全力投球
3対3で迎えた3回表。さすがにコントロールよくキレのいいストレートをアウトコースに投げたとしてもそのコースでしかストライクをとれないとばれていると打たれだした。ノーアウトランナー2塁3塁となったので内野手がマウンドに集まった。
「全力で投げて打たれたら仕方がないよ。打たれたら守備と打撃でカバーするから晃は思いっきり投げてこい」
高橋さんが言った。
「はい」
「晃君。もう思いっきりインコースに投げるしかないよ」
「そうですね。出し切って投げます」
みんなが気合を入れて守備位置に戻っていく。
次のバッターにはインコースに構えた。驚いたことに彼はインコースにしっかり投げてきた。左手に伝わる衝撃と痛みに彼の全力を感じた。彼のすべては今このミットの中にあるのだと。
そのバッターと次のバッターには結局、センターとライトへの犠牲フライを打たれてしまい2点を失ってしまったが十分なピッチングだ。次のバッターをショートゴロに打ち取りスリーアウトを取り切った。
「晃、ナイスピッチング。よく抑えたぞ」
みんな彼の背中をグローブで叩いて鼓舞している。
3回裏はまたまた1番からの好打順で一気に逆転を狙える。田口さんは打席に向かいながら「ホームラン狙ってくるわ」と言い放ったが相手チームはランナーなしに関わらず敬遠してきた。
勝つためとはいえ悔しいものだ。相手監督はどうやら負けず嫌いのようだ。こちらを見てニヤニヤしている。
高橋さんと山本さんも敬遠されてノーアウト満塁のチャンスを迎えた場面で打席には晃君だ。
手を握って願っている者もいればベンチで大きな声を出して応援している者もいる。
1球1球が緊張感に包まれて打席に立っていない自分まで心拍数があがっている。
ファールで粘って迎えた6球目を空振りし三振に倒れてしまった。
悔しそうにベンチに向かってくる晃君をみんな明るく迎えた。
悔しそうな晃君とは対照的に闘気がみなぎって戦闘態勢のさくらさんが打席に向かった。
正直、さくらさんならホームランを打ってくれそうな気がする。
バッティングセンターで聞いていたような甲高い音が響いて打球はレスト方向に高く上がりながら飛んだ。
みんな、その打球の行方を追いながらベンチから飛び出していた。たぶん僕はこの瞬間息をする事すらも忘れて打球だけに夢中だった。レフトの選手がフェンス際で立ち止まってジャンプした。
スローモーションで時間が流れているようだった。レフトの選手のグローブの中に白いボールが吸い込まれていくのが見えてしまった。
あと一歩でホームランという大飛球は点差を1点に縮める大きな犠牲フライになった。
相手チームはレフトの選手の好プレーをたたえていた。
僕たちは帰還してきた田口さんとさくらさんとハイタッチを交わしていた。
しかし、さくらさんはうれしいよりも悔しいが勝っているようだ。
ランナー2、3塁で一打出れば逆転の場面だったが藤木先生の当たりはセカンドゴロになってしまった。
4回表マウンドに向かっている晃君が僕に言った。
「スライダー投げてみます」
「わかった」
僕自身も彼のスライダーを見るのは初めてだ。おそらく日本のエースに教えてもらったのだろう。
楽しみな感情と自分が捕れるのかという不安に挟まれながらサインを出した。
彼のスライダーは左バッターの足元をえぐるような素晴らしいボールになった。
相手バッターも驚きを隠せない様子でストレート以外もあるのかといった表情だ。
投げた彼もうまく決まってうれしそうな楽しそうないい顔をしている。
その回の彼は完璧で相手バッターにまともにスイングをさせなかった。
スリーアウトをとってベンチに帰るときチームメイトもスライダーに驚いている様子だ。
「あんなボール投げられること隠してたとは隅に置けないな」
みんな笑っていた。
4回の裏の攻撃は7番の伊藤さんからだ。前の打席では3者連続三振に倒れただけになんとかバットに当てたいものだと思ったがまさかの伊藤さんは身体にボールが当たってデットボールで1塁に向かった。バットに当てる前に身体に当たるとは思いもしなかった。伊藤さんは痛そうにしている。
