余話 いつかの夢の話
本編後、第三者視点。
ある昼、にわかに騒がしくなった店内に、フェメは不思議に思って顔を出した。
フェメの家が代々営む宿屋は、自慢できることではないが客でごった返すことはない。フェメが物心ついてから、こうして立派に働き出すまで一度もなかった。
さらに付け足すならば、フェメが住むクーミャの町自体が栄えているわけでもない。なので、ぽつりぽつりと泊りに来る客らや町の常連が来て飲み場として提供するくらいの店である。
だけれど、今日はいつになく人の気配がする。宿屋裏の作業場に居ても聞こえるほどだ。
フェメの宿屋は一階が軽食を食べたり飲み場になる広い部屋、二階が宿泊施設となっている。騒がしいのは一階だった。
人だかりだ。
裏から出て一階の入り口から回ったフェメは目を丸くした。店の常連、近所の人が集まって店を覗いている。
「あ、あの、何があったんです」
フェメが聞くと、常連の一人が興奮したように中を指さして言った。
「おお、フェメちゃん。あれを見なよ」
「あれ?」
指さす方向を見れば、部屋の大テーブルにとんでもなく大きな肉がある。
そして、その近くに居る大男と青年。立派な体躯の大男は緊張している両親を相手に注文をつけているようだった。漏れ聞こえるまでもなく、堂々とした声ははっきりと耳に届く。
「鮮度が命だ。対価は支払うから、調理場を貸せ。余った資源は振る舞いに出すが、俺に支払いはいらん」
服装はダンジョンを探る者のようだが、なんだかとても偉そうだ。フェメは目を丸くすれば、隣で指を向けていた常連が軽く説明をしてくれた。
町の入り口にあの大きな肉の塊を持って現れた男たちが、調理場がある場所はと聞いてきたという。そこで、旅の者かと思った町の門番はフェメの宿屋を案内し、こうなったらしい。
あまりにも大きな肉と大男の威容さ、それと付き従うような青年の姿に、さる高貴な御方なのではと皆は様子をうかがっていたらしい。
確かに、そう言われるとそうとしか見えない。大男一人ではそういう人かですませられたけれど、黙ったまま控えている見目のいい青年のせいでなんだか訳ありに見える。大男も威圧感があるけれど、凛々しい男だった。
「どこのお偉い人だろう」
誰かがこぼせば、周りの者もうんうんとうなずいた。フェメも同じ気持ちだ。
「きっと貴公子様のお忍びなのよ。ほら、領都には年若い領主様がいらっしゃるとか」
「やだ、本当? もっと見たいわ。ちょっとどきなさいよ」
「いやよ、あんたがどきなさいよ」
黄色い声が飛び交っている。
人だかりのほとんどは、見れば女性ばかりだ。
町にいない美形を拝みにきたのだろう。フェメの友人である女子たちも頬を赤らめて様子をうかがっているくらいだ。
そうこうしているうちに、話はついたらしい。というより、強引に大男が肉を掴んで宿屋の奥に入り込んでしまった。青年もついていき、一度こちら側に目を向けて軽く会釈をした。
(貴公子様……)
なるほど、とフェメは友人たちの目くばせにうなずいて同意した。あのような優美さは、この町で日銭を稼ぐ男たちと比べるべくもない。
やがて、フェメの名前が呼ばれた。手伝いに戻ってこいという両親の声だ。
周囲に軽く挨拶と激励をもらって、フェメは宿屋の中に戻るのだった。
宿屋の調理場は、代々大事に使っている調理器具が所せましと並んでいる。年季が経っていることもあり、ところどころ老朽化して崩れかけていたりボロボロになっているのだ。
立派ではない調理場を、おそらく身分の高いだろう男たちに見られている。フェメは母親が顔を赤くして困惑しているのも仕方ないと思えてしょうがなかった。フェメだって、興味深そうに調理場を観察していた青年に丁寧に使わせてもらうことの礼を言われて、恥ずかしかった。
こんな調理場、いくらでも使ってくださいませ。
母親と同じ言葉を言ってしまったくらいだ。
そうして、父親と母親は「娘を使ってくれ」と言ってフェメを取り残して出て行った。
(ああ、お偉い方への献上品なのかしら。二人とも手が震えていた。良い方たちだと良いけれど)
このご時世、偉い身分の方々が村娘や町娘を物色するということも珍しくはない。田舎町のここでは今までなかったけれど、噂話でまことしやかに皆の話に上がれば、そういうこともあるのだろう。
フェメは声がかかるのを息を呑んで待ったが、おそらく貴公子だろう男たちはフェメに何かするでもなく、本当に調理をしだした。
手際が良い。
ひどく慣れた手つきで、フェメの知る料理上手な者よりもずっと優れているようだった。
(お偉い方の料理人……? あっ、なら、こちらが)
ちらっと青年を見れば、なんと服の袖をまくって下ごしらえの手伝いをしている。なにより、大男の指示にしたがって短く受け答えをしていた。こちらもずいぶんと慣れた様子だった。
それを見る限り、地位は大男のほうが高いらしい。
(ど、どういうこと?)
混乱するフェメをよそに、男二人は黙々と調理を続け、先に手すきになった青年がフェメに気づくと申し訳なさそうに言った。
「あの、もうしばらくお借りします」
「あっ、はい。あのう、わたしは」
「手伝いですか? コモス様、手は足りますか」
きょと、と青年が尋ねれば、コモス様と呼ばれた大男は煩わしそうに片手を振った。
「申し出はありがたいのですが、間に合っているようです」
「ルン、足りんというなら香り草が足りん。ないか」
「……ございません」
コモスは返事をせずに、つまらなそうに鼻を鳴らした。ルンと呼ばれた青年は冷静に「買いつけをしますか」と聞いている。
(香り草、ご機嫌伺いになるかも)
フェメはしめたと思った。
クーミャの町近くにはダンジョンがある。ダンジョン資源がある場所は栄えるはずなのだが、いかんせん資源内容が人気のあるものではなかった。
香りづけに使う植物ばかりなのだ。
それも癖のある香りの代物ばかりで、飛ぶように売れるわけもなく。ダンジョン資源が湧くと最初こそ人が集まったクーミャの町は、徐々にさびれてしまったのだった。
とはいえ、住民であるフェメたちにとっては大事な資源である。あれこれ工夫して消費したり売り出したりしている。
「あのっ、香り草ならございますっ」
じろり。
コモスがのっそりと顔だけフェメのほうを向けた。整ってはいるが、やはり圧のあるいかつさだ。機嫌が悪いのかそうでないなのか分かりづらい。
反して、ちょっとだけ困った風に目を伏せたルンは、フェメへ促す声