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六芒星が頂に~星天に掲げよ! 二つ剣ノ銀杏紋~  作者: 嶋森航
祇園精舎の鎮魂の鐘

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兄弟の会談

伊勢国・桑名。


桑名の町を制圧した4日後の12月14日、北畠惟蹊は桑名の湊から長良川を挟んで北東に見える長島城を睨んでいた。正しく難攻不落の要塞たる長島城には一切の隙がなく、北畠軍は攻めあぐねていたのである。


「長島一向一揆」の牙城である長島城には、海から南蛮船で艦砲射撃をしようにも座礁の危険があるため近づくのが難しく、長良川西岸から大鉄砲を撃とうにも射程が僅かに足りずに遠距離攻撃ができなかった。


そうなると残る策は、川舟で接近しての火矢や鉄砲の攻撃、さらに輪中に上陸しての攻城戦しかない。そう判断した惟蹊は、昨日まで3日に渡って攻勢を仕掛けたものの、無数の一向門徒に攻撃を阻まれ戦況は停滞するばかりで、北畠軍は攻略の糸口を掴めずにいたのである。


しかし、そこへ希望の光が差し込む。昼過ぎに正吉郎率いる本隊1万8千がようやく桑名に到着したのだ。本来であればもっと早く着くべきところであったが、運悪く大和と伊賀が初雪の大雪に見舞われて山道を行軍できなくなり、大和から京、南近江を迂回して東海道を通ってきたため、堺を出立してから14日目の到着であった。


「兄上、到着をお待ちしておりました」


「嵯治郎、随分と遅くなって済まなかったな。まずは俺の到着するまでの一向一揆の状況を説明してくれるか?」


正吉郎は北畠軍が拠点としている桑名の会合衆の屋敷に入って旅装を解くと、一服しながら、弟の惟蹊に戦況を訊ねる。


「はっ。まず松山城ですが、私が北畠軍を率いて到着する前に、既に又左衛門殿が城兵の5倍もの一向一揆勢1万を見事に撃退されておりました。その後、一向一揆の補給を断つために志摩水軍に長島を海上封鎖させ、4日前に桑名の町を制圧しましたが、町衆の半分は長島に逃げられてしまいました。ですが、その長島城には艦砲射撃や大鉄砲が届かず、近寄ろうにも一向門徒の守りが堅く、未だ攻める糸口を掴めておりませぬ。私の力が及ばず、誠に申し訳ございませぬ」


惟蹊は兄・正吉郎に頭を垂れたが、正吉郎が来たことで一向一揆に勝つ光明を得たからだろうか。その顔には自嘲めいた表情は見あたらなかった。以前の惟蹊ならば正吉郎に対する引け目から、兄に頼らざるを得ない己の非力さを嘆いて、自身を卑下していただろう。


そんな以前とはどこか違う、毅然とした雰囲気が感じられる惟蹊の様子に、正吉郎は一瞬瞠目しながらも、首を横に振って言葉を返す。


「いや、そんなことはないぞ。嵯治郎は長島を海上封鎖し、桑名の町を制圧し、一向一揆勢を長島の輪中に追い込んだではないか。俺の到着する前に嵯治郎が桑名の町を押さえてくれたのは、大いに助かったぞ。よくやったな」


「ですが、実は桑名の町を攻める際に、私の油断によって兵を無駄に死なせてしまい申した。桑名の民をなるべく殺したくはなかったがために、一向門徒の異常さを知らずに降伏するという嘘を真に受けてしまい、町に送った将兵が襲われてしまい申した。これは我が不徳にございまする」


「そうか。だが、それはお前の桑名の民を救おうという慈悲の心は褒められてしかるべきで、責められる謂れなど少しもないぞ。俺もお前の立場だったならば迷わずそうしていただろう。……だが、今の話を聞いて、俺も腹を括ったぞ。奴らに情けを掛ければ此方が喰われるだけだ。情け容赦なく一切を根切りにして叩き潰し、これ以上一向宗に洗脳される者を増やさぬようにせねばならぬ!」


正吉郎は拳を握って天を仰いだ。


「左様にございますな、兄上。私も桑名の町に入った際に子供の一向門徒に襲われそうになったところを次郎左衛門尉に助けられ、一向門徒には情けは無用だと心に刻みました」


だが、寺倉軍には一つ大きな懸念があった。


「うむ。本来ならばすぐにでも長島城を攻め落としたいところだ。だが、寺倉軍は高屋城での戦から堺の包囲戦と続いて休む間もなく、さらに14日も掛けて雪道をここまで行軍してきたため、かなり疲弊している。今の状態で戦ったところで長島城を落とすのは困難を極めるだろうし、無駄に兵を失うだけだ」


