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蒲生家の御家騒動③ 父子の和解

忠秀軍が大津城を包囲して4日目の爽やかな秋晴れの朝、白装束を身に纏い、顔は終始俯かせて大津城の城門に現れた忠秀に対して、大津城の案内役は忠秀の顔を知らず、忠秀が寸鉄も帯びていないことから不審に思うこともなく、評定の間に案内する。


忠秀は上座に座る宗智の前で跪き、徐に顔を上げると、宗智の顔を見据えた。


「なっ! お前、ここで何をしておる! 一体何をしに来おったのだ!」


宗智は忠秀の顔を認識すると、ぎょっとして目を見開いて驚き、慌てた様子で声を荒げた。


「見ての通りにございまする。某は死を覚悟し、この愚かな戦を終わらせるために使者としてここに罷り越し申した」


周りの蒲生家譜代の家臣らも驚きを隠せない様子で目を見開いている。


「愚かな戦とな。……ふふっ、確かにそうだな。だが、ここでお前が死ねばその戦も終わるのだぞ?」


宗智がギラッと鋭い眼光で忠秀を睨みつけて恫喝する。


「父上、某は寺倉伊賀守殿に頼み込み、此度の援軍を借り申した。しかし、伊賀守殿は援軍を頼む某に『蒲生家は臣従などしてはならぬ』と申されました。『臣従せずとも援軍の要請には相応の対価を以って応じる』との言質もいただき申した」


「……それは真か?」


宗智は驚きというよりも、拍子抜けしたような表情を浮かべる。宗智はこの戦に勝利することで忠秀に父の威厳を示し、寺倉家に臣従せずとも蒲生家はやっていけるのだと見せつけようと考えていた。


無論、父の威厳などは忠秀自身も疾うの昔に知っている。宗智の最も身近にいた人間だから当然なのだが、忠秀から哀れむような目を向けられて激高した宗智は、父としての威厳を再び見せつけねばならないと切羽詰まっていた。


しかし、此度の戦の動機となった最も大きな意義が失われるとなれば、父の威厳という宗智個人の感情などもはや問題ではなくなってしまう。


「某は生まれてから一度も父上に嘘など吐いたことなどございませぬ。故に父上、もはやこの戦は無用にございまする。これ以上長引かせれば三好を喜ばせるだけにございまするぞ」


忠秀は端然とした様子で言い放った。宗智はジッと忠秀の目を見据えたが、その目から嘘偽りは全く感じ取ることができなかった。


「……そうか。儂は負けたのだな。伊賀守殿も恐ろしい御方よ。わざわざ1万5千もの大軍を援軍に出して儂に野戦を諦めさせ、蒲生家の兵を損なわぬように気遣われるとは。やはり伊賀守殿には敵わぬか。まだ童だった頃に伊賀守殿を見出した儂の目に狂いはなかったのぅ。お前も臣従することなく、よくぞ寺倉家から此度の援軍を引き出したな。もう立派な蒲生家の当主よのぅ」


宗智は先ほどとは打って変わって柔らかな表情となり、穏やかな口調で忠秀に語り掛ける。


宗智はこの戦国の乱世で武力や策謀を駆使し、主家たる六角家を下克上により討ち果たし、戦国大名として生き抜いてきた自分の足跡に誇りを抱いていた。


しかし、時代は確実に変わりつつある。寺倉家を中心とした六家により、平和な世が一歩一歩着々と形作られつつある。これからの天下泰平の世を支えていくのは、交渉力や決断力を兼ね備え、愚直で合理的な思考をする忠秀のような人間であり、もはや自分のような戦しか取り得のない老いぼれの出る幕ではないのだと思い至った。


それに加えて、忠秀は白装束を身に纏い、単身で敵しかいない敵城に乗り込んで来たのだ。一つ間違えれば犬死だ。そんな危険を冒してもなお動じることのない胆力もある。


宗智はここに至って初めて忠秀を蒲生家当主として認めた。これまでは己の限りある命の刻に焦り、当主たる忠秀に実権を委ねず蔑ろにしてきた。


それが決して蒲生家の未来のためにはならないことは、宗智も心のどこかで察していた。だが、過去の因果に囚われ、自ら内紛を起こすことになり、これまで先祖代々が築き上げてきた蒲生家を御家存亡の危険に晒してしまった。


還暦間近にもなってなお感情に振り回され、全く自制できなかった事実を突きつけられ、宗智は愚かな己を恥じて目を伏せる。


「これで蒲生家も安泰というものよ。もはや儂も思い残すことはない」


死を覚悟した人間はここまで美しく見えるのか。実の父のそんな姿は見たくはないと、忠秀は口調を荒げて宗智に告げる。


「父上! 父上にはまだ生きて働いてもらわねばなりませぬ! 某もまだまだ未熟な身故、このまま死ぬなど、蒲生家当主たるこの私が絶対に許しませぬ!」


忠秀にとっても父が死ぬことは本望ではなかった。むしろこれからの蒲生家にとっても無くてはならない存在だ。宗智が死ねば家中の統率も取れなくなり、それこそ寺倉家に臣従しなければならない状況にまで追い込まれる可能性だって十分に考えられる。


「……その目、どこかで見たことがある。あぁ、江雲様か。よもや我が子の姿が江雲様と重なるとはな」


"蒲生定秀"は目の前の息子の姿に、今は亡き主君、六角定頼の若き日の面影が重なって思い起こされ、「冥土に来るにはまだ早いぞ」定頼がそう語り掛けたように聞こえた。


「父上?」


忠秀が怪訝そうに宗智の顔を覗き込むと、忠秀の目には父の生き生きとした表情が映り込んだ。父の目には力が宿っており、全盛期を思い起こさせる鋭い眼光を放っていた。


「ふふっ、どうやら死ぬにはまだ早いらしいの。生き恥を晒すようだが、もう少しだけ無様に足掻いてみるとするか。では、まずは伊賀守殿に此度の件を詫びねばならぬな。ところで、忠秀、此度の援軍の伊賀守殿への対価は何なのだ?」


「はっ、伊賀守殿はこの秋に佐渡島へ侵攻する際の援軍を求められ申した」


「ほぅ、佐渡とな。だが、佐渡への援軍で数千の兵を出す程度では、此度の援軍の対価としては些か少なすぎよう。お前もそうは思わぬか?」


「はい。某も左様に存じまする」


「では儂も誠意を見せねばならぬな。世を乱すに等しい愚かな行いをしたのだ。蒲生家が寺倉家と対等であるためにも、潔く頭を下げねばならぬな」


晴れ晴れとした顔で言い放った宗智には先刻までの思いつめた様子は一切ない。以前のような尊敬する頼もしい父の姿を見て、忠秀は最近見せることのなかった満面の笑みを浮かべて告げる。


「某も同行いたしまする」


こうして宗智と忠秀は無事和解に至り、すぐに大津城を船で出立して正吉郎の居城・統麟城へと向かったのであった。




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