表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
六芒星が頂に~星天に掲げよ! 二つ剣ノ銀杏紋~  作者: 嶋森航
祇園精舎の鎮魂の鐘

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

311/443

顕如の苦悩と能登畠山家

摂津国・石山本願寺。


1月末、石山本願寺の法主・顕如の居室に、側近の下間頼廉がかなり慌てた様子で入室した。


「顕如様、一大事にございます。長島の一向一揆が!」


「頼廉、そんなに慌てて、長島の一向一揆がどうしたと言うのだ?」


普段は冷静沈着な頼廉が珍しく慌てた様子に、訝し気に訊ねる。


「……滅ぼされました。頼旦も証意殿も討たれたとの由にございます」


「なっ、何だと!!」


まさか昨年11月下旬に蜂起したばかりの長島の一向一揆が鎮圧されるとは、顕如も正に寝耳に水であった。


「ひと月前、12月下旬に寺倉と織田の4万の軍勢に包囲殲滅されたとの由にございます」


「12月下旬だと? 陸奥や九州の話ならともかく、伊勢の長島の話が何ゆえ伝わるのにひと月も掛かるのか?!」


いくら情報伝達の速度が遅い当時とは言っても、伊勢から摂津であれば人の足でも遅くとも半月もあれば余裕で伝わるはずであった。


「それが寺倉の素破の包囲は大変厳しく、尾張の門徒の商人が三河の門徒に伝え、そこから海を渡り、熊野の山を越えて、石山御坊にようやく伝えたとの由にございます」


「……そうか。ならば仕方あるまいな。だが、確か長島の門徒は3万を優に超えておったはず。それが何ゆえ、11月下旬に蜂起してから僅かひと月しか保たなかったと言うのか?」


加賀や越中を失った顕如にとって、3万を超える長島の門徒は頼りとする存在であったのが、僅かひと月で滅ぼされるとは予想だにしない結末に驚く他なかった。


「最初に美濃の大垣を目指した1万の門徒が国境の松山城でよもやの大敗を喫して撤退し、その後に志摩水軍に海を封じられ、物資を供給する桑名を制圧されてからは、兵糧を奪うために津島を襲おうとする直前に、寺倉と織田の軍勢が一斉に攻め寄せたとのこと。証意殿は願証寺で焼き討ちされ、頼旦は城兵の助命を条件に降伏開城しましたが、長島城を出たところを鉄砲で撃たれて騙し討ちされたとの由にございます。誠に無念にございます」


「くっ、何と卑怯な……。許せぬ! 必ずや証意や頼旦の仇を討ってくれようぞ!」


「さらに寺倉は我ら本願寺派を禁教とし、桑名や長島の門徒たちを強制的に一身田の高田派に改宗させようとする様子にございます」


同じ浄土真宗でありながら、一向宗の本願寺派と高田派は犬猿の仲とも言える対立関係であった。


「何っ、高田派にか? くっ、堯慧め! ……頼廉、三河の方はどうなっておる?」


「三河は安城城を落とした後、矢作川を挟んで織田軍と対峙しており、今は積雪で一時休戦しております。織田に反抗的な三河の国人衆も一揆勢に加勢しておりますれば、雪解け後には岡崎城を攻める計画と聞いております」


「そうか。三河の門徒たちには、もう少しは織田を苦しめてもらいたいものだな。だが、寺倉は田植え後にも石山御坊に攻めてくるやも知れぬ。我らも門徒を増やして備えねばな」


「はっ、承知いたしました」


こうして、石山本願寺は寺倉家との戦いに向けて準備を急ぐのであった。だが、寺倉家の次なる標的は石山本願寺ではなく、「長島一向一揆」のために中断した和泉への再侵攻であり、田植え後の出陣に向けて準備を始めたのであった。




◇◇◇




紀伊国・岩室城。


長兄・畠山高政に続いて、三弟・畠山政頼と当主を続けざまに失い、畠山家の家督を継いだ畠山政尚の顔色は思わしくなかった。


昨年11月末に長島で一向一揆が蜂起したことにより、寺倉軍が堺から引き上げた時には安堵したものだが、現状の畠山家は堺という重要な収入源となる商都を失陥した上に、和泉の国人衆の引き留め工作に加えて、雑賀衆や根来衆を雇うために多額の資金を必要とし、畠山家は資金難に陥っていたためだ。


さらに、畠山政尚を悩ませる頭痛の種がもう一つ存在した。1年半前、浅井家に能登から追放されて同族の畠山尾州家を頼って、今は"穀潰し"として紀伊に留まり、畠山尾州家の家臣たちから腫物のように扱われていた能登畠山家の畠山義続、義綱の父子である。


