第三話「皇女ヒルデガルト」
世界には、魔物と呼ばれる存在が蔓延っている。
魔洞と呼ばれる地の底にまで通じるような穴から現れる者たち。
森、山、時には都市にまで突如として出現し襲い掛かる。
春ごろに増え、夏にピークを迎え、秋から冬にかけて減っていく。
ゼロにはならないが、少ないころはある。
普通の生物に比べて頑丈で、首や腹にある核を潰さねば死に切らない。
しかし、切り落としたツノや爪は武器や加工品にすることもできるなど、人々の生活に役立つこともある。
だが、それはごく一部。
それだけなら新しい家畜と変わらない。
魔物と――人類の敵対者と呼ばれるに足るだけの恐ろしさがあるから、魔物は魔物足りえる。
魔物は特有の言語を操り、統率された軍隊のように攻撃してくることもあった。
道具を加工し、取りそろえ、訓練する。
そんなことができる人以外の存在が、魔物であった。
単純に巨大で、強靭で、凶暴な魔物もいる。
そこらの肉食獣とは比較にならない鋭く大きな牙と爪を持つ者を、家畜として御しえるはずもない。
対話不能の敵対者と、共存の可能性は存在しえなかった。
ただし、今この世界は、魔物たちが生きるのには適していない。
ほとんどの魔物は、スポットから外に出て数日で勝手に息絶えてしまう。
魔物の体を構成する魔子は、地上ではごく微量でしか存在しない。
人にとって酸素と言える魔子が足りないため、魔物は長時間地上では活動できず、魔子の放出源であるスポット周辺でしか、活動できないのだ。
だが、魔物たちが大地を侵略すれば、そこは魔物の領域。
地下より放出される瘴気が大地を侵し、魔物の世界へと変えていく。
人と魔物は、この大地を懸けた生存戦争の真っただ中だった。
脆弱な肉体の人間に、神は力を与え、英雄を生み出した。
額に輝く力を持つ者――血紋を持つ英雄たちを崇めるカリタス教会。
マスティマもまた、ブラッドを持つ、今世の英雄になりえるものだった。
「総員防御陣形! 前に出ず、後衛を信じて持ちこたえて!」
鋭く響く女性の声だ。
誰かに指示を出しているのは間違いない。
マスティマは自分の周囲を見る。
エウロパが言っていたスポットの出現位地は森の中央部分だった。
そこから溢れた魔物と交戦しているとして、陣地をどこに置くか。
今マスティマがいるのは森の横を通る街道だ。
この付近に設置して、森から出てくる魔物を迎撃するか。
それとも森の奥に進軍し、直接スポットを囲むような前線基地を築くか。
「学生なら、後者を選びかねんな」
自分も学生時代そうだったからわかる。
若いとは無茶と無謀でできた思考回路が許される時代だ。
思慮深さを重んじられるものもいるだろうが、武器を持つ若者には少数派だ。
そんな若者の大半と三歳程度しか違っていない――もしくは彼のほうが年下な――自分を棚に上げて、マスティマは森の中に馬を走らせる。
スポットから漂う鉄のような臭いで、場所が近いことを把握する。
木々の間から見えたのは、小鬼種の魔物だ。
数が多く武器も使う、それなりに厄介な相手なのだが……。
「……が、終わりそうだな」
「左翼右翼は予定通り敵の包囲に! 中央はこのまま引き付けます。奴らに知恵の差を教えてあげなさい!」
エウロパの言っていた生徒十一名を見つけた。
指揮官の生徒一人と、応戦する六名、援護の四名、陣営の中央に引き込んだ魔物に対して即席の三面包囲を完成させていた。
もしこれがもっと準備と状況把握ができている状況なら、左右の部隊は隠れ潜んでより完璧なタイミングで攻撃を仕掛けて包囲を完成させだろう。
もっとも、こんな稚拙な包囲戦ができたのは相手が戦術知識のない魔物だったからだ。
人間相手では、左右の部隊が展開しようとした時点で各個撃破されただろう。
