エピローグ「陽だまりの食卓」
数年後。
アークライトの街は、今日も朝日とともに活気に包まれている。
ギルド本部の裏手にある喫茶店は、少しだけ改装されて広くなっていた。
開店前の静かな時間。
厨房の竈にはすでに火が入り、鍋の中で野菜のスープがコトコトと優しい音を立てている。
カウンターの奥のテーブル席には、朝の光が柔らかく差し込んでいた。
「……ルミナス、焦げるぞ」
背後から、低いバリトンの声が響く。
振り返る前に、広い胸板がルミナスの背中にぴったりとくっついた。
首筋に顔を埋められ、陽に焼かれた乾いた樹皮の匂いがルミナスを包み込む。
「焦げていません。火加減は完璧です」
ルミナスは木べらを持ったまま、苦笑してレオンハルトの腕に触れた。
彼が首筋に軽く唇を落とすと、そこにある噛み跡が微かに熱を持つ。
あの日から、ルミナスの発情期はレオンハルトの庇護の下で、安全に、そして甘く満たされるようになった。
今はもう、己の第二の性を恐れることも、薬で抑え込むこともない。
「朝からそんなにくっついていたら、仕込みが終わりませんよ、ギルドマスター」
ルミナスが振り返って見上げると、レオンハルトは琥珀色の瞳を細めて心地よさそうに笑った。
「俺はもう、君の匂いを嗅がないと一日が始まらない体になっちまったんだ。責任を取ってくれ」
「……料理の匂いじゃなくてですか」
「それも込みだ」
レオンハルトはルミナスの手から木べらをそっと取り上げ、代わりにその手を握りしめた。
ルミナスの左手の薬指には、レオンハルトと同じ銀色の指輪が光っている。
かつて命を奪うことしかできなかった手は、今では命を育むための手に変わっていた。
土に触れ、作物を育て、この愛する男のために料理を作る。
その繰り返しの日常が、ルミナスの過去の傷を少しずつ癒やし、完全に塞いでくれた。
「さあ、朝飯にしよう」
レオンハルトがテーブルに二つの木椀を並べる。
湯気を立てる野菜のスープと、焼きたての黒パン。
向かい合って座り、レオンハルトが満足げにスープを喉の奥へ流し込む。
「……美味い。何度食っても、君の料理は最高だ」
その言葉を聞くたびに、ルミナスの胸の奥で温かい光が弾ける。
「ええ。あなたのために、いつでも作りますよ」
ルミナスは心からの柔和な笑みを浮かべた。
窓の外から、冒険者たちがギルドへ集まってくるざわめきが聞こえ始める。
間もなく、この店も彼らの笑顔と美味いという声で満たされるだろう。
しかし、その前に流れるこの静かな時間だけは、誰にも邪魔されない二人だけのものだ。
もう、誰も彼から居場所を奪うことはできない。
差し込む朝陽が、二人の重なる影を床に長く伸ばしていた。




