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 仕事を終えた帰り道、話好きのおばさまにつかまって、思いのほか時間をくってしまった。

 辺りはもう赤く染まっている。


 夕暮れの空を何となく眺めながら、思い出すのは彼の事。

 常に血まみれの赤。

 そして、見た事はないけれど、恐らくその瞳の色も赤いはずだ。


 ・・・・


 あれは、まだ私がコチラへ来て間もない頃。

 初めて彼を目にしたのは、ぴんと空気の張り詰めた、真冬の早朝のことだった。

 いつもより早く目が覚めて、気まぐれに裏山へと採集に出た私の目の前に、まるで殺虫剤を掛けられたゴキブリのように、ボトリと落ちてきたのが彼だった。


 しばし静寂の中、意識のない彼を凝視し。

 瞬き二つ程の間をあけ、いやに濃く香る血の匂いに気付き。

 どうも結構な怪我を負っているようだと察して、ああ助けねばと思うまま自然と体が動き。

 慣れた手順で気を分け与えた後で、彼の纏う殺伐とした気配に遅ればせながら落ちつかない気持ちを抱いた私は、厄介事に巻き込まれる前にと、そそくさと背を向け。

 背中に刺さる視線に気づかぬフリで足を進めて。

 そう間を置かずに消えた気配に、ほうっと息をついたのが、始まりだったと記憶している。


 それから二月経つか経たないかくらいの事だったか。

 商売帰りの薄闇の中、ふと憶えのある血の匂いが鼻につき。

 一瞬迷ったものの、あきらかに傷を負っているであろう事が察せられて。

 仕方ない、と足を向けた茂みの奥に、ぐったりと倒れる彼の姿を見つけたのが二度目。


 そうして三度、四度と。

 時間も場所もばらばらに、けれど常に傷だらけの彼と遇うことが、ほぼほぼ日常の一部と化す程度には続いている。

 そんな現状。

 恐らく、この先も、こんな感じで彼との何とも形容しがたい縁が続いていくのだろうと思っていた。


 のだけれど。


 ・・・・


 窓から見えたホタルの光に誘われ、ふらりと散歩に出た帰り。

 闇の中、なじみ深い視線が背中に刺さる。

 おや、と思いながらも素知らぬフリで足を進めるが、家の前まで来ても去る気配のない視線に、何か用でもあるようだ、と仕方なく振り向けば。

 眼光鋭い瞳が二つ、無言のまま此方を見つめていて。

 赤と予想していた色は半分外れ。片側の黒い瞳に、珍しいなと内心で呟いた。


 こうして、意識のある彼と相対するのは初めてだ。

 結構背が高いんだな、と。そんなどうでも良い感想をぼんやり頭に浮かべ。

 家の前で立ち話もなんだろうと扉を開け、中へと仕草でうながせば、躊躇う事なく応じる彼に続いて家に入り。

 土足のまま足を進めようとした彼を、とっさに服の裾を掴んで止めた。


 掴んだ瞬間、即座に振り払われる……ということもなく、彼は無言で私の手を見下ろしたまま動かない。

 「何だ」と問う視線に、靴を脱ぐよう短く告げれば、くっと眉根をよせつつも言葉に従い靴を脱ぐ彼に ほっと息をついて、内履きにと手作りの草鞋を置いた。

 じっと眺めてから、無言で草鞋を穿く様子に、意外と素直なヒトなんだな、とぼんやり思う。

 ペタペタと、常に尖った空気を纏う彼には似合わぬ平和な足音を聞きながら、居間へ。

 こちらも手作りの座布団を勧めるが、彼はそれには応じず、立ったまま懐から何か黒いものを取り出した。

 一瞬、武器か何かかと内心身構えるが、ずるりと引っ張り出されたそれは、銀の縁取りが施された黒い布地……いや、服だった。

 彼の手にあるそれが、どうやら軍服のようだと気付き。

 はて、と首を傾げた私に、彼はどうにも不機嫌そうな顔で口を開いた。


「コレの着かたが分からない」


 言われて、彼の着ているものに目を向ける。

 いたるところ破けて原型不明だが和服に類するもののようだと辛うじて判別し、成程、と頷いた。

 式典用か何かなのか、装飾も多く、やや複雑な形式の軍服は、洋服に慣れていなければ戸惑うのも仕方ない。

 何も言わず彼を風呂場へと誘導して、怪訝な顔の彼に、着替える前に体の汚れを落としておいた方が「それらしく」見えると説明しつつ、体と髪の洗いかたを教える。

 手ぬぐいと浴衣を用意し、何かあったら呼んで欲しいと言い残して風呂場を後にした。


 廊下に出たところで、思わず笑みが漏れる。

 いやはや、予想外も良いとこだ。

 傷を負っているわけでもない彼が、いったい何の用かと思えば。

 服の着方がわからない、とは。

 漏れそうになる笑いを喉に留め、ぱしりと口元を手で覆った。


 あれ以上の関わりを持つ気はなかったものの、こうして些細な事で頼ってきてくれたことが思いのほか嬉しくて。

 まあ、おそらく魔族……いや魔族との混血ミックスであろう彼が、何故この人間至上主義を掲げた国の軍服を持っているのか、とか。

 それを着て、いったい何をするつもりなのか、とか。

 そこはかとなく不穏な空気を感じないこともないではないが。

 まあそこは、得意の見て見ぬフリで流してしまえば良いだけのこと。

 私はただ、頼まれた事をするだけだ。


 と言いつつも、風呂を勧めた時点で、頼まれた事以上に踏み込んでいるのだけれど。

 いやでも、軍人になりすますのが目的なら、身なりはきっちり整えておいた方が断然バレにくいだろう。

 大人しく従っていると言うことは、彼も納得しているということだ。なら問題無い。

 風呂から上がった彼を椅子に座らせ、髪を手ぬぐいでわしゃわしゃとやりながら、そんなことを思う。

 目つきが悪く、無愛想ではあるものの、今の彼に凶暴性は感じない。

 此方の言葉に黙々と従う様子に、なんだか可愛らしささえ感じてしまうくらいだ。


 とはいえ。

 ああも頻繁に怪我を負うような無茶な生き方を選んでいるのだから、見た目通り尖った一面も持っているのだろうなと。

 そんな風に考えて。

 けれど、そういった面を此方に向けてくるわけでないのならば、過度に気にすることもないのでは、と。

そう結論付けたところで。

 彼の持ってきた軍服を広げた。

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