表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
330/443

松平家臣の仕官

時は半年ほど遡り、3月下旬。


織田家によって三河一向一揆が鎮圧される直前、三河を船で脱出した元松平家臣たちは、旗頭である松平元康の遺児・松平竹千代を連れて西国へと逃亡した。


元松平家臣ら一行は男ばかりの100名ほどで数は少ないものの、非常に結束に高い精鋭たちであった。大勢で行動すれば足手まといになるため、戦えない妻子ら家族や若い郎党は三河に残して来ており、いずれ仕官先が決まった後に密かに呼び寄せる算段だった。


彼らは逃亡する際に、織田家と繋がりのある"六雄"が治める畿内や、寺倉家の侵攻の前に紀伊と和泉半国に追い込まれている畠山家を避け、紀伊半島を迂回して四国へと向かった。


東土佐に上陸した彼らは、すぐに素破たちに四国の情勢を調べさせ、まもなく数日後、四国東部の阿波、讃岐、東土佐は三好家が治め、中土佐に長宗我部家、西土佐は土佐一条家、そして、伊予には河野家、宇都宮家、西園寺家などが割拠しており、四国が戦乱の真っただ中だと知ったのである。


そして、元松平家臣一行の重臣5人は宿の一室で、今後の命運を決める重大な密談を開いていた。


「さて、我らは今後どうすべきか?」


「我らの悲願である松平家再興が懸かった重要な決断となる。こういう大局的な計略は武辺者には荷が勝ちすぎる故、やはりここは知恵者の与七郎に意見を求めるべきだろう」


「「うむ」」


彼らは松平家の再興を目指しており、鳥居元忠の言葉に最年長の内藤正成が応えると、蜂屋貞次と渡辺守綱の2人が頷いた。


「うむ、与七郎殿。貴殿の考えを聞かせてもらえぬか?」


そう言う鳥居元忠の視線の先には、落ち着いた雰囲気の30代の男がいた。彼の名は石川数正と言い、史実では徳川家康の懐刀とも言える譜代でありながら、「小牧・長久手の戦い」の後に豊臣家に出奔した武将である。彼は徳川家の軍事機密に精通しており、家康は豊臣家への機密漏洩に対応して、三河以来の軍制を武田流に改めることになったのである。


実は、石川数正の出奔は数正が家康に献策した策略であり、数正自身がスパイとなって豊臣家に潜り込んだのだった。だが、その裏には、もし徳川家が滅べば豊臣家臣として石川家を存続させ、逆に豊臣家が滅べば徳川家に帰参するという数正の強かな目論見が隠されていたのである。


「僭越ながら私の考えで宜しければ申し上げよう。……時間は掛かるが、手勢の少ない我らが松平家を再興するためには、やはりどこかの大名家に仕官し、そこで武勲を挙げて出世し、領地を得て力を蓄えた後に、機を見て独立するか、あるいはその大名を倒して大名家ごと乗っ取るのが妥当かと存ずる」


「美濃の斎藤道三のように仕える大名を滅ぼすのは忠義に反する行い故、気が進まぬところだが、この乱世では下剋上は世の常である故、背に腹は代えられぬか」


「うむ。与七郎の申すとおり、僅かな手勢しかおらぬ我らが松平家再興という大義を果たすためには、それしかあるまいな」


石川数正の提案に、鳥居元忠と内藤正成が頷きながら賛同する。


「では、どこの大名家に仕官すべきとお考えにござるか?」


「何も四国に拘らなくとも、九州という手もござるぞ?」


すると、これまで黙っていた蜂屋貞次と渡辺守綱が口を挟んだ。


「結論から申せば、仕官するならば土佐一条家が宜しいかと存ずる」


「「土佐一条家!?」」


「土佐一条家と言えば、この東土佐でも当主の一条左近衛少将(兼定)が暗愚で知られておるが、如何なる理由で仕官先に相応しいのか説明してもらえぬか?」


石川数正の口から出た土佐一条家という家名に一同が一様に驚きを表すと、内藤正成が数正に説明を求めた。


「理由は幾つもござる。まず三好家は大きすぎて、我らが成り上がるのが難しく、来年にも寺倉家に攻められよう。長宗我部家はその三好に攻められ、御家存亡の危機にある。伊予の河野家は"山陽・山陰の覇者"である毛利家と婚姻関係があり、やはり我らが独立するのは難しいと存ずる。宇都宮家と西園寺家は小さすぎ、毛利の援軍を得た河野が攻めれば滅ぼされる恐れが大きい。九州は大友家、島津家、龍造寺家の3家の勢威が突出しており、我らが独立する隙はないと存ずる。そう考えれば、残るは土佐一条家だけになろう」


