呪い師の弟子、やっています。
「お隣さんは呪い師らしい。」「新たな一週間」の夏の一コマ。そこはかとなくぶつ切り。
夏だ。盛夏だ。
それもうだるくらいの熱気の中、俺は鍋の前で汗をかいていた。お玉でかき回す作業に汗が浮かぶが、これで鍋の中に汗が入ったら台無しなので緊張もひとしおだ。
八草香、高校二年。至って普通の善良なる一般市民と言いたいところだが、ちょっと違う。
後ろで腕を組んでいるひょろ長い人物、ナヨの弟子だ。何の弟子かというと、呪い師。なんとファンタジー特有の謎の能力も使えたりする。とはいっても、やっていることは薬問屋みたいなことが多いと思う。正式に弟子となった春からずっと、俺がしている作業は薬の作成と依頼受注と商品発送である。
しかしただの薬ではない。謎の言語、ミミズのような文字を脳裏に浮かべながら作る薬は、日常的にはありえないものばかり。原材料からおかしい代物も少なくない。
ちなみに現在作成中なのは、育毛剤だ。受付時計という、ファックス機能搭載の壁時計から送られてきた正式な依頼である。師匠のナヨ曰く、「冬場の生え変わりに必要なんだろう」とのことだが、依頼人は只人ではないのかもしれない。
只人ではないというと、人間以外ではない存在がこの世にはいるのだ。不死者だとか、精霊みたいなものだとか、そういったファンタジーな生き物も存在している。
ぐるぐるとかき回して、手を止める。
鍋の中には、粘つく亜麻色の液体。液体といってもいいのだろうか、これ。
甚だしく疑問だが、これで完成だ。背後のナヨを振り返る。
「出来たよ、ナヨ」
「ああ、まあまあだ。もう少し冷ましたら瓶に入れて発送しておけ」
「了解」
ナヨは鍋を見下ろして、それから逸らして虚空を見た。
俺もつられて上を見ると、換気扇が視界に入った。
この換気扇もただの換気扇ではない。この換気扇を通じて、ナヨと取引をする商人が幾人かやってくるのだ。その商人は大抵、黒尽くめのスーツにアタッシュケース、顔は細筆で書いたかのような能面の男。ナヨはアキナイと呼んでいる。
アキナイはいつも決まった日に来る。月の10日と20日で、朝方10時に来ることが多い。
今日はその日ではないはずだ。
「ナヨ?」
俺の声かけに、ナヨと視線が合う。
ナヨは相変わらずの、なよなよの細面で、声を聞かない限り性別を間違えられることもしばしばだ。この数ヶ月で、既に何回か間違われたらしく、その日のナヨはすこぶる機嫌が悪かったのでよく分かった。
ゆるくうねる髪をひっつめて一つ結びにした姿は中性的だし、やや下がった目も細い眉も男性的とは言いがたい。
そんなナヨだが、俺にとっては頼れる古い友人で家族同然の存在なのだ。家族同然なのはナヨにとってもそうだといいのだが、こんな質問は恥ずかしい上に自意識過剰のようで言えずじまいだ。
「ヤクサ、そういえばお前、魔術の知識がほしいといっていたな」
唐突なナヨの言葉に驚きながらも俺は頷いた。
ナヨから教えてもらったのは調薬についてだけではない。旧式言語を使用した呪文も教わっている。教わっているのだが、ナヨの教え方は凄く人を選ぶ。大雑把なのだ。
ナヨ曰くの呪い道具だとか、薬の作成方法、道具の知識は丁寧に教えてくれる。ただ、能力を使用することに関しては酷く適当だ。
ナヨはどうもこの能力の使用説明に関しては、苦手な分野らしい。ナヨの古い知り合いという富士野という不死者はそれを聞いた途端、ありえないという顔をしたが。きっと天才肌かなんかなんだろうと思うことにした。きっとそうだ。
「うん。富士野さんに頼む予定だったんだけどね……」
富士野は俺の使い魔だ。正式名称は、富士野・アレクサンダー・太郎。人形めいた綺麗な容姿の男だ。
詳しい経緯は省略するが、富士野は結構有名な不死者の男で、突然現れて知らぬ間に使い魔契約を交わして、そのポジションに収まってしまった。
ナヨは富士野という名前に、嫌そうな顔をして息をつく。
「ああ、暑さにやられたか」
そうなのだ。
富士野はここ最近の暑さに参っていた。ついこの間、今夏最大の猛暑日となるという予報が出た日、俺の前に急に現れて「腐る前に、冷やしてきますね」と精彩を欠いた笑みで言った後、消えた。何が腐るのかとかは、想像できるので聞きたくはない。
あいつは不死者と書いてゾンビと読んだほうがいいかもしれない。
