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不死鳥は何度でも這い上がる 〜戦国最弱の愛され国衆・小田氏治のサバイバル〜  作者: 水川仁


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最終話 畳の上の大往生

慶長七年(1602年)。


越前国。


日本海から吹く風はまだ冷たい。


それでも庭先では、梅の蕾が小さく膨らみ始めていた。


春は、もう遠くなかった。


縁側で、その梅を眺めている老人がいる。


小田氏治。


かつて常陸を治めた戦国大名。


幾度も城を失い、幾度も取り返し、「不死鳥」とまで呼ばれた男だった。


今は徳川家康の次男・結城秀康のもとで客分として暮らし、穏やかな日々を送っている。


齢、六十八。


戦国を生きた武将としては、十分すぎる長寿だった。


氏治は、湯呑を手に取り、小さく笑った。


「……生き残ったものだ。」


誰へ向けるでもない独り言。


その声には、誇りも後悔もなかった。


ただ、少しだけ不思議そうな響きがあった。


「軍神も。」


「甲斐の虎も。」


「相模の獅子も。」


「天下人も。」


みな、逝った。


上杉謙信。


武田信玄。


北条氏政。


豊臣秀吉。


戦国を揺るがした英雄たちは、皆、激しい生涯を駆け抜け、歴史の中へ消えていった。


それに比べれば、自分は何だったのだろう。


戦では負け続けた。


城は何度も落ちた。


最後には領地まで失った。


なのに。


気が付けば、一番長く生きていた。


氏治は、自分の皺だらけの掌を見つめた。


「世の中とは……分からぬものよ。」


そう言って笑う。


その笑顔は、若い頃と何も変わらなかった。


冬が深まる頃。


氏治は静かに床に就いた。


医師は首を横に振った。


「老衰にございます。」


病ではない。


傷でもない。


ただ、長い人生を支え続けた身体が、ゆっくりと役目を終えようとしていた。


枕元には嫡男・守治が座っている。


最後まで付き従った老臣たちも集まっていた。


皆、何も話さない。


誰もが分かっていた。


戦国の終わりを見届けた一人の武将が、今、静かに旅立とうとしていることを。


氏治は目を閉じた。


すると、不思議なことに寒さが消えた。


代わりに、懐かしい風が吹く。


潮の香りではない。


土の匂いだった。


常陸。


生まれ育った故郷。


遠くには筑波山。


青々と広がる田畑。


風に揺れる稲。


そして。


何度失っても、何度でも帰ろうとした城。


小田城。


その門が、大きく開いていた。


「殿!」


声が聞こえた。


「お帰りなさいませ!」


振り向けば、領民たちが笑っている。


戦で焼け出された者。


年貢に苦しんだ者。


何度も城下を失った者。


それでも最後まで自分を見捨てなかった人々。


あの頃と変わらぬ笑顔だった。


「氏治様。」


「今度は何を植えましょう。」


その一言に、氏治は思わず笑った。


焼け野原の真ん中で聞いた、あの日と同じ声だった。


ああ。


そうだったのか。


氏治は、ようやく気付いた。


戦では勝てなかった。


名将にはなれなかった。


天下も取れなかった。


だが。


人生は、負けていなかった。


何度負けても迎えてくれる人がいた。


何度失っても支えてくれる人がいた。


その人たちと笑って生きた。


それだけで十分だった。


現実の部屋。


守治が父の手を握る。


氏治の唇が、かすかに動いた。


「父上。」


耳を近づける。


氏治は、小さく微笑んだ。


「……たくさん……負けたな。」


老臣たちが涙ぐむ。


氏治は続けた。


「だが……。」


ほんの少し息を整え、


静かに言った。


「よい人生であった。」


それが最後の言葉だった。


眠るように息が止まる。


苦しむこともなく。


叫ぶこともなく。


ただ、深い眠りへ落ちるように。


慶長七年十二月二十日。


小田氏治、没。


享年六十八。


窓の外では雪が降っていた。


静かな雪だった。


激しい戦も。


燃え盛る城も。


響き渡る鬨の声も。


もう、どこにもない。


ただ白い雪だけが、ゆっくりと大地を包んでいく。


その雪はまるで、一人の武将を優しくねぎらうようでもあった。


歴史は彼を「戦国最弱」と呼ぶ。


九度城を失った武将として記す。


それは、事実である。


だが、歴史は数字だけでは語れない。


九度負けても立ち上がったこと。


最後まで家を絶やさなかったこと。


そして何より、人々に愛され続けたこと。


それもまた、小田氏治という男の真実だった。


英雄とは、戦に勝つ者だけをいうのではない。


何度倒れても歩みを止めず、人の心に生き続ける者もまた、英雄である。


常陸を渡る風は、今日も変わらず吹いている。


その風が田を揺らすたび、人は思い出すのかもしれない。


何度負けても笑い、


何度転んでも立ち上がり、


最後には「よい人生であった」と笑って旅立った、一人の国衆のことを。


――不死鳥は、ついに空へ還った。


  (完)

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