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るい's Journey!  作者: コリドラスA
第一章『咒紋府』
19/19

第拾捌節『禁書』 Der achtzehnte Abschnitt : “Sperrbibliothek”

天環暦2110年06月08日。


 第一座からの呼び出しは、三度目であった。同じ廊下を歩き、同じ扉を押す。書棚は天井まで書類で埋まり、机の上には山が聳え、床にも束が積まれている。蝋燭は二本…窓は小さい。一年半前と、何一つ変わっていない。ただ、老人が少し痩せたように見えた。

「座られよ」

「はい」

 椅子の上の書類を床に移す。順を崩さぬように。ゲーアハルトは、(しばら)るい(・・)を見た。そして、机の上から一枚の紙を出した。三度目である。るい(・・)は、内心で身構えた。

「……これは、何かね」


          *


 紙は、咒紋府(ミニステリウム)の内部書式であった。教会への回付予定文書の一覧である。月末に束ねて出す文書を、事前に確認するためのもの。その一覧の中に、一行、線が引かれていた(・・・・・・・・)

 第十二座 照会一件    (取下)

「……」

「一覧から消えた文書がある。第十二座に問うたところ、自分で取り下げた(・・・・・・・・)と申した」

「……はい」

「取り下げた理由を訊いた」

 老人は、机の上で指を組んだ。

()の者は、癒神(ゆじん)の条を見落としていた、と申した」

「……」

「私は、()の場で教義書を出させた。第十二座に、癒神(ゆじん)の条を読ませた。読ませて、こう訊いた」

 ゲーアハルトの声は、平坦であった。

貴殿は、(・・・・)二十三年教会連絡を務(・・・・・・・・・・)めておる(・・・・)此の条を見落とすこと(・・・・・・・・・・)が、有り得るか(・・・・・・・)、と」

 るい(・・)は、答えなかった。

()の者は、()の場で辞表を出した」


          *


 執務室が、静かになった。蝋燭が、一度だけ音を立てた。

「……第十二座は」

「本日付で、免ぜられた」

「……」

「後任は、まだ決めておらぬ」

 老人は、一覧の紙を置いた。

「……シュタインエック伯令嬢」

「はい」

「貴殿は、これを狙ったのか(・・・・・)

 るい(・・)は、少し考えてから、正直に答えた。

「いいえ」

「……ほう」

(わたくし)が狙いましたのは、照会を止めることにございます。第十二座が辞めること(・・・・・・・・・・)までは(・・・)、考えておりませんでした」

「考えるべきであったな」

「……はい」

 ()の通りである。条文を突き付ければ、()れは相手の逃げ道を塞ぐ。ローゼンハイムには逃げ道を残した。だが第十二座には、るい(・・)は一度も会っていない。会っていない相手の逃げ道など、考えようが無かった。考えようが無かった、というのは、考えなかった(・・・・・・)ということである。

『……人を一人、辞めさせたか』

「……第一座」

「何だ」

()の方に、お詫びを申し上げたく存じます」

「無用だ」

 老人は、あっさりと言った。

()の者は、教義を曲げて文書を出そうとした。咒紋府(ミニステリウム)の座にある者が、()してはならぬことだ。……辞めさせたのは私だ。貴殿ではない」

「……ですが、」

()つ、」

 ゲーアハルトは、初めて僅かに声の調子を変えた。

()の者は、辞表を出す時に、こう申した」

 老人は、机の抽斗に手を掛けた。

──(・・)あの条文を、(・・・・・・)私は見落としておりま(・・・・・・・・・・)した。二十三年、(・・・・・・・・)見落としておりました(・・・・・・・・・・)


          *


 るい(・・)は、顔を上げた。

「……見落としていた」

()う申した」

()れは、」

「言い訳ではない、と私は見た」

 老人は、抽斗から手を離した。

癒神(ゆじん)の条は、教義書の第七巻にある。咒紋(ツァウベライ)を輪主の(ふみ)とする条は、第一巻だ。……教会連絡の職務で読むのは、第一巻から第三巻までだ。第七巻は、葬礼と病者の巻だ(・・・・・・・・)

「……」

咒紋府(ミニステリウム)の者は、第七巻を読まぬ。読む必要が無いゆえ」

 るい(・・)は、しばらく黙っていた。自分が二日かけて教義書を読んだ時のことを思い出した。どこに何が書いてあるか判らなかったから、第一巻から順に読んだのである。全七巻…二日である。読み方も知らず、体系も知らず、ただ端から読んだ。()れだけの話であった。