過酷な雪中行軍によって戦闘に入る体力も気力も失われていた寺倉軍には、堅牢な長島城を落とす力は残っていなかったのである。


「では、如何されるのですか、兄上?」


「うむ、まずは寺倉軍の兵たちには、しばらく休息を与えるのが先決だな。その間に織田に援軍を頼もうと思う」


「織田に、でございますか?」


「あぁ、織田には先の武田との戦で焼津に援軍を送っただろう? 実はな、その対価として長島を征伐する際には援軍を出してもらう約定を尾張守殿と交わしていたのだ」


寺倉家は以前、「焼津の戦い」で織田家に援軍を送った。その対価を正吉郎はまだ受け取っていなかったのである。寺倉家単独での「長島一向一揆」征伐は可能と言えども、損害が大き過ぎると考えた正吉郎は、信長との約定を使うことにしたのである。


「なるほど、左様な経緯がおありでしたか。ですが、兄上。織田も三河で一向一揆の蜂起に難儀しており、今月初めには安城城を落とされたと聞き及んでおりまする。たとえ約定があろうとも、尾張守殿も我らに援軍を送るのは難しいのではありませぬか?」


惟蹊の疑問は至極当然であった。だが、正吉郎は瞑目して首を横に振る。


「確かに織田は『三河一向一揆』に苦境に立たされている。だが、何も四六時中、一向一揆と戦をしている訳ではない。素破の報告によれば、安城城を落とした一向一揆勢1万だが、戦いには勝ったものの安城城の城兵の決死の抵抗でかなりの数の負傷者が出たため、今しばらくは傷を癒して態勢を整える時間が必要のようだ。一方の織田も遠江や駿河から兵を集めて矢作川東岸の岡崎城の守りを固めようとしている状況で、今は両者とも互いに手が出せずに、一時停戦の状態になっているようだな」


惟蹊は兄の情報収集の正確さに驚き、口を半ば開けて聞き入っている。


「それに長島への援軍は織田にとっても利のあることだ。長島は伊勢国に属しているとは言え、尾張で一番の商業の町である津島の目と鼻の先にあり、ほとんど尾張のようなものだ。此度の戦も一向一揆勢が松山城に進軍していたから良かったものの、もし津島の町を狙って兵を進めていたならば、織田は『三河一向一揆』と板挟みになって今以上の窮地に追い込まれていたに違いない」


「確かに左様でございますな。長島の一揆勢はなぜ津島を狙わずに、松山城を襲ったのでしょうか? 少々腑に落ちませぬが」


「おそらくは松山城を落とした後、大垣の町を狙ったのであろうな。そして津島を狙わなかったのは、此度の長島と三河の示し合わせたような蜂起が石山本願寺の指示によるものだと考えられるからだ。おそらくは顕如からの指示で、長島の一向一揆は美濃の寺倉領を、三河の一向一揆は織田領を襲え、という役割分担になっていたのであろうな」


「確かに長島と三河が同時に蜂起するのは石山本願寺の指示以外に考えられませぬな」


惟蹊は一向一揆の背後に石山本願寺の陰謀があると知り、内心で驚愕していた。


「それと、織田は安城城を奪われて兵の士気も下がっているはずだ。ここで同じ一向門徒である長島の一向一揆を討てば、自ずと家中の兵の士気も上がるであろう。三河の一向一揆勢と再戦する前に、尾張守殿も兵の士気は上げておきたいところであろうからな」


「なるほど、得心が行き申した。織田にとっても長島の一向一揆は決して放ってはおけない敵であり、三河の一向一揆と戦う前に長島を潰しておきたい理由がある訳ですな」


「そうだ。故に、ここは織田の力を借りようと思う。そこで後ほど尾張守殿へ文を書く故、嵯治郎、お前が使者として清洲に明日赴いて、今の話を尾張守殿に伝えてはくれぬか?」


「はい、承知しました。重要な話です故、私もそれが宜しいかと存じます」


正吉郎の話に納得した惟蹊は、織田家に援軍を求める使者として清洲城に向かうこととなったのである。

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