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夜明け前の市場は、戦場だ。
今日もまた、商人達の熱い場所取り合戦が行われていた。
定位置というものはなく、市場内であればどこでも早い者勝ちというのがココのルールで、今のところそれを破っている者を見たことはない。
野太い雄たけびや口汚い罵り声とともに、色とりどりの敷物が翻り、あれよあれよという間に地面が埋まっていく。
夜明けの鐘が鳴る頃には、皆それぞれきっちり店を広げ終わっていて、先程までの泥臭い騒がしさが嘘であったかのように、すまし顔で呼びこみの声を上げはじめるのだ。
最良でもないが最悪でもない、そんな無難な位置に上手く滑り込めた私は、周りにならって声を上げるべく息を吸いこみ……
そこに混じった憶えのある「臭い」に、おや、と目を瞬いた。
さて、どうするか。
数秒思案して、広げたばかりの店をたたみ始めた私に、両隣りの商人が互いに鋭く視線を交わしあい、それぞれ予備の敷物をさりげなく手にした。
それに気付きつつも、素知らぬ顔を作り、頭の中でカウントダウン。
(さん)まとめた商売道具を背負い(にい)立ち上がって(いち)敷物を素早く引きながら(ぜろ)背を向ける。
背後で、ずざっと地面を磨る音。
小さく上がった勝利の声に、あ、右の人が勝ったんだな、とぼんやり思いながら、細い路地へと足を進めた。
一歩進むごとに臭いが強くなり、自然と眉間に皺が寄る。
壁に、擦ったような血の跡を見つけ、つっとそれを指でなぞった。
なぞる先からぱらぱらと剥がれ落ち、灰になっていくソレを目で追って。
追った先に、四肢を投げ出すようにして転がっている血だらけの体を見つけ。
やっぱりか、と眉間の皺を深くした。
闇色の髪に、同色の服。隙間から覗く蒼白の肌。
どれも大部分が血の赤に染まっている。
本当にいつも傷だらけだね、君は。
そう、心の中で話かけながら。
気を失っている彼の隣に座り、するりとその頬を撫でた。
指についた血を舐めとり、そこに含まれる魔力をコロリと舌で転がして、ふむ、と頷く。
そうそう、こんな味だ。
何度か口にした事のあるその味を忘れたわけではないけれど、何らかの要因で変化する場合もあるから、毎回確かめてからの方が良い。
舌に感じる魔力に合わせて、馴染むよう気を練る。
こんなもんかな、と頷き、口の中に溜めたソレを、彼の口の中へと流し込んだ。
唇を離し、問題無く気が馴染んでいるかを確認する。
問題なさそうだ。
では、と立ち上がり、彼に背を向けた。
背中に突き刺さる視線に、いつものように気付かないフリで足を進める。
そして、いつも通り、三歩も進まないうちに音も無く消える気配。
いつも血だらけで倒れている彼と、私は会話どころか目もあわせた事がない。
関わるのは面倒そうで、けれど見捨てるのは気が引ける。
こう何度も出くわすのだから、縁はあるのかもしれないけれど、今以上の繋がりを求める気はなくて。
それは相手も同じのようだから、なら、それで良いんじゃないかなと。
薄いような濃いような、こんな関係がどこか心地良くもあり、割と気に入っていたりもするので。
次はいつになるかなと、ぼんやり考え、笑みを浮かべた。
さて、今から市場に戻っても場所は空いてないだろう。
今日はもう朝市はあきらめて、午後からの配達だけ済ませたら、あとは家でゆっくりしてようか。