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るい's Journey!  作者: コリドラスA
第弐章『網』
23/25

第弐拾弐節『休息』 Der zweiundzwanzigste Abschnitt : “Atem”

天環暦2110年07月04日。


 月に二度、るい(・・)はダニエラの屋敷に通う。三日と、十八日。エルメンガルトが定めた日である。午前に処置、午後は禁書庫。翌日は診立てのために、また通う。処置は、地味であった。劇的なことは、何も起こらぬ。るい(・・)はクラーラの寝台の脇に椅子を置き、咒眼(ツァウバアウゲン)で内部を視(み)ながら、牽(けん)の紋で骨を動かす。一度に動かすのは、髪(かみ)一筋ほどである。それ以上動かせば、周囲の組織が付いてこられぬ。靱帯が裂け、血管が切れ、神経が引き伸ばされる。

 ゆえに、髪一筋。二刻かけて、脊柱の全体を、髪一筋分だけ捻り戻す。そして、動かした位置に留めるための処置を施す。骨の周りの組織を、新しい位置に合わせて作り替えてゆく。其(そ)れをやらねば、翌日には元に戻る。二刻…月に二度…一年で、二十四回。二十四回の髪一筋が、脊柱(せきちゅう)の弯曲を、漸(ようや)く目に見える程度に改める。


          *


 痛みは、完全には遮断できなかった。自分の時は、『電気パルス』の咒紋式で痛覚の中枢に直接干渉した。意識を明瞭に保ちながら、痛みだけを切った。他人には、できぬ。自分の脳であれば、何処(どこ)に何があるかが判る。自分の感覚として、干渉の結果が即座に返ってくる。手応えがある。他人の脳には、手応えが無い。深く干渉すれば、意識に触れる。触れれば、何が起こるか判らぬ。記憶が損なわれるかもしれぬ。人格が変わるかもしれぬ。其(そ)れは、るい(・・)が最も知っている事態であった。ゆえに、浅くしか干渉しない(・・・・・・・・・)。

 痛みは、半分ほどしか消えぬ。

「……クラーラ樣」

「はい」

「痛みますか」

「……少し」

 娘は、いつもそう答えた。少し、と。だが、るい(・・)には咒眼(ツァウバアウゲン)がある。処置の間、クラーラの筋がどう緊張しているかが視(み)える。少し、ではなかった。


          *


 三度目の処置の後、るい(・・)は椅子を寝台の脇に寄せた。

「クラーラ樣」

「はい」

「嘘(うそ)は、おやめください」

 娘は、少し目を見開いた。

「……嘘、でございますか」

「痛みの度合いにございます。私(わたくし)には、視(み)えております」

 クラーラは、暫(しばら)く天井を見ていた。それから、少し笑った。

「……お姉樣に、聞こえますので」

 るい(・・)は、扉の方を見た。処置の間、ダニエラは部屋に入らぬ。るい(・・)が集中を要するからである。だが、扉の外に居る…二刻、ずっと居る。

「……お姉樣は、私(わたくし)が痛いと申しますと、其(そ)の晩に眠れませぬ」

「……」

「私(わたくし)は、痛いだけにございます。お姉樣は、其(そ)れをどうにもできませぬ。……どちらが辛いかと申せば、私(わたくし)は、自分の方が楽だと存じ(・・・・・・・・・・)ます(・・)」

