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六芒星が頂に~星天に掲げよ! 二つ剣ノ銀杏紋~  作者: 嶋森航
混迷の天下惑乱

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生駒の戦い

俺は志摩十三地頭との会合を終えて居室に戻ると、市はなんだかとても満足したような顔で何かに浸っていた。あまりにも幸せそうな顔だったので、俺は思わず吹いてしまった。


「なっ、なんですか、正吉郎様!」


市はようやく気付いたのか、クククッと笑う俺に訝し気に視線を向けると、すぐに顔を背けてしまった。


「なんでもないぞ。それで、市こそ何かあったのか?」


俺はニコニコと笑みを浮かべながら市の横に腰を下す。


「いえ、ただ海の幸の料理を食べただけですよ!」


どうやら市は俺が不在の間、志摩の魚介料理を食べていたらしい。志摩の名物といえば伊勢海老や牡蠣、鮑だ。


実は昨日、俺は料理番に命じて揚げ物の作り方を伝授していた。せっかく慰安旅行も兼ねて志摩にまで来たのに、市を放ったらかしにしてしまうのは憚られたからな。市の大好きな食べ物を心ゆくまで食べさせてやりたかったのだ。お陰で退屈はしなかっただろう。


伊勢海老のエビフライや志摩の天然牡蠣のカキフライなんて贅沢な料理は、現代では滅多に食べられない。俺も後で食べることにしよう。タルタルソースがあれば言うことなしなんだが、そこは我慢するしかないな。


俺が戻って来た時の市はきっと、美味しいものを食べた後で幸せに浸っていたのだろう。いつもと変わらない市の様子に、俺は再び笑みが零れてしまう。


「むぅ。何が可笑しいのですか!」


「いや、すまん、すまん。やっぱり市は美味しい食べ物が好きなんだなと思ってな」


「それは全然嬉しくありません! 正吉郎様は意地悪です」


市は照れて恥ずかしいのか、再びプイッと顔を背けた。


「すまん、すまん」


俺は市の頭を撫でた後、優しく市を抱き締めた。市もまんざらでもないようで、赤く染めた顔を緩めていた。


「そう言えば、正吉郎様は先日、南蛮船を見ていらっしゃったのですよね。如何でしたか?」


「ああ、日ノ本の船よりも一回りも二回りも大きくてな。初めて見た時は驚いたぞ。あれは戦で使えそうだ。あの船があればどこの水軍にも負けはせぬだろう」


市は何やら複雑な表情を浮かべながら、目を俯かせていた。


「正吉郎様は最近、戦のこととなると嬉々として語っているように見えます。私はそれが好ましいこととは思えないのです。そんなことを考える私は戦国大名の妻としては失格ですね」


市は自嘲するように弱々しく笑った。俺は冷や水を浴びたようにハッとなる。


俺は戦闘狂ではない。愛する妻にそんな風に感じさせるほど、最近は戦に明け暮れていたという証拠なのだろう。


「……早く平和な日ノ本を作らねばな。こんなことを考えなくて済むような、戦ではなく、笑顔の絶えない日ノ本をな」


そのためにはもうじき迎える統麟会談をなんとしても成功させねばならない。俺は今一度気を引き締めて、沈みつつある黄昏時の夕焼けを見つめたのだった。






◇◇◇




志摩十三地頭との会合を終えた2日後の朝、志摩での用件を終えた俺たち一行は、小浜城を出立して玲鵬城への帰途に就いた。


その日の夕方に伊勢の大河内城に立ち寄ると、嵯治郎に伊勢の長い浜辺を利用した「流下式塩田」による製塩方法と、その塩を使った味噌と醤油の生産法を記した書を伝授した。


これには嵯治郎よりも鳥屋尾満栄ら北畠家臣の方が驚いて感激していたな。これで北畠家臣の寺倉家への忠誠心が少しでも高くなってくれれば、嵯治郎も伊勢国の統治がやり易くなるだろう。


