ほんのり所有欲
『ティトテゥスの改葬』終了後小話。
匂いつけ云々でわちゃっと。
目の前に現れた少女、ヒルダ・ル・グリクセンはこれみよがしに髪の毛を手で払った。
高い位置で左右両側に結んだ髪が、ばさばさとなびく。
鳥の行水のようだと脳裏に浮かぶ。
それを数度繰り返して、期待を浮かべた大きな目がテトスを見上げた。苦手な人物そっくりの緑がかった暗い茶色だ。
「どうですか!」
「何がだ」
ぷくっと頬が膨らんだ。甘えたがる子がするような仕草だが、容姿のせいで似合っているなと思えた。ヒルダの周りにいるホリィやモールが可愛いと持て囃すだけはあるのかもしれない。
(年の割に単純に幼いのか。わからん)
ぼんやりと考えて、相手の出方を待つ。
奇妙な沈黙が数秒ほど続いてから、「もうっ」とヒルダが拳を握って言った。
「流行りの香油ですう! 良い匂いがしませんか? ほら、お花の甘ぁい匂い」
「近い。するする。あんまり好きじゃない匂いだ」
「ええーっ! 良い匂いなのに」
ますますむすっとして、ヒルダは手で髪をいじる。ばさばさと長い髪束が揺れては、鼻先に芳香が届く。
確かに甘いが、なんだかむずむずする。嗅ぎ続けていると頭が痛くなりそうだった。
「おっかしいなあ。これで異性もいちころって言ってたのに」
「匂いの鋭さで倒すとかか」
「そんなわけないですよ! 素敵な香りだって思わせて、相手をメロメロにするんですう!」
「匂いで?」
そんなもの可能なのか。テトスは訝しく思ったが、先の事件の香水のことが頭に過ぎってしまった。
(まさか、まだあれは形を変えて流行っているのか)
「あんまりかけ過ぎると、取り締まられるぞ」
「あっ、心配ですか!? ヤダーッ、キャー!」
「うるさい」
つい思った通りの言葉が出たが、ヒルダはうれしそうにきゃあきゃあ言って、身を翻して去っていった。
そのまま廊下の先で待っていたヒルダの友人たちと合流すると、彼女たちは楽しそうに笑いながら歩きだした。もうテトスには見向きもしない。
「なんなんだ、あれ」
わけがわからない。
残されたのは妙に残る甘い香りだけだ。体に付くのはごめんだと、テトスは近くの空間を手で掻いた。
午後の講義は、進級に必要な座学関連ばかりだ。
しかし、行く先々の教室でも例の香りがどこからともなく漂っていた。流行っているとヒルダは言っていたが、その通りらしい。
特に長い髪の女生徒に多い。
(ヴァーダルのせいか。貴族様は面倒が多い)
ヴァーダルの周囲を魔法陣のように女子が陣取って座っている。隣に強制的に座らされたベイパーの顔色が悪い。あれは面倒かつ嫌だなという顔だ。間違いない。
テトスに助けを求めるような視線があったが、静かに首を振って片手でエールを送っておいた。声に出さず「ずるいぞ」と言われた。
ヴァーダルはテトスに視線だけくれてから、いつものように腹の底の見えない笑顔を浮かべただけだ。愛想は変わらず良い。
そもそもテトスは今回の講義で座る席が決まっている。しばらく入り口近くで待つと、パッと辺りが華やいだ。もちろん、テトスの心情的に輝いて見えただけだ。
「ジエマさん、ご一緒しても」
「もちろんですわ。喜んで」
微笑むジエマが近くを歩く。短い距離でも目いっぱいの礼儀を込めて席に案内する。座席には余裕があるので、空き座席は容易に確保できた。
「テトス様、こちらを向いていただいてもよろしくて?」
「はい」
振り向くと、ジエマは自分のカバンから手のひらよりも小さな袋を取り出した。閉じ口には魔法道具の素材か、小粒の飾り玉が着いているのが印象的だ。
それをテトスに渡して握らせると、ジエマはひそひそと呟いた。
「匂い除けです。匂いが気になっていらっしゃるようでしたから」
「大変助かります」
すん、と嗅いでみるが先ほどより漂う香りが軽減した気がする。清涼剤だろうか。爽やかな香草みたいな鼻に抜ける感じがした。
「もしまだあるなら、いただいても?」
「ええ。ございます。こちらを」