 るい(・・)は、返す言葉が無かった。十四である。この娘は十四で、寝台から出られず、二年しか無いと言われている。そして、姉の眠りの心配をしている。

「……クラーラ樣」

「はい」

「私(わたくし)には、仰(おっしゃ)ってください」

「……」

「私(わたくし)は、其(そ)れを聞いて眠れなくなる者ではございませぬ。且(か)つ、痛みの度合いが判らねば、処置の加減ができませぬ」

 るい(・・)は、下物の紙を出した。

「其(そ)れから、之(これ)をお使いください」

 紙には、線が一本引いてある。左端に零、右端に十。等間隔に目盛りが刻まれている。

「痛みの強さを、数でお答えください。零が痛みなし、十が耐えられぬ痛み」

 クラーラは、紙を見た。そして、暫(しばら)く見ていた。

「……之(これ)は」

「痛みの物差し(・・・・・・)にございます」


          *


 娘は、紙を手に取った。そして、指で目盛りをなぞった。

「……数で(・・)」

「はい」

「痛い、を、数で(・・)」

「はい」

 クラーラは、顔を上げた。目が、妙(みょう)に明るかった。

「……できるのですか。其(そ)のようなことが」

「できます」

「痛いは、(・・・・)言葉でございましょ(・・・・・・・・・)」

 るい(・・)は、少し笑った。

「言葉では、比べられませぬ」

「……」

「先月の痛みと今月の痛み、どちらが強かったか。……『少し痛い』と『少し痛い』では、判りませぬ。ですが、『四』と『六』であれば、判ります」

「では、同じ四でも、刺すようなものと、締め付けるようなものでは」

 るい(・・)は、一度止まった。

「……種類を、別に記した方が宜しゅうございますな」

「数字だけでは、足りませぬのですね」

「左樣です。数字は、言葉を捨てるためのものではございませぬ」

「分かりました」

 娘は、紙を胸に抱えた。そして、暫(しばら)く動かなかった。

「……シュタインエック樣」

「はい」

「私(わたくし)は、十四にございます」

「はい」

「四つの頃から、醫者に『痛いか』と訊かれてまいりました。十年にございます(・・・・・・・・)」

 クラーラは、紙を見た。

「十年、(・・・)『少し』としか答えら(・・・・・・)れませんでした(・・・・・・・)」


          *


 その日から、クラーラは数で答えるようになった。しかも、極めて正確に。処置の最中、るい(・・)が「今は」と訊けば、「三」「五」「七」と即座に返る。るい(・・)が咒眼(ツァウバアウゲン)で視(み)た筋の緊張と、殆ど一致した。そして、三度目には、娘の方から言い始めた。

「シュタインエック樣」

「はい」

「先ほどの箇所、二でした(・・・・)」

「……二」

「はい。先月の同じ箇所は、五にございました」

 るい(・・)は、手を止めた。

「……覚えておられるのですか」

「書いております」

 娘は、寝台の脇の卓を指した。紙が、積んである。るい(・・)が渡した目盛りの紙が、月ごとに。そこには、日付と、箇所と、数が書き込まれていた。しかも、るい(・・)の教えていない書き方であった。箇所ごとに縦に並べ、月ごとに横に並べてある。表になっている(・・・・・・・)。

「……クラーラ樣」

「はい」

「之(これ)は、どなたが」

「私(わたくし)にございます」

 娘は、少し得意そうな顔をした。

「……数を並べておりますと、どうにも見にくうございましたので。……箇所ごとに分けて、月ごとに並べましたら、見易うなりました(・・・・・・・・)」

 るい(・・)は、其(そ)の紙を手に取った。そして、暫(しばら)く見ていた。

『……この娘』

 誰にも教わらず、表を作った。この帝國の書物には、表がある。だが、痛みを表にする者は居らぬ。痛みは数ではないからである。この娘は、るい(・・)が数にしたものを、自分で並べ替えた(・・・・・・・・)。

「……クラーラ樣」

「はい」

「之(これ)を、図に(・・)できます」


          *


 教えるのに、半刻もかからなかった。横軸に月、縦軸に痛みの数。点を打ち、線で繋ぐ。クラーラは、其(そ)の場で自分の記録を図にした。そして、二人で、其(そ)れを見た。線が、下がっていた。箇所によって速さは違うが、いずれも右下がりである。脊柱の下の方が特に速く、上の方は緩やかであった。

