ノエルク・グラシュープは天下の華が苦手
ノエルク・グラシュープ。貴様、ちょっと顔を見せに来い。
お上品で遠まわしかつ美辞麗句をそぎ落とし、ざっくりと要約した内容はそのようなもの。
グラシュープ侯爵家の入り婿となって、頑張ってきた社交の仮面もつい落ちる。顔はきっとしわくちゃだ。
嫌だ。とんでもなく、嫌だ。
自室の机にうなだれて頭を抱えてしまいたい。
「なんで、俺だけ……」
次期当主夫妻としての学びの最中、恭しく差し出された招待状を渡された時から悪寒はしていたのだ。
上等な紙に、見覚えのある紋章。そして極めつけは、送り主の名前だ。
リリネット様。元ミュステラー公爵家令嬢で、現在新たに興ったデュナセント大公家の現当主が溺愛する奥方。その名前を何度見ても変わらない。
弟であるカシュロ様であったなら、喜んで自分は行くのに。その姉の名前を目にするだけで身構えてしまう。
そんな自分の様子を見かねたのか……いや、違うな。絶対、嗅ぎつけたんだ。脇から素早く細い手が伸びて、招待状をぶんどられた。
「シグ」
二歳下の妻がそこにいた。
ぱっと髪を手で払う姿は、小さいのに大変貫禄がある。どこから湧くのかわからない自信の塊が目に宿ったような碧眼を見開いてこっちを見ている。
「お姉様のご招待! ノール、これはまたとない名誉ですわよ! だというのに、その顔はなんです。もっとしゃんとなさい」
招待状で俺の腕を景気よく叩きながら言うが、その扱いはいいのだろうか。
従姉が好きすぎるシグの様子はいつものことなので、振るう腕を軽く握って止めた。もうすぐ二十歳になるのだから落ち着いてほしい。まあ、そんな様子も可愛いけども。
頼りない手首を痛めないようにそうっと下ろして、情けない本音を伝えることにした。
リリネット様にはシグ。シグがいるなら、あの全身に冷気で針を刺されるかのような心地は紛れる。
「……シグ、君も来ない?」
「お姉様がお呼びなら、いついかなる時も馳せ参じることに吝かではありません。ですが! わたくしの身を案じてくださる御心を無下にするなんて、従妹としてありえませんわよ」
駄目だった。それはそう。
愛する従姉の言うことなら、特殊解釈しない限り君は守る人だ。そうだった。
それに、身を案じるというところで腹を抑えるシグに、ぐうと唸り声が出そうになる。
「何をそんなに身構えることがあるの。わたくしの愛するお姉様に何があると?」
「いや、何もないです」
今生では、まだ何もされてない。
たびたび「あたくしの可愛い可愛いシグに」という目で見られるが、害はない。
七十数回繰り返してきた人生のなかで、人に殺されるという場合の死因一位の御方なだけで。
「……ちょっと、だいぶ、怖い人だなあという気持ちはあるくらいで」
ぽーんと頭と胴体が離れる感覚。
冷たい水底のような瞳を興味も示さずに、ただ細められる。美しい淑女を視線に捉えて、ノエルク・エルマインは首を刎ねられその生を終えた……そんな人生は一度や二度ではない。
あの美しくも恐ろしい淑女は、首を刎ねるといったら本気でやる。そして命令した光景をちょっと不愉快だなくらいの表情で眺める。
過去、自分が日本でやっていたゲームで表すなら、防御力が馬鹿程高くてほとんど攻撃が通らない相手でこちらの一手を間違えると回避無効防御貫通でバインド即死をやってくるクソギミックボスに違いないと思っている。あと魅了使い。
さらに言ってもいいなら、恋愛SLGのキャラじゃない。戦国SLGとかに出る策士キャラだと俺は思う。
それくらい、容赦のない苛烈さを美しさと優雅さで隠しているとしか思えない。
伝わる人はこの世界に居ないので、思うのは自由だ。
むっつり黙っていたら、小さなため息がした。視線を向けるとシグが腕を組んでこちらを見上げている。
「まあ、恐ろしいくらいの美貌を誇る御方であるのはそうでしょうとも。あなたの恐れ敬う気持ち、わかりましてよ」
「違うんだよなあ」
本当にどうしてシグはリリネット様に盲目なのか。
前に聞いたときは、生まれて幼心が芽生える時にはすでに理想の方として心に刻んだらしい。いや、今思うとなんだそれ、怖すぎる。
「ともあれ、大公夫人であるお姉様から召喚を受けたのです。疾く用意していってらっしゃいな。大公にはお姉様を褒め称えながら、適当にしていればよろしくてよ」
「不敬すぎる。はあ、気乗りしないけど行ってくる……その前に、その、抱きしめても」
じ、と小さな背丈のシグの丸い目を見つめる。碧眼と相対する俺の顔は、やっぱり情けなく映ったのだろう。シグがやれやれとした顔をした。それでも、嫌悪するとか面倒がるとかそういう態度でないことにホッとしてしまう。
「まあまあ、お可愛らしい大きなお子様ですこと。よくってよ! わたくし甘えてくる旦那も愛してますからね」
「ありがとうございます」
わざとらしいほど恭しく言えば、明るい笑い声がシグからこぼれる。ころころと鈴の音色のような声って、国語でどんな声だよと突っ込んだ覚えがある。でも、こういう可憐な高めの声なんだろうなと今では思う。
自ら身を寄せてくれたシグの体を抱きしめて、息を吸い込む。
暖かくてやわらかくて、ひどく心地いい。力を込めすぎないように腕を回して、絹より艶やかな銀糸のような薄緑の髪を撫でる。