『……専門家が読まぬ場所を、素人が読んだ、か』

「……第一座」

「うむ」

(わたくし)は、教義に詳しいわけではございません。ただ、どこに何があるか判りませんでしたので、端から読んだだけにございます」

「……」

「二十三年の職務がある方は、()れをなさいませぬ。……なさる必要が、ございませんので」

 ゲーアハルトは、(しばら)るい(・・)を見ていた。それから、静かに言った。

「……貴殿は、二年前も同じことをした」

「……は」

癒系(ゆけい)の者が骨を治すと決まっておるところに、断系(だんけい)の紋を持ち込んだ」

 老人は、机の上で指を組み直した。

()れも、端から読んだか(・・・・・・・)


          *


「……第一座」

「何だ」

「一つ、お願いがございます」

 るい(・・)は、姿勢を正した。この日のために、一年半、費やしてきた。

紋帖司(ムスターヴァルト)への紹介狀を、頂きとうございます」

 老人の指が、止まった。

「……禁書庫か」

「はい」

 部屋が、静かになった。紋帖司(ムスターヴァルト)は、咒紋府(ミニステリウム)の紋帖を管理する役である。現行の紋帖は、免許を持つ咒紋司であれば誰でも閲覧できる。だが、()れとは別に、地下に書庫がある。遺跡から出土した紋の写しを収めた書庫である。分類されておらず、解読されておらず、使用も禁じられている。閲覧には、第一座の紹介狀が要る。

「……理由を申せ」

咒源(クヴェレ)を、修繕したく存じます」


          *


 老人は、(しばら)く動かなかった。

「……修繕」

「はい」

「咒源は、涸れるものだ。涸れた泉は戻らぬ」

()れは、通説にございます」

 るい(・・)は、懐から紙を出した。巡察報告書の、図の写しである。

「東部十七州のうち、五州が異常を示しております。一州は完全に消失、()の周囲四州は、他州の倍の速さで減衰しております」

「読んだ」

「……お読み頂いておりましたか」

「第三座が持ってきた」

 老人は、僅かに顎を引いた。

「三刻で四十一年分が判ったと申して、私の部屋に来た。あの女が興奮しておるのを、私は二十年ぶりに見た」

 るい(・・)は、思わず微笑んだ。

「……で、修繕とは」

「咒源が独立した泉であれば、一つ涸れても周囲に影響は出ませぬ。ですが、実際には出ております。ならば、咒源(クヴェレ)は互いに繋がっております」

「うむ」

「繋がっているものは、誰かが繋いだもの(・・・・・・・・)にございます」

 るい(・・)は、図を卓に置いた。

「自然に湧く泉が、互いに連絡し合う道理がございません。咒源(クヴェレ)は、古代咒術帝圀が敷設し(・・・・・・・・・・)たものだと(・・・・・)(わたくし)は考えております」

 老人は、何も言わなかった。

「敷設されたものであれば、()れは壊れます。壊れたものは、直せます。……直し方が判れば」

「……直し方が、禁書庫にあると」

「有るかどうかは判りませぬ。ですが、他に探す場所がござい(・・・・・・・・・・)ませぬ(・・・)


          *


 沈黙が、長かった。ゲーアハルトは、机の上の蝋燭を見ていた。

「……シュタインエック伯令嬢」

「はい」

咒紋府(ミニステリウム)規程に、こうある」

 老人は、諳んじた。

紋の原理の探究を禁ず(・・・・・・・・・・)

「……はい」

「貴殿は、()れをやろうとしておる」

「……はい」

「判っておって、私に許可を求めるか」

「はい」

 るい(・・)は、頷いた。

(わたくし)が求めておりますのは、原理の探究ではございません。修繕の手順(・・・・・)にございます」

「……」

「水車の歯車が壊れれば、村の者は歯を作り替えます。()の者らは、歯車の原理を知りませぬ。減速比も、噛み合いの角度も、何一つ知りませぬ。ただ、この形だと決まってお(・・・・・・・・・・)ります(・・・)、と申します」

 るい(・・)は、老人を見た。

「原理を知らずとも、修繕はできます。……(わたくし)が禁書庫に求めますのは、()この形だと決まってい(・・・・・・・・・・)る形(・・)にございます」

 ゲーアハルトは、(しばら)く目を閉じていた。そして、目を開けた。

「……屁理屈だな」

「はい」

()つ、規程に反してはおらぬ」

「……はい」

「貴殿は、いつもそうだ」

 老人は、机の抽斗を開けた。紙を一枚、取り出す…そして、筆を執った。


          *


 書きながら、老人は言った。

「二年前、私は貴殿に届け出よと申した」

「はい」

「あれは、貴殿を潰す心算であった」

「……存じております」

「……ほう」

 筆が、一度止まった。

「判っておったか」

「分類欄が九つしかないことに気付いた時に」

「……」

咒紋學院(アカデミア)の書庫で、二百年分の受理例を読みました。系統をまたいだ複合式の届け出は、二百年で零件にございました。……ですから、届け出よと命じられた時点で、(わたくし)は詰んでおりました」