「……下がっております」

「はい」

「之(これ)は、」

 娘は、線を指でなぞった。

「之(これ)は、良くなっているという(・・・・・・・・・・)ことでございますか(・・・・・・・・・)」

 るい(・・)は、慎重に答えた。

「痛みが減っておるということにございます。……骨の位置が、在るべき所に近づいておりますので、周囲の組織の張りが取れております」

「では、」

「はい」

「良くなっておりますね(・・・・・・・・・・)」

 クラーラは、図を胸に抱えた。そして、其(そ)のまま、暫(しばら)く動かなかった。

「……クラーラ樣」

「……申し訳ございません」

 娘の声が、震えていた。

「……十年、良くなったと言われた(・・・・・・・・・・)ことが、(・・・・)一度もございませんで(・・・・・・・・・・)した(・・)」


          *


 処置を終えて部屋を出ると、ダニエラが廊下に立っていた。二刻、ずっと立っていたのである。

「……いかがでございましたか」

「順調にございます」

「其(そ)れは、」

 女は、少し言い淀んだ。

「其(そ)れは、家族を安心させるための『順調』でございますか。其(そ)れとも、数字の上での」

「図が下がっております(・・・・・・・・・・)」

 るい(・・)は、そう答えた。ダニエラは、意味が判らぬ顔をした。

「妹君に、お訊きください」

「……は」

「妹君が、図を(・・)お作りになりました。私(わたくし)が教えたのは書き方だけにございます。|記録は、妹君が三か月、《・・・・・・・・・・・》お一人で取られました(・・・・・・・・・・)」

 女は、扉を見た。そして、其(そ)のまま、暫(しばら)く動かなかった。


          *


 一年目の後半に入って、処置は次の段階に移った。骨を動かすだけでは、足りぬのである。脊柱を捻り戻すと、其(そ)れに引かれて肋骨の位置が変わる。肋骨が動けば、胸郭の形が変わる。胸郭が変われば、内側の臓器が動く。そして、臓器は、(・・・・)押された形のまま育っ(・・・・・・・・・・)ている(・・・)。右の肺は、十四年、狭い場所に押し込められてきた。今更空間ができても、其(そ)の形のままである。膨らむべき方向に、膨らむ癖が無い。心臓は、ずれた位置で血を送る形に、周囲の血管ごと出来上がっている。位置を戻せば、血管が引っ張られる。

『……これは、骨より厄介だな』

 骨は硬い。硬いものは、動かせば動く。柔らかいものは、動かしても戻る。そして、育ってしまったものは、作り直さねばならぬ(・・・・・・・・・)。


          *


 自分の時は、其(そ)れをやらずに済んだ。十五年、歪んだ骨格で育ってはいたが、臓器が押し潰されるほどではなかった。骨を直せば、内臓は自力で収まった。クラーラは、違う。肺そのものを、膨らむ形に作り替えねばならぬ。

『……組織を、作る(・・)のか』

 るい(・・)は、自室の卓で、幾晩も考えた。骨は、削って移せた。自分の体の中に、余っている骨があったからである。歯を抜き、顎骨を削り、其(そ)れを足りぬ場所に潜行(ドゥルヒガング)で送った。自家移植である…肺は、余っていない。クラーラの右肺を膨らませるには、足りない分の肺を、(・・・・・・・・・)何処かから持ってこね(・・・・・・・・・・)ばならぬ(・・・・)。他人の肺を移せば、其(そ)れは他人の肺である。るい(・・)には、他人の体がなぜ拒むのかまでは判らぬが、拒むこと(・・・・)は知っていた。塁の世界の医学が、そう教えていた。ならば、本人のものでなければ(・・・・・・・・・・)ならぬ(・・・)。本人のもので、本人の体内に無いもの。

『……』

 るい(・・)は、筆を止めた…窓の外は、暗い。塁の記憶の底から、何か(・・)が浮かび上がってきていた。二十年近く前、大学の一般教養で聞いた講義である。専門ではない。生物学の入門で、教授が余談として話したことであった。体の中には、(・・・・・・)何にでもなれる細胞が(・・・・・・・・・・)ある(・・)。正確には、何にでもなれた細胞(・・・・・・・・・)、である。

 人の体は、一つの細胞から始まる。其(そ)の一つが分かれ、分かれ、分かれてゆくうちに、何になるかが決まって(・・・・・・・・・・)ゆく(・・)。骨になるもの、肺になるもの、神経になるもの。決まってしまえば、後戻りはせぬ。だが。決まる前の段階のものが、ごく初期には存在する。

