第201話 夢の狭間で
『フィーラ……』
自分を呼ぶ、どこか懐かしい声を聞き、フィーラの意識はゆっくりと覚醒していった。はっきりと意識が戻ったときには、目に入るすべてが真っ白で、上も下もわからない。横になっているのか立っているのすらわからなかった。
「ここは……どこかしら?」
『ここは世界の狭間だ。夢と現実の狭間と言ってもいい』
「……カナン?」
答えが返ってくると思っていなかったフィーラは、目の前に現れたのは黒髪に青い瞳の青年を驚きをもって見つめる。フィーラの視線を受けたカナンの唇が、ゆっくりと真横にひかれた。
『気分はどうだ?』
カナンからの問いかけに、フィーラは己の身体の状態に意識を傾ける。それによってさきほどまで身体の感覚がなかったことにはじめて気が付いた。意識しはじめた場所から徐々に、感覚が戻ってくる。否、現われてくる。
「……ええ。なかなかに上々のようですわ」
『そうか。お前には貧乏くじを引かせてしまったな』
わずかばかり、カナンの申し訳なさそうに下げられた眉を見たフィーラは、驚くと同時に何やら愉快な心持になった。本当に、まるで人間を相手にしていると錯覚しそうなほどにこの精霊王は人間くさい。
「あら? 貧乏くじなんて言葉をご存じなのですね」
『わたしも向こうの世界をよく覗き見ていたのだ。お前の様子を見るために』
「……え? わたくしの様子、ですか?」
『ああ、そうだ。思い出さないか? フィーラ』
「……前世のことをですか? ……はっきりとしたことは。今思えば、あの世界こそが、まるで夢の中の世界のようでした」
『そうか……。では一つ。わたしからお前に教えよう。この世界の秘密を』
「世界の秘密、ですか?」
この世界がゲームが元になった世界だということは、フィーラとて知っている。だが精霊王であるカナンが言うことだ、もっと他に意味があるのだろう。
――待って……ゲームが元になった? オリヴィア様も言っていたけれど、では一体、いつからこの世界は存在するのかしら?
『お前はオリヴィアから、この世界はお前たちが生きた世界の遊戯を元に造られたと聞いているのだろう? だが、どうしてお前たちはそちらが先だと思うのだ?』
「それは……わたくしはオリヴィア様から聞いた以上のことは知りませんが、この世界があまりにも前世の世界にあったゲームの内容と似ているからではないのですか?」
『そうか。だがこの世界が似ているのではない。あちらが似ているのだ』
「……ゲームのほうが、似ている?」
『この世界からお前たちの世界へ行った者がいる。その者が、お前たちの世界でこの世界を模したものを作ったのだろう』
「……もしかして、ゲームの原作者」
『そうかもしれないし、そうではないかもしれない』
「そうですわね……。その原作者の方も、誰かに聞いた話を書いたのかもしれないし。でも、それではゲームの登場人物とこの世界の人たちが似ていたのはなぜですか?」
世界観が似ているだけならば、カナンの言うような可能性はあった。だが、登場する人物までも同じというのならば、それはやはりゲームの方が先なのだろう。その世界を渡ったと言う人物が未来から過去へと行ったのではない限り、全く同じ登場人物たちが生まれるはずはないのだから。
『わたしはこの世界のすべてを総べる者。この世界とは現在だけでなく過去も未来も含まれたものをいう。お前たちの世界に行った者に、その未来の一部を見せたことがある。数ある未来の中の、たった一つの道筋を』
過去、現在、未来のすべてを総べる。
「……それはもう、神様と言っても良いのでは?」
『呼び名などどうでもいい。精霊王という呼び方も、お前たちが勝手につけたものだ』
「そ、そうですか……。でも、え……まって。精霊王様と会うことが出来る人って……もしかして、わたくしたちの世界に行った人って……精霊姫なのですか?」
『そうだ。もちろん、行ったのは魂だけだが』
「……」
『どうした』
「いえ……大丈夫です。もう何を聞いても驚かないわ」
考えてみれば、フィーラたちだって異なる世界に転生しているのだ。逆のパターンがないとは言えない。
『そうか。ではもうしばらく話をしようではないか。何か聞きたいことはないか』
「聞きたいこと……そうですわね。では精霊姫について聞きたいわ。まず、なぜその精霊姫はこの世界から出てわたくしたちの世界へと行ったのですか?」
『この世界にいることがつらくなったのだろう。愛するものを失くし、その記憶を消すことを望み、こことは違う世界で生きたいと願った』
「そんな……」
――愛していた人の記憶さえ、失くすことを望むなんて……。
『すでに過去のことだ。お前が苦しむことはない。他に聞きたいことは?』
「……では、わたくしの家では過去にも二人の精霊姫が出ておりますが、お父様がおっしゃるには、二人ともある日突然性格が良い方に変わられたそうなのです。それはわたくしもですし、オリヴィア様もそうだとおっしゃっていましたわ。もしかして……精霊姫になる条件のひとつに、向こうの世界の記憶を持つ者という条件があったりしますか?」
