17-3
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よほど疲れていたのか、パットもヴォルフも、朝食の時間には起きてこなかった。
朝が弱いキリィは、なんとか起き出しては来たものの、まだ半分眠っているような顔つきでサロンのソファーに腰かけ、珈琲を啜っている。
イコは、兄から昼食作りを任された元レイブン家のお抱えシェフ、ヘンドリックの手伝いをすると言って張り切り、ここに来てから手持ち無沙汰そうだったメグも誘って、厨房へと乗り込んで行った。
レオスが少し心配そうな顔で二人を見送ったが、レルネ島にいた頃から、イコのそばには本人には警護だとわからせぬよう、必ず誰かがさりげなくついている。この屋敷の中でもそれは変わりなかった。
「あのメグって子、確か、記憶喪失って話じゃなかったっけ?」
と、キリィがふと思い出したように話しかけてきた。
長くロダに行っていたり、レオスの冒険に付き合っていたりで、しばらく島にいなかった彼は、メグに対する印象が薄いようだ。
キリィと同じソファーに一人分ほどの間隔を空けて座った俺は、子供の頃から何度も何度も読んでいる、とある冒険者の手記を読み返しながら、「ああ」とおざなりな返事をした。
「アレはな、狂言だ」
「狂言」
「そう。だが、嵐の夜に海に投げ出されて、島に流れ着いた直後はショックのせいか、本当に記憶が飛んでいたらしいがな」
それでも、すぐに自分のことや、島に来た目的を思い出したという。だが、そのまま記憶を失くしたフリを続けたのは、その方が余計な詮索をされないで済むと思ったからだった。
それにしても。わざわざ嵐の夜に小舟で沖に連れ出され、潮の流れによって必ずレルネ島に流れ着くという計算のもと、荒れ狂う海に突き落とされたときのメグの心情とは、一体どんなものだったのだろう。
ある理由によってメグは、ホーンオウル──ヨタカからは隷従に近い関係を強いられている。主の目的のために、それこそ命をも顧みない奉仕を強制されていたのだ。
そうやって、難破事故の被害者に見せかけたのは、素性を怪しまれずに島に潜入させるためだったというが……。
「まあ、残念ながら。最初からかなり怪しかったがな」
あまりにも、手段が乱暴であからさま過ぎるので、彼女は本当に事故に遭って記憶を失っただけであって、実はシロなのではないかと逆に疑ったぐらいだった。
「だけど、あの子はロダとは全く関係がないんだよな?」
「ああ、それは誓ってもいい。まあ、当初はその線も少しは疑ったがな」
でも、彼女がゴルネイの拠点の人間以外で接点を持ったのは、たったの一人だけ。
それは、グリギアの魔導研究所に所属する青年だった。
かつての魔導研究所跡は、今は俺たちが住んでいる冒険者用の拠点となっている。
だが、魔導研究所のメンバーは、島を引き払った今も調査活動──おそらくは、ダンジョン内の魔界度を測定する環境調査など──をしている。
ダンジョンのそばには、新たに観測拠点と呼ばれる魔導研究所と所員の居住のための施設が建てられているが、島に常駐する所員たちはよく、食事や買い物のためにゴルネイの拠点にやって来ていた。
そもそも魔導研究所は、レルネ島の領主であり、宮廷の筆頭魔導師でもある兄が顧問を務めている組織でもあるので、その弟が牛耳っている(言葉の綾だ)ゴルネイの拠点は、彼らにとっても気安く立ち寄れる場所であったのだろう。
──話は逸れたが、メグが人目を忍んで会っていたその青年の名は、クィル・ゾッド。
メグを見張っていたグレン・モーガンの配下たちによれば、クィルは常駐ではなく、本土と島とを行き来する連絡員だったそうだ。ほっそりとした身体つきの、少し陰気な険のある顔立ちをした、十九歳の若者らしい。
「じゃあ、そのクィルとやらと、メグの関係は?」
「……それは後で皆が集まってから話す。ただ、監視をしていた者の話によると、クィルは常にメグに対しては剣呑な様子で、少なくとも二人が好意を抱き合っているようには見えなかったという報告は受けている」
しかし、記憶を失っているはずの少女の密会相手がグリギアの魔導研究所員だというのは、(それはそれで、何やら怪しいことは怪しいが)、俺やイコにとっては別に問題がないのでは? とモーガン商会の強面勢が不審に思い出した矢先のことだった。
「クィルが、失踪した。……時を同じくして、たびたびメグが、宿屋から食糧を盗み出すようになった」
「待った。それっていつ頃の話だ?」
二杯目の珈琲で、ようやく頭が回り出したらしいキリィが鋭く訊いた。
「レオスが、ロダを出ると知らせてきた頃……いや、その少し後、か」
「……おいおい。けっこう前のことだなぁ?」
「兄上にも叱られた。放置しすぎだとな」
言いながら、俺はパタンと手記を閉じた。
風向きが悪くなってきた。ようやく本腰を入れた理由が、うかうかしているうちに、大事にしまい込んでいたはずのレオスのマントをまんまと盗まれてしまったからだという件は、本人がいる前ではさすがに言いにくい。
レオスは、俺とテーブルの角を挟んだ安楽椅子に座り、俺とキリィの話を黙って聞いていた。
「──彼の正体を知ったのは、つい昨日のことだ。今、兄上にはそれが事実かどうかの確認をしてもらっている」
言い訳がましいことは百も承知で弁明するが、俺はクィルという若者に関しては、グレンからその名を教えてもらった時も、本当に何の心当たりもなかった。
兄やキリィの言うように、もっと早くに全て調べ上げていればよかったのかもしれないが、何となくそうはしたくない気持ちがあった。
相手が若すぎたことも、もしかしたらその要因だったかもしれない。これまでの侵入者たちに対するような強硬な手段を取れば、何かが間違うような気がしていた。
「それは俺もヴォルフから聞いた。奴は、ホーンオウルと名乗ったそうだな?」
と、ふいに険しい顔つきで俺に問いかけてきたのはレオスだった。
「ソイツが何者なのか、トワには心当たりがあるんだな?」
レオスの声音は冷静なものに聞こえる。だが、その全身からはまるで陽炎のような怒りの波動が立ちのぼっていた。昨日、俺がゴーレムの腕に襲われていたのを思い出した所為だろう。
レオスの視線に射竦められ、ぞわりと、俺の背中が総毛立つ。思わず立って逃げ出したい衝動に駆られたが、何とか耐えた。
「おい、レオ。気持ちはわかるがここで『威嚇』はやめてくれ」
それ、まともに食らうとベータでもキツいんだぞ、と、キリィが顔を顰めながら言った。
「あ、ああ、悪い。つい……。平気か? トワ」
「わっ」
グレアが解けてほっとしたところに、レオスに顔を覗き込まれた俺は、思わず逃げを打つように少し仰け反った。
「だ、大丈夫だ」
「そうか。なら良かった」
この程度ならばまだいいが、もしもレオスが、本気でグレアを放ったら……。その恐ろしさは、かつて勇者の仲間であった俺たちが一番よく知っている。
ここまできたら、もはやヨタカ殿に同情するつもりなど微塵もないが、彼がとんでもない相手を敵に回してしまったことは確かだった。