『……それを、取り出せるのか』

 塁の世界では、其(そ)れができた。彼が学生の頃には既に、それは技術として確立していた。どうやって取り出したかは、覚えていない。専門ではないゆえ。だが、何処にあるか(・・・・・・)は、覚えている。


          *


 三日後、るい(・・)は自分の体を『透視』した。自室である。人払いをし、封印結界(ふういんけっかい)を張った。咒眼(ツァウバアウゲン)を絞り、下腹部を視(み)る。十六歳の女の体である。其処(そこ)に、卵巣がある(・・・・・)。中に、無数の小さな袋が詰まっていた。塁の記憶が、其(そ)れが何であるかを教えた。卵胞である。人の女は、生まれた時に持っている数が決まっており、以後、増えることは無い。増えぬ…使えば減る。

『……数は、どれほどだったか』

 思い出せなかった。数十万、という数字が浮かんだが、確証は無い。いずれにせよ、有限である(・・・・・)。るい(・・)は、暫(しばら)く其(そ)れを視(み)ていた。そして、考えた。卵は、何にでもなるもの(・・・・・・・・)の元である。人一人が、其(そ)こから始まる。ならば、卵から始まった極めて初期のものは、まだ何にもなっていない。骨にも、肺にも、神経にもなっていない。其(そ)れを取り出して、肺になれ(・・・・)と命じられるか。命じられるとすれば、何が命じるのか(・・・・・・・)。

 塁の世界では、周囲の環境が命じた。適切な条件下に置けば、細胞は自分で分化した。人が命じるのではない。場が命じる(・・・・・)。そして、此(こ)の世界には。咒紋(ツァウベライ)がある。

『……』

 るい(・・)は、掌を見た。咒紋式は、周囲の空間を一時的に演算場に変える技である。条件を与え、結果を物理として現す。ならば、細胞に条件を与えることも、できるのではないか。

『……できるかもしれん』

 そして、其(そ)の瞬間、るい(・・)は自分が笑っていることに気付いた。久しぶりの感覚であった。塁が実験室で、新しい手順を思いついた時の顔である。誰も居ない実験室で、一人で笑っていた、あの顔。


          *


 着想から実行までに、五か月かかった。その五か月、るい(・・)は毎晩、自室に籠った。まず、自分の卵を一つ、潜行(ドゥルヒガング)で取り出した。次に、其(そ)れを隣接亜空間(ネーベンラウム)に保持したまま、条件を与える咒紋式を組んだ。最初の三十回は、何も起こらなかった。次の二十回は、卵が壊れた。五十一回目に、分かれた(・・・・)。一つが二つに、二つが四つに。るい(・・)は、其(そ)れを咒眼(ツァウバアウゲン)で視(み)ながら、暫(しばら)く息を止めていた。そして、其(そ)の先を、止めた。止めねばならなかった。このまま分かれ続ければ、其(そ)れは人になる。人になったものを、材料として使うことは、るい(・・)には出来ぬ。

『……この段階で、止める』

 分かれ始めたごく初期。まだ何にもなっていない段階。其(そ)こで止めて、取り出す。取り出したものが、何にでもなれる細胞で(・・・・・・・・・・)ある(・・)。試みに、其(そ)れに条件を与えてみた。骨になれ、と。三日後、隣接亜空間(ネーベンラウム)の中で、ごく小さな骨組織が出来ていた。だが、その骨は使わない。るい(・・)の細胞だからである。クラーラの体に入れれば、他人の組織になる。ここまで自分で書いてきた理屈を、自分で破ることになる。

『……成功したのは、材料ではない。手順だ』

 るい(・・)は、そう書いた。次の処置の前に、クラーラとダニエラに説明した。何にでもなれる細胞を作ること。そのために、クラーラ自身の卵を一つ使うこと。作るのは人ではなく、必要な組織だけであること。クラーラは暫く考えた後、頷いた。るい(・・)は、クラーラ自身の卵を一つ、潜行(ドゥルヒガング)で取り出した。今度は試行錯誤をしない。自分の体で五十一回かけて作った手順を、そのまま移す。分かれ始めたところで止める。まだ何にもなっていない細胞だけを取り出す。増やす。必要な時に、必要な組織に分ける。クラーラの体に戻すも(・・・・・・・・・・)のは(・・)、クラーラ自身のもの(・・・・・・・・・)だけ。それで、ようやく使える。


