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第1話『罪の夜と、新しいお茶の時間』

「シャーロット・エヴァンジリン! 身の程を知らぬ悪毒な女め、貴様との婚約を破棄する!」

煌びやかな大義の広間。天井に吊るされた幾つもの水晶のシャンデリアが眩しく照らし出す中央で、第一王子セドリックが言い放った言葉は、あまりにも唐突だった。

水を打ったように静まり返る夜会会場。その中心で、金髪の婚約者は勝ち誇ったような笑みを浮かべて私を指差している。彼の脇には、折れそうなほど華奢な身体を震わせ、上目遣いに涙を浮かべる男爵令嬢ミリアの姿があった。

「ミリアを執拗にいじめ抜き、あまつさえ階段から突き落とそうとしたな! 貴様のような嫉妬に狂った醜い女は、王太子たる私の妃にふさわしくない!」

周囲の貴族たちは、私への哀れみと、下衆な好奇の視線を隠そうともせずに投げかけている。彼らは私がこれから惨めに泣き叫び、セドリック殿下の足元にすがりついて許しを乞う姿を楽しみにしているのだろう。

だが、非難の嵐に晒されている当人である私の胸中にあったのは、絶望でも怒りでもなかった。

(……長かったわ。本当に、この日をどれほど待ち望んだことか)

私は心の中で大きく快哉を叫んでいた。この瞬間こそ、私にとっては水面下ですべてを準備してきた『完璧な合図』だったのだ。

前世の記憶が突然戻ったのは、三年前のことだ。

かつての私は、日本の総合病院で寝る間も惜しんで働く、激務に追われた医療関係者だった。睡眠時間を削り、点滴と栄養ドリンクで生きるような生活を続けた結果、ある日職場の廊下で倒れ、そのまま呆気なく過労死してしまった。

そして気がついた時には、生前、唯一の趣味として息抜きにプレイしていた乙女ゲームの「悪役令嬢」シャーロットに転生していたのだ。

ゲーム通りの歴史を辿れば、シャーロットはヒロインへの嫌がらせの罪をでっち上げられて断罪され、良くて地下牢への幽閉、最悪の場合は公開処刑の道をたどる。

(二度目の人生まで、理不尽なブラック環境で終えてたまるもんですか!)

そう決意した私は、三年間、ひたすら牙を研ぎ続けていた。幸いにしてエヴァンジリン公爵家には、誰からも顧みられない不毛の地――植物すらまともに育たないとされる「北の辺境領」の所有権が私の名義で眠っていた。私は王宮の書庫に通い詰めて「薬草学」の知識を貪り食うように蓄えつつ、この断罪イベントの際に、婚約破棄を受け入れる代わりにその辺境領の『完全な開拓許可証(実質的な独立領地化)』を「破棄の代償」としてふんだくる手筈を整えていたのだ。

私は深く息を吐き出すと、怯える素振りすら見せず、ドレスの裾をわずかに持ち上げて完璧に美しい貴婦人の辞儀カーテシーをした。

「承知いたしました、セドリック殿下。お申し出、謹んでお受けいたします」

一瞬、広間が奇妙なほど静まり返った。セドリック殿下もまた、完全に拍子抜けしたように口をぐぐっと開けて固まっている。

「な……、拒絶も、弁明もしないのか!? 己の罪を認めると言うのだな!?」

「殿下が私を望まれず、他の女性を愛していらっしゃるのでしたら、これ以上無理に留まる理由はございません。つきましては、婚約破棄の同意書と合わせて、事前に私の弁護士から提出しております、例の『北の辺境領の開拓許可証』に今すぐ一筆いただきたく存じます。サインさえ頂ければ、私は今すぐこの夜会から退出いたしますわ」

毅然と言い放つ私に、セドリック殿下は気圧されたように後ずさりした。彼は私が狂乱するものと思い込んでいたため、机の上に用意されていた書類に、動揺したまま殴り書きのような署名をした。

「ふ、ふん! そんな呪われた荒れ地など、いくらでもくれてやる! 二度と王都にその不快な顔を見せるな!」

「ええ、お健やかにお過ごしください、殿下」

私は署名入りの書類を首尾よく受け取ると、胸の中でガッツポーズを決めた。そして、唖然とする元婚約者と男爵令嬢を置き去りにし、二度と振り返ることなく城を後にした。

それから半年後。

王都の喧騒から遠く離れた北の辺境、ヴァルハイト領の麓。私はそこに小さな木造の邸宅を構え、念願の薬草農園を開いていた。前世の医療知識と、この世界の豊かな魔力を組み合わせ、土壌改良から始めた農園だ。そこで採れる独自の薬草で作った「特製薬草茶」は、不眠や頭痛によく効くと、近隣の町で密かに評判となっていた。王宮のようなドロドロした権力闘争もない。毎日が穏やかで、最高のセカンドライフを満喫していた。

