挿話「賊殺しの弓使い・前編」
シラハは賊の惨殺死体を見て「死後丸一日」と推察したが、それは的中していたと言える。
シラハ達が遭遇した一人を除いて、噂の盗賊団はちょうど一日前に鏖殺されていた。その顛末は以下の通りだった。
◆
盗賊達の頭目『飛斧』マホクは自分たちのねぐらで昼日中から酒を飲んでいた。少し前に襲った商人が馬車に積んでいた酒だ。ミュライユ産の果実酒なだけあって、少なくとも泥水とは一線を画す。だがマホクは渋面だ。
――臭ぇ酒だ。
味は悪くないのに、どうにも吐き気を催す匂いがした。傭兵だった頃は酒を不味いと感じることなどなかったものだが。となると悪いのは酒ではなく、
――俺が盗賊に落ちぶれたからか。
傭兵というのはそもそもが盗賊と紙一重の存在だ。傭兵になろうとする人間のほとんどがろくでなしであるからである。
腕っ節で身を立てたいのなら兵士になれば良い。もっと稼ぎたいのなら、あるいは伝手がないのなら、冒険者になるのも一つの案だ。
だがこれらの職業に付くには条件がある。規則に忠実であることだ。腕っ節以前に、兵士も冒険者も多くの規則を覚え、その意味を理解し、守り続けることが求められる。
決して簡単なことではない。だが並の知性と人間性を持っていれば難しいことでもない。たまに規則に背いてしまうことがあったとしても、ちょっとした「おいた」として見逃される範疇に収まるはずなのだ。
しかしその並の知性と人間性を持たない者もこの世に確かに存在する。だらしなく、自分勝手で、忍耐が出来ず、想像力に欠けている。しかし欲望だけは一人前以上。傭兵達の八割はその手の人種だ。彼らに理解できる規則など暴力だけである。
盗賊と傭兵を分けるもの。それはただの収益構造の違いだ。
ただひたすら刹那的に奪い殺すだけの盗賊と、一応は持続性可能性を考慮して「依頼」という形で暴力を振るう傭兵。ならず者の頭目がどちらの方針を掲げているかと言うだけの話である。
以前『飛斧』マホクが掲げていた看板は「傭兵」だった。傭兵の八割は屑だがマホクはそうではなかった。彼は常人の枠に収まらない野心と才覚ゆえに傭兵を選んだのだ。かつてサンデ大陸中央部に名を轟かせた大傭兵、『極彩色』……後の『十騎聖』クネヒトに僅かでも抗い得た数少ない傭兵の一人であった。
しかし結局は『極彩色』に勢力争いで敗れ、優秀な部下を失い、それでも残った部下を食わせようとして、マホクは方針替えを強いられた。
つまり、今のマホク達はただの賊だ。
「この前商人襲ったんだけど、ナマイキにも女とガキ連れてたからさぁ、目の前で……」
「ゲヘヘヘ、キチクすぎんだろ! そいつどんな顔で死んだんだ?」
部下達はマホクが「臭い」と評した酒に酔いしれ、下卑た会話に興じている。賊丸出しだ。人間はここまで畜生に落ちられるものなのかとマホクはため息をつく。傭兵も同じ屑には違いないが、それでも傭兵としての誇りのような何かが存在しているものだ。その手の矜持を持っていた部下は皆死んでしまったが。
――残ったのは屑ばかり。だが、屑でも俺に従う以上は俺の部下だ……それしか俺には残っちゃいねぇ。
否、『飛斧』の由来である二丁の手斧もまだ残っている。まだ戦える。その証拠にねぐらに訪れた「来客」にも気付いた。
マホクは酒瓶を置き、懐の水筒の方を呷る。中身はただの水だ。温くなってしまっているが、喉にへばりつく酒精を洗い流すには十分である。そして声を張り上げる。
「クズ共! 目ぇ覚ませ! 客だぜ!」
「客ぅ? なにいってんらよ、ぐぷ、おやぶぅん? デカケツふったねーちゃんが、ヒック、よ、ば、い、にでもきたってのか――ヒブゥッ!?」
泥酔した賊の一人が奇妙な悲鳴と共に姿を消す。マホクに殴りつけられ吹っ飛んだのだ。拳一発で人間をこうも景気よく飛ばせるのは『格』が高い証だ。
