表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
辺境調整官、只今着任 〜左遷に見えた赴任は、辺境を変える第一手だった〜  作者: 瀬川 理久
第五章:目が、増えていく

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
31/64

第三十一話「見ている目が、増える」

 着任五十二日目。


 執務所に、見慣れない男が現れた。


 商人風の身なりをしている。


 だが、南通り穀物商会の者ではない。


「隣領の市場町から来ました」


 男は名を告げた。


 複数の行商人へ商品を卸し、巡回先を調整する立場だという。


 ロイドが来訪記録へ名前と所属を書き取る。


「隊商が、ガルダで取引をしたと聞きました」


「事実です」


 ライルは答えた。


「麦袋三十を買い付け、塩や油を売ったと」


「はい」


「支払いも、その場で終わった」


「完了しています」


 男は執務所の中を見回した。


 受付帳。


 棚に並ぶ台帳。


 官倉へ続く裏口。


「うちの行商にも、話を聞かせてもらえませんか」


「どのような取引をお考えですか」


「麦だけではありません」


 男は答えた。


「ガルダで塩や油、釘、布が売れたと聞きました。うちの行商は、鍋、縄、革製品、薬草も扱います」


「買い付けは」


「豆と乾燥果実なら、扱える者がいます」


 ロイドの筆が動く。


 扱い品目。


 買い付け可能品。


 巡回時期。


 荷車数。


 過去の取引先。


「ガルダとも取引できますか」


「検討します」


「いつ頃」


「今すぐではありません」


 ライルは答えた。


「今回の隊商との取引について、市場町での到着確認と、正式な完了記録がまだ届いていません」


「ガルダでは、終わったのでしょう」


「こちら側では、です」


 荷車が市場町へ戻る。


 袋数に不足がない。


 品質について異議がない。


 商人組合で取引終了が記録される。


 そこまで確認して、初めて一件の実績になる。


「それを確認してから、次の話を進めます」


「慎重ですね」


「一つ目の約束を終える前に、二つ目を広げる理由がありません」


 男は少し笑った。


「急がなくて構いません」


 懐から紙を取り出す。


 名前。


 拠点。


 取り扱い品。


 連絡先となる宿。


「話を聞けただけで十分です」


「こちらから連絡する場合は、書面でよろしいですか」


「もちろんです」


 男は紙を置き、短く頭を下げた。


「次に来る時には、鍬の柄へ合う刃も持ってきます」


 どこかで、ニルスが農具を買えなかった話まで聞いたのだろう。


 噂は、取引の細部まで運び始めていた。


 男が帰った後、ロイドは新しい帳面を用意した。


「取引先候補記録」


 表紙に、そう書く。


 候補名。


 所在地。


 取り扱い品。


 買い付け可能品。


 取引実績。


 連絡先。


 信用確認。


 検討状況。


「また、帳面が増えましたね」


 ヴェクが言った。


「風聞記録。近隣取引先の調査記録。取引停止関連記録。融通記録。それから、これです」


 ロイドは並んだ背表紙を見る。


「多いですか」


 ライルが尋ねた。


「増える一方です」


 だが、ロイドの声に不満はなかった。


 問題を隠すための帳面ではない。


 ガルダの外に、何があるのかを知るための帳面だ。


「候補が増えても、すぐに取引はしません」


 ライルは言った。


「まず、相手が誰かを確かめます」


「信用確認ですね」


「はい。扱う品、過去の取引先、支払い方法、問題が起きた場合の窓口」


「隊商と同じように」


「同じです」


 選択肢を増やすことと、無条件に相手を受け入れることは違う。


 買い手が一つしかない状態から逃れた直後に、別の一者へ依存しても意味がない。


---


 夕方。


 ダグラスが照合を終えた台帳を片づけながら、言った。


「外から人が来るようになったのは、初めてではありません」


「以前にも?」


「水路が止まる前です」


 ダグラスは、古い通行記録を一冊取り出した。


「南通り以外の商人が、ガルダの様子を見に来たことがあります」


「取引は」


「長くは続きませんでした」


「理由は」


「量が安定しなかった。執務所に問い合わせても、誰が責任者なのかわからなかった。農家ごとの約束も、記録されていなかった」


 ダグラスは頁をめくる。


 商人来訪。


 取引希望。


 その後の記録は、ない。


「来たことだけが残り、何を話したかは残っていません」


「今回は」


「今回は、様子見だけでは終わらない気がします」


「なぜですか」


「見に来た者へ、渡せる記録があります」


 ダグラスは、新しい取引先候補記録を見た。


「以前は、ガルダに何があるかを、ガルダ自身が説明できませんでした」


 麦の量。


 保管場所。


 必要な品。


 積み込み手順。


 取引結果。


 今は、それぞれに数字と担当者がいる。


「外から見えるようになった、ということですね」


「はい」


 ダグラスは、それ以上を語らなかった。


 だが、長く執務所を見てきた者の言葉は、軽く扱えなかった。


---


 同じ日の午後。


 隣領の役人を名乗る者から、書状が届いた。


