桑名の統治
夕方、正吉郎と惟蹊は久しぶりに兄弟水入らずで夕餉を取りながら、会話に花を咲かせていた。
「そうか、梓穂姫は元気か。やはり男親にとって娘は格別可愛いものだな」
「はい。まだ息子を持った気持ちは分かりませんが、目の中に入れても痛くないというほど可愛く思えます」
「うむ。この長島の一揆を何とか年内に片づけた後、年明けに統麟城から伊賀の玲鵬城に移ったら、年始の挨拶の際には姪の顔を見るのを楽しみにしておるぞ」
「はい。私も兄上に娘をお見せするのが楽しみです」
すると、正吉郎が何かを思い出したように惟蹊に話し掛ける。
「それはそうと嵯治郎。先ほどの話で仕官早々、主君のお前の命を救った目賀田次郎左衛門尉には褒美を与えたのか?」
「あっ、申し訳ございませぬ。失念しておりました」
「そうか。では、金品などではなく、新たな主君に仕えて生まれ変わった意味も込めて、お前の偏諱を授けてはどうだ?」
「なるほど、左様ですな! では、次郎左衛門尉、ここへ参れ。先の私の危機を救ったお主の働きへの褒美として、私の偏諱を授けよう」
部屋の隅に控えていた小姓の目賀田堅綱は突然の話に驚いて、慌てて平伏して返事をする。
「はっ、誠にかたじけなく存じまする」
「うむ。では、私の"惟"の字を授ける故、これからは目賀田次郎左衛門尉"惟綱"と名乗るが良い」
「ははっ、ありがたき幸せに存じまする! これより目賀田次郎左衛門尉"惟綱"と名乗らせていただきまする」
「これからの働きに期待しておるぞ」
「ははっ、これより一層の忠勤に励みまする」
こうして、目賀田惟綱は北畠惟蹊に生涯の忠誠を誓い、惟蹊の腹心の"友"として仕えることになるのであった。
◇◇◇
伊勢国・長島城。
その日の夜、「長島一向一揆」を率いる願証寺の証意と石山本願寺の坊官・下間頼旦が、長島城で酒を酌み交わしているところへ急報が届いた。
「申し上げます。本日昼過ぎに、桑名に寺倉軍の本隊が到着した模様にございます」
「「何だと! それは真か?!」」
「はい。およそ1万8千の兵かと存じまする」
「くっ、それでは北畠軍1万2千と合わせて、桑名には3万もの兵がいるのか。もっと早く桑名奪還に動くべきであったか。頼旦殿、如何なさるおつもりか?」
石山本願寺から一向一揆の戦闘司令官として派遣された頼旦は、冷静に戦力を比較して答える。
「我ら長島の門徒も桑名から逃げてきた門徒を合わせて、3万5千は下りませぬ。輪中の地の利もございます故、兵力では負けることはありませぬ。ですが、……」
「な、何か問題があるのか?」
「兵糧にございます。当初の長島の門徒1万ほどであれば、兵糧は1年は余裕で持ち堪えられましたが、今は3万5千を食わせることになった上に、桑名を失いましてございます。志摩水軍に海を封鎖されて満足に補給できない状況では、兵糧は後3ヶ月ほどで底を突くと思われます」
長島の一向一揆勢は桑名という補給基地を前提として門徒を集め、蜂起していたのだが、桑名を失った今となっては、皮肉にもその集めた大勢の門徒が足枷となったのである。
「何と……、では、門徒を増やし過ぎたのが失敗だったのか。何か策はござらぬのか?」
「ございます。桑名を失ったのならば、他の町を襲って兵糧を奪うしかありませぬ」
「ならば、顕如様の大垣攻めの指示には反するが、目と鼻の先にある津島を攻めるのが手っ取り早い策であるな」
「はい。拙僧も左様に考えており申した。津島を襲って兵糧を確保した後に、大垣を攻めれば問題はないかと存じます」
「なるほど、そうよな。では、正月前に津島湊に物資が集まる年末を狙って襲うとしようぞ」
「承知いたしました」
こうして「長島一向一揆」は次なる標的を津島の町に定めた。
◇◇◇
伊勢国・桑名。
翌12月15日の朝、嵯治郎が織田家に援軍を求める使者として、志摩水軍の船で清洲城に向かって出立した後、入れ替わるように松山城城代の前田利蹊が桑名にやって来た。
「正吉郎様、お久しゅうございまする。河内での戦勝、おめでとうございまする」
やはり"犬"の渾名どおりシェパードかドーベルマン辺りだろうか、ブンブンと尻尾を振っているのが目に浮かぶくらい、利蹊は満面の笑みを浮かべて俺との再会を喜んでいる。
「うむ。又左衛門も松山城での奮戦、話は聞いたぞ。5倍もの一向門徒を豪雨の中で完膚無きまでに打ち破ったそうだな。誠に大儀であった」
そう告げると、利蹊は褒められてさらに嬉しそうな顔になる。
「誠にありがたきお言葉にございまする。この『槍の又左』にすれば、一向門徒どもを蹴散らすことなど、朝飯前にございまする。わっはっは」
「いや、言わせてくれ。お主は寺倉家の誇りだ。よくぞ松山城を守り抜いてくれた。この寺倉左馬頭、心から礼を申すぞ。このとおりだ」
俺は利蹊に深々と頭を下げた。確かに松山城は一向一揆に備えて守りを固めた城ではあったが、正直に言えば、落とされたとしても大垣城で西美濃を守る二段構えであったため、利蹊が松山城を守ってくれればラッキーという程度の考えであった。それだけに僅か2千の兵で5倍の1万もの一向一揆勢を撃退したと聞いた時には、耳を疑ったほどだったのだ。
俺から面と向かって感謝を告げられることは、至極の喜びなのだろう。利蹊は目に涙を浮かべて狼狽している。俺は己の身を省みず、主家と主君のために戦った利蹊の忠義に心の底から感激していた。
「そ、そんな、正吉郎様、お止めくだされ。勿体のう存じまする」
だが、心を鬼にして言わなければならないことがある。利蹊が死んでしまっては元も子もない。利蹊は寺倉家随一の猛将であり、俺にとって利蹊を失うことは、松山城や西美濃を失うよりも遙かに大きいと危惧していたのだ。
「だが、一つ言っておかねばならぬことがある。松山城は奪われようが、後で奪い返すこともできよう。だが、お主の命はこの世に一つだけだ。又左衛門、お主が死んだら、一体、誰が桑名を治めると思っているのだ?」
「えっ?」
「良いか。私は長島の一向一揆を鎮圧した後は、松山城は役目を終える故に廃城とし、代わりに桑名に城を築いて、お主に桑名城城代と桑名郡の代官を任せるつもりでおったのだぞ。私の許しもなく、勝手に死ぬのは許さぬ。良いな? 分かったか?」
「は、ははっ、誠にかたじけなく存じまする。う、ううっ……」
「それとな、安濃津の一身田に浄土真宗高田派の本山専修寺がある。高田派は教義は近いが、一向宗の本願寺派と違って穏健な宗派だ。故に、長島の一向一揆を鎮圧した後は、一向宗は禁教と定め、桑名郡の領民を強制的に高田派に改宗させようと考えておる。そのために桑名に高田派の寺を建立して、桑名郡を上手く治めて見せよ。期待しておるぞ、又左衛門」
「ははっ、承知いたしました! この前田又左衛門、桑名を治めてご覧に入れまする!」
俺から桑名城城代と桑名郡代官の内示を受けて、利蹊は意気揚揚と決意表明したのだった。