『いや。向こうの記憶を持った者は、お前とオリヴィアだけだ』
「えっ、そうなのですか? ではなぜ、メルディア家のお二人は変わられたのかしら?」
『それは精霊のせいだな』
「精霊の? どういうことですか?」
『わたしが精霊姫をつくるとき、ひとつの魂を選び、精霊としての純粋な力を埋め込む』
「精霊姫を、つくる? 最終的に選ぶのは精霊王様だとしても、次の精霊姫の選定は、当代の精霊姫とご相談の上決められるのでは……それに、精霊の力を埋め込むとはいったい……」
『今回はオリヴィアと相談した上でということになっているが、お前が精霊姫になるのは、お前が生まれた時から決まっていたことだ』
「……どういうことですか? だってわたくしは悪役で……あっ」
『そうだ。それはあくまでお前の世界でつくられた設定だ。本来のこの世界では最初からお前が精霊姫になるはずだったのだ。なぜ見せた未来を変えたのかはわたしにはわからないが』
「ではなぜ、精霊姫の選定が行われるのですか? 最初から決まっているのなら、わざわざ選定を行う必要はないはずでは?」
『最初はそうだった。だがある時、次代の精霊姫が狙われた。精霊としてのわたしが人の世界に干渉するには制限がある。わたしは精霊の世界へは自由に干渉できるが、人の世界においてわたしは万能たりえない。人の世界において精霊姫を護る盾が必要だった』
「盾……。それが精霊姫の選定、ですか。誰が次代の精霊姫となるかわからぬよう、攪乱するために。そして、聖騎士や精霊教会もその盾なのですね……」
『そうだ』
「……では、先ほどの精霊の力を埋め込むとは?」
『人の世界に干渉するため、わたしを降ろしやすい受け皿をつくるためだ。わたしを降ろしても負荷の掛かりにくい肉体をつくるため』
「それは……今回と同じことを?」
精霊か精霊王かの違いはあるが、精霊との同化ということではやっていることは同じだろう。
『少し違う。あくまで埋め込んだ精霊の力は補助的なもの。お前たちの魂にも、意識にも、何の負荷ももたらさない。だが今回は精霊としてのわたしの力を千とするならば、お前が一だ』
――それは……わたくしの記憶が失われてしまうかもという理屈もわかるわね。大海に雨粒が一滴落ちるようなものだわ。
「精霊の力を組み込まれた人間は……他の人間とは何か違う特徴などはあるのですか?」
本当は答えを聞くまでもなく、すでにフィーラにはその見当がついている。ある日突然、人が変わったようになる精霊姫候補。フィーラは前世の記憶を思い出したからだと思っていたが、歴代の精霊姫のすべてが前世の記憶を持っているとは本気で思ってはいなかった。
『それが、先ほどのお前の問いへの答えになるな。精霊の力と魂が完全に混ざるまでには時間がかかる。だいたいが十代前半のうちには混ざり終えるだろうが、精霊と完全に混ざり合うまでは魂はとても不安定だ。不安定な魂に、精神も引きずられる。特にお前やオリヴィアは向こうの世界から来た魂だ。完全に精霊の力と混ざり合うまでは人としてとても不安定だったろうよ。おそらく記憶も常人よりは曖昧なものになっているだろう』
「……そのことを、オリヴィア様は? それに、オリヴィア様は前世の記憶をよく覚えているとおっしゃっていましたが……」
『オリヴィアはこのことを知らない。言ったのはお前だけだ。オリヴィアもお前と同様、前世を思い出したからだと思っている。お前の家系は過去に二人の精霊姫を出していたから、精霊姫の変化に家人が気づき、それを伝聞してきただけだ。オリヴィアの家系はオリヴィアが初の精霊姫だったからな。それにオリヴィアが向こうの世界のことをよく覚えているのは単なる個人差だろう。前世を思い出す以前の話はしたか?』
「……していませんね。……カナン。なぜわたくしたちなのですか? 違う世界から来たわたくしとオリヴィア様では、この世界に生まれた魂よりも精霊にはなじみがないのでは?」
「だからこそだ。何もかも違う世界から来たお前たちだからこそ、より精霊を成長させることができる。実際、オリヴィアが精霊姫となってから精霊の成長速度は早まった」
「なるほど……。異文化交流のようなものですわね。ですが、それならなぜステラ様は選ばれなかったのです? なぜわたくしを? オリヴィア様は別としても、わたくしとステラ様とは条件が一緒だったでしょうに」
「一緒ではない。あの娘の魂は傷ついていた。とても精霊姫としては務まらない」
――傷ついていた……。
フィーラの脳裏に、ステラの笑顔が浮かぶ。涙を湛えた、それでも前に進もうという決意を込めた笑顔。ステラはきっと、様々なことを乗り越えてここまで来たのだろう。
「……これからも精霊姫はこれまで通り、造られ、選ばれるのですか?」
『わたしが人の世に干渉するためには、受け皿は必要だ。……だが、もしかしたら、これからはもう魂に精霊を組み込まずとも良くなるかもしれない』
「それは、どういうことですか……?」
『お前の血筋から選べばいい』
「わたくしの……血筋?」
