宇喜多直家の謀略① 報復の罠
播磨国・御着城。
蒲生忠秀は小寺家の居城だった御着城を播磨における拠点に定めて駐留すると、播磨の平定で損耗や疲弊した兵の充足を待ちながら、その時間を利用して着々と城下町の整備を進めていた。
「山城守様」
9月中旬、そんな政務に勤しむ忠秀に短く声を掛けたのは、軍師として忠秀を支える黒田官兵衛忠高である。
「官兵衛か。如何した?」
「来客にございまする」
「……ほう。で、誰だ?」
忠秀が訝しげに眉を顰めた理由は、軍師である官兵衛がわざわざ来客を伝えに来たからだ。
「それが、宇喜多家臣で伊賀伊賀守と名乗る男にございまする」
「宇喜多には臣従を断ったはずだが?」
「何やら切羽詰まった様子にて危急の用件のようにございますが、宇喜多和泉守(直家)が差し向けた刺客やもしれませぬ。追い返しますか?」
主君の身を危険に晒す訳には行かない官兵衛は、冷静沈着に言葉を紡いだ。
「……まぁいい、話だけは聞いてみよう。だが、念のため護衛の者を増やしてくれ」
「はっ、承知いたしました」
◇◇◇
「伊賀伊賀守久隆と申しまする。拝謁いただき、誠にかたじけなく存じまする」
御着城の会見用の部屋の下座には、40代後半と思しき男が平伏していた。
「蒲生山城守だ。此度は如何なる用件で参ったのかな?」
「一言に申せば、山城守様に御助力を賜りたく、お願いに参り申した」
「宇喜多家とは同盟や臣従は断ったはずだが?」
蒲生忠秀は毅然とした態度で言い放つ。しかし、伊賀久隆は静かに首を横に振った。
「いえ。此処に参ったのは断じて宇喜多家の使者としてではなく、某の一存にございまする」
「ならば、話を聞こうか」
「畏れながら山城守様は、某が元は松田家の家臣であったことはご存知でしょうか?」
松田家は当主の松田元輝と嫡男・松田元賢が日蓮宗に狂信的に傾倒し、領内の他宗の寺社に改宗を迫り、断れば打ち壊して焼き払うなどしたため領内の統治は混乱した。さらには、それを諫める家臣の忠言さえも聞き入れなくなった不満から、重臣の伊賀久隆が妻の実家である宇喜多家に寝返ったという経緯は、官兵衛の報告により忠秀の耳にも届いていた。
「無論だ。貴殿が主家を裏切り、宇喜多に与したこともな」
忠秀は突き放すような冷厳な口調で告げる。久隆が宇喜多直家の送った刺客ではないという保証はどこにもないのだ。
「恥ずかしながら左様にございますが、それには裏の事情がございます。実は和泉守の妹を後妻として娶った際に、亡くなった先妻との子で次男の与四郎が和泉守の小姓として仕えることになり申した。ですが、それは体の良い口実で、実際には与四郎は人質であり、宇喜多家に寝返る他なかったのでございまする」
「だが、和泉守も妹を貴殿に嫁がせたのだ。お互い人質を出し合ったようなものであろう。違うか?」
この時代の武家の婚姻は同盟関係や臣従を担保するための人質の意味があり、同盟を破棄したり謀反を起こしたりすると、嫁いだ娘が殺されることも珍しくはないのだ。
「はい。誠に仰るとおりにございますれば、与四郎が和泉守の小姓を務めておれば、某も不満はございませぬ。ですが先月、和泉守が山城守様に臣従を断られると突然、与四郎は監禁されてしまったのでございまする」
「ほう、それは存じておらなんだ。つまるところ、その監禁された次男の救出に力を貸して欲しいということか?」
「はい、お察しのとおりにて山城守様の助力を賜りたく、こうして参った次第にございます。もし力を貸していただけるのであれば、伊賀家は蒲生家に臣従をお誓い申しまする」
これは蒲生家にとっても魅力的な提案だった。伊賀家は備前国の津高郡北部と備中国の上房郡南部に加え、美作国の真島郡南部を領する、宇喜多家でも最大勢力を誇る国人だ。その伊賀家が臣従するとなれば、浦上家と宇喜多家を東西から挟撃することも可能になるのだ。
