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六芒星が頂に~星天に掲げよ! 二つ剣ノ銀杏紋~  作者: 嶋森航
鳴動する大山の慟哭と葬送
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三好討伐② 金子元宅の要請

讃岐国・雨滝城。


讃岐国東端の引田に上陸した俺は、東讃岐7郡の守護代の安富家を調略すると、9月上旬には安富家の居城である雨滝城に入城した。


雨滝城の眼下には風光明媚な津田の松原、北の沖合には小豆島を一望することができ、戦で荒んだ心を癒してくれるようだ。


「正吉郎様。初田六郎右衛門勝顕、お呼びと伺い、参りました」


初田秀勝の次男・初田勝顕は顔立ちは父に似て顎髭を生やした武骨な男だが、非常に勇猛で実直な男だ。勝顕は幾つもの戦いで武功を挙げているが、その活躍に見合うほどの褒美を与えられていない。それは勝顕が次男だからだ。


一方、秀勝の嫡男・初田勝政は誠実で聡明な文官肌で、秀勝の隠居後は勝政が初田家を継ぐため、初田家を継げない勝顕の処遇は難しかった。だが、勝顕は信頼のおける親族衆であるため、安富家に婿入りして家督を継ぐには最適な人物だった。


「うむ。三郎左衛門(初田秀勝)から聞いたとは思うが、六郎右衛門には安富家に婿入りして安富家を継いでもらいたい。いずれは讃岐国代官としてこの地を治めてもらうつもりだが、どうだ?」


「はっ、30で独り身の次男坊の某には身に余る光栄に存じまする」


東讃岐守護代でありながら凋落の一途を辿る安富家当主の安富盛定にとっても、今や天下に名高い寺倉家の一門が婿入りすれば、寺倉家の庇護の下で御家存続を図ることができ、正に渡りに船の提案に違いない。


寺倉家にとっても安富家を旗頭にして讃岐を平定する大義名分ができ、将来的には讃岐は安富家に治めてもらおうと考えている。


「そうか。では、急ぎ安富家との婚儀を行うこととするが、私の偏諱を授ける故、安富六郎右衛門政顕と名乗るが良い」


「ははっ、誠にかたじけなく存じます。今後は安富六郎右衛門政顕として、讃岐を立派に治めまする」


「うむ。では、そのためにも早く讃岐を平定せねばな。六郎右衛門も精々励むが良い」


「はっ、承知いたしました」


髭面の厳つい男がニカッと笑顔を浮かべた。




◇◇◇




讃岐国・十河城。


讃岐の現状だが、安富家が臣従して直ぐ、東讃岐の郡代の寒川家と植田家が相次いで降ると、9月中旬には雨滝城から10数km西にある十河城を本拠とする十河家当主・十河重存が三好を頼って阿波に逃げた。どうやら重存は狭量で小心翼翼な性格らしい。


お陰で寺倉軍は労せずして十河城を手に入れると、当面は十河城を四国征伐の指令拠点に定めて、ここから各方面へ指示を出すことにした。いつまでも雨滝城に居候する訳にも行かないからな。


9月下旬となって、南では篠原長房を総大将とする三好軍とは膠着状態が続いている。だが、三好軍と歩調を合わせるように、東讃岐最大の勢力を誇る香西家と、西讃岐守護代の香川家が西から進軍を始めた。


それに対して、寺倉・安富連合軍は安富家を継いだばかりの安富政顕が総大将となり、寒川家や植田家を始めとする東讃岐の諸勢力を率いて奮戦し、西の戦線では熾烈を極めている。


さらには、真田信綱、真田昌輝、加津野信昌、真田信春の真田4兄弟の率いる部隊も加わって功を競い合っている。真田4兄弟には平定後の四国統治を任せようと考えているので、そのためにも戦功を挙げてもらいたい。軍師の武藤喜兵衛には伝えてあるので、兄弟が活躍できるように戦術を立てているようだ。


寺倉・安富連合軍は優勢な戦いを演じている。香川・香西は合わせても7万石程度だ。香西家は朝鮮との交易で稼いだ資金力により傭兵を雇い入れ、兵数は3千を超えたものの、香西元載が仕える十河重存が阿波に逃げたため不利は免れないようだ。