「敵襲だっつってんだよカス! とっとと武器を取りやがれ!」
この見せしめを受けて、盗賊達はやっと酔いが覚めたかのように武器を取り、立ち上がる。
――いつだってこうだ。このクズ共は俺が殴らねぇとろくに動かねぇ。
かつての部下達はそうではなかった。マホクの思いは常に過去に向かう。だが、いますべきことはそうではない。たとえ屑だったとしても自分に従う者達を守り、食わせること。
マホク達が警戒する中、その男は現れた。
「……は? 一人?」
賊の一人が呆けたように呟く。マホク達を訪ねてきた「来客」はたった一人の男だった。
年の頃はおそらくは三十頃か。しかし老け顔の部類のため、本当はもっと若いのかもしれない。何か苦しみに耐えるように唇を引き結び、その険しい表情が顔に幾筋も皺を作っている。
だがマホクにとって重要なのは男が持っている武器だった。それは弓である。装飾はないものの、極めて堅牢に作られていることがマホクには分かる。素人仕事ではない。名工の手によるものだろう。
――弓だと? だったら何で馬鹿正直に姿を現した?
弓使いの男が引き結んでいた口を開く。
「お前達がこの辺りを荒らし回る賊共か」
外道でも真正面から「賊」と呼ばれることには苛立ちを覚えるのか、マホクの手下の一人が弓使いに向かって、
「俺らを賊だっていうなら何で一人でのこのこ来やがった? てめぇのせいで酔いが覚めちまっただろうが……金貨くらい持ってるんだろうな!? じゃなきゃ楽には殺さねぇぞ!」
と同時に剣を抜いて弓使いへと斬りかかる。それが出来る間合いだった。弓使いは未だに矢を番えてすらいない。いかにマホクの手下が三下だとしても、これを仕損じるほど弱くはない。
――馬鹿なヤツだぜ。姿を隠して狙撃に徹すれば、何人かは殺せたものを。
しかしマホクはなぜか胸騒ぎを覚えていた。その理由はすぐに明らかになった。
「……は?」
それは誰が漏らした声だったか。マホク達全員の口から発せられたものかも知れなかった。ただ、弓使いに斬りかかった者の声ではないのは確かだ。
ぱん。という音と共にその者の胴体が爆ぜ飛んだからだ。
ぼとぼとぼと、という音と共に、砕けた肉片が地面に落ち、血飛沫が地面を濡らす。
何か悪い夢のような光景。それに即座に反応できたのはマホクだけだった。
――こいつ! 矢で人間を粉微塵に出来るのか!
弓使いが剣で斬られる寸前に両腕を素早く動かしたのを、マホクは見ていた。弓使いはあの一瞬で矢を番えて、放ったのだ。凄まじい早業。マホクでさえ、矢が放たれた瞬間を見切ることは出来なかった。
「クズ共ぉおおおお! 全員でかかれぇええええええ!!」
マホクは絶叫しながら二丁の手斧を握り、駆け出した。
弓使いは今や気配を隠してはいなかった。マホクの傭兵人生において一度か二度しか感じたことがないほどの、圧倒的な『格』の気配だ。
全員が命を賭けなければ全滅だ。犠牲を承知で包囲、圧殺しなければならない。だが、その状況判断が出来たのはマホクただ一人。弱者をいたぶるだけの賊にそんな能はなかった。
「え!?」
「ぎ、ぎゃああああああ!?」
「何だ……何だよ、何が起こっ」
ぱん、ぱぱん、ぱぱぱぱん。賊達の体が爆ぜる、爆ぜる、爆ぜ散る。
一人目の犠牲者から十秒も経たない間に手下達はほとんどが肉塊に成り果てていた。辺り一面、血と肉片の水たまり。
そして弓使いはマホクにも死の矢を放つ。やはりマホクはその動きを見切れない。
「ぬ、ぬぉおおおおおおおおおおお!」
だが歴戦の山勘により、マホクは斧の一本で腹部を庇う。山勘は的中。矢は斧の刃の腹に突き立つも、『飛斧』の得物を貫くには至らなかった。それでも戦槌に殴られたかのような衝撃がマホクを襲う。それによりマホクの足が止まる。
――しまった!