 封蝋には、隣領領主家の印。


 差出人は、領主に仕える家令だった。


 内容は、丁寧な言葉で書かれていた。


 ガルダにおける水路再開。


 受付記録の整備。


 官倉の運用。


 現物納付。


 外部隊商との取引。


 それらについて、参考までに運用方法を教えてほしい。


「答えますか」


 ロイドが尋ねた。


「答えます」


 ライルは言った。


「隠すことはありません」


「すべて送りますか」


「いいえ」


 ロイドが顔を上げた。


「農家の個人名と、個別の売却量は送りません」


「運用方法だけを」


「はい」


 水路の修繕箇所。


 税の未納記録。


 個別の土地争い。


 商会との調査記録。


 相手が「参考」として必要としている範囲を超える情報もある。


「共有するのは、再現できる手順です」


 ライルは紙へ項目を書いた。


 来訪受付。


 相談記録。


 訂正時の処理。


 官倉の預かり札。


 現物納付と私有麦の区分。


 外部取引先へ示した情報。


 農民本人の同意確認。


「結果ではなく、手順を」


「結果だけ送っても、同じようには動かせません」


「向こうの目的は、何でしょう」


「わかりません」


 本当に参考にしたいだけかもしれない。


 ガルダの仕組みを値踏みしているのかもしれない。


 領内の商人や農民に、同じ動きが広がることを警戒している可能性もある。


「わからない目的を、推測で書面に加える必要はありません」


「事実だけを返す」


「いつもと同じです」


 ロイドは頷き、返信の下書きを始めた。


 ただし今回は、ガルダの問題へ答える書面ではない。


 ガルダで作った仕組みが、外へ渡る最初の書面だった。


---


 南通りの穀物商会では、ヴォルツが窓の外を見ていた。


 隣領からの問い合わせは、商会の耳にも届いていた。


「ガルダの調整官が、隣領にまで知られ始めています」


 報告役が言った。


「商人だけではありません。領主家も、執務所へ書状を出したそうです」


 ヴォルツは、すぐには答えなかった。


「潰す相手が、増えたということか」


 報告役は少し迷ってから答えた。


「潰せない相手が、増えたということです」


 商人組合。


 隊商。


 隣領の行商。


 隣領領主家。


 ガルダの記録を見ようとする者が増えている。


 今、官倉を止めても。


 隊商を追い返しても。


 外には、すでに取引があった記録が残る。


 ヴォルツは指を机へ置いた。


「ガルダを見ているのは、もう私だけではない」


 それは、脅威だった。


 だが、脅威だけではなかった。


 目が増えれば、ライルの行動も見られる。


 失敗も、遅れも、判断の誤りも外へ伝わる。


 そして、ガルダへ関心を持つ者の中には、ライルを利用したい者もいる。


「動くなら、一人でやる必要はない」


 ヴォルツは、誰にともなく呟いた。


「誰と組むのですか」


「まだ決めていない」


 机の上には、帝都側の取引先一覧が置かれていた。


 大商会。


 輸送業者。


 倉庫を持つ貴族家。


 地方の商人組合。


「ガルダを止めたい者を探す必要はない」


 ヴォルツは言った。


「ガルダが動くことで、損をする者を探せばいい」


 報告役は黙った。


 ヴォルツの目は、もうガルダの中だけを見ていなかった。


---


 夜。


 ライルは手帳を開いた。


 着任五十二日目。


 隣領市場町。


 行商元締め、来訪。


 取扱品。


 鍋。


 縄。


 革製品。


 薬草。


 買い付け候補。


 豆。


 乾燥果実。


 取引先候補として記録。


 即時交渉は行わず。


 隊商取引の正式な完了確認後に検討。


 隣領領主家令より書状。


 ガルダの行政運用について照会。


 回答方針。


 個人情報、個別案件は共有しない。


 受付、記録、訂正、官倉、現物納付、外部取引の手順を回答。


 両方とも、隊商との取引成立が発端と思われる。


 ペンを止めた。


 見ている目が増えることは、悪いことばかりではない。


 取引先が増えるかもしれない。


 仕組みが他の土地でも使われるかもしれない。


 ガルダの状況を、正しく知る者も増える。


 だが、良いことばかりでもない。


 見られるということは、値踏みされるということだ。


 仕組みだけを持ち去ろうとする者もいる。


 失敗を待つ者もいる。


 味方のように近づき、別の目的を持つ者もいる。


 水路を直した時。


 声を記録した時。


 麦の道を開いた時。


 その一つひとつを、誰かがどこかで見ていた。


 これからは、その数が増える。


 ヴォルツの目だけを気にしていればよかった段階は、終わった。


 だからといって、見られるために仕事を変える必要はない。


 見られても、見られていなくても。


 同じ記録を残す。


 同じ手順で確かめる。


 同じように、決まっていないことは決まったと書かない。


 ライルは最後に一行だけ書いた。


 見ている目が、増えていく。


 その目が敵か、味方かを決めるのは、まだ早い。


 蝋燭を消した。

お読みいただきありがとうございます。


次回は明日19:10更新予定です。

ブックマーク・評価で応援いただけると励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