畠山尚政も畠山尾州家当主でありながら、元は畠山高政の次弟で家督を継ぐ立場ではなく、兄弟の相次ぐ死により当主を継いだ身であったがために、生まれながら嫡男で当主を継ぐ立場にあった義続、義綱父子の生来のプライドの高さには無意識に気押される面があり、この父子の高慢で横柄な振舞いには苦々しく感じながらも、二人の扱いには大変苦心していた。


実際のところ、畠山尾州家にとって能登畠山家は疫病神とも言うべき存在であった。と言うのも、それは能登畠山家にまつわる過去の因縁に因るものである。


そもそも畠山氏は足利氏の一門であり、本来の嫡流である奥州畠山(二本松)家が没落したのとは対照的に、庶流で代々衛門督や衛門佐に任じられた畠山金吾家(金吾は衛門府の唐名)が、紀伊、和泉、河内の3ヶ国守護に任命されたのが河内畠山家の始まりとなり、後に越中の守護も加えて、畠山氏の惣領格として代々管領を輩出する"三管領"の家柄となった。


しかし、金吾家第8代当主の管領・畠山持国には嫡出の男子がおらず、三弟の持富を養子として嗣子としていたが、後に持国は庶子の義就に後継者を変更したことから御家騒動が巻き起こる。そして、持富の子の政長と義就の派閥による相続争いがきっかけとなって「応仁の乱」を引き起こすことになる。


そして、「応仁の乱」の後も両家の子孫は内紛を続け、「応仁の乱」で西軍に就いた義就流畠山家は官途の上総介から畠山総州家、東軍の政長流畠山家は官途の尾張守から畠山尾州家と称して分裂し、総州家は主に大和と河内に勢力を有し、尾州家は紀伊と越中に勢力を有したのである。その後、総州家は三好家に敗れて滅亡し、現在は畠山尾州家が畠山氏の惣領格となっていた。


一方、能登畠山家は分裂する前の畠山金吾家の分家であるが、その分家発祥の経緯も異色であった。3代将軍・足利義満に蟄居処分を受けた兄・畠山満家に代わって、金吾家第6代当主を継いだ弟・満慶は、義満の没後に満家が赦免されると、家督を兄・満家に返還して「天下の美挙」と称えられた。金吾家第7代当主となった兄・満家は弟・満慶への感謝から分国だった能登一国を満慶に与え、畠山満慶を初代とする能登畠山家が分立され、満慶の官途の修理大夫から畠山匠作家(匠作は修理大夫の唐名)とも呼ばれたのだ。


そうした経緯もあってか、尾州家第5代当主・畠山稙長は幼少期から能登畠山家の畠山義元・義総父子と積極的な交流を行うなど、畠山尾州家と能登畠山家との仲は良好であり、稙長が生きている内は問題なかった。


しかし、天文14年(1545年)に稙長が急死すると暗雲が垂れ込める。子がいなかった稙長は仲が良かった能登畠山家の名君・畠山義総の子・義続を当主に迎えよと遺言しており、義総も畠山家が統一される機会だとこれを受け入れた結果、今紀伊で居候している義続が畠山尾州家の当主になるまで秒読み段階という状況になっていた。


ところが、稙長の死去からわずか2ヶ月後に、何と義総自身までもが病死してしまったことにより、義続が畠山尾州家を継ぐ話は白紙となり、義続は能登畠山家を継いでしまう。これによって後継者を失ってしまった畠山尾州家では、後継を巡って騒動が巻き起こった。


結局は稙長の弟・畠山政国が重臣の遊佐長教に擁立される形で畠山尾州家の当主となるが、一連の騒動で遊佐長教の権力が増大し、畠山尾州家は権威を落とすことになってしまう。そして、半ば傀儡化した畠山政国は長教と対立して出家し、紀伊に遁世してしまい、天文20年(1551年)に遊佐長教が刺客により暗殺されると、2年後に政国の子の畠山高政が畠山尾州家の当主を継いで、ようやく実権を奪回するに至った。


そして、その畠山高政と弟の畠山政頼に代わって、畠山尾州家の家督を継いだ現当主の畠山政尚や畠山尾州家の家臣たちが、畠山尾州家が凋落する原因となった能登畠山家の義続、義綱の父子に対して、どのような感情を抱いていたかは想像に難くないだろう。


しかしながら、畠山義続、義綱の父子は分家とは言っても、政尚自身にとって仮にも同族であり、先祖の畠山満家が弟の満慶から家督を譲られた恩義もあり、伯父の稙長の代までは良好な関係を築いていた能登畠山家の人間を無碍にすることもできず、結局は厄介者ながらも二人を居候させるという現在の状況に落ち着いていたのだ。


ところが、2月中旬のある日、その能登畠山家の父子が少し厄介な揉め事を起こすことになる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