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辺境調整官、只今着任 〜左遷に見えた赴任は、辺境を変える第一手だった〜  作者: 瀬川 理久
第十章:あの方の、答え

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第百話「増える方の、記録」

 着任四百二十日目、朝。


 レオが、正式に依頼を受けた官倉裏の石組み補修に入って三日目だった。


「思ったより、しっかりした土台でした」


 レオが言った。


「元の組み方がしっかりしています」


「緩んだところだけ直せば足りますか」


 ヴェクが尋ねた。


「はい。全部を壊して組み直す必要はありません」


「わかります」


 レオは、石の面をなぞりながら頷いた。


 昼前、ミラがレオの住居相談の続きを整理していた。


「空き家の持ち主から、返事が来ました」


 ミラが言った。


「屋根の修繕費については、見積もりを確認した上で、家賃の一部と相殺して構わないとのことです」


「期間は」


 ロイドが尋ねた。


「まず半年。更新する場合は、双方で改めて確認します」


 レオ本人にも条件を読み上げた。


「それでお願いします」


 レオは答えた。


「仕事の方も、今日終われば、次を探します」


「では」


 ミラが、昨日まで「移住相談」としていた記録を開いた。


「今日から、居住の記録へ移します」


 相談の紙は消さない。


 相談日、本人確認に使った書類、空き家の紹介、所有者の返答、合意した条件。


 その続きとして、居住開始予定日を書き足した。


「昨日までは、まだ『来たい人』でした」


 ミラが言った。


「今日は」


「条件が揃ったので、『住む人』として記録できます」


 ロイドが頷いた。


「右から左へ移す時と、似ていますね」


「似ています」


 ライルが答えた。


「希望だけで、決まったことにはしない。決まったら、そこから先の記録を始める」


 ダグラスが、その頁を静かに見ていた。


「増える方の記録ですね」


「はい」


 ミラが答えた。


「一件だけですが」


「一件だから、書くんだと思います」


 ダグラスは言った。


 特別な飾りは付けなかった。


 いつもと同じ大きさの字で、新しい居住者の名前が一つ増えた。


 午後、内政調整局の正式便が届いた。


「監査室からです」


 ロイドが言った。


 封を切り、目を通す。


「返答が来ましたか」


 ダグラスが、すぐに尋ねた。


「正式な回答ではありません」


 ロイドは答えた。


「検討を継続している、という一文と」


「と」


「『鍵』の照会について、監査室がすでに保有している旧資料の中に、同じ呼称と年数表現を含む記載が複数確認された、とあります」


「複数」


 ライルが、その言葉を繰り返した。


「同じ意味で使われていたと」


「そこまでは書かれていません」


 ロイドが答えた。


「年代、出所、前後の文脈を整理した別紙を追って送る、とあります」


「では、今わかるのは」


「同じ語と年数表現の例が、既存資料の中に一例だけではなかった。それだけです」


 部屋の中が、少し静かになった。


「もう一通あります」


 ロイドが、別の封書を示した。


「アルノ様からの私信です」


 開封すると、短い文面だった。


 ——比較中。似た文言だけを先に抜き出すと誤解を招くため、前後の文脈を含めて整理して送る。正式便を待ってほしい。


 それだけだった。


「アルノ様も、同じことを気にしているんですね」


 ミラが言った。


「似ているところだけを見て、同じものにしないこと」


「はい」


 ライルは頷いた。


「なら、こちらも先に意味を作りません」


「今日は、ここまでにしますか」


 ロイドが尋ねた。


「はい」


 ライルは頷いた。


「一次連絡だけで中身を作らない。詳細便が届いてから、前後を含めて見ます」


 ミラが、新しい照合票を用意した。


 ——監査室より一次連絡。「鍵」照会につき、既存保有資料内に同じ呼称・年数表現を含む記載が複数確認されたとのこと。用途・関係性は未確認。詳細便待ち。アルノ様私信も、文脈整理前の推測を避けるよう求める内容。


「急がないんですね」


 ダグラスが尋ねた。


「急ぎません」


 ライルは答えた。


「疲れた頭で見て、見誤る方が、今は怖いです」


 夕方、カイとゲオルグが連れ立って執務所に顔を出した。


「レオさんの仕事、見に行きました」


 カイが言った。


「腕がいいですね」


「継ぎ目を見ればわかる、と職人が言っていました」


 ゲオルグが付け加えた。


「石を見る目は、村の者にもわかります」


「住むことに決まったんですね」


 カイが言った。


「今日、条件が揃いました」


 ミラが答えた。


「一人増えたから、これからも増えるとは言えません」


 ゲオルグが言った。


「でも、一人が来られる場所にはなった」


「そうですね」


 ライルは頷いた。


「今日は、その一人だけを記録します」


 夕方、レオが今日の作業を終え、石組みの継ぎ目を最後にもう一度確かめていた。


「明日で、終わりそうです」


 レオが報告した。


「早いですね」


 ヴェクが言った。


「土台がよかったからです。悪い土台の上には、いい仕事は積めません」


 レオは、そう言って道具をまとめた。


 夜、ライルは手帳を開いた。


 ——レオ、住居条件の合意成立。移住相談記録から居住記録へ移行。相談時の記録は残したまま、居住開始予定日を追記。増える方の記録、一件。


 ——監査室より一次連絡到着。「鍵」照会に他地域旧文書内の類似例複数確認との記載のみ、詳細未着。アルノ様私信、内容の具体性なし。検討は明日以降に行う。


 もう一行、書き足した。


 ——一人が住むことと、「鍵」の類似例が複数あること。どちらも、数字だけでは意味を決められない。今日わかった範囲だけを残す。


 窓の外、日が沈む時刻が少しずつ遅くなっていた。


 増える方の記録が、一つ。


 似た文言が複数あるという連絡が、一つ。


 どちらも、急いで物語にする必要はなかった。


 一件は、一件として。


 複数は、まだ数も意味もわからない「複数」として。


 正しい大きさのまま置いておくことが、次に確かめるための準備になる。

お読みいただきありがとうございます。


次回は明日19:10更新予定です。

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