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麗しい婚約者様。私を捨ててくださってありがとう!  作者: 青空一夏


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29 子ウサギたちの活躍

 ワイマーク伯爵領の森はその緑深い静寂の中に、何か不穏な気配を感じさせるような神秘的な雰囲気を漂わせていた。ギャロウェイ伯爵夫妻とその長男ニッキー、サミーの馬車が森にはいると、その雰囲気はますます不吉なものに変わる。彼らはアリッサとプレシャスを騙すための卑劣な計画を胸に、森の奥へと進んでいった。


 森に入ってまもなく、馬が急に足をとめ進むのをやめてしまう。どんなに走らそうとしても、微動だにしない。ギャロウェイ伯爵たちは仕方なく馬車から降りて、歩くしかなかった。


 すると突然彼らの前に現れたのは、七匹の白い子ウサギたちだった。子ウサギたちが近づいた瞬間、一匹が急に大きく膨れあがる。わずか数秒で、ギャロウェイ伯爵たちを遥かに見下ろす巨大な存在へと変貌した。


「ひゃぁ――! な、なんだ。これは……! あんなに小さく可愛らしかったウサギが……まるで大きな樫の木のようじゃないかっ」


 ギャロウェイ伯爵たちが悲鳴を上げた瞬間、巨大化したウサギがゆっくりとした動きで、彼らを追い回し始めた。ウサギの巨大な足が大地を踏み鳴らすたび、森全体に震動が響き渡り、その圧倒的な威圧感にギャロウェイ伯爵たちは恐怖のどん底へと突き落とされた。


 ド――ン! 、ド――ン!


 重々しい足音が森の静寂を破り、木々さえもその振動に合わせて揺れ、まるで踊っているかのように見えた。鳥たちは一斉に騒ぎ立て、さらに森の奥深くからは狼の遠吠えが不気味に響き渡っている。


 ギャロウェイ伯爵たちは必死に逃げ惑いながらも、巨大なウサギから目を離すことができない。その姿は愛らしいものの、異常に恐ろしい存在感を放っていたのだ。ウサギの目は赤く輝き、前歯をギラリと光らせながら、彼らを容赦なく追い立てる。


「馬鹿な! こんなものが存在するはずがない!」

 

 ギャロウェイ伯爵が叫んだが、その言葉もすぐに絶望の叫びにかき消される。逃げる彼らの前方に、さらに大きなウサギが現れた。その巨体が道を塞ぐように立ち、ギャロウェイ伯爵たちは進むことができない。踏みつぶされそうな彼らは、震えながら叫び声を上げる。暴風のごとく大きなウサギの鼻息が、不届き者たちを軽く吹き飛ばす。


 フゴォ――、フゴォ――!

 

 大きな鼻息がギャロウェイ伯爵たちを宙に放り投げた。

 

 無駄に逃げ回るものだから、ギャロウェイ伯爵たちはあちらこちらに擦り傷ができた。しかし、逃げ惑いながらもまだ悪態をつく元気はあった。


 「う、ウサギの化け物なんて怖くないぞ。私は絶対にワイマーク伯爵邸にいくんだっ」

 ニッキーは挑発をするも、足はがくがく震え腰を抜かす寸前だ。


 ウサギたちはニッキーの言葉に反応したかのように、狼の頭、熊の力強い前足、鷹の身体を持つ、見たこともない生き物に変身した。さすがにこれにはニッキーも、泡を吹いて気絶する。

 

「ばっ、化け物だぁ~~!  助けてくれぇ~~!」

 サミーは恐怖に震える声で叫びながら、真っ先に逃げ出した。彼は驚異的な速さで馬車の止めてある場所まで駆け抜け、すぐさま飛び乗ると、慌てて馬を走らせその場を後にした。馬は、元の道を戻る分には従順で、サミーの指示に素直に応じていた。


 ギャロウェイ伯爵夫妻はあたふたとニッキーをふたりで抱えながら、必死で馬車まで戻る。後ろから迫る不思議な生き物が巨大な影を投げかけながら、森の出口へと追い立てていく。たまに背後からとどろくような咆哮をあげた。


 やっと馬車に飛び乗り森を抜け出したときには、ギャロウェイ伯爵たちはボロボロの状態だった。息も絶え絶えに森を振り返るが、そこにはすでに何の気配もない。ただ、心に刻まれた確かな恐怖だけが残った。


 


 子ウサギの姿にもどった精霊たちは、森の深部へと静かに戻りながら、その役目を果たしたことに満足していた。アリッサの願いを叶え、ギャロウェイ伯爵家の者たちに二度とワイマーク伯爵領に訪れる勇気を奪うことで、彼女を守ったのだ。


 翌日、また七匹の子ウサギたちはワイマーク伯爵家の庭園に姿を現した。居間で寛いでいたアリッサが外に出ると、嬉しそうに近づいてきて可愛い鼻をひくひくと動かした。アリッサはその鼻のあたりに、そっと手を触れる。

 

 アリッサの前に、ギャロウェイ伯爵家の人々とサミーが逃げ惑う幻影が現れた。ウサギたちはわざとゆっくりと追いまわしていたし、鼻息で吹き飛ばしているだけで、特に危害はくわえていない。