ジエマがさらに取り出したそれを受け取る。テトスはそれを手に立ち上がると、ヴァーダルたちのほうに歩いて声をかけた。
「ありがたさのおすそ分けだ」
「おや、それはそれは」
ヴァーダルの視線がわずかに動いてから、にっこりとした笑みに変わる。
「せっかくのテトスからの申し出だ。ありがたく受け取ろう」
「物は言い様だな」
「ふふ、うん。ベイパー、君もあやかるといい」
一つ渡すと、ヴァーダルは満足そうに机に置いた。あからさまにほっとしたベイパーは、よほど堪えていたようだ。確かに、ヴァーダル周りの匂いはきついものがある。芳香の強い花とたっぷりの砂糖を嫌というほど煮詰めた匂いと例えたらいいだろうか。とにかく甘ったるくて鼻が曲がりそうだ。
「じゃあな」
「またね」
ひらりと手が振られる。
周囲の女子が、ヴァーダルの手元に渡った代物は何か気にしている。恐らく香水の次は消臭剤が流行るかもしれない。そう思える様子であった。
席に戻ると、ジエマはもう一つ新しい小袋を出していた。テトスの前にそれを差し出すと、何食わぬ顔で授業の準備を始めた。
同じように準備しながら手に取って観察してみる。先ほどの匂い袋と色違いの淡い乳白色の布に、赤い紐できっちり封をしている。触るとかさかさと音がした。乾燥した草花が入っているのだろう。
「これは?」
声を潜めてたずねると、前を向いたままジエマは静かに返した。
「印です」
「しるし……なるほど。大事にします」
「しばらく併用してくださいませ」
「わかりました」
印というのは、実際なんなのかテトスには要領を得なかったが、ジエマが言うのなら受け入れるだけである。
もらったものを手元に置くと、ジエマは嬉しそうにしたので正解だったようだ。
至上の彼女であるジエマが嬉しいのなら、テトスにはそれで十分だ。
(さっきよりは酷い臭いじゃないし、まあいいか)
幽かに伝わるのは、すっきりとした匂いだ。匂い除けと合わせると、高い空で風を浴びているような涼やかさがある。ともすれば、嗅いだことのない塩っぽい不思議な匂いもした。
(ナーナが商品の内容について学ばないとと言っていたが、俺もそうすべきか)
商家を継がないとはいえ、ジエマの実家に挨拶するならそういった知識も学んでいたほうが誠実だろう。何より、ジエマ自身の知識に近づけるのはテトスにとって有意義なことだ。
(専科のおまけで薬草学とれっかな……駄目なら考えるか)
良い姿勢で講師の到着を待つジエマは、相変わらず美しい。横目でそれを見て、テトスも同じように背筋を伸ばしてみた。
後日。
ヨランがテトスの持っている物を見て、ああ、と半笑いをした。
聞くところによると、付き合う相手に似合いの香を焚かせて沁みつかせるのがにわかに流行り出したらしい。
発信元はモナ・ランフォード。ヴァーダルの相手だからと一目おかれて、彼女に憧れる女生徒たちはこぞって真似しだしたという。もちろん例にもれず、ナーナもやったらしい。
ほら、とヨランから見せられた代物に似たような色合いの紐がある。
「テトスは気にしないでしょうけど、匂い関連は程々にって言っておいてくださいね。誰かの害になってもおかしくないですし」
「ヨランから言えばいいだろ」
「姉は弟の文句なんて聞かないので。特にこういう場合は」
はあ、とため息混じりに言いながらもヨランは大事そうにその小袋をしまった。
「無事にコミュニティに迎合できて、ランフォードを手玉に取っていると取れるのでは?」
「……そうですね」
否定とも肯定ともつかない答えだ。
しかし目は正直だ。節穴ではと言いたげなのが見てとれたので、軽く頭を弾いてやった。途端、ヨランが頭を抑える。
「痛っ!」
「≪ちょっと! ティトテゥス!≫」
そして即座に遠くから、元気よく双子の妹の声が飛んできた。どこで見ていたのやら、素早い対応だ。
ヨランの耳にある飾りが原因かもしれない。さっと辺りを見渡す。まだナーナの影はない。
脳内に言葉が直接飛んできたので、こうなってはすぐ逃げるが正解だ。これまでの経験則から判断して、テトスはその場をすぐに後にしたのだった。




