43 スピンオフ回 エミリアと麗奈の同棲
ありえるかもしれない、数年後の未来。
なぜか、エミリア・神崎は月城麗奈と同棲していた。
なぜそうなったのか。
本人たちもよく分かっていない。
最初は仕事の都合だった。二人が共演する長期ドラマの撮影で、移動効率を考えて同じ高級マンションを借りた。それだけだった。別々の部屋にする予定だった。だが、なぜか事務所側の手違いで、同じフロアどころか同じ部屋になった。
普通なら即座に変更する。
だが、二人は意地を張った。
「別に私は困らないけど」
エミリアが言った。
「私も困らないけど?」
麗奈が笑った。
その一言で終わった。
変更すれば「逃げた」ことになる。
互いにそう思った。
だから、同棲が始まった。
そして初日から地獄だった。
「ちょっと」
朝。
リビング。
麗奈が仁王立ちしていた。
明るい人気者で、王道ヒロイン枠の美少女女優。
表ではいつも笑顔。
雑誌では「朝は白湯とフルーツです」と言っている。
だが今は、完全に不機嫌だった。
「何これ」
麗奈が指差した先。
ソファの上。
黒いジャケット。
派手な柄のシャツ。
昔のダメージデニム。
妙に強そうなブーツ。
エミリアの元ヤン時代の服だった。
エミリアはキッチンでコーヒーを飲んでいた。
「服」
「見れば分かる」
「じゃあ聞かないで」
「なんでソファにあるの?」
「置いたから」
「片付けなさいよ」
「後で」
「昨日も後でって言った」
「じゃあ今日の後で」
麗奈の笑顔が引きつる。
「この部屋、私も使ってるんだけど」
「知ってる」
「なら片付けて」
「そっちこそ」
エミリアは冷静にリビングの反対側を指差した。
そこには、大量のぬいぐるみがいた。
白いクマ。
ピンクのウサギ。
丸い犬。
謎のヒヨコ。
大きな猫。
小さなペンギン。
さらに海外映画のキャラクターぬいぐるみ。
ソファ横。
棚の上。
テレビ台。
出窓。
クッションの間。
どこを見ても、ぬいぐるみ。
麗奈は当然のように言った。
「可愛いでしょ」
「多すぎ」
「多くない」
「多い」
「癒やしなの」
「圧迫感がある」
「あなたの元ヤン服の方が圧迫感ある」
「ぬいぐるみよりマシ」
「どこが?」
「少なくとも目がこっち見てこない」
麗奈はクマのぬいぐるみを抱いた。
「この子たちは見守ってくれてるの」
「怖い」
「怖くない」
「夜中に廊下で見ると怖い」
「あなたの黒いブーツの方が怖い」
「実用的」
「威圧的」
二人は睨み合った。
朝七時半。
まだドラマ撮影に行く前である。
マネージャーが迎えに来るまであと二十分。
この二十分で、毎朝だいたい喧嘩する。
それが同棲生活の基本になっていた。
麗奈はぬいぐるみを抱えたまま言った。
「そもそもさ、あなた元ヤン時代の服なんてまだ持ってるの?」
「あるけど」
「何に使うの?」
「役作り」
「本当に?」
「本当」
「ただ捨てられないだけじゃないの?」
「そっちのぬいぐるみも同じでしょ」
「違う。これは思い出」
「私のも思い出」
「怖い思い出じゃん」
「可愛い思い出ぶってるぬいぐるみよりマシ」
麗奈の目が細くなる。
「今、うちの子たちを馬鹿にした?」
「うちの子って言った」
「言うでしょ」
「怖い」
「あなたの方が怖い」
その時、インターホンが鳴った。
マネージャーだった。
二人は一瞬で顔を変えた。
エミリアは上品な微笑み。
麗奈は明るい笑顔。
「おはようございます」
「おはようございまーす!」
マネージャー二人は玄関で顔を見合わせた。
部屋の中からは、ついさっきまで冷戦の気配が漂っていた。
だが、玄関に出てきた二人は完璧な若手人気女優だった。
怖かった。
撮影現場。
二人はドラマでは親友役だった。
これがまた厄介だった。
役柄では、幼い頃からの親友であり、互いを支え合う。苦しい時には抱き合い、涙を拭い、励まし合う。
本番。
麗奈が泣きそうな顔で言う。
「あなたがいてくれたから、私はここまで来られたの」
エミリアが静かに微笑む。
「私も。あなたがいたから、諦めなかった」
二人は抱き合う。
監督が叫ぶ。
「カット!いい!すごくいい!」
スタッフたちは感動していた。
「本当に仲良さそう」
「空気が自然」
「長年の絆がある感じ」
マネージャーたちは死んだ目をしていた。
現実を知っているからである。
カットがかかった瞬間、二人は同時に離れた。
麗奈が小声で言う。
「朝、ブーツ片付けて」
エミリアも小声で返す。
「ぬいぐるみ減らして」
