↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
あの豆柴が望んだ青空で  作者: Y


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
10/10

第10話 豆柴の描いた理想郷

第十話:豆柴の描いた理想郷

「ちょっとアンタ、何ニヤニヤ笑ってんのよ! 気持ち悪いわね!」


叫ぶおばちゃんに向かって、男がすばやく間合いを詰めた。

「嫌だ! なによこれ! 離しなさい!」

嫌がり暴れるおばちゃんの口に、男は試験管に残った液体を強引に注ぎ込む。続いて、困惑して後ずさりしていた同僚の青年にも、泣き叫ぶレジの女子大生にも、無理やり飲ませていった。


全員が最初は恐怖に顔を歪め、拒絶していた。

しかし、その「ハルの液体」が喉を通った瞬間——全員の瞳から毒気が抜け、とろんと濁り、そして全員が最高の笑顔になった。


「あははは! なにこれ、すごい! 体が軽い!」

「ごめんねぇ、今まで嫌味ばかり言って! 私、本当はみんなのことが大好きなのよ!」

「僕も……こんなに心が晴れやかなの、久しぶりですよ……!」


さっきまで一番険悪だったおばちゃんが、俺の手をぎゅっと強く握りしめてきた。その手は驚くほど温かかった。いつも引き引いていた青年も、女子大生も、お互いに肩を組み合って、幼子のように声を上げて笑っている。


ふっと、足元から浮力が発生した。

俺たちの体は軽やかに宙に浮き、スーパーの天井を滑らかに突き抜けて、果てしない青空へと飛び出した。


風が心地いい。

おばちゃんと、青年と、女子大生と、俺。全員で手をつなぎながら、ゆったりと大空を舞う。そこには就職難も、貧困も、人間関係の軋轢も、何ひとつ存在しなかった。ただ圧倒的な多幸感だけが世界を満たしていた。


優雅に空を飛びながら、俺はふと、すべてを理解した。


(そっか……これが、ハルが思い描いた理想なんだ)


あの小さな豆柴は、いつも部屋の隅から悲しそうな顔で俺を見ていた。

殺伐とした部屋でため息をつく俺を、バイト先で傷ついて帰ってくる俺を、ハルは胸を痛めて見つめていたのだ。


ハルはただ、俺に笑ってほしかった。

俺だけじゃない。俺を取り巻くバイト先のみんなも、険悪なおばちゃんも、いつも疲れていた青年も、全員がただ笑って、楽しく過ごしてほしかったのだ。


『みんなで笑っていられたら、それだけでよかったのに』


自分をすり潰してできたその薬で、ハルは俺たちに「理想の天国」をプレゼントしてくれたのだ。


「ハル、ありがとう……俺、いま最高に幸せだよ」


俺たちは手を繋いだまま、どこまでもどこまでも、青空の奥へと笑いながら飛んで行った。


……目が覚めると、薄暗い三畳間の天井が見えた。


頬には、泣いていたのか冷たい涙の跡が残っていた。

ハルなんて豆柴は最初から飼っていないし、今日も相変わらず不機嫌なおばちゃんと疲れ切った青年が待っているスーパーのシフトが入っている。


現実は何ひとつ変わっていない。

それなのに、あのおぞましくも甘い血肉の味と、みんなで手をつないで空を飛んだ理不尽なほどの幸福感だけが、舌の奥にいつまでもこびりついて離れなかった。

最後までお読みいただきありがとうございました!

作品を楽しんでいただけましたら、ページ下部の「★評価」や「ブックマーク」で応援していただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。