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ゆき子の初恋の丘 3

そのまま立ち去ろうとしたら、その子は私にポイを渡してくれた。

「五匹以上すくったら、お金は要らない。どう?」

「私、お金は払います」

「うん、わかった。四匹以下ならお金は貰う」

「それ、同じことですよ」

「きみ、頭良いね」

そう言われて、はにかんでいる自分がわかった。

それが初めての会話だった。

私はその時、五匹の金魚をすくった。


「ちょうど五匹か。約束どおり、お金は要らないよ」

「いいえ、払います」

その子はにこりと、笑みを含ませた顔でうなずいた。

お金を払いながら思い切って聞いてみた。

「これ、アルバイトなんですか?」

「そう、年に一日だけのアルバイト」

「楽しそうですね」

「うん、面白いよ。そうだ、悪いけれど十分間だけ店番して」


困惑している私にまるで気づく様子もなく、さっさとその子は

「すぐに戻ります」とお祭りの人々の中に紛れ込んでしまった。

おろおろと、たじろぐ間もなく立ち尽くす私に、小さな子供に小銭を渡された。

「ちょうだい」と差し出された手に、急いでポイを渡す。


ポイの紙が破けたらビニール袋に水を入れて、すくった金魚を入れてあげる。

お店の人になるのは初めてだけれど、見慣れた風景なので簡単に出来た。

お店側から見ると、お祭りの風景も何となく違った風景に見えた。

お祭りには働く人たちが、沢山いることに気づいた。

私も今は働く側にいる、妙な気持ちが湧いた。

そう思うと何だかまた、心細くなった。

照美や他の誰かに見られたら、なんて言えばいいのかと困った。

それでもお客はお構い無しにやって来た。

『おねがい、早く帰ってきてよ』何度も心の中で呟いていると、やっと帰って来た。

あの子はハアハアと息を切らせて帰って来た。

一生懸命に走ってきたのかと思うと、不満そうな顔は見せられなかった。

「ありがとう、大変だった?」

「ううん、大丈夫。面白かった」これは嘘の部類に入るのだろうか。


「でも、何処へ行っていたのですか?」

「お母さんが夏風邪で寝ていてね、水枕の氷を替えてきた」

並んで立つと私よりもかなり大きな背丈になっていた

初めて見たときは、男のくせに可愛い顔をしていると思った。

今はたぶん高校生だし、男の子は高校性になると随分大人じみてくるもんだなと思った。


それからまた数ヶ月、あの子に会うことはなかった。

家も名前も知っているけれど、ただそれだけの距離に変わりはなかった。

同じ町内に住んでいてどうして偶然に出会うことがないのか、考えると不思議な気がして

二歳年上のお兄ちゃんに聞いてみた。

「お兄ちゃんの中学時代の同級生に石山剛って子いた?」

「石山?聞いたことないよ。俺の学年にはそんな名前の奴はいないよ」



中学二年の三月。

私はまた鉄の階段を上って、あの子が住むアパートの202号室に新聞を配達した。

でも、あの子と出会うことはなかった。


五月になって、十三日の水曜日だった。

私の記憶に間違いはない、それは五月十三日の水曜日だった。

あの子が突然と私の家に来た。

陽が伸びて、日没が遅くなった夕方の事だった。

玄関先で『ごめんください』との声を聞き留めて引き戸を開けたらあの子が立っていた。

驚いた。あの子が私の家にやって来るなんて、想像をした事などない。


「きみが好きです、写真を一枚ください」

あの子は、それしか言わないで立っている。

そして私の顔をただじっと見ていた。

私もその顔をじっと見た。

その子はニコッと笑顔を見せて、深々とぺこりと頭を下げて

「お願いします」元気のいい声でそう言った。

頭を上げたあの子とまた目が合った。


「驚きますよね、でも冗談でこんな事はしないです」

「本気?」私の口から出た言葉は『なぜ?』ではなかった。

本当なら、なぜ?どうして?聞くべき所だったかもしれない。

本気です、と答えられて私は困ってしまった。


「いつの間にか気が付いてみたら、きみが好きになっていた。

それは何年も前からだと思う。理由はない。

誰にも見せませんから写真をください。お願いします」

そう言ってまた微笑んだ。


何となくその子の気持ちが嬉しく伝わった。

私はお気に入りの、一枚の写真をその子に渡した。



その日から間もなく、夢見が丘公園の展望台で初めてふたりで会った。

ふたりで展望台からこの町の風景を眺めると、この町も大きな町に思える。

剛くんは展望台の壁に私の似顔絵を鉛筆で書いてくれた。

その横に剛くんの似顔絵を私が書いた。

ふたりの顔がその壁に並んだ。

やっと。





この物語を金ちゃんこと『琴灸菩』氏に捧ぐ。









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