かつての恋人たち
レナリアとグレアムの末路の話です。
ドロドロ愛憎パートですよ。
肌からじわじわと熱を奪う、冷えた空気。埃っぽさと生臭く饐えた臭い。それが、長らく体を洗っていない人の臭いだと気づいたのはいつのことか。
悪魔と取引した罪人として、レナリアは投獄されていた。いずれは死刑になるが、逃亡中に犯した犯罪の洗い直しもあって長引いている。コンラッドに利用されてはいたが、レナリア自身の利己的な目的で起こした犯罪も多かった。
性質の悪い魔道具を使った後遺症もあって逃げ出せない。前回は手助けしてくれた者がいたが、もういない。かつていた取り巻きたちは、軒並み投獄されたか地位を剥奪されている。
レナリア単独では知恵も力もなく、ただ不平不満を叫んで騒ぐことしかできなかった。
死ぬことを望まれた前提で、生かされている。
獄中ですら忌避の目で見られる。苦しんでいても同情されない。
冷えた空気の中ですら、熱を持った肌。それは痒みを伴い、じくじくとした生々しい痛みもある。レナリアを苛むようにずっと続いていた。
顔も頭も腕も足も全身が痛痒い。それはレナリアが聖杯の力を使って、変えていた部分だ。より美しく、誰よりも注目されるために良いと思ったものを収集していた結果がこれだ。
レナリアが聖杯だと思っていたのは、悪魔の天秤という魔道具を改造したもの。秤の皿の部分を加工した偽聖杯だったのだ。
その本質は聖なるものとは程遠く、むしろ呪詛に近かった。その中にある悪魔から、代償を払って奇跡を起こす。その奇跡も大半は悪魔の魔法によるまやかしだ。
(痛い! 痒い! そのせいで寝れない……! どうしてあたしがこんな目に!)
コンラッドから貰った黄金の聖杯はなくなった。レナリアの容姿は変わったが元に戻ることすらなく、腐り爛れていったのだ。じくじくとした痛痒さと不快な臭い。
悪魔のまやかしが切れ、レナリアは本来の姿すら失っていた。顔も体も、包帯の下の肌は壊疽している。小動物を思わせる、素朴で可憐な顔立ちは見る影もない。
初めて見た新人の看守や、食事を持ってきたメイドは青ざめて逃げた。レナリアの言動は日に日に悪化していった。
のたうち暴れ、罵声交じりに叫ぶ。その姿を恐れた看守が、魔法や呪いに詳しい人間に助言を求めた。
「あー、こりゃあれだね。死人と取り換えたからじゃない?」
玉虫色の奇妙な目をした青年が、レナリアの姿を見て言った。ぼさぼさの長い銀髪に白い肌をした彼は王宮魔術師だと聞こえた。
治療をしろと訴えたが、猿轡をされていたレナリアは藻掻くだけしかできなかった。のたうつレナリアを、興味のなさそうに見下ろしている。
顔立ち自体は端正だが、その風変わりな雰囲気があまり好みではない。だが、この際、この苦しみから解放してくれるなら誰でも良かった。
彼は路傍の石を見る目でレナリアを見た。
「死んでも死ななくても良いって言ってたし、放置でいいよ」
それだけ言って、さっさと出て行ってしまった。それが、数日前の話である。
(ふざけんなよ! あとでぶっ殺してやる! バニラ? だっけ? イケメンでも許さない!)
一人勝手に復讐を決意するレナリアである。
レナリアの心が折れていないのには理由がある。巡回に来た看守が消え、レナリア一人になると現れる、レナリアの味方。
彼は様子がおかしい。聖杯の奇跡が消えてしまったのが原因だろうか。だとしたら、壊れる前に使わなければ。今のレナリアが唯一縋れるものだ。逃がすわけにはいかない。
(ほら、今日も来た! ルーカスもレオルドもどこに行ったか知らないけれど、こいつはあたしにべた惚れだから……!)
鉄格子越しの、暗い通路に細長い人影が立っている。水色の髪をしたモノクル姿の知的な青年。ルーカスの側近で、宰相子息のグレアム・ダレンだ。
その肩書には本当なら元がつくのだが、思い込みが激しく情勢に疎いレナリアは知らない。
猿轡をされている状態で、のたうつように動いて訴える。嘆願はくぐもった呻きにしかならないが、必死にグレアムを見上げて哀れみを誘おうとした。
虚ろな目をしたグレアムは、ずっとレナリアを見ている。立っている彼が、床を這うレナリアを見下ろす形になるのは当然である。
その眼差しが、やけに冴え冴えと冷えている。全く温度がなく、氷のようだった。
(どうしたの、グレアム! アンタの可愛い恋人が困っているでしょうが! 見えてんの!?)
最初は潤んだ目で助けを乞うていたが、いつもグレアムは見下ろすだけ。離れて立っているだけなので、だんだんと苛立ちが混じり始める。
荒い息でグレアムを睨みつけるが、なかなかこちらに来ない。最初はもっと遠くて、ようやく最近になって声が届く距離に来たが、レナリアは常に口を塞がれているので呻くことが精一杯だ。
(アンタの父親は宰相でしょ!? 頼んであたしをここから出しなさいよ! 何ぼーっと突っ立ってんの!)
