第五話「生徒から教師へ」
エウロパの居る学長室にマスティマは通された。
教師生徒は全員すぐさま学校の治療室へと放り込まれ、手の空いている教師も総動員しての治療と検査を行うこととなった。
幸いにも生徒たちに重傷者はいない。
遠からず解放され、安堵の時を迎えられるだろう。
「報告は以上です。全員、無事送り届けました」
「ええ、確かに。やはりあなたを選んで正解でしたね、マスティマ」
エウロパの微笑は、心の底からの安堵を表していた。
誰一人欠けなかったのは、彼女がマスティマを送り出さなければありえなかっただろう。
「けれど、この学校の近くに、よりによって竜種が出ます? 俺がいたころの学校は、そんな危険な奴がいた記憶はないですけど」
「そうですね。あなたはこの周辺の魔物では詰まらないと言って学校外の森にまで言って自分で仕留めてきましたからね」
「う……門限と外出規則を破ったことは、申し訳ありませんでした……」
「あなたの後輩に同じようなことをする子がいなくて助かりましたわ」
少なくとも、そんなことを教え込むような仲のいい後輩はいなかった。
いたとしたら、今頃個人傭兵なんてやっていないだろう。
「卒業した時よりも、強くなったようですね」
「……ええ、鍛錬は、怠っていませんから」
「守りたいものを、見つけることはできましたか」
エウロパの問いかけに、マスティマは視線を逸らす。
聞かれたくないことを聞かれたのだと、誰の目にもわかるくらい、わかりやすい反応だ。
だから、彼女もそれ以上は問いかけない。
「さてと、昔話はそれくらいにして、これからのことを話しましょう」
「まだ護衛依頼を継続するんですか?」
「いいえ。あなたには、ここで教師をやってもらいたいのです」
エウロパの言葉に、マスティマは首を傾げた
「俺が? ここで、教師? 冗談でしょう?」
「冗談なんかでは教師をスカウトしませんよ。今回の竜種との戦いで、教師が亡くなってしまいました。ならばそれを補填するためには相応の人物が必要です」
この大聖堂士官学校は、対魔物戦闘を中心として教え鍛える学校だ。
同時に、この学校を成立させる帝国、王国、連合の三つの勢力の有力者の子どもたちが集まる、社交界の場でもある。
教師をやるとなると、そのどの勢力にも傾倒せず、信頼のおける人物でないとならない。
「俺はここを卒業してまだ三年ですよ」
「年齢は関係ありません。この士官学校だって、十五歳から二十五歳の大陸人であり多少の金銭を出し、試験に合格さえすれば誰でも入学できるのですから」
だから、場合によっては生徒より若い教師であっても問題ない。
そして、教師になるための勉強をしていなくても問題ないのだ。
生徒を鍛え上げられる実力さえあればいい。
「あなたがどの国にも所属していないのは、私がよく知っております。その点は問題ありません。その能力も。あとはあなたの意志一つ」
「個人戦闘能力と、指揮指導能力は全く違うと思いますが?」
「ならば、これからの授業で、その実力を示せばよろしいではありませんか」
どうやら、もうエウロパの中では確定事項らしい。
ここで頷かなければ、三日経っても説得が続きそうだとマスティマは肩を落とす。
「なら一年間だけ、引き受けましょう」
「本当ですか? ありがとうございます!」
嬉しそうに手を合わせるその若々しい姿は、場合によっては孫がいても不思議ではない年齢の女性とは思えない。
そんなことを口に出した瞬間、大聖堂司祭長からの天罰が顔面へめり込むことだろう。
恩師の怒りに、わざわざ火を灯すこともあるまい。
ただこれでしばらく、この場所から離れることはなくなった。
「では、今回の報酬と、就任祝い金をお渡ししますね」
「用意がいいと言うか、最初からそのつもりで呼んだんですね」
「ええ。さすがに竜種相手に戦ってもらうのは、想定外でしたが」
悪びれもなく認めた。
彼女としては、最初からマスティマを教師に引き入れるつもりだったのだろう。
「少し強引が過ぎたことは、まず詫びておきましょう」
ふいに、エウロパの雰囲気が変わる。
それは、最初の護衛任務を依頼してきたときの様子に似ていた。
「早ければ一年以内に、政変があると言いましたね」
「ええ。その火種を消すために、俺は依頼を受けたんですから」
「きっと、多くのことが変わり、多くの悲しみも生まれるでしょう」
魔物という共通の敵がいる。
だからこの大聖堂士官学校は中立地帯、身分も国籍も問わない聖域として機能している。
逆にいえば、現在の平穏がなくなればここの優位性は消えてなくなる。
「この大聖堂は、すでに建立から五百年以上が経過しています。その間、戦争に脅かされたことは幾度もあります。
そのたびに多くの犠牲を払い、カリタス教会の教えが人々を守ってきました。
平和は一時のものかもしれなくても、それで救われる者がいるのだと、私は信じています。
生きて前を向きさえすれば、未来をいかようにも変えられるのですから」
エウロパの真摯な言葉は、心からの想いが籠っている。
「この大陸の未来のために、どうか。守るべきもののために」
頭を下げるその姿に、マスティマは反論できない。
「わかりました。先生」
そう答えれば、エウロパの顔はいつも通りの微笑に戻っていた。
「それでは、まずは生徒たちへの挨拶ですね。すでに一部の生徒とは顔合わせは終わっていますから、明日より授業を再開することを伝えてきてください。こちらは授業予定表です」
「顔合わせが終わって……? つまり、ヒルデガルト班の教師になるのか」
正確には、ヒルデガルト班も属する学年の教師になる、が正しい。
何も現在の士官学校の生徒が彼女らだけというわけではない。
「まさか、臨時講師じゃなくて、担任になるのか」
「ええ。今回の任務で担任の先生が負傷し、しばらく療養することになりましたから」
士官学校の生徒は、実戦訓練を兼ねて各国の魔洞に派遣されることもある。
そこで生徒だけではなく、教師も負傷することがあり、途中交代はよくある話だった。
生徒にも、教師にも危険を強いながら、それでも生徒が絶えないのは、ここが大陸でもっとも神聖で、特別な社交界の場であるからだ。
「まともな血紋を持っていない俺に、務まるんですか?」
「大丈夫です。あなたの額にはきちんと、力が宿っています」
エウロパはマスティマの前髪を上げながら、彼の額に刻まれた紋章に触れる。
「あら、学生時代とは少し形が違うようですね。魔物をたくさん倒して、女神からの祝福を授かったようですね」
「……いや、自分の額だから見えないんだが」
「ともかく、立派なブラッドを持つあなたら、問題なく務めを果たせますよ」
帝国、王国、連合、三勢力全ての関係者が集まれるこの場所こそ、大陸の縮図だという。
幸いにも現在、その関係は良好だった。
笑顔を振りまくエウロパの言葉に、しぶしぶ彼は肯いた。
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