「減らさない」
「じゃあ片付けない」
「最低」
「そっちが」
監督は遠くから満足そうに言った。
「いいね、二人とも本当に息が合ってる」
二人は同時に笑顔を作った。
「ありがとうございます」
「嬉しいです!」
完全に女優だった。
夜。
撮影を終えてマンションに戻る。
エミリアは疲れていた。
麗奈も疲れていた。
だが、部屋に入った瞬間、また戦争が始まる。
「ちょっと!」
麗奈が叫ぶ。
「何」
「あなたの服、まだソファにある!」
「そっちのぬいぐるみも増えてる」
「今日もらったの!」
「誰に」
「番組スタッフ」
「断れば?」
「失礼でしょ」
「置く場所ないでしょ」
「ある」
「どこに」
麗奈は無言でエミリアの元ヤン服を指差した。
「そこ」
「置くな」
「じゃあ片付けて」
「そっちが減らしたら」
「減らさない」
「じゃあ片付けない」
また堂々巡りだった。
そこへ、エミリアのスマホが鳴った。
レイからだった。
ビデオ通話。
エミリアは嫌な予感がしたが、出た。
「何」
画面の向こうでレイがいた。
「のだっ♡エミリアぁ!」
「うるさい」
「麗奈と同棲はどうなのだぁ!?」
エミリアは即座に通話を切ろうとした。
「待つのだぁ!」
「何で知ってるの」
「業界は狭いのだぁ!」
「最悪」
画面の向こうのレイは妙に楽しそうだった。
「どうせ喧嘩してるのだぁ?」
「してない」
その瞬間、麗奈の声が飛んだ。
「エミリア!その服どかして!」
レイが固まった。
「のだ?」
エミリアは無言。
麗奈が画面に映り込む。
「あ、社長さん。こんばんは」
完璧な笑顔。
レイは一瞬でデレかけた。
「のだっ♡麗奈殿は相変わらず可愛いのだぁ」
エミリアが低い声で言う。
「東雲さんに言う」
「やめるのだぁあああ!!」
レイは即座に青ざめた。
麗奈は笑った。
「相変わらずですね」
「のだぁ……」
「で、何の用?」
エミリアが聞く。
レイは咳払いした。
「ドラマの番宣で、お主らの同居仲良し企画を」
二人同時に言った。
「却下」
レイは停止。
「のだ?」
「絶対嫌」
エミリア。
「無理です」
麗奈。
「でも視聴率取れるのだぁ!」
「炎上する」
「掴み合い再来なのだぁ?」
「するかもね」
レイは震えた。
「のだぁ……やめるのだぁ……」
麗奈が笑顔で言った。
「でも、部屋を映さなければいいかもしれませんね」
エミリアが睨む。
「何考えてるの」
「二人で料理企画とか」
「あなた料理できないでしょ」
「できるわよ」
「盛り付けだけでしょ」
「見栄えも大事」
「火使える?」
「使える」
「本当に?」
「あなたこそできるの?」
「できる」
「元ヤン料理?」
「何それ」
レイは画面の向こうで震えた。
「のだぁ……この空気で番宣したら逆に爆発しそうなのだぁ……」
そして通話を切った。
巻き込まれたくなかった。
数日後。
問題はさらに悪化した。
麗奈が新しい巨大ぬいぐるみを買ってきたのである。
白いクマ。
身長一メートル。
かなり大きい。
リビングの一角を占拠した。
エミリアは帰宅して、それを見た瞬間、無言になった。
「何これ」
「可愛いでしょ」
「邪魔」
「可愛いでしょ」
「邪魔」
「可愛いって言いなさいよ」
「邪魔」
麗奈の笑顔が引きつる。
「あなたの昔の服より可愛い」
「それと比べないと勝てないの?」
「勝ってるでしょ」
「場所を取る時点で負け」
「あなたのブーツも場所取ってる」
「あれは玄関の端」
「威圧感がある」
「クマの方が圧迫感ある」
エミリアはクマを持ち上げようとした。
麗奈が止める。
「触らないで」
「どかす」
「駄目」
「ここ通れない」
「横通れば?」
「狭い」
「細いでしょ」
「そういう問題じゃない」
二人の声が大きくなった。
そして。
ついにエミリアが言った。
「じゃあ私の服も増やす」
「は?」
「倉庫から全部持ってくる」
「やめて」
「元ヤン時代の服、まだ箱であるから」
「怖すぎる」
「リビングに並べる」
「絶対嫌」
「ぬいぐるみと交換」
「最低」
「そっちが先」
翌日。
本当に増えた。
リビングの一角に、エミリアの昔の服が衣装ラックで並んだ。
黒。
赤。
派手。
強い。
どう見ても麗奈のふわふわぬいぐるみ空間と喧嘩している。
部屋の左側は、麗奈のぬいぐるみ王国。
右側は、エミリアの元ヤン衣装倉庫。
中央だけが辛うじて中立地帯だった。
その中央で、二人は睨み合った。
「最悪」
麗奈。
「そっちがね」
エミリア。
