第二十二話「断ち切られた繋がり」
「マスティマ先生、娘を頼みました」
皇帝の告げた一言に肯いた大臣たちは、矢傷刃傷を負った身を振るい立たせる。
再度攻勢をかけようとしてきた者たちを、マスティマの鎖が動きを封じ、止まったところを追撃する。
捕まえた敵兵を振り回せば、それだけで投擲兵器になりえた。
その過程で、力尽きた一人が斧を振り下ろしながら床に沈み込む。
「何をしているの、みんな早く下がって!」
「行くぞ、ヒルダ」
彼女の肩を、後退したマスティマが掴む。
彼の操る鎖龍儺は反撃しつつ矢を防いでいる。
器用なことをしつつ向かうのは、王の個室。
その奥には、脱出用の水路に向かう通路がある。
個室前に机を並べ、バリケードを作って防御を整えた。
「なんとか、持ち直したな……」
それまでの短時間で、マスティマの額には脂汗が浮いていた。
彼も顕現武装を自由自在に使えているわけではない。
それも初めての、突然の覚醒だ。
彼に負担がかかっていても仕方がない。
「ふふっ、確定したな。二十二番目の聖定二十二紋の持ち主よ。ヒルダを任せられるのは、お主だけだな」
「陛下、陛下もご一緒に」
「いや、まずは私の首を取らないことには、奴らも止まるまい。それで時間が稼げるのなら、たとえ一秒でも無駄にはならん。それに……」
右胸を抑える手は真っ赤に染まっていた。
理解しているのだろう、自分がもう長くないのだと。
「いいかヒルダ。生き延びろ。帝国の臣民の明日を担うお前さえ生きていれば、アマルテア帝国の真なる血統は途絶えん! 貴族のバカ息子どもが簒奪した玉座は、いずれ正統なる王が取り戻せ!」
「待ってください。どうしてお父様が死んでいることが前提なのです! 皆も、生きなさい! 通路の入り口を崩せば時間も稼げるわ。共に勝利を掴むと誓った、つい先刻の約束を、皆忘れたの!?」
涙を浮かべたヒルダの頬に、父の掌が触れる。
「忘れてなどおらん。だから、託すのだ。リンザーの倅は聡い。あ奴一人で帝国一個師団に匹敵する智謀となろう。グリゼルダは臆病だが、その強さはお主がよく知っておるはず。
士官学校には友がおろう。頼れ。国を超えた絆は、宝ぞ」
その顔から血の気が薄れ、呼吸は少しずつ早くなる。
ぎゅっと握る娘の掌には、冷たい父の体温しか感じられない。
「だがな、幸せに生きてくれ。他のことは、何も望まん。母も兄も、父も、それだけが、残された願いだ」
「お父様、ダメ……」
「マスティマ先生」
最後の言葉に肯いたマスティマは、ヒルダを腰から抱え上げる。
断りはなく、返答も待たず、奥にある地下通路へ続く床板を伸ばした鎖龍儺で突き刺すと、バリケードに追加するように放り投げた。
直後、床に刺し直してから、迷いなく縦穴へと落ちていった。
「お父様ぁぁぁっ!!」
後に残ったのは、こだまする娘の声と、床にしばらく刺さった短剣だった。
その一瞬で、鎖の先端に繋がったものが何なのか、フェルディナントにはわかった。
「はは……ヒルダめ、もう短剣を送っておった」
「おや、では殿下のプロポーズはもうすでにお済だったのですか」
「その習慣を知っておるのは私たち一部だけだ。先生が知ってるはずなかろう」
ため息をつく皇帝の前で、刃が抜けて縦穴の中に消えていく。
その後聞こえた破砕音は、きっと脱出路に続く通路を崩した音だろう。
これで、さらに時間を稼ぐことができるはずだ。
「これでも、それなりに準備してきたはずだったのにな。敵襲に、気づけもせんとは」
「空から襲い来る魔物は、我々も予想だにしておりませんでした。爪が甘かったのです」
「リンザー、お主の息子は、やってくれると思うか?」
「無愛想で口も悪く冷徹ですが、できる男です。殿下の助けになるかと」
マスティマの反撃を警戒していた貴族連合会は、ゆっくりと近づいてくる。
また重装兵を振り回されたら大きな被害になる。
だが、マスティマは出てこないと彼らは確信した。
「愚かなことですねぇ。逃げればいいものを」
「娘とその想い人の前だ。恰好くらいつけさせろ」
「戦旗を回収しなさい」
最後の抵抗は、ほんの十分、稼げたかどうかだった。
むなしく、無意味、そういわれても仕方ないほど、あっけない最後だ。
それでも、首を落とされた皇帝の目は死にながらフレーゲルを睨み続けた。
「そのように睨まれても、何も怖くはありません。私もこうなれと言うのなら、やって見せればよろしいでしょ。くぁっはっはっはっはっ!」
それからすぐ、フレーゲルはマスティマたちの追撃を再開した。
そして、彼に道ずれにされる形で水路に落ち、流された挙句拾ったのは仲間ではなく。
「こ、近衛兵!? た、助かりました。わたくしは、陛下より殿下の御身の安全を……」
「貴族連合会のフレーゲルだな。下手な芝居はいらない」
「はうっ!」
両腕を縛りあげられ、左足も止血のために縛り、地面に投げつけられる。
その様子を見ていたのは、地下水路を抜けてきたヒルダだった。
その傍らに、マスティマの姿はない。
「師範は、マスティマは、そいつと一緒に水路に落ちたの……。誰か、見てない……!?」
悲痛な問いかけに、近衛兵は首を横に振る。
水路から引っ張り上げたのはこの男ただ一人。
その胸倉をヒルダは掴み上げる。
「答えなさい。どうして、師範はいないのに、あなたは生きているの」
「て、天命でしょう! 私を交渉材料とすれば、貴族連合会からある程度の譲歩は引き出せます! 亡命とて叶うでしょう」
「この足の傷、先生の短剣の傷よね」
「え、ええ! 見事な一撃でした。感服いたしましたよ、彼の執念は!」
「あの短剣は、私が贈ったの」
その言葉に、周囲は凍り付く。
皇女の贈った短剣、その意味が分からない近衛兵も、貴族もこの場にはいない。
「そ、それは、まことに……残念で……」
声が引き攣る、沸き上がる相手の怒りを感じるだけで首が締まる。
恐怖が、全身を支配していた。
「貴族連合会のところに帰りたかったのよね」
「は、はいもちろん! あ、いえ! もし殿下がお望みとあらば、このまま私を仲介者として――」
「不要よ」
ヒルダは近衛兵から借り受けた剣を振るう。
それはフレーゲルの喉を切り裂き、声を途絶えさせる。
「全軍、大聖堂士官学校へ向けて移動します。私たちが生き残る術は、あの場所にしか残っていません」
大陸の三勢力が重なり合う大聖堂士官学校。
中立であるその場所に、争いの炎が飛び火する。
敬愛する師を失った少女は、それでもなお、かの地へと舞い戻る。
従者と友と、奪われたものすべてを奪い返すために。
国を追われた皇女は、国を取り戻すべく、戦士となる道を選んだ。
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