「腐っても死にはしないが、悪臭撒かれるのも困る。呼ばずに置いておけ。それに丁度いいのは他にいる」
ナヨが言うのとほぼ同時に、チャイムがなった。
「ああ、いい頃合だ。開いているぞ」
外へ向かってナヨが声をかけると、ドアがゆっくりと開いて男が一人現れた。
第一印象は、厳つい。これにつきた。
「お邪魔します。お久しぶりです、オッラ」
隆々とした筋肉を持つ大男は、丁寧な口調で頭を下げた。整髪料で撫で付けた髪の毛は黒々と光り、がたいと相俟って一般人とは言い切れない考えを抱かせた。
けれど、厳つい体躯に気を取られていたが、顔つきは反対に柔和だった。恵比寿大福のような緩やかな笑みを浮かべている。顔だけならば、好印象を抱くな、と思った。
「ああ。上がれ、茶でも出そう」
ナヨが一足先に居間へ戻っていった。初対面の男と向き合ったままというのも、妙なのでそそくさと俺も引っ込む。
男はきっちりと靴をそろえると、軽く会釈をして玄関から上がった。そのまま、居間を区切る暖簾を手で避けてのしりのしりと進んでくるさまは、威圧感があった。
顔が柔和でも体格で台無しだ。
居間のちゃぶ台に円座になったところで、ナヨは男の前に湯飲みを出しながら紹介を始めた。
「ヤクサ、イエモリの次代候補のモリだ」
「もりさん? あの、はじめまして」
ナヨは俺の言葉に軽く頷いて、今度は俺のほうを指差した。
「これは俺の弟子のヤクサ。呪い師として教えてはいるが、魔術方面の知識が足りない。お前に頼みたい」
「はあ、大ババが言っていた話とは、その話でしたか」
モリさんは太い指で顎をなでて思案げに俺を見た。
「どうも、はじめましてヤクサ君。僕はここの大家の縁類になります、守屋といいます。モリとでも呼んでください」
「大家さんって、あのおばあちゃんの」
大家のおばあちゃんは、くしゃくしゃっと皺を深めて笑うのが可愛らしいおばあちゃんだ。しかしてその実態は、保護の力を使わせたら右に出るものはいないという実力者らしい。
「そうですそうです。イエモリとは血筋的には少し遠いのですがね。そのうちこちらの大家業も継ぐことになると思いますので、よろしくお願いします」
「あ、はい。こちらこそお願いします」
お辞儀をしたモリさんに、慌ててお辞儀を返す。見かけで厳つく威圧感が凄い人と思えたが、こう丁寧な所作を見るとだんだんと熊さんみたいに見えてきた。
「オッラ、僕としては貴重な若手を教育するのに異存はないのです。が、僕にも仕事がありましてね」
「イエモリに話は通したぞ。治安部も最近は暇と聞いている」
「あのですね、暇ではないのですがね」
「コンロは是非使ってくれと言っていたが」
ナヨの言葉にモリさんは額をおさえた。
「火釜は、彼女は貴方を崇拝してらっしゃいますから」
呆れた声音に、ナヨはそっけなく「そうか」と返した。
「だが、来たってことは、やるってことだろう」
「……本当に、貴方はお変わりないようで。ヤクサ君、君は苦労しているだろうね」
「え、あー、いや、その」
なんと言えばいいのだろう。ちらっとナヨを見る。
ナヨは涼しい顔をしている。興味がないのかどうでもいいのか、そんな風にも見える。ナヨは基本、他人にはぶっきらぼうなのだ。
曖昧に笑えば、何か通じたらしい。モリさんは息をついた。
「不定期になりますが、それでよければ請け負いましょう。少しヤクサ君と話しても?」
「ああ。ヤクサ」
「うん、大丈夫」
頷けば、ナヨはその場から立ち上がった。
「じゃあついでに留守番頼む。買出ししてくる」
じゃ、と片手を軽く上げて言う我がお師匠様は今日も今日とて突然だ。ナヨとは幼少期からの付き合いなので、多少は慣れてしまったが。
初対面の人と残される弟子の気持ちも少しは考えてくれないものか。
じっとナヨを見てみたが、ナヨはがま口財布を部屋から引っ張り出して、押入れの中へ入っていった。ちなみにこの押入れは、単なる押入れではなく場所と場所をつなげる入り口みたいなものだ。
そうして早々に退散したナヨに、双方ともなく溜息が漏れたのは言うまでもない。
溜息が合って、少し、親近感がわいてしまった。
どちらともなく顔を見合わせて、へらりと笑う。
「さて、ヤクサ君は呪い師の弟子だから、そこまで専門的な魔術の知識はいらないと思うんだが……あ、いや、ちょっと待った。君、呪い師と魔術師とは何か、能力とは何か、そういった説明は受けたかい?」