だが――私の暮らす土地の最高統治者である領主、ヴァルハイト伯爵アレクシスについては、町に出るたび不吉な噂しか耳にしなかった。

「死にたがり悪魔」

「冷血な公爵家の異端児」

彼は生まれながらにして強大すぎる魔力を持っていた。その強すぎる力が仇となり、他国から恐ろしい「生殺しの呪い」をかけられ、全身を焼くような激痛と不眠に苛まれているという。死を望みながらも己の魔力ゆえに死ねず、黒い城に引きこもっている。それが、この土地の住人が恐れる「悪魔」の正体だった。

その「悪魔」が、予告もなく私の屋敷の扉を蹴破るようにして現れたのは、酷く激しい雨が降る、薄暗い午後のことだった。

ガタガタと窓が鳴る中、玄関の扉が開く。冷たい雨風と共に滑り込んできたのは、圧倒的な存在感だった。

「……お前が、噂の怪しい調合師か」

低く、地を這うような声。

濡れた漆黒の髪の間から覗くのは、血のように赤い、鋭い瞳。背が高く、彫刻のようにぞっとするほど美しい容姿をしている。しかし、その顔色は死人のように青白く、目の下には何年も眠っていないことを物語る濃い隈が刻まれていた。彼が纏う空気は、室内の温度を一気に氷点下まで引き下げるほど冷たい。

「ヴァルハイト伯爵様……。このような大雨の中、どのようなご用件でしょうか」

私が冷静に応じると、アレクシス様は口元を自嘲気味に歪めた。

「噂を聞いた。どんな激痛も和らげる、不思議なお茶を作る調合師が麓にいると……。私をこの苦痛から解放し、綺麗に殺せる毒薬でもあるかと思って来てみれば……ただの、世間知らずの小娘か」

その刹那、アレクシス様が胸を押さえ、苦悶の表情を浮かべてその場にどさりと膝をついた。

「ぐっ……、あ、あああ……っ!」

激しい呪いの発作だ。彼の身体から、禍々しい「黒い霧」のような魔力が噴出し、まるで彼の肌や肉をじわじわと削り取っていくようにのたうち回っている。常人であれば、その禍々しい魔力を見ただけで恐怖し、絶叫して逃げ出す光景だろう。

けれど――元医療関係者である私の目には、その姿は恐怖の対象などではなかった。ただの、「目の前で酷い痛みに耐えかねて苦しんでいる、一刻を争う患者」にしか見えなかった。

「……無駄だ。去れ、小娘。私に触れれば、お前もこの呪いに焼き尽くされるぞ――」

荒い呼吸の中で、彼は私を遠ざけようと拒絶の言葉を吐く。

「アレクシス様。痛むところを、無理に隠さなくても大丈夫ですよ」

私は彼の警告を完全に無視し、ドレスが汚れるのも構わずに床に静かに膝を折った。そして、彼の大きな、しかし氷のように冷え切った手を、私の両手でぎゅっと温めるように包み込んだ。

「な……っ!? お前、正気か……!?」

アレクシス様の赤い瞳が驚愕に見開かれる。

私は素早く立ち上がると、常に鉄瓶で沸かしてあったお湯を使い、予め調合しておいた特製の「鎮静茶」を急いでカップに注いだ。カモミールに似た香草と、魔力を安定させる細葉草を絶妙な比率で配合した、私自信の最高傑作だ。

私は再び彼の傍らにしゃがみ込むと、カップを彼の青白い唇へとそっと運んだ。

「これは毒ではありませんわ。ですが……今夜くらいは、少しだけ痛みを忘れて眠れるようになります」

「……っ」

彼は私の瞳をじっと見つめた後、観念したように、差し出された琥珀色の液体を一口、二口と 喉に流し込んだ。

すると、奇跡は起きた。

お茶が彼の身体に染み渡ると同時に、彼を覆っていたあの禍々しい黒い霧が、まるで嘘のようにすうっと静まっていったのだ。削られるような激痛が退いていくのが分かったのだろう。アレクシス様の荒い息が次第に落ち着きを取り戻し、その赤い瞳が信じられないものを見たかのように激しく揺れていた。

「なぜ……恐怖しない? 私を『悪魔』と蔑み、化け物として排除しようとしないのはなぜだ」

絞り出すような彼の問いに、私はいつものように、柔らかく微笑んで答えた。

「私はただの調合師ですから。目の前に苦しんでいる方がいれば、お茶を淹れてその痛みを和らげる。私がすることは、それだけですわ」

微笑む私を、アレクシス様はまるで、生まれて初めて世界に光を見た人間のような、深く、果てしない目で見つめていた。

その瞳の奥底に宿る、長年の深い孤独。そして、私に対して灯り始めた微かな、しかし絶対に消えない「熱」に、この時の私はまだ、全く気づいていなかった。


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