死んだ、とマホクは思った。が、弓使いが二本目の矢を放つことはなかった。
「……ほう? 防いだか」
マホクに興味を持ったのか、弓使いは次の矢を手に取らずにいる。
舐めやがって、とマホクは煮えたぎるような怒りを覚えたが、
――舐められてんならむしろ好機。今のうちに呼吸を整える。
と立ち止まった。マホクと弓使いが対峙する。
「あーあー、随分と殺してくれたもんだな。あれでも俺の子分だったんだが」
マホクは時間稼ぎを狙って弓使いに話しかける。
「皆殺しなんてひでぇじゃねぇか」
「それは違う。少なくとも三人が逃げた。それにお前も生きている。これでは皆殺しとは言えまい」
マホクは舌打ちした。随分と目聡い。
「いやいや、九割ぶっ殺したんだからもう皆殺しみてぇなもんだ。うん。それで、敗北の憂さ晴らしにはなったか?」
「……!」
「知ってるんだぜ、てめぇ、『流星群箭』だろ」
マホクもただ部下を殺されただけではなかった。敵の正体に当たりをつけていた。
強射と連射を両立したその箭はまるで流星の降る如し。それを人呼んで『流星群箭』。
「大層なあだ名だな、えぇ? けどいい気になってんじゃねぇぞ。てめぇも所詮俺と同じだ――」
マホクは命がけの挑発に、とっておきの台詞を突きつける。
「『十騎聖』に成れなかった負け犬に過ぎねぇ! ははっ、随分惨めに負けたらしいじゃねぇか! 『騎聖戦』、世間知らずのお嬢様に完封されてボロ負けだって! 『流星群箭』が聞いて呆れるぜ! そりゃ憂さ晴らしもしたくなるわなぁ!」
この侮辱は「効く」。かつて『極彩色』と争い、鎬を削るも敗れ去ったマホクにはその確信があった。
そしてその確信通りに弓使いはかすかに呼吸を乱した。
――今だ!
マホクは全力で疾駆する。走りながら二丁斧の片方を投擲。『飛斧』の得意技だ。これにより弓使いの注意を分散させ、その隙に敵の懐に飛び込む。
「傭兵『飛斧』を舐めるんじゃねぇ!」
姿勢は低く、被弾面積を限りなく小さく保ったまま駆ける。そうすれば辛うじて『流星群箭』の矢を防ぎ得る。
勝算はある。勝てない相手ではない。咆哮と共にマホクは斧を振り上げる。
が、
「傭兵? 笑わせる」
見出した勝算は全て誤りであり、
「お前はただの賊だ」
弓使いが十本の矢を立て続けに放った瞬間に、マホクは敗北を悟った。
――ああ、見える。
死の間際、時間がゆっくりと流れるというのは本当のことだったらしい。速すぎて見えなかった矢が今は見える。十本のうち二本は投擲した斧へ、残りは全てマホクの体を狙っている。
三本でマホクの防御をはね飛ばし、四本で四肢を射貫き、最後の一本で心臓を吹き飛ばす。『流星群箭』はそう狙い、そして必ずそうなるのだと分かった。
ああ、死んだ。そう理解して、マホクが考えるのはやはり過去のこと。過去の栄光と後悔がマホクの脳裏を占めている。
――あの時、『極彩色』に、クネヒトのクソ野郎に勝ててれば、俺も……。
あり得ざる妄想に惨めにとらわれたまま、マホクは肉片の仲間入りを果たした。




