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傭兵と皇女  作者: X-rain
開花の章
24/36

第二十四話「繋ぎとめる者」


 マスティマは、自分がどういう状態なのか認識した。


 途端に、口から空気が漏れた。

 どうやら、自分は水中にいるようだ。

 気泡が体を包み、眼には陽光が突き刺さる。

 全身を包み込む抵抗に、動かしていないせいで固まった関節が砕けそうになる。

 それでもなお、体は上へと向かう。


 ――ザバァァァン!!


「ぷはぁっ!?」


 喉を通る空気、肺の中に飛び込む酸素。

 一年間修復された体は、外気からの刺激だけで痛み、裂けそうだ。

 それでも、痛みが生を理解させる。


 自分はまだ、死んでいない!


 ――べしゃ、と音を立てて草の上に叩きつけられる。

 幸い沈むことはないが、水に比べれば痛いだろう。

 何とか体を仰向けに返した時、昼頃の陽光が全身を熱する。


「あの時、水路に落ちた結果、ここまで流れてきたのか」


 あの地下水路がさらに地下に続き、水脈を辿って湖に放出されたのかもしれない。

 もしも鎖龍儺(ロジェストラ)血紋(ブラッド)がなければ、そのまま溺死体の出来上がりだ。


「湖を、死体で汚さなくてよかったよ」


 震える体で立ち上がる。

 まるで初めて大聖堂都市の外周競争をさせた後の生徒たちのようだ。

 これでは、あの頃の生徒にすら笑われかねない。


「大丈夫だ。体はあの頃のままだ。ただ動かさな過ぎただけだ。立てるだろう、お前は!」


 自らを鼓舞するように、膝を叩き、背筋を伸ばす。

 無理にでも起き上がった体の関節はバキバキと鳴る。

 立てる、歩ける、ならば、向かうべきはどこか。


「あの後、ヒルダならどうする? 大聖堂に向かったはずだ。あそこ以外ない。

 エメリッヒたちも、状況を知ったらそちらに合流するだろう。

 状況はどうなっている? 大聖堂は攻められたのか? 王国や都市連合はどうする。

 帝国内の分裂と黙っているわけはない。必ず介入するはずだ」


 帝国が方針を変えたのなら、貴族連合の掲げる拡大政策がとられているはず。

 それを三勢力の三つ巴を崩して二勢力が手を組むことになるとしても、帝国貴族たちはそれを選んでクーデターを起こした。

 では、二勢力はそんな簡単に手を組めるというのか。

 それも難しい。


 そもそも都市連合には貴族排除派もいる。

 それを考量すれば、ヴォルフとアンネはうまくヒルダのもとに協力体制を敷いていた。


「みんな、どうしているかな」


 ふらふらと歩きながら、思い出すのは生徒たちのことだ。

 それぞれの立場があった彼ら彼女ら。

 会いに行きたい――大聖堂へ。


「でも、どうやって――」

 ――ブルルルッ!


 ふと聞こえた鳴き声に目を向けると、そこには見覚えのある馬が――ペガサスがいた。


「お前、まさか……」


 しかも、それは番だった。

 見事な毛並みと、どこか荒々しさを感じさせる立ち振る舞い。

 マスティマが近づき、その頬を撫でると、二頭は揃って頬を寄せてくる。

 あの日、マスティマたちが乗ってきた天馬車(ペガヒクル)に使ったペガサスだ。


 逃げたのか、逃がされたのか。

 森の中に住み着いた二頭の足元には、小さな命が二つ。


「珍しいな。双子で生まれたのか、お前たちの子どもは」


 あまり人なれしていないはずの子馬も、荒々しい性格だった両親も、まるでマスティマの目覚めを待っていてくれたかのようによってきた。

 どうやって大聖堂へ行こうかと思った矢先に、彼らに出会えた。


「これも、不思議な縁だな」


 鞍もなければ、手綱もない。

 だが、野生馬に乗って野山を駆け回るなど、学生の頃からたしなんできた。

 この二頭を捕まえた時だって、まともな馬具もなしに厩舎まで連れてきた。


「頼めるか、俺を、大聖堂まで」

 ――ヒヒヒィィィィン!!