「この部屋、二重人格みたい」
「あなたが持ち込んだ服のせい」
「そっちのぬいぐるみのせい」
だが、奇妙なことに。
その部屋の写真をもし見たら、かなり面白かった。
可愛いものと強いもの。
白いクマと黒いジャケット。
ピンクのウサギとダメージデニム。
麗奈とエミリア、そのものだった。
数週間後。
ドラマの宣伝番組で、二人は聞かれた。
「お二人、撮影期間中はかなり一緒に過ごされているそうですが、相手の意外な一面は?」
麗奈は明るく笑った。
「エミリアって、意外と物を捨てられないんです」
エミリアは笑顔のまま麗奈を見る。
「麗奈も意外と寂しがりで、ぬいぐるみが多いんです」
司会者は笑った。
「可愛いですね」
二人は同時に笑顔。
だが目は笑っていない。
司会者は知らない。
その裏で毎日戦争が起きていることを。
「エミリアさんはどんな物を捨てられないんですか?」
麗奈が答えようとする。
「昔の――」
エミリアが即座に遮る。
「服です」
麗奈が笑う。
「そう、服。個性的な」
エミリアも笑う。
「麗奈のぬいぐるみもかなり個性的です」
「可愛いでしょ」
「多いです」
「多くないです」
「多いです」
番組としては盛り上がった。
SNSでも話題になった。
『エミリアと麗奈、同居してるの?』
『ぬいぐるみ多い麗奈かわいい』
『エミリアの個性的な服って何』
『この二人、仲良いのか悪いのか分からない』
『目が笑ってない』
『でも相性いい』
レイはそれを見て叫んだ。
「のだぁあああ!!番宣成功なのだぁあああ!!だが怖いのだぁあああ!!」
そして東雲に「また余計な企画を考えていませんか」と静かに聞かれて、すぐ大人しくなった。
同棲生活は続いた。
毎日喧嘩。
毎朝喧嘩。
毎晩喧嘩。
原因はだいたい服とぬいぐるみ。
たまに冷蔵庫のプリン。
たまに洗面台の取り合い。
たまに台本の置き場所。
だが、不思議とどちらも出て行かなかった。
ある夜。
撮影が遅く終わり、二人は疲れて帰ってきた。
麗奈はソファに倒れ込んだ。
エミリアは水を飲んだ。
部屋は相変わらず異様だった。
ぬいぐるみと元ヤン服。
混沌。
だが、妙に見慣れてきた。
麗奈がぽつりと言った。
「この部屋、ひどいね」
エミリアが言う。
「今さら?」
「でも、ちょっと慣れた」
「私も」
「クマ、どかさないから」
「服もどかさない」
「最悪」
「そっちがね」
そして、二人は同時に少し笑った。
本当に少しだけ。
仲良しではない。
断じて仲良しではない。
本人たちがそう言う。
でも、同じ部屋で毎日喧嘩しても、仕事では完璧に親友を演じ、帰ってきてまた喧嘩する。
それはそれで、一つの相性だった。
麗奈は大きなクマを抱えた。
「エミリア」
「何」
「その黒いジャケット、一着だけなら出しててもいい」
「は?」
「一着だけ」
「何それ」
「クマの横に置くと、意外とバランスいい」
エミリアは意味が分からない顔をした。
だが、少し考えて言った。
「じゃあクマ、一体だけならここでもいい」
「一体だけ?」
「一体だけ」
「この子?」
「その大きいやつ」
「いいの?」
「邪魔だけど、もう見慣れた」
麗奈は少しだけ嬉しそうにした。
「じゃあ決まり」
「ただし増やすな」
「あなたも服増やさないで」
「分かった」
「本当に?」
「そっちこそ」
二人は睨み合った。
だが、その日だけは喧嘩が少し短かった。
翌朝。
リビングの中央に、大きな白いクマのぬいぐるみが置かれた。
その横に、エミリアの黒いジャケットが一着だけ掛けられていた。
奇妙だった。
でも、妙に部屋になじんでいた。
麗奈が言った。
「悪くないじゃん」
エミリアが言った。
「悪くないかもね」
その瞬間、二人は同時に気づいた。
今、意見が一致した。
すぐに顔を逸らす。
「別に」
「たまたま」
そう言い合って、また仕事へ向かった。
ドラマの撮影では、二人は完璧な親友役を演じた。
監督は今日も感動していた。
「本当にいい空気だね、二人」
マネージャーたちは死んだ目で見ていた。
いい空気。
確かに、ある意味ではそうだった。
ただし、かなり物騒で、かなり面倒で、かなり喧嘩腰の空気だった。
それでも。
エミリアと麗奈は、なぜか一緒に暮らしていた。
元ヤン時代の服と、多すぎるぬいぐるみ。
毎日の大喧嘩。
そして、たまに妙に息が合う瞬間。
本人たちは絶対に認めない。
だが周囲は薄々思っていた。
この二人。
思ったより、相性がいいのではないか、と。