グレアムは手足に枷を嵌められてもいないし、猿轡もされていない。監視もついてこないのだから、自由の身である。きっと、金を積んで減刑されたのだろう。
ダレン伯爵家は、比較的歴史の浅い貴族だが、グレアムの父親であるダレルが宰相に抜擢されたことにより名家の一つとして数えられるようになった。金払いもなかなかで、学園時のグレアムはルーカスの次くらいには貢いでくれたし、聖女として活動していた時もかなり出してくれた。
救ったのはダレン家だけではない。砂漠の聖女として平民も貴族も治療もしたから、レナリアに恩義のある人間は貴賤問わずいる。
牢屋の住人は変わっていく。外に出て戻ってこない者は罪状が決まり、処刑なり外部の労役場や牢獄に輸送されていった。
レナリアが残されているのは、誰かが冤罪を腫らしてくれるために動いているからだ。自分は出られるはずだと、レナリアは信じていた。
グレアムが動いてくれれば、すぐにでも脱獄できる。
またドレスを着て、大きな宝石のアクセサリーをつけて、誰よりも煌びやかで注目される舞台に舞い戻る。
自分はレナリア・ダチェスだ。『君に恋して』の世界の主人公。この世界の中心で、誰よりも幸せを約束された存在。投獄エンドなんてあるはずない。攻略対象が絶対手を差し出すはずだ。
それだけがレナリアの希望だった。石床に這いずり、か細い息で天井を睨む。
真上から、グレアムが見下ろしている。いつの間にか独房に入っていたのだ。
(遅いじゃない!)
怒りを込めて睨むが、グレアムは無表情だ。逆光になったモノクルが瞳を隠す。屈むと顔にも影がかかり、表情が見えない。グレアムの顔が近づくにつれて、何かぼそぼそとしゃべっているのが分かる。
水色の髪が顔を囲うように落ちてきた。ますます表情が見えないが、そのままグレアムはレナリアに近づいてくる。吐息がかかりそうな距離だ。
(キスでもしたいの? 今それどころじゃないっての!)
レナリアはそれを見上げながら、ふと違和感を覚える。
床に転がるレナリアの頭の付近にグレアムの靴があるはずだ。足も腰も真っ直ぐになり首だけ前に俯かせているような体制なのに、顔がどんどん近づいてくる。
普通の人間の体のバランスではこうならない。まるで、頭が外れているか、首だけが異様に伸びているようだ。
思うように動けない中、レナリアは目だけを激しく動かす。ふと見えたグレアムの影が、有りえない形を浮かび上がらせていた。
何だあれは。人の形ですらない。
ようやく、グレアムの異常性に気づいたレナリアは逃げようとのたうつ。
せめてその顔から逃げようと横に顔を背けると、そのすぐ横にごとりと重いさのあるものが落ちてきた。
『 逃 が さ な い 』
眼球があるべき部分が真っ黒になり、土気色の死人の肌をしたグレアムが言う。瞳が分からないのに、その目がレナリアを見ているのが分かる。どす黒い血涙を流しながら、恨み辛みを吐き散らし、レナリアを追い回す。
『お前のせいだ。お前のせいで……ッ!』
グレアムはレナリアを呪う。しわがれた声は老人のようだが、強く妄執が込められている。絡みつくような憎悪が耳に注がれる。その声が響くたびに、頭蓋が割れんばかりの激痛が走った。
その姿も、声も何もかも常人とは思えない。悪魔か怨霊のような有様だ。かつては競うように睦言を贈られていた唇からは、呪詛ばかり漏れる。
猿轡をされたレナリアは、声を上げて助けを呼ぶこともできない。できるのは独房という限られた空間を這って逃げるだけだ。
ずっとグレアムだと思っていた存在はその間にも変化する。綺麗に整えられていた髪は荒れて広がり、肌は樹皮のようになっている。深淵のような双眸からは絶えず血涙が流れ、必死に逃げるレナリアに降り注いだ。
(助けて! 誰か! 誰か! どうしてあたしを憎むの! 悪いのはアルベルティーナじゃない! あの使えない悪役令嬢がちゃんと動かないか! あたしは悪くない! なんで!)
涙をこぼすレナリアだが、それは罪悪感や謝罪の心からではない。恐怖と、己に降りかかる災難を憐れむ涙だ。
必死に鉄格子にぶつかって出口を作ろうとするが、頑丈な金属製の格子がその程度で曲がるはずもない。平均よりやや小柄くらいのレナリアの体当たりではびくともしないのだ。
ここは凶悪犯が収容される場所。あらゆる魔法は封殺され、どんな剛力自慢も諦める鉄壁の頑丈さを誇る。ずっと男漁りに夢中になり、勉強も鍛錬もしていないレナリアがどうにかできるはずもなかった。
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