「ふーむ、なるほど。四国や九州の他の大名家に仕官すべきでないのは分かり申した。だが、土佐一条家は土佐国司の名門ではあるが、はたして我らが仕官し、松平家再興を目指すことができる家なのでござるか?」


理路整然とした石川数正の説明に鳥居元忠が感心しながら、数正に疑問を投げ掛ける。


「まず地の利の面では、土佐一条家は長宗我部と西園寺と領地を接しておるが、いずれも土佐一条家より小大名である故、数年は御家が保たれるであろうし、両家を滅ぼすことができれば大きく伸長する余地がござる。次に、土佐一条の家中だが、公家大名の一条左近衛少将は暗愚で有名で、宿老の土居近江守(宗珊)が家中を差配しているのが実情にござれば、土居近江守を味方にすれば十分に付け入る隙があろう。さらに、土佐一条家は南伊予を攻めるために今、兵を集めており、我らが成り上がる好機かと存ずる。そして、……」


「そして、何でござる? 勿体ぶらずに申してくだされ」


石川数正が口淀むと、蜂屋貞次が焦れて続きを促した。


「誠に僭越ではござるが、最後に最も重要なのは、一条左近衛少将には竹千代様と同じくらいの歳の幼い姫がおるということにござる。その意味は私が申さずとも、お分りかと存ずる」


「「ほほぅ、なるほど!」」


「ならば、土佐一条家に仕官するしかあるまいな」


石川数正が意を決して話した言葉に、一同がすぐに意味を理解して頷くと、鳥居元忠はニヤリと口角を上げて結論を出したのであった。




◇◇◇




土佐国・中村城。


「お主たちが三河から逃れてきた松平家の旧臣たちでおじゃるか?」


「「はっ、左様にございまする」」


土佐一条家の居城・中村城の広間で、公家装束で上座に座る一条兼定を前にして、松平竹千代と鳥居元忠、内藤正成、石川数正ら元松平家臣一行の重臣5人が平伏していた。


「亡き主君の忘れ形見を守り、四国まで逃げてくるとは、真の忠臣たちでおじゃるのぅ。気に入ったぞ。松平の子よ、名は何と申す? 歳は幾つじゃ?」


「松平次郎三郎元康が一子、松平竹千代と申しまする。9歳にございまする。本日は一条左近衛少将様にお仕えしたく参上いたしました」


「ほぅ、何とも良い目をしておる利発な童よのぅ。ますます気に入ったぞ。お主たちを召し抱えるとしよう」


「左近衛少将様。彼らは三河に家族を大勢残して四国に来たとのことにございます故、北にある廃村を与えて、三河から家族を呼ばせてはいかがでしょうか?」


竹千代の賢さが際立つ言上に一条兼定は目を細め、元松平家臣の仕官を認めると、すぐ脇の下座に座る宿老の土居宗珊が10年ほど前に野盗の襲撃で放棄された廃村を与える案を進言した。


「うむ、良きに計らえ。西園寺との戦ではお主たちの槍働きに期待するでおじゃるぞ」


「「はっ、ありがたき幸せにございまする」」


一条兼定は南伊予侵攻を見据えていた。妹が嫁いでいる日向国の伊東家と協力して宇和郡の西園寺家の打倒を目指していたが、今月になって盟約を結ぶ喜多郡の宇都宮家が北伊予の河野家と敵対する動きを見せており、これを支援すべく戦力を集めていたのである。


それに加えて、中土佐の長宗我部家が土佐一条家の意向を無視して安芸家に攻め込むなど、実質的に独立しようとする動きを露わにしており、土佐統一の目処も立っていない。もし南伊予出兵で敗北すれば、たちまち土佐一条家は逆に窮地に立たされかねず、土佐一条家にとって南伊予出兵は決して負けられない戦だった。


そのため、少しでも戦力を強化したい兼定は、まさか目の前の元松平家臣たちが御家再興を企んでいるとは露知らず、大盤振る舞いとも言える条件で元松平家臣たちの仕官を受け入れたのだ。


一方、元松平家臣たちにとっては放棄されて荒れた廃村と言えども、開墾すれば三河の痩せた土地よりはむしろマシであろうと、予想外の好条件に笑顔で言葉を返した。


こうして、土佐一条家に仕官した元松平家臣たちは、その後すぐ4月に三河から家族や郎党を呼び寄せ、廃村を開墾すると、まずは土佐一条家での地位を高めるべく、南伊予出兵での活躍を決意するのであった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