 老人は、また筆を動かし始めた。

「……なぜ、詰んでおって出した」

「他に手がございませんでしたので」

「……」

()つ、」

 るい(・・)は、少し言い淀んだ。

「……閣下が、癒系(ゆけい)に準ずる、という扱いを作られました」

「うむ」

あれは(・・・)、規程を素直に読めば出てこない解釈にございます。(わたくし)を処分せぬために、閣下がお探しになった理屈にございましょう」

「……」

「潰す心算の相手に、逃げ道を作る方が、()の世におられます。……(わたくし)は、()れがどういう意味か、ずっと考えておりました」

 筆が、止まった。老人は、書き終えた紙に息を吹きかけ、墨を乾かした。そして、()れをるい(・・)の前に置いた。

「……惜しまぬ者を、私は二人しか知らぬ、と申したな」

「……はい」

「一人は、貴殿だ」

 るい(・・)は、紹介狀を受け取った。

「……もう一人は」

 老人は、答えなかった。代わりに、机の抽斗に鍵を掛けた。

「……見ぬ方がよいものもある」


          *


 禁書庫は、咒紋府(ミニステリウム)の地下にあった。紋帖司(ムスターヴァルト)は、るい(・・)より背の低い、五十がらみの男であった。名をレオンハルト“Leonhard”と言う。彼は紹介狀を三度読み、それからるい(・・)の顔を三度見た。

「……第一座の紹介狀は、私が此処に来てから四度目にございます」

「四度」

「十九年で、四度にございます」

 男は、腰の鍵束から一本を選び、地下に降りる扉を開けた。階段は狭く、急であった。降りるにつれ、空気が変わった。冷たく、乾いている。紙が傷まぬように、湿気を避けているのだ。降り切った所に、もう一つ扉があった。レオンハルトは、二本目の鍵でそれを開けた。

「……お足元に、お気を付けくださいませ」


          *


 書庫は、るい(・・)が想像していたより、遥かに広かった。石造りの部屋が、奥に奥に続いている。天井は低い。壁という壁に棚が据えられ、棚には木の箱が並んでいた。箱には、番号が振ってある。番号だけである。中身を示す表題は、一つも無い。

「……これは、全部」

「遺跡から出土した紋の写しにございます」

 レオンハルトは、蝋燭を掲げた。

「千年、集めてまいりました。……何が書いてあるかは、判っておりませぬ」

「分類は」

出土した順にございま(・・・・・・・・・・)()

 るい(・・)は、目を閉じた。

『……そうか』

 分類しようが無いのだ。中身が判らぬものを、どう分けろというのか。だから、届いた順に番号を振り、箱に入れ、棚に並べた。千年。

「……箱は、幾つございますか」

「四千二百七十三にございます」


          *


 るい(・・)は、手近な箱を一つ、棚から降ろした。中には、紙の束が入っている。古い紙である。この帝國の紙ではない。もっと薄く、もっと硬く、そして──千年経っていない(・・・・・・・・)。写しなのだ…原本ではない。遺跡の壁や石板に刻まれた紋を、誰かが紙に写し取ったものである。るい(・・)は、一枚を取り出し、蝋燭に近づけた。そして、咒眼(ツァウバアウゲン)を凝らした。紋が、其処(そこ)にある。三十を超える紋が、一枚の紙に連なってい(・・・・・・・・・・)()

「……」

 るい(・・)は、動けなかった。現行の咒紋式(ツァウバフォルメル)は、多くて紋七つか八つである。るい(・・)が組んだ骨格再構成の複合式で、十二。()れが、この帝國で組まれた最も複雑な式であった。目の前の紙には、三十を超える紋が並んでいる。しかも──並び方が読めない(・・・・・・・・)

『……いや、違う』

 紋の一つ一つは、読める。見たことのある紋が幾つもある。()の紋、(けん)の紋、断の紋。現行の紋帖に載っているものだ。だが、()れらの繋ぎ方が、違う。現行の式には、順序がある。基となる紋を定め、補助の紋を添え、収束の紋で閉じる。學院アカデミアで二年かけて体に叩き込む、あの順序である。この紙の紋は、()の順序に従っていない。従っていないのに、成立している(・・・・・・)

