパイシーな香り。懐かしのカレーの匂いに、かなり期待をしていたゼファールである。
正体がカレーということが分かっていても、何からできているかさっぱりわからないゼファールには再現不可能な料理だった。前世のゼファールはカレー=市販のルーかレトルトである。スパイスの種類もうろ覚えだ。
「いつかご相伴に預かりたいなぁ」
アルベルティーナからお父様の偽物と微妙な印象を持たれ、多分味方と判断されている可哀想なゼファールである。出会ってから一貫してゼファールは姪も甥も可愛いがり、大事にしているが、その献身はなかなか届かない。
彼が頼めばカレーの一皿くらい分けてくれるだろう。前もって言えば、グレイルの食事ついでに持ってきてくれる。
分かっていて、それは言わないグレイルだった。
読んでいただきありがとうございました
キミコイ履修。
レナリアはアプリで課金しまくりで履修。
アルベルは初版やりこみ。
ゼファールは2を知っちている。1はSNSで受動喫煙。