 ペガサスの(いなな)きが、湖畔に満ちる。

 その日、帝国の空に四つの影が舞い上がった。

 幻獣などほとんど住み着かない帝都付近、珍しいこともあるものだと、日々を生きる都民は噂しあった。

 何か、よいことの前触れではないかと。


   ***


 大聖堂士官学校。

 そこは三勢力の中央地点であり、交易の中心地。

 門を閉じ、山を塞げばそこは堅牢な要塞となり、自給自足も可能な戦略都市と化す。


 その門扉をこじ開けんとする敵が、街道に築かれた陣営を侵攻する。

 リンノルムをはじめとした魔物たちが、地に空に跋扈する。


天馬騎兵(ペガサスライダー)を中心に応戦! 左翼歩兵を回り込ませ、血紋術(アーツ)使いを落とさせなさい。魔物の統率が乱れたところで押し返します!」


 高台に立つ――まだ大人になり切らない少女の声が響く。

 果敢に支持を出すその姿は、まるで王族のようだ。

 だが、今の彼女は王族でも、皇族でもない。


 ただの、傭兵のような少女だった。

 その手に握った穂先付き旗(アームフラッグ)を振るい、敵を屠る姿は戦乙女(ヴァルキュリア)のごとき美しさを伴いながら、屍山血河を築く姿は悪魔のようにも見えた。

 彼女の名はヒルデガルト。


 かつて、アマルテア帝国皇女ヒルデガルト・フォン・パンガエアと称えられた少女だった。


「殿下、敵右翼は壊走。岩場を挟んで敵後背へ攻め込む用意ができております」

「結構。左翼を前に出させなさい。右翼がそろそろ突破されるかしら」

「は、予定通り、中央は拮抗状態にありますが、右翼は魔物も含む編成ですので」


 敵は魔物を含むアマルテア帝国現皇帝軍。

 一方で、大聖堂士官学校へ続く街道を防御するこの部隊は、アマルテア帝国前皇帝の第一皇女であり、敗残近衛兵を率いるヒルダだ。

 そのさらに部下には、メティス騎士王国、ベルト都市連合両国から派遣された傭兵部隊。さらにカリタス教会大聖堂所属の教会騎士団だ。


 中でも最も練度が高い教会騎士団は中央、王国・連合傭兵団は左右に分けてある。

 そのうちの右が、突破された。


「左翼に派遣した近衛兵を呼び戻しなさい。突破された右翼をさらに右へ移動させ、敵左翼部隊を半包囲せよ」

「承知いたしました。伝令!」


 つまりこれは、右翼が突破されることを前提とした作戦だ。

 中央は教会騎士たちで支え、左翼に戦力を集中して突破する。

 その間に右は突破されなければいい。

 捨て駒に使われやすい傭兵とはいえ、ここまで露骨だと逃げ出したくもなるだろう。


「リンザー家私兵団が、やはりよい動きをします。左翼の突破成功も、彼らが早々に敵を背後から襲撃したおかげかと」

「エメリッヒとグリ――ゼルダは無事ね?」

「お二人ともご健在にございます。まもなく戻ってこられるかと」

「わかったわ。それでは、陣を後退させる。教会騎士へ伝令を!」


 部下たちがあわただしく動き出す。

 あれから一年。

 亡命するときから味方だった者たちは、彼女の命令を理解し協力してくれている。


 だが、そうではない者たちはどうか。


 帝国の忘れ形見、敵対者と同居の者、呼ばれ方など様々だ。

 まして、このように味方を犠牲にすることを前提とした作戦を用いるのなら、勝ってもその評価はどうなるか。


「大丈夫。私は、私のやるべきことをやるだけ。魔物が相手だもの。私への恨みだけで勝てるのなら、大丈夫……」


 引き払われる陣営から外に出て、ポツンと戦場を眺める。

 隣には誰もいない。

 一緒に戦うと誓い合ったあの夜の仲間たちは、皆死んだ。


「会いたいよ、師範(せんせ)ぇ…………ッ、ごほっ、ごほっ!」


 誰もいない陣営跡。

 ひざを折った彼女が咳き込んだ時、吐き出したのは黒い血の塊だ。

 顔を上げたその目に移ったのは、血と同じくらい燃え盛る森と、焼けた戦場だった。




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