『……第二座が、私の式を「乱れた式」と呼んだ』

 るい(・・)は、紙を持ったまま、()の場に立ち尽くした。

『……私の式が乱れているのではない』

 現行の順序の方が、後から作られたもの(・・・・・・・・・)なのだ。千年前の紋を写し取り、読めぬまま使ううちに、使える部分だけが残っ(・・・・・・・・・・)()。使えぬ部分は落ちた。落ちた結果を整理して、順序という体系が作られた。現行の咒紋術(ツァウバクンスト)は、これの断片(・・・・・)である。

『……水車と、同じだ』

 なぜこの形なのかを知らぬまま、二十年に一度、歯を作り替える村人と。千年、同じことをやってきた。


          *


 るい(・・)は、その日、一日書庫に居た。箱を七つ開けた。どの箱の紙も、同じであった。三十を超える紋の連なり。読める紋と、読めぬ繋ぎ方。そして、七つ目の箱の底に、()れがあった。他の紙より、大きい…折り畳まれている。るい(・・)は、蝋燭を卓に置き、慎重に紙を開いた。一度、二度、三度…卓一杯に広がった…図であった…紋ではない…図である(・・・・)…円が、描かれていた…大きな円が一つ。()の周囲に、小さな円が幾つも。円と円は、細い線で結ばれている。るい(・・)は、()の図を(しばら)く見ていた。

『……網だ』

 東部の報告書を書きながら、るい(・・)が頭の中で描いた形と、同じであった。繋がった点の集まり。一つが落ちれば、近い順に引きずられる形。

『……咒源の、地図か』

 だとすれば──これは、(・・・・)古代咒術帝圀の地図で(・・・・・・・・・・)ある(・・)るい(・・)は、身を乗り出した。円の数を数える…大きな円が一つ。中くらいの円が、七つ。小さな円が、数え切れぬほど。繋ぐ線は、太いものと細いものがある。太い線は中くらいの円同士を結び、細い線は小さな円に枝分かれしている。るい(・・)の指が、図の上を辿った。そして、()の指が、止まった。


          *


 円が、閉じていなかった(・・・・・・・・)。図の中の円は、全て、一箇所が途切れている(・・・・・・・・・・)。大きな円も、中くらいの円も、小さな円も。全部である。()の切れ目に、細い線が繋がっている。

『……』

 るい(・・)は、蝋燭を近づけた。見間違いではない…円は、閉じていない。開いた部分から、線が伸びている。そして──るい(・・)は、()の形を、知っていた。この帝國に来て、二年。聖堂の窓に…扉の彫りに…墓標に…聖職者の首飾りに…貴族の紋章の隅に…書狀の縁に…毎日、()ている。一箇所が途切れた円環。欠環(けっかん)である。

『……』

 るい(・・)は、卓に手を突いた。()(おしえ)の象徴である。輪は未だ閉じておらぬ。ゆえに世界は続いている。輪が閉じる時、世界は完成し、そして終わる。──()う説かれている。信徒は、開いた部分に指を当てて祈る。輪を閉じさせぬため、指で塞ぐという所作である。千年、そうしてきた。

『……これが、これだというのか(・・・・・・・・)

 教会の最も神聖な象徴が、古代咒術帝圀の図面の(・・・・・・・・・・)部品の形だと(・・・・・・・)るい(・・)の中で、常磐塁が、静かに()れを組み立てていた。円が閉じていないのは、教義とは何の関係も無い。配線図である…円は、端子だ(・・・)。閉じていないのは、開いた部分が接続点だからだ。そして、開いた部分から線が伸びている。線は、隣の円に繋がっている。

『……咒源は、こういう形をしているのか』


          *


 るい(・・)は、図の隅を見た。小さな円の一つに、印が付いている。他の円には無い印である。二重の線で囲まれ、()の中に何か記号のようなものが書かれていた。るい(・・)は、蝋燭を近づけた。記号は、咒紋(ツァウベライ)ではない。文字であった…読めぬ文字である。この帝國の文字ではない。ルイーゼの記憶にも、塁の記憶にも無い。だが。るい(・・)は、()の記号を、(しばら)く見つめていた。そして──輪郭だけが、(・・・・・・)妙に見覚えがあると思(・・・・・・・・・・)った(・・)。なぜかは、判らない。記憶を探ったが、何も出てこなかった。ルイーゼの記憶にも、塁の記憶にも、この文字は無い。無いのに、見覚えがある(・・・・・・)

『……』

 るい(・・)は、蝋燭を置いた。地下の書庫は、静かであった。四千二百七十三の箱が、番号だけを振られて、棚に並んでいる。千年、誰も読まなかった箱である。

『……四千二百七十三』

 るい(・・)は、深く息を吸った。そして、次の箱に手を伸ばした。


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