「そうだ。お前の血筋には以前の精霊姫の血が入っている。だからこそ、お前はこれほどまでにわたしとの親和性が高いのだ」
「え? え……でも。過去のお二人は、一人は血筋が途絶えて、もうお一人は結婚をしなかったと……」
『ルシェルの血は途切れる前にお前の家系に取り入れられている。フェリシアの血も同じように』
七代前の精霊姫、ルシェルの血をひく家系はすでに絶えているとゲオルグは言ってはいたが、どこかの時点でその血を本家に取り入れていたとしてもおかしくはない。だが……。
「フェリシア様の血……。血を残されていたのですか……? ですが、そんな話は伝わってはいません……」
『精霊姫に関することは極秘事項だ』
まるで人間のように笑うカナンに、フィーラは言葉をなくす。
――ああ……フェリシア様は身分違いの恋をしていたと、そう伝わっているわ。もしかして……。
『ルシェルとフェリシア、そしてお前。この世界でお前の血筋ほど、わたしとの親和性が高い血筋は存在しない。これまでの精霊姫は血筋で選んできたわけではない。だがこれからはその定義が変わるだろう』
「それは……これからの精霊姫はすべてメルディアの……いいえ、わたくしの血筋から選ぶと?」
『すべてがそうなるとは限らない。血は薄れていくものだ。だがわたしと同化したお前の血は、そうそうすぐに薄れるものではない。たとえお前の代で穴が塞げぬようならば、しばらくはお前の血筋から選ばざるを得ないだろうな』
「……やはり、わたくしの代で穴を塞ぐのは難しいのですか?」
『わからないな。もし塞ぐことができなかったのなら、そのままお前の血筋に次の器を託すことになる。だが次の器は生まれたときからわたしに適した肉体を持つことになる。お前のように犠牲を強いられる存在にはならない』
「……次の代に」
――結局は、次の代の精霊姫にこの役目を課すことになってしまうのかしら……?
『人の生は短い。お前の身体を永い時に耐えられるように作り変えることもできる。だがお前はそれを望まないだろう?』
「ですが、結局わたくしの記憶や意識がないのなら……あっ。……大変です、カナン。もしわたくしの記憶や意識がなくなるのだとしたら、血を残すことが出来ないのでは?」
――いえ、もしわたくしの意識がないとしても、カナンがわたくしの身体で血を残せばいいのかしら……? え? それってありなの?
『大丈夫だ。目覚めた末に残るのはきっとお前の意識だろう』
「え……どうして……」
フィーラの視線はカナンの青い瞳に吸い寄せられる。虹色の虹彩の煌めく瞳は、まるで青い宝石のようだ。
『わたしがそれを望んでいるからだ。……フィーラ、もう眠れ』
「……カナン……」
急激に襲って来た眠気に、フィーラの意識が遠くなる。今のフィーラは肉体を纏っているわけではないだろうに、どうやら肉体的な感覚は残っているようだ。
「……ねえ、カナン、あともうひとつだけ……」
遠のきそうになる意識を必死につなぎ止め、フィーラはカナンに問いかける。
『なんだ』
「……わたくしたちは、なぜ、この世界へ来たのですか……?」
『縁が出来たからだ。この世界からお前たちの世界へ行った精霊姫と、お前たち三人は縁があった』
「……オリヴィア様は、わかりますが……、わたくしと……ステラ様は……」
『眠いのだろう? フィーラ』
「……はい」
『そうか。では眠れ』
「……カナン……わたくしとステラ様、オリヴィア様の年齢が違うのは……?」
『あとひとつと言っただろうに。まあ、お前たちの魂の采配は、わたしが行ったからだ。この世界へ来たお前たちの魂は、すぐに肉体を得たわけではない。より良き時に、より相応しい肉体を与えるために、その時が来るまで各々わたしのそばで眠っていたのだよ』
「……カナン、本当に神様みたいですわね。……それに、わたくしたち、すでに生まれる以前に……あなたに、会っていたのですね……」
『ああ、そうだ』
「……わたくし、いつか、もう一度……またあなたと…………」
『フィーラ?』
『……眠ったか』
『フィーラ。お前にまだ話していないことがある。お前の魂を、わたしはもうずっと見守ってきた。幾度も生まれ変わるお前を、ずっと。わたしは、お前がくれた名に縛られてしまったから』
『戻るときに魂を二つ連れてきたことには驚いたが、オリヴィアはわたしの良き理解者となり、わたしははじめて友と呼べる存在を得た』
『人とは本当に、不可思議なものだ。人と関わるうちに、わたしも随分と変わった。名を与えられ、その名に縛られ、友を得、人を恋うることを知った。お前たちの魂がある限り、わたしは人の世界を護り続けると誓おう』
『目覚めた暁には、お前に花を贈ろう。目覚めたお前の魂が、少しでも穏やかでいられるように。お前の一番好きな花。世界中、すべてのカナンの花を咲かせよう』
『お前たちの魂はわたしにはいつでもわかる。たとえどれほど生まれ変わろうと、どれほど名が変わろうと。どの世界に生きていようと。……いつかまた、ふたたびお前たちに会える日を楽しみにしているよ』