 多少の痣や擦り傷を負ってはいるようだが、元気に走りまわる彼らに大きなダメージはなかった。

 「程よいお仕置きだと思うわ。これでプレシャス様の子供を諦めてくれればいいのだけれど」


 アリッサが子ウサギたちの頭を撫でていると、プレシャスが微笑みながら子ウサギたちに近づいてきた。

「可愛い子ウサギたちね。とてもアリッサ様に懐いているわ」

「プレシャス様、この子たちは普通のウサギではないのよ。実はね・・・・・・」

 アリッサが子ウサギたちが精霊であることと、今回の活躍を教える。すると、プレシャスは驚きながらも子ウサギたちに感謝して、お礼を言った。

「精霊さんたち、ありがとう。ニッキー様たちを追い払ってくれたのね? どうしたら、この子ウサギさんたちに感謝の気持ちが伝わるかしら? なにかプレゼントをしたいけれど、なにがいいのかしら? ちなみに、この子ウサギたちはニンジンを食べる?」

 

 アリッサは首を横に振りながら答える。

「グスタフによると、この子たちは人間が食べるような物は食べないらしいわ。月のしずくや森のエッセンスを食べて生きているのですって」

「月のしずく? 森のエッセンス? とても素敵な響きだわ」

 アリッサはグスタフに聞いた通りに、月のしずくや森のエッセンスを説明した。


 月のしずくは夜になると、月の光がしずくとなり、草葉に溜まる。精霊たちはこのしずくを集めて食べ、エネルギーを得るのだという。森のエッセンスは森そのものから生まれる精霊的なエッセンスのことだ。木々や草花の生命力を凝縮したもので、精霊たちはこれを吸収して生きている。


「言い伝えによると、とても神秘的な物しか食べないようね。だとしたら、着る物なんてどうかしら? 小さなチョッキを着せたらますます可愛くなるわ」

 アリッサが思いつく。

 

「まぁ、それはいいですわね」

「二人で協力して編みましょうよ。でも、どんな糸で編もうかしら。普通の糸じゃなくて、何か特別なものを使いたいわ。どんな材料がいいのかしら……? そうだわ。精霊たちに聞いてみればいいわね。ねえ、みんな。あなたたちのためにチョッキを編んであげたいのだけど、どんな糸がいいかしら? 悪い人たちを追い払ってくれたお礼がしたいのよ。プレシャス様と二人で編もうと思っているのよ」

 アリッサが優しく呼びかけると、子ウサギたちの一匹がぴょんぴょんと飛び跳ねながら、あっという間に森の中へと消えていった。

 

 しばらくすると、柔らかい若草色の糸を口にくわえて戻って来た。森に生える特別な草(精霊草)から紡いだ糸で、暑い時には涼しく、寒いときには温かさを感じられる素材だった。

「とても綺麗な若草色ね。これでななつのチョッキを作ってあげるわね」

 可愛らしくお辞儀をする子ウサギたちからは、嬉しそうな気持ちが伝わってきた。

 アリッサとプレシャスは早速その糸で子ウサギたちのチョッキを編み始める。子ウサギたちはアリッサとプレシャスを見上げ、嬉しそうにぴょんぴょんと飛び跳ねたのだった。



 

 ギャロウェイ伯爵夫妻とニッキーはワイマーク伯爵領の森で恐怖の体験をした後、なんとか抜け出し、自分たちの屋敷にたどり着いた。身体には痣や擦り傷が無数にできている。その痛みを感じるたびに、彼らの心に蘇るのはあの森での恐怖だった。


 しかし、屋敷の安全な空間に戻って数日経つと、ニッキーの心には微かな苛立ちが芽生え始めた。


「ワイマーク伯爵領にはもう二度と近づきたくないが、このまま生まれてくる美貌の娘を諦めるわけにはいかないぞ」

 ニッキーの言葉には反省の色は一切なく、むしろ悔しさと屈辱感がにじんでいた。


 ギャロウェイ伯爵夫妻は今回のことですっかり懲りて、ニッキーの言葉にはなんの反応もしない。ニッキーだけがあの森で酷いめに遭ったことへの怒りを増幅させていた。


 ニッキーは森に二度と入ることはなかったが、これは単に自分の身を守るためのものであり、悔しさと怒りは何ひとつ和らいではいない。むしろ、彼はこの屈辱をいつか晴らしてやろう、と心に誓ったのだった。

 


 サミーもまた恐怖に震えながらワイマーク伯爵領の森からなんとか逃げ延びる。ウィルコックス伯爵邸に着いても、彼の心臓は早鐘を打つように激しく鳴っていた。


「ライン・・・・・・お前は森の魔物まで使って、私の邪魔をするのか・・・・・・」

 サミーは低くつぶやいた。ワイマーク伯爵領の子ウサギたちは精霊の化身であったが、サミーには邪悪な魔物にしか見えない。


(化け物を使って私の未来の花嫁を匿うなど、私になんの恨みがあるんだよ? 不当にアリッサを奪っただけでも、許しがたいのに。アリッサは私の婚約者で結婚式まで挙げたんだぞ)


 サミーのなかでは、自分がセリーナと浮気をして妊娠騒動を起こし、アリッサを捨てたことは、なかったことになっていた。結婚式を挙げた花嫁を横からさらったラインに対しての恨みと、裏切ったアリッサへの憎しみが、サミーを支配していた。さらに、そこに新たな恨みが加わる。妻を自分好みの完璧なレディに育てあげるという、素晴らしい計画を台無しにされた恨みだ。


「このままでは引きさがらないぞ。プレシャスの子供は私のものだ」


 月明かりが薄暗い部屋に差し込み、サミーの顔を不気味に照らす。彼の唇には不敵な笑みが浮かび、水色の瞳には狂気の色が浮かんでいた。


 


 いっぽう、彼らがそんな気持ちを抱えているとも知らないアリッサは、澄み渡る青空の下、ラインとワイマーク伯爵領の薬草工場へと向かっていたのだった。

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