堺の戦い⑧ 会合衆の失態
時は遡り、寺倉との降伏交渉が終わり、会合衆の3人が堺の町に戻ったその夜、降伏交渉の結果を聞くために、会合衆の面々は油屋常琢の屋敷に集まっていた。そして、油屋常琢から堺の自治が認められることになったと聞いて、会合衆たちはホッと胸を撫で下ろした。
「まずますの上首尾でしたな。やはり"六雄"の筆頭格と言えども、所詮は23歳の武家の若造にございまするな。交渉事で我ら堺の会合衆に敵うはずなどなかろう。ふっふふ」
鋳銭所の管理権を寺倉に召し上げられたのは手痛い損失であったが、それを除けば降伏交渉が上々の首尾で終わったと強硬派の松江隆仙がほくそ笑むと、他の会合衆たちの顔にも笑みが零れる。
だが、それも束の間、会合衆のナンバー2の高三隆世が降伏条件の詳細を説明すると、会合衆の強硬派で、金貸しを営む紅屋宗陽がすぐさま血相を変えて怒鳴り出した。
「大馬鹿者! 何が上首尾だ! 我らは寺倉典厩にしてやられたのが分からんのか! いいか、半年先まではまだ良い。だが、11ヶ月目、12ヶ月目ともなれば話は違ってくる。11ヶ月目は10240貫文、12ヶ月目は何と、20480貫文もの矢銭を払わねばならんのだぞ。つまりは総額で4万貫文(約40億円)以上になってしまう。だからこの儂が交渉の場に行くべきだったのだ! 塩屋殿がいながら気付かなかったのか?」
強硬派の紅屋宗陽が、敵対する穏健派の塩屋宗悦を睨みつける。
「「な、何と! それは真か?!」」
他の会合衆たちは慌てて紙に数字を書き並べ、紅屋宗陽の言うことが真実だと初めて悟り、寺倉が出した条件が如何に自分たちに不利であるかに気づいた。
「堺の大商人たる会合衆が、銭勘定で武家に手玉に取られるとは何たる失態か!」
茜屋宗左が商人の縄張りとも言える算術で武家に騙されたのを嘆く。正吉郎の他に選択肢はないという脅しと威圧に加えて、"堺の町の復興費用のため"という名目で、今月は僅か10貫文で良いという甘言に乗せられ、まんまと策略に嵌められてしまったことに気づいても、今さら後の祭りであった。
「寺倉典厩とは一体、何者なのです? とんだ食わせ者ですぞ。ただの武家の若造がこのような策謀を思いつくとは到底考えられませぬな」
「そのような呑気な事を申しておる場合ではなかろう! 寺倉典厩が何者か詮索したところで今さらどうにもなるまい」
「大事なのは、この条件を熊野の牛王宝印に書いた起請文を寺倉典厩と取り交わしたということです。油屋殿、一体いかがなさるおつもりですかな?」
正吉郎の策謀に驚きの声を上げる今井宗久を津田宗及が諭すと、千宗易が最も肝心な問題を指摘して、油屋常琢に問い質す。
「拙い、拙いぞ」
会合衆の筆頭・油屋常琢は顔面蒼白となり、ぶつぶつと呟いて呆然自失といった様子であった。
「いずれにしても4万貫文もの大金など、払う訳には行かぬぞ!」
「儂も支払うつもりはないぞ!」
強硬派の松江隆仙と紅屋宗陽が声高に主張すると、他の会合衆たちも4万貫文という金額の大きさに震撼する。
「くっ、こうなれば寺倉典厩も殺す他あるまい。もはや一人も二人も同じことよ。畠山左衛門督を殺した時のように、儂の毒薬を使えば始末できるであろう」
ようやく気を取り直したのか、油屋常琢は暗い笑顔を浮かべて告げる。常琢の本業は高名な薬屋であるため、素破の筋から聞いた様々な毒薬の製法もお手の物だったのである。
「油屋殿、それは余りに危険すぎまする! 寺倉典厩が死んでも寺倉には嫡男や弟の北畠伊勢守がおりまするし、京を押さえる"六雄"の蒲生もおりまする。それに、ここで典厩を殺したところで、取り交わした起請文の内容は無効にはなりませぬ。むしろ我らは死罪となって自治権は召し上げられるだけにございます。それどころか、堺の町を包囲する寺倉軍から総攻撃されて、堺の町が壊滅するのは確実にございますぞ」
「左様。百害あって一利なしと存じます。皆の衆もそうは思いませぬか?」