「だが、その次男は和泉守の小姓をしておったのならば、宇喜多の居城の亀山城におるのであろう?」
「いえ。それが配下の素破に調べさせたところ、今は備前の日生神社に監禁されているのが判りました」
「……ふむ。事情は分かった。貴殿の申すことが真なのか調べた上で、家臣とも相談して決める故、貴殿にはそれまで数日は城内にて待機していただくが、宜しいな?」
久隆の話には一応の筋は通ってはいたが、そのまま鵜呑みにするほど信用はできない。事実かどうかを今一度確認した上で検討することにした忠秀の判断は至って適切だった。
「無論、否はございませぬ。あまり時間を掛けると和泉守に怪しまれますが、已むを得ませぬな」
久隆はそう言って儚げに笑った。
◇◇◇
久隆との会見の後、すぐに忠秀は村雲党に命じて、久隆の話が事実かどうかを調べさせた。
そして、2日後には村雨雲四郎から、確かに日生神社に伊賀与四郎らしき人物が監禁されているとの報告があった。
「官兵衛、如何に思う?」
「私の推測ですが十中八九、山城守様を誘き寄せるための和泉守の罠かと存じまする」
「ほう、やはり罠か。だが、確かにやや芝居がかってはいたが、伊賀守は嘘を申しておるようには見えなんだがな」
「伊賀守殿の次男の与四郎殿が幽閉されているのは事実でございます故、おそらく伊賀守殿は嘘は申しておらぬと存じます。ただし、全てを打ち明けてはおらず、隠し事があるかと存じまする」
「隠し事? どういう意味だ?」
「宇喜多和泉守は謀や暗殺で有名な謀将で、その悪名は山陽・山陰中に鳴り響いております。その悪辣な和泉守ならば山城守様を誘き寄せるため、伊賀守殿の次男を日生神社に幽閉し、次男の身柄解放を餌にして伊賀守殿を脅すくらいの策は平気で弄するかと存じまする」
「なるほど。私を日生神社に誘き寄せるように和泉守に脅されておるのを、伊賀守は黙っておるということか」
「はい。それに、捕われているのが日生神社というのも気になります。和気郡の日生の辺りには城と呼べるものはありませぬ故、守りが薄く攻めやすい場所にございます。人質を監禁するのならば、和気郡よりも本拠の亀山城の方が余程安全のはずです。それをわざわざ守りの薄い日生神社に人質を置くのは、何らかの意図があるとしか思えませぬ」
官兵衛の理路整然とした推理は非常に的を射ており、忠秀は何度も大きく首肯する。
「飛んで火に入る夏の虫。つまりは日生には間違いなく罠が待ち受けておるという訳か」
「はい。たとえ無事に人質を取り返すことができたとしても、必ずや山城守様の身に危険が及ぶことになるかと存じます。和泉守は山城守様が臣従の申し出を突っぱねたことを根に持っておるはず故、山城守様を狙う動機も十分にございまする」
「確か、鉄砲の狙撃による暗殺は和泉守の常套手段であったな。だが、伊賀守の願いを受け入れて蒲生家が手を貸すとしても、必ずしも私自らが日生に向かうとは限らぬぞ?」
「はい。むしろその可能性の方が高いでしょう。それ故、和泉守は山城守様の御命を奪えずとも、蒲生軍を備前に招き入れることにより主家の浦上家と敵対させて疲弊させ、あわよくば浦上家の混乱に乗じて主家を乗っ取ろうというのが真の狙いなのやもしれませぬ」
「なるほど、和泉守ならばこの機に乗じて下剋上を企みそうだな。いずれにしても、和泉守が我らを謀ろうとしておるのは間違いない。ならば、これを逆に利用すれば良かろう」
「ふふふ、左様ですな」
忠秀の思惑が通じたのか、それから忠秀と官兵衛はしばし密談を交わした。
「では、官兵衛。明朝、伊賀守を呼び出すとしよう。良いな」
「はっ」
2人は不敵な笑みを浮かべていた。