そんな様子を見た監督が代走を告げた。
その代走は肉屋の林さんだ。実は彼は足が遅そうな見た目をしているが元陸上部でインターハイにも出場したことのある実力者だ。
打席には大輝さんが向かい。これもバッティングセンターでみたバントの構えをした。
大輝さんは1球でうまくバントを成功させた。
まさか本当にバントの練習が輝く瞬間がくるとは思いもしなかった。
ランナー2塁の大チャンスで打席には僕だ。どうしてこんな場面に回ってきてしまうのだろう。
せめて、僕もバントの練習をしていればこの場面でバントをすることができたのにと後悔した。
とはいえ、みんながここまで勝つために全力でやっているんだから自分も全力でやらなければいけないなと思い気合を入れてバットを構えた。
ボールの速さは確かにバッティングセンターよりも速いがボールの軌道は一緒だ。タイミングさえ合えば打つことができる。練習の頃よりも速く。何度も振ったあのバットの軌道でボールを捉える。
僕は相手ピッチャーのフォームを見ながらタイミングを合わせて振った。
空振りだ。少し遅かった。もう少し速く。
先ほどよりワンテンポ速く振った。
空振りだ。バットがボールの下を振っている。もう少し高い位置を意識してコンタクトするように振る。
僕は追い込まれた状況ながら次は当てられるという謎の自信をもって打席で楽しんでいた。
相手のフォームに合わせて振った。今回はタイミングもバットの振る位置も完璧だ。
そう思った瞬間ボールは下に落ちて空振りをした。
まさかのスプリットだった。最悪だ。
全くいいところがなく終わってしまった。
しかし、次のバッターは田口さんだ。
そして頼りになる田口さんは簡単そうに初球を捉えてヒットにし、林さんが快速を飛ばしてホームまで帰ってきた。
これでチームは同点だ。
チームは大盛り上がりのなか僕だけがまだ悔しさを噛みしめていた。
高橋さんと山本さんを再び敬遠して迎えた晃君の打席。2アウトながら満塁のチャンスだ。みんなベンチから体を乗り出して応援している。ファールで粘りながらカウントを2ストライク2ボールに整えて迎えた8球目。彼がなんとか前に飛ばそうという思いで振りぬいた打球はショートとセンターの間に落ちて2点タイムリーになった。チームの盛り上がりは最高潮に達した。
さらに次のバッターのさくらさんが3ランホームランを放ち、一気に点差を5点にした。
さくらさんはついにとらえることができた喜びでアドレナリンが出まくっていたのか僕を殺す気なのかと思うぐらいの強さで叩いてきた。
正直、痛すぎて叫んでしまった。
「いたーい」
「あ、ごめんごめん」
ついに迎えた最終回。サードには代走の林さんに代わって佐藤広茂さんがついた。
そしてマウンドに立ち続ける晃君。先頭を三振にとり最初の頃とは見違えるようなピッチャーになったなと感心していた。
しかし、次のバッターから急に制球が悪くなって四球をだしてしまい。その次のバッターにもストレートの四球を与えたところで僕は慌ててマウンドに向かった。
「大丈夫?どうかした?」
「いや、大丈夫です。次は絶対に抑えます」
彼の身体中には汗がすごかった。息があがっている。僕は慌てて監督と麻衣さんを呼んだ。
「晃大丈夫?」
「大丈夫だよ。お母さん」
水分をとりながら彼は言った。
「熱中症かもしれないから一度休んだ方がいいと思います」監督が晃君に言った。
「大丈夫。最後まで投げます」
「わかってる。交代はしないから。審判さんすいません。この子が熱中症かもしれないので一度治療させてください」
「わかりました」
「ほら、一回ベンチに行こう」
晃君はしぶしぶ、了承した様子で一度ベンチに下がっていった。
彼はベンチで横になって身体を冷やした。5分ほど休んでいると審判の方がきて「どうですか。そろそろ復帰できそうですか」と訊いてきた。晃君はその声を聞くと飛び起きて「いけます」といってマウンドに向かった。
試合が再開され、晃君が投げたボールは甘くはいったところを打たれてしまった。6点目をとられランナーは2塁3塁。何とか、ここで食い止めたいところだがなかなか、制球が定まらずにフォアボールを出してしまった。ここでタイムをとり監督と麻衣さんも出てきた。