「はあ……嫌だ。行きたくない……俺が死んだら、後に引きずってほしい……」
「新手の呪詛かなにか? まったく、今日のノールは駄目駄目じゃないですの。妊婦たるわたくしより繊細なのはどうなの」
「本当に仰る通りだけど、心配は尽きないものだし。もちろん、機嫌は損ねないようにうまくやるつもりだ。でも」
「でもでもだってと鬱陶しいこと。もう、しょうがありませんわねえ!」
乱暴に髪型を乱されて、離された。
腰に手を当ててシグは胸を張る。
「お姉様に手紙を差し上げるわ。ノール、あなた、それをお渡しなさい」
俺の鬱屈した思いを蹴飛ばす溌剌とした口調で、ついでに勢いよく肩を叩かれた。
「背を伸ばすっ」
「はいっ」
* * *
臣籍降下にあたり大公位を与えられた、現国王の王弟殿下。
威圧感のある男が睨み据えながら部屋の入り口で番をしている。普通ならば、信の置ける侍女や侍従に任せればよいのに。
そして部屋の一際立派なソファに体を預けていたのは、俺を呼び出した当人、リリネット・デュナセント大公夫人。銀髪碧眼のたいそうゴージャスな美人と形容したような人だ。
豪奢な扇子を流れるように動かして、絵画のように小首をかしげるポーズをしている。
「まずはシグからのお手紙を読ませていただいたけれど」
ぽってりとした赤い唇が、ほう、と息をこぼす。憂いがちに見えるからか、背後からの圧がすごい。
大公、俺は何もしていない。そう言ったとしても、聞いてはくれないだろう。
こっちが息をつきたい気持ちを抑えて、次の言葉を静かに待つ。
「あたくしがノエルクを苛めるだなんて、可愛らしいことを言うのだもの。妬けてしまうわ」
返事は許されていないので、しないが吉。
殊勝に視線を合わせずに控えていれば、もう、と小さな声がした。
「シグが健やかでいるのであれば、手は出さなくってよ。ねえ、ノエルク」
「はい」
ああ嫌だ。
けれど顔は取り繕って、真面目に返す。
「あたくしの子と、シグの子。将来を繋ぐ約定を断るとはどういう意図があって?」
ほら来た。
だから来るのが嫌だった。絶対文句を言われるとわかっていたから。
「まだ、性別も定かではありません」
「定かであったら構わないと?」
「そうは申しておりません。第一、子らの気持ちも」
「気持ちがなんだというのです?」
リリネット様は優雅に微笑んでいる。生家である公爵家のカラーらしい紺碧のドレスがしゃらりと細波のように動いた。足でも組み替えたのだろう。
「うふ……まあ、そういう甘さがシグの気に入りなのでしょうね。だから申し出ているというのに」
社交に不向きな俺に変わって、介入すると暗に言っている。
「相性など、良かろうと悪かろうと為さねばならぬことはあるもの。まったく、頑迷さは過ちに近づいてしまいかねないと理解なさい」
「リリ、懸命に話す君は知的で素晴らしいが、話が逸れている」
「あら、そう。では、直截に話します」
そう言うと、リリネット様は扇子を開いた。口もとを隠してひそやかな口調で聞いた。
「シグの体調は? いつ生まれるのかしら? 贈り物は馬と揺り籠、土地と他にいるかしら」
「……いや、あの、本当にお構いなく。秘密で祝ってくださろうとしたお気持ちだけで大変結構です。シグがはしゃいで体に障ると悪いので」
「何故? あたくしの身内も同然の子ですもの。姪であれ甥であれ、生まれようというのなら愛でて祝ってしかるべきです」
「そう思ってくださるなら、俺を呼び出さずシグのお傍に居させてもらえたら嬉しいのですが」
「あたくしのお砂糖ちゃんを奪い召し上がったのに、それはいけないわ。刻一刻とせまる記念の日を祝うには準備が必要でしょう」
ぱちん。
扇子が閉じると、大公であるはずのガームンド殿下が同意するように追随してきた。
「リリが望むのであれば、今すぐにグラシュープ侯爵令嬢を引き入れよう」
「引き入れないでください」
思わず声が出た。
大公家が落ち着くまで忙しくしているからって、シグに会えない腹いせを俺で果たさないでほしい。あわよくば俺とシグの話をしたいのだとしても、だ。
「俺のシグなんですから、遠慮してください」
「あら、悲しいこと」
「どのみち、シグはあなた方を喜んで招くのだから、それまでお待ちください。それとシグに病気も怪我も一切させません。あと……これ」
俺は背後のガームンド殿下に、ポケットに入れていた折り畳んだ紙片を差し出した。
「なんだ、これは」
「異国の呪符です。危機や怪我を肩代わりします」
「ああ……お前、そうか……まあ、預かろう」
ごねられたらと持ってきた物は、受け入れられるかと心配だったが意外とあっさり受け入れられた。
微妙な顔を一瞬されたのは、妖しい物だからというのもあるのだろう。
「それ、シグに何枚も持たせているので。効果がわかるのなら、安心できますか」
リリネット様はシグとよく似た碧眼を細めている。怯みそうになりながら見返せば、ふい、と逸らされた。
「あたくし、あなたのそういうところが好きではないわ」
「……そうですか」
俺もだ。
シグが一番に好きと言う、リリネット様なんか。
いくら美しくたって、身分があったって、能力があったとしても。シグという一点で、接点を持つのだからたまったものではない。
でも、気は合うような気がする。
それがたまらなく居心地が悪くて、やっぱり苦手だと思えた。