既に香西・香川連合軍の侵攻を撃退すると、寺倉・安富連合軍が徐々に香西領を侵食しつつある最中、十河城に思いがけない来客が訪れた。


「伊予国新居郡は金子城城主・金子十郎元成が嫡男、金子備後守元宅と申しまする。主家である石川家の使者として罷り越しました」


目の前に平伏する若者は悠揚とした眉に、目は聡明な光を帯びている。ひと目見て只者ではないと直感し、俺は図らずも魅入ってしまう。


金子元宅は勇猛で名高い武将だ。史実の四国征伐において豊臣秀吉の命を受けて侵攻する小早川軍3万に対し、石川家は寡兵の2千で勇猛果敢に立ち向かって玉砕した。四国征伐で最も激しい戦いが繰り広げられたのがこの「天正の陣」だ。


実は、東伊予守護代の石川家は河野家を通じて毛利家とも誼を通じていたため、毛利家に恭順することもできた。しかし、元宅は土佐の人質を見捨てて、他人に後ろ指を指されるべきではないと主張し、長宗我部家と共闘する道を選んだのだ。


つまり元宅は勇猛かつ仁義に篤い武将という訳だが、目の前にいる元宅はまだ歳は17か18くらいの若者だ。内心の焦りを隠せず、額には汗が滲んでいる。


「私は寺倉左馬頭だ。東予の守護代・石川家からの使者とな。如何なる用件で参ったのかな?」


「はっ、順を追って説明させていただきまする」


元宅の話によると、宇摩郡と新居郡を治める石川家は縁戚で重臣である元宅の父・金子元成が石川家の実権を握っているが、石川家が置かれた状況は非常に厳しいようだ。


一条松平家が阿波や讃岐に進出する拠点として、宇摩郡を欲して侵攻を始めたからだ。一条松平の攻勢に備えるべく、元成は元宅の弟・金子元春に金子城を任せ、石川家の本拠の高峠城に兵を集めたそうだ。


石川家は三好家から正妻を迎えて誼を通じていたが、近年の三好は畿内を失陥して勢力減退が顕著なため、石川家中では三好と手を切るべしとの声が上がっていたらしい。


ところが、三好の援軍要請に応えて出陣した長宗我部との戦いで、石川家当主の石川道清が討死してしまったため、石川家中は三好と手切れに一気に傾いた。そこへ来て一条松平に攻められ、石川家は当然ながら三好に援軍を要請した。


だが、同じ時期に東讃岐の安富、寒川、植田、十河領を制圧した寺倉軍を迎撃するため、三好は東伊予に兵力を割くことができず、石川家の援軍要請は素気なく断られてしまう。これがダメ押しとなり、反三好に傾いた石川家中は三好との手切を決断した。


そうなると、一条松平に地力で劣る石川家が頼る先は毛利家か寺倉家しかない。だが毛利家も浅井や蒲生に加えて大友に攻められ、四国に援軍を出せるはずもない状況に置かれている。となれば頼る先は一つに絞られる。そして寺倉家に助力を頼むべく、こうして金子元成の嫡男・元宅が使者として訪ねたのだと言う。


確かに寺倉家にとっても東伊予を一条松平に奪われるのは避けたいところだ。宇摩郡を取られると、讃岐と国境を接するだけでなく、西阿波への侵攻に支障をきたすからだ。


それに、元宅は人質の意味合いもあるのだろう。元宅は金子家だけでなく、東伊予守護代である石川家の血も受け継いでいる。その元宅を奉じれば一条松平を征伐する大義名分になるため、元宅の要請に応えることは寺倉家の利益にもなる。


「ふむ。事情は分かった。だが、我らは香西、香川両家を討伐している最中だ。伊予に援軍を送るのは讃岐を平定した後になる。とはいえ、今頃は金子城どころか高峠城も落ち、既に東伊予は一条松平のものになっているやもしれぬ。そう考えると、貴殿は血脈を残すために逃されたのであろう」


「まさか……。確かに金子城は危機に瀕しております。ですが、父上は左馬頭様に援軍を頼めと命じられました」


「それは貴殿を逃すための方便であろう。おそらく十郎殿は時勢を見切り、寺倉家の援軍が来るまで高峠城は保たぬと察していたのであろう」


「で、では、父上は今頃……」


「まだそうと決まった訳ではないが、その可能性は高いだろう。私も幼くして父を亡くした故、貴殿の気持ちは理解できるつもりだ。貴殿がせねばならぬのは東伊予の奪還となろう。讃岐を平定でき次第、直ぐに援軍を差し向けると約束しよう。良いな?」


「はい。どうかお頼み申しまする。う、うぅっ……」


静かに嗚咽を漏らす元宅を、俺は居た堪れない気持ちで見守ることしかできなかった。

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