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不死鳥は何度でも這い上がる 〜戦国最弱の愛され国衆・小田氏治のサバイバル〜  作者: 水川仁


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第16話 不死鳥、最後の外交

文禄元年(1592年)。


京の都は、異様な熱気に包まれていた。


天下人・豊臣秀吉が海の向こうへ大軍を送り出した。


朝鮮出兵――。


武将たちは武功を夢見て西へ集まり、都では連日、諸大名や公家たちが行き交っていた。


その人波の中を、一人の老人が歩いていた。


小田氏治。


かつて常陸十万石を治め、九度城を失い、九度立ち上がった男。


今の身分は――浪人である。


荷は少ない。


従う家臣も、わずか数人。


だが、その足取りだけは、不思議なほど軽かった。


「殿……」


供の者が恐る恐る尋ねる。


「本当に、京へ行かれるのですか」


氏治は笑った。


「行かねば始まらぬ。」


「ですが、相手は天下人です。」


「だから面白い。」


からからと笑う。


「城を失った。」


「領地も失った。」


「ならば、残るは口だけよ。」


供の者は頭を抱えた。


この人は、本当に変わらない。


絶体絶命になるほど元気になる。


それが、小田氏治という男だった。


京に着いた氏治が最初に向かったのは、公家屋敷でも奉行所でもなかった。


一軒の質素な庵。


庭では白髪の老人が、竹を割っていた。


「三楽。」


氏治が声を掛ける。


老人はゆっくり振り返り、目を細めた。


「……お主か。」


太田資正。


かつて何度も小田家を追い詰めた宿敵。


戦場では互いの命を狙い合った男である。


しばらく沈黙が流れた。


やがて資正が鼻で笑った。


「どの面を下げて来た。」


「この面よ。」


氏治は真顔で答えた。


「変わらぬな。」


「変わらぬから、まだ生きておる。」


二人は同時に笑った。


氏治は酒樽をどんと置く。


「常陸の酒だ。」


「手土産だけは立派だな。」


「酒だけではない。」


氏治は深く頭を下げた。


「頼みがある。」


資正の笑みが消えた。


「秀吉公へ会わせてくれ。」


静かな風が吹く。


竹が揺れた。


資正は長く氏治を見つめた。


戦場で何度も見た顔だった。


負けても笑う男。


焼け野原でも笑う男。


何度踏み潰しても、翌年にはまた城へ戻っている男。


「……まだ諦めんのか。」


「死ぬまでな。」


即答だった。


資正は思わず天を仰いだ。


「まったく。」


「敵にすると厄介だったが……。」


「味方になっても厄介だ。」


そう呟くと、小さく笑った。


「よかろう。」


「ただし、後はお主の器量次第だ。」


氏治は何も言わず、深々と頭を下げた。


そこからの氏治は驚くほど軽やかだった。


太田資正の紹介を足掛かりに、公家、大名、奉行衆。


誰彼構わず会いに行く。


もはや失うものは何一つない。


だから遠慮もしない。


酒席では、自らの失敗談を次々披露した。


「上杉謙信が攻めてきたときなど、生きた心地がしませんでした。」


「佐竹義重には何度負けたことか。」


「九回も城を落とされると、さすがに道も覚えます。」


座は大笑いになった。


普通の武将なら隠したがる敗北を、この老人は笑い話に変えてしまう。


それでいて、自分を卑下しているようには見えない。


むしろ、どこか誇らしげだった。


「あれほど負けて生きている。」


「それだけでも天下一ではないか。」


いつしか京では、こんな噂が広まった。


「常陸に、とんでもなく面白い老人がおる。」


その話は、やがて伏見城にも届く。


「ほう。」


秀吉は報告を聞き、口元を緩めた。


「九回負けた大名か。」


「左様にございます。」


「まだ生きとるのか。」


「それどころか、毎日酒を飲んで笑っております。」


秀吉は吹き出した。


「会うてみたい。」


その一言で、氏治に拝謁の機会が与えられた。


黄金に輝く広間。


氏治は静かに平伏した。


正面には、天下人・豊臣秀吉。


日本中の大名が畏れた男である。


「面を上げよ。」


氏治はゆっくり顔を上げた。


秀吉が笑う。


「お主。」


「城を九度落とされたそうだな。」


広間が静まり返る。


誰もが返答を見守った。


氏治は一拍置き、にやりと笑った。


「恐れながら。」


「九度落とされ。」


「九度取り返しました。」


「負けた数では誰にも負けませぬが。」


「立ち上がった数でも負ける気はございませぬ。」


一瞬の静寂。


次の瞬間。


「わっはっはっはっ!」


秀吉が腹を抱えて笑い始めた。


「おもしろい!」


「敗北をそこまで誇る武士があるか!」


笑いは止まらない。


広間中がつられて笑い出す。


氏治も笑った。


戦場では一度も勝てなかった。


だが今、この場だけは違った。


天下人の心を動かした。


それが勝負だった。


秀吉は笑いを収めると、氏治を見つめた。


「気に入った。」


「家は残してやろう。」


「嫡男・守治に三千石を与える。」


「小田の名を絶やすでない。」


氏治は深く頭を下げた。


「ありがたき幸せ。」


声は震えていた。


涙だけは見せなかった。


伏見城を出ると、空はどこまでも青かった。


あの日。


改易の沙汰を受けた夏の日と、同じ空だった。


だが、胸の重さはまるで違う。


城は戻らない。


十万石も戻らない。


しかし、小田家は生き残った。


血は繋がる。


氏治は空を見上げ、小さく笑った。


「見たか。」


誰に語るでもなく呟く。


「城は奪われても。」


「人までは奪えぬ。」


戦には勝てなかった。


策でも敵わなかった。


それでも最後まで諦めなかった。


だからこそ、小田家は滅びなかった。


九度倒れ、九度立ち上がった不死鳥。


その最後の戦場は、槍も刀もいらぬ京の都であった。


そしてこの日。


戦国一「負けた男」は、人生で最も大きな勝利を手にしたのである。

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