「本当に大丈夫なの?晃これ以上は倒れちゃうよ」
「大丈夫だって」
「でも。私あなたの身体が心配なの」
「心配って。どうせこの体はあと1年しかもたないじゃんか。だから、もうこれ以上怖いものも失うものなんてないんだよ。だから、せめて最後まで投げ切ってみんなで勝ちを味わいたいんだよ」
そうだ。彼に与えられた残りの寿命は1年だ。僕がこれを知ったのは初めて彼の家に訪れた日。
*
「実はお医者さんに晃の余命は1年しかないと言われてるのです。なので、どうか晃の楽しそうに笑ってる時間を少しでも多く長く見たいんです。ずっと野球が大好きで試合のある日は毎日テレビに釘付けになって試合を見てました。でも、子供のころから体が弱くて満足に運動ができなくて野球をさせてあげることもできなかったんです。今回はもう本人がどうなったとしても野球をやりたいと強く言うので依頼させていただいたんです」
「そのような事情があったのですね。そのような事情でしたら私たちではなくプロのチームやテレビ番組にお願いしたほうが強いチームを作れると思うのですが」
「そうかもしれませんが本人が病気の可哀そうな子として見られて野球をしたくないというので。仲間として共に楽しく戦えるチームが良いと」
「わかりました、任せてください。期待に応えられるチームを作ってみせます」
「よろしくお願いします」
*
「最後まで晃君に任せるから、やり切ってきなさい」監督はそういうと麻衣さんを連れてベンチに戻った。
「よっしゃー。絶対勝つぞ」高橋さんが言った。
「おおお!!!」
みんなの声を聞いて晃君は力を貰ったのかコントロールが戻って素晴らしいピッチャーに戻った。
1球1球にこれまでの人生の悔しさと今の状況の楽しさが乗っているようでボールを受けるたびに泣きそうになった。
彼がこれまでどのような人生を送ってきたのか、余命宣告された時の感情について知る由もないがなぜかそこに対して抱いた感情は同情なのではなく尊敬と勇気だった。僕も彼のように強くまっすぐな人間になりたいと思った。
晃君の気持ちのこもったボールは相手バッターを463のゲッツーで締めくくりマウンドでは歓喜の輪ができていた。僕もゆっくりとみんなのところに行った。
「あれ、正人泣いてるの?」さくらさんが僕に向かって言ってきた。
「いや、これ汗です。暑いので」
「なるほどね。汗が目に入ってしみるから目が赤くなってるのか」
「そうですよ」僕は鼻声で言った。
*
あの歓喜の勝利から10か月後の7月上旬。僕は病室に来ていた。
「晃君。体調はどう?」
「正人さんが来たから元気になった」
「そっか。なら来たかいがある」
晃君は笑った。
「でも、正直言うともう先は長くない気がする」彼らしくない元気のない声で話した。
「そんなことないよ。また野球しようよ。僕のミットに向かって晃君のボール投げこんできてよ」
「そうだね。去年はすごく楽しかったな。Don’t look downのみんなと遊園地に行ったり、バーベキューしたりして。すごく楽しめたよ」
「そうだね。またみんな集まって遊びたいね」
「うん.....正人さん左手広げて」
「こんな感じ?」僕は左手を広げた。
「そう」晃君は僕の左手に向かって拳を握った右手をぶつけた。
「握って」
僕は左手をボールを捕るように握った。
「これが僕から最後のウイニングボール」
「しっかり受け取ったよ」
晃君はにっこりと笑った。
僕は自分の顔がどうなっていたのかわからないがひどく泣いていたんだと思う。病室から出ると近くを通りかかったおばあさんに心配されてしまった。
僕が彼からウイニングボールを受け取った次の日から2日間昏睡状態に入り3日後に息を引き取った。
彼は人生の最後の瞬間まで勝ち続けたのだ。どのような状況にもくじけることなく最後までやり切った。僕は彼の最後のウイニングボールをこの胸の中に宿しながら今日も前を向いて歩み続けている。
No.80田村晃君編~完~