頭が痛い。そう言いたげな表情で聞いてくるモリさんに、俺は正直に首を横に振った。
そう、モリさんの予想に違わず、ナヨの説明はざっくりしすぎて詳しくは分かっていないのだ。ナヨに詳しく聞いたところで、逆に専門的すぎる答えが返ってきて余計に意味が分からなくなる始末だ。
たとえば、この卵はなにか? といった質問に卵の成分、性質など記号と術式を用いて語られるのに近い。予備知識がない者に理解が出来るだろうか。俺には無理である。
「オッラのことだ、と予想はしていたよ。あの方、天才肌なもんだから、昔から教えることがほんっとうに下手でね」
何かを思い出しているのか、気重そうにモリさんは言う。
俺は同意しかけて、一応師匠であるナヨは立てておかねばまずいのではと考えがよぎり、違う言葉を口にした。
「でも、師匠は薬作りや仕事に関しての説明は普通だったと思います」
「それは魔女殿の教育の賜物だろう。いずれは後継を持たなきゃいけないと言い含められていたそうだ。まあ、随分昔の話らしいけども」
「……師匠の年、知ってるんです?」
思わぬところで、ナヨの情報をゲットだ。
「いや、詳しくは。少なくとも半世紀はあのままだったはず」
「あれで!? 若作りにも程があるんじゃ」
「さあて、僕が知るのはそれくらいだよ。噂は色々あるけれど、あの方は話題に出されるのを嫌がるからね」
モリさんは手元にある湯飲みを持って、音を立てて啜った。この話はこれでおしまいと言うかのように区切られてしまった。
しばらく沈黙して、軽く息をついてからモリさんは気を取り直した風に笑みを作った。
「オッラが帰ってくる前に、基本的なことを話しておこう。帰ってくるまでに済ませておかないと、文句を言われるだろうから」
「は、はい」
モリさんは、うんうんと頷いて口を開いた。
「人は生まれながらにして何らかの力を持っている。誰にもね。その持つ力を特別強く発露できる人が、呪い師や魔術師と呼ばれているんだよ。ヤクサ君くらいの若い子だと、映画やゲームの魔法使いのような人が馴染みぶかいだろうけど、実際我々はそれに近いようで違うんだ」
「映画やゲームの魔法使いって、その、呪文を唱えて火を放ったり雷を呼んだりとかの?」
「ああ、そういうの。火を扱う力とかそういう類のものを持ってたらできるだろうけど、持ってなければ使えないよ。それに、力を使うときに呪文はいらないんだ。だって、僕らが体を動かすときに、動きます! と言って動かすようなものだよ?わざわざ言うなんて変だろう?」
言われてそういうものなのか、と頷く。
確かに、走るときに「走ります!」と言って走るのはちょっと恥ずかしい。
「それで、その力を上手く使える人たちがいて、その人たちが魔術師と呼ばれる。君も知る火釜はその中でも有名な魔女の一族でね、何分力が強い一族だから色々と派閥が出来ているんだけど、まあ、それは置いておこう。呪い師も同様に力を使えるんだけれど、更にそこから条件が狭められていてね」
「条件?」
「旧式言語を理解し、使用できることだ。旧式言語は、何故か素養がある人以外が使用し続けると発狂すると言われるほどの気難しい言語で……」
「……発狂?」
恐ろしい言葉を聴いて思わず聞き返す。
聞き間違い出なければ、素養がなければ発狂する言語を俺は弟子見習いのときに問答無用で習わされ、夢にも見させられるほど覚えさせられた。もし、俺に素養がなかったらと思うと、落ち着かない。
「……オッラはそれすらも説明しなかったのか……まあ、らしいといえばそうなんだが。ヤクサ君、僕らは同士が分かるんだ。だから、同じように素養も分かる人にはわかるんだ。オッラはあらかじめ君の素養は知っていたはずだ」
「そう、ですか」
「そう、言い忘れていた。呪い師や魔術師は大抵鼻がいい。普通の人と比べると、同士の匂いが分かるのさ。鼻の良さも人によるんだけど、大抵は違和感を感じる程度と言われている」
「へえ」
俺の場合とはちょっと違う。けれど、俺の体質はナヨ曰く「自分の身にかかる害悪を嗅ぎ分けることができる」高性能らしい。
ただしナヨの手伝いをし始めて分かったことがあった。俺の鼻はナヨたち不思議な人種にしか対応しないのだ。ごく普通の人の害悪には気づけない。おかげでこの間、友人と遊びに行ったときに財布を掏られたのだ。
苦い記憶を思い出して、打ち消すように俺は自分の湯飲みを持ってお茶を飲み干した。
おのれ、ナヨめ。