          *


 その夜、るい(・・)は自室の卓に向かい、記録を付けた。誰にも見せぬ記録である。届け出は、しなかった。いや。正確には、半分だけ(・・・・)届け出た。クラーラの治療に必要な部分。すなわち「組織を移植し、新しい位置で定着させる咒紋式」については、書式に従って咒紋府に届け出た。受理された。だが、其(そ)の組織を何処から得るか(・・・・・・・)については、書かなかった。書式には、材料の出所を記す欄が無い。無いのだから、書かなくても不備ではない。

『……』

 るい(・・)は、筆を置いた。欄が無いから書かぬ、というのは、届け出ていない(・・・・・・・)のと同じである。そしてるい(・・)は、其(そ)れを判っていた。一年半前、八十九件を届け出た時、彼女は決めたはずであった。囲えば秘術、広めれば技術。広まった方が、後で使いやすい。全部渡した。惜しいとは思わなかった。今度は、渡していない。理由を、るい(・・)は自分に問うた。答えは、幾つか浮かんだ。まだ確立していない。危険が判っていない。前例が無い。届け出れば、審査で潰される。どれも、事実である。だが、其(そ)れは八十九件の時も同じであった。

『……』

 るい(・・)は、蝋燭を見た…そして、認めた。

『……手放したくないのだ』

 理由は、其(そ)れだけであった。十七年、彼は論文を書いてきた。全部公開してきた。囲ったことは一度も無い。その男が、初めて、囲っている(・・・・・)。なぜかは、判らぬ…いや。判っているが、(・・・・・・・)言葉にしたくない(・・・・・・・・)。るい(・・)は、ふと、ヘッドギアを冠って椅子に座っていた日のことを思い出した。起動一覧の中程に、二行あった。安全機構、バイパス済。倫理審査、未申請。あの二行を視界の外に追いやるために、彼は表示設定を三度書き換えた。通らぬと判っているものは、出さぬ。十七年、同じことをやってきた。


          *


 翌月の処置の後、クラーラが訊いた。るい(・・)が新しい処置を、初めて施した日である。組織を作って移植する処置であった。

「シュタインエック樣」

「はい」

「先ほどのは、新しい術にございますか」

「……はい」

「痛みが、之(これ)まで無かった種類にございました。……熱いような、痒(かゆ)いような」

 娘は、目盛りの紙を手に取った。

「数では、三にございます。ですが、三と書くと、(・・・・・・)之までの三と混ざりま(・・・・・・・・・・)す(・)」

 るい(・・)は、思わず笑った。

「……仰る通りにございます。別の欄を立ててください」

「はい」

 クラーラは、紙に新しい列を作った。そして、書き込みながら、訊いた。

「……シュタインエック樣」

「はい」

「之(これ)は、私(わたくし)を治すためのものにございますか」

 るい(・・)の手が、止まった。娘は、紙を見たまま言っていた。顔は上げていない。なぜ其(そ)れを訊いたのか、るい(・・)には判らなかった。ただ…この娘は、賢い。十年、寝台の上で本を読み続けてきた十四歳である。痛みを数にし、数を表にし、教わらぬうちに図を作った娘である。そして、るい(・・)が新しい術を思いついた夜の顔を、この娘は幾度も見ている。処置の合間に、るい(・・)は自分の思いつきを話してきた。話す相手が、他に居らぬからである。ヒルデガルトには紋の話しかできぬ。エルメンガルトには判らぬ。クラーラだけが、るい(・・)の話を面白がった。

「……そうです」

 るい(・・)は、答えた。

「貴女(あなた)樣を治すためのものにございます」

 嘘では、無かった。この術は、クラーラの肺を作るために組んだものである。他の目的で組んだのではない。嘘ではない…まだ(・・)。クラーラは、顔を上げた。そして、微笑んだ。

「……有難うございます」


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