そして、俺は玲鵬城に帰還し、再び伊賀国主として忙しい日々を過ごした後、雪解けの季節を迎えた3月上旬、俺たち家族や重臣たちは本城の統驎城に戻ったのであった。





◇◇◇





正吉郎が志摩国を訪問していた2月下旬、畿内では三好三人衆により幕府の次期将軍として擁立されていた足利義親が、摂津国普門寺城にて朝廷より征夷大将軍任命の宣下を受け、正式に室町幕府第14代将軍に就任した。


そして義親は将軍への叙任を受けると同時に、足利義栄へと名を改めた。


とはいえ、義栄は三好三人衆に操られた名前だけの傀儡の将軍だった。そのため、三好三人衆と松永久秀の抗争の苛烈化と三好三人衆が京で義栄に変な気を起させないように考えたため、さらには義栄自身が患っていた病の療養のため、義栄は将軍という地位を得ながら、京に入ることは叶わなかったのである。


三好三人衆と松永久秀の両陣営は、今年に入ると各地で衝突が多発していた。というのも、三好三人衆が筒井藤政ら大和国人衆と結託したのに対して、久秀は畠山家と手を組んだのだが、今年に入ってから三好長慶の三弟・安宅冬康ら一門衆から三好三人衆に加担する者が増えたためである。


河内・和泉・紀伊の三国を治める畠山は三好にとっては仇敵とも言える存在である。その憎き畠山と手を組んだことで、久秀は三好家の一門衆から不興を買って謀反人と見做されることとなり、一門衆が一斉に三好三人衆側に就く事態を招いたのであった。


そして3月中旬、三好・筒井軍と松永・畠山軍は大和国北西部の生駒で衝突する。


久秀は畠山の援軍を借り、1万を超える大軍を率いて生駒の南側に布陣していた。それに対して北側に布陣する三好三人衆の軍勢は半分の5千。戦力差は歴然であった。


「三好の腰抜け共は動かぬか」


「左様ですな。こちらの動きを窺っているようにございます」


戦力的に不利な三好三人衆側は生駒に布陣しても一向に動こうとはしなかった。久秀が兵数差に恐れ慄いていると捉えても何らおかしくはなかった。


それは畠山が三国を治める大名ということもあり、三好三人衆側は対畠山の最前線である河内・和泉方面にもある程度の守備兵を残さねばならず、二方面で作戦を行わざるを得ない状況に立たされていたためだ。


一方の松永・畠山軍はと言えば、三好・筒井軍の倍の戦力を持ちながらも、久秀自身が主家である三好家に正面切って弓を引くことに未だに躊躇いがあり、先手を打って仕掛けるのは手控えていた。


しかし、その膠着状態も10日ほどを経て途切れることになる。これまで全く動こうとしなかった三好軍が突如として前進を開始したのだ。これに久秀は真っ向から応戦する。


だが、10日間の膠着状態に久秀は背後への警戒が薄れていたのか、松永・畠山軍は背後からじりじりと迫り来る軍勢の存在に気づかなかったのである。


というのも、生駒の位置する大和国北西部は東西を2列の山地に挟まれた南北に細長い地形であり、東西への移動は非常に難しい場所であった。


そう、三好三人衆は筒井藤政ら大和国人衆の援軍を待っていたのである。大和の地形を隅々まで知り尽くした筒井軍は行軍の速さも群を抜いており、大和を簒奪した松永久秀への復讐心に燃えて生駒の最南端から吶喊してきたのだ。


まんまと罠に嵌る形となった松永・畠山軍は、生駒の南北からの挟撃を受けることになる。幾ら兵力に勝る軍勢と言えども、前後から挟撃を受ければ一たまりもない。


特に南側の最後方の本陣に布陣していた久秀は、すぐ背後から筒井軍に急襲される形となり、すぐさま退却を命じると、這々の体で戦時の居城である多聞山城へと逃げ帰った。


この「生駒の戦い」の敗戦により、松永久秀の大和国における支配力は大きく減退し、大和国の諸城は筒井藤政によって次々と攻め落とされていった。


久秀はこれに歯噛みしながら対抗するものの、大和国人衆の援護を得た筒井軍に敵わず、久秀は衆寡敵せず大和から撤退し、堺へと追われることとなったのであった。

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