油屋常琢の提案に対して2人だけがすかさず反論する。穏健派の塩屋宗悦と山上宗二である。2人は畠山政頼の殺害は不承不承認めたものの、堺の町をこれ以上危険に晒すような真似は断じて許すことができなかったのだ。
しかし、他の会合衆たちは2人の主張に頷こうとはしなかった。"3人集まれば派閥ができる"と言うが、会合衆10人にも派閥があった。強硬派の松江隆仙と紅屋宗陽、穏健派の塩屋宗悦と山上宗二、そして中間派の6人である。
塩屋宗悦は返碁、石鹸、蚊帳、羽根布団、算盤、焼酎、伊賀焼、炭団、手押しポンプといった寺倉家の商品を扱って大儲けしており、寺倉の御用商人だと陰口を叩かれていた。若い商人たちの代表格でもある23歳の山上宗二は、亡くなった父親が宗悦と親友だったため、宗二も穏健派と目されていた。
対する強硬派の2人は穏健派とはことごとく意見が対立する存在であり、残る中間派は日和見主義で筆頭格の油屋常琢の顔色を窺うだけのような者たちであった。したがって、常琢の提案に異を唱えることなどなかったのである。
さらに言えば、彼らは近年になって堺の町よりも繁盛していると噂される松原湊をライバル視しており、その松原湊を有する寺倉家のことが気に食わない、有り体に言えば嫌っていたのである。したがって、正吉郎が死ねば溜飲を下げられるという感情が先行し、堺の町が壊滅するという宗悦の意見になど耳を傾けようともしなかったのである。
「どうやら儂の意見に反対なのはお主たちだけのようだな。多数決は会合衆の掟だぞ」
「常琢殿! もう一度お考え直しくだされ! 寺倉典厩を殺せば堺の破滅ですぞ!」
「ええぃ、五月蝿い! 多数決に従わぬと言うのならば、お主たちに会合衆の資格はない。二人に計画を邪魔されても困るな。おい、二人を牢に入れておけ!」
会合衆の中でも一際強い権力を持った油屋常琢は、説教臭くて目の上のたん瘤のような目障りな存在であった塩屋宗悦を政敵と見做して、普段から人一倍厳しい姿勢を取っていた。そして今、自分の意見に真っ向から反論して筆頭格としての面目を潰された常琢は、この機に宗悦を会合衆から排除しようと企んだのである。
他の会合衆たちに羽交い絞めにされて部屋から連れ出されようとも、なお必死に叫ぶ宗悦と宗二だったが、その言葉が常琢の耳に届くことはなかった。
だが、油屋常琢は知らなかった。寺倉家の素破が天井裏に潜んでいたことを。
◇◇◇
和泉国・堺の郊外。
「そうか。やはり俺の暗殺を計画したか」
「左様にございまする。如何いたしましょう。消しますか?」
植田順蔵の冷徹な声色に思わず身震いしそうになるが、一瞬眉を寄せるだけに留める。
「構わぬ。捨て置け。ここで殺せば俺が誓紙の約定を破ったことになる」
俺は溜息を吐いて答える。会合衆の奴らも愚かなことを考えるものだ。俺が死んだところで家臣たちが会合衆を根切りにするだけだ。蔵秀丸はまだ5歳だが、嵯治郎が支えてくれるだろう。蒲生だって黙っちゃいない。そうなれば堺は破滅だぞ。
「はっ。ならば如何いたしまするか?」
「これも目論見通りだ。ここは奴らの策に乗ったと見せ掛けるのだ。要は毒茶を飲まねば良いのだ。俺を暗殺しようとしたのが明白となった時点で、会合衆は全員磔刑だ」
「当然ですな。ただ、一つ気がかりなことが……」
「む、何だ? 申してみよ」
「会合衆の塩屋宗悦と山上宗二という2人が、正吉郎様の殺害に反対し、会合衆から追放されて、牢に閉じ込められたようにございまする」
「ふむ、塩屋宗悦か。昼の交渉の場にいた穏健派の男だな。俺の暗殺に反対したのならば少しは信用できそうだな。俺も堺の町衆をまとめ上げるのは難題だと考えていた故、会合衆を処刑した後には塩屋宗悦を町衆のまとめ役にして、津守への引越しを先導させよう」
「なるほど。良きお考えにございまするな」
「一両日中には茶会の誘いが来るだろう。万一のことがないよう、素破は増やして腕の立つ者を用意しておいてくれ」
「ははっ、承知いたしました」
こうして、その2日後、俺は会合衆からの招きに応じて、堺の町を訪ねたのであった。