「教師の姿が見えない……? まさかあの程度の魔物を生徒に任せて逃げたなんてこと」
ありえない、むしろ逆だろうとマスティマは考える。
強力すぎる個体がいるから、雑魚を生徒に任せたのだろう。
「全員気を抜かないで。すぐに街道に戻って、学校に走って――」
「級長、上!」
生徒の声に、指示を出していた女生徒が顔を上げる。
級長は皆の代表らしく冷静に対処していたのはその指揮能力のなせる業だ。
目の前に教師の亡骸が落ちてきても、悲鳴を上げることはなかった。
「くそっ! なんでだよ、なんで単なる実習でこんな!」
「逃げることを考えるな! 逃げれば、真っ先に上から狙われるぞ!」
しかし、他の生徒はそうはいかない。
動揺は包囲を失敗させ、魔物たちは固まって後退、右翼左翼は級長に合流する。
「冷静になりなさい! 陣形を再編しつつ移動!」
銀の髪の級長――ヒルダは冷静に指示を出す。
ゴブリンを退けながら後退し、その最後の一体を倒す。
ここまで大きな犠牲はない。このままなら逃げ切れる。
そう思えていたころだったのに。
「来たぜ。リンノルムだ……」
「まさか、大型竜種が学校のこんな近くに……相手は七層の鱗を持つ個体よ。長期戦をやってる余力はない……防衛陣形を維持しつつ撤退を! 殿は……私が務めます!」
誰かを殿にすれば、そこから混乱と恐怖が広がる。
全員無事に帰るには、自らを囮にする覚悟さえあった。
それこそが、級長にして帝国皇女ヒルデガルト・フォン・パンガエアの務めなのだ。
リンノルムとは、この大陸では比較的数の多い竜種だ。
前足は翼で、少し長い首を持つ翼竜。
魔物討伐で会えば運が悪い。
訓練された軍隊なら戦いようはある。
だが、学生十人程度でどうにかなるほど弱くはない。
「上空を取らせたら不利になる……でも、街道に出ないと……」
「ヒルダ、避けるんだ!」
男子学生の声にハッとする。
大きく翼を広げたリンノルムが急降下してくる。
左手に握った穂先付き旗をとっさに構えるが、戦旗一本でどうにかなる相手ではない。
大きく広げた顎が、今まさに少女を捉えようとする。
「伏せろ!」
横から飛んできた声に、少女はとっさに反応できなかった。
聞き知った者の声ならともかく、初めて聞く声に対応はできない。
目の前に迫る牙を、避ける時間はなかった。
「ハッ!!」
ならば、どかしてやればいい。
七枚の鱗が重なった強靭な装甲のような体表へ、飛び上がったマスティマの剣が突き立てられた。
その刃に焔を纏い、七層の壁を突き破る。
竜の巨体を突き飛ばし、貫かれた首から血を噴き出す。
本来なら七枚重ねの鱗があらゆる人間の攻撃を防ぎ、威力をそぎ落とすだろう。
だが、マスティマの攻撃は単純な刺突ではない。
彼の額にある紋章が輝きを放ち、腕から刃に向けて力が流れ込んでいる。
血紋――かつて神々によって人々に魔物と戦うための力として与えられたものだ。
これを持つことそれすなわち戦士たる証であり、大陸の王侯貴族がその特権を享受する証でもある。
「大丈夫か。君」
「え、ええ……あなたは……傭兵、かしら?」
マスティマは倒れていた少女の前に立ち、空いている手を差し出す。
握り返された腕を引っ張って立ち上がらせると、改めてリンノルムに向き直る。
「挨拶は後だ。君たちの学長から助けるように頼まれた。だから、生き残るぞ」
「……ええ、私は、こんなところで死ぬつもりは毛頭ないから!」
穂先付き旗を構え直すヒルダに続き、マスティマも剣を構え直す。
いつの日か、二人はこの日を『運命の日』であったと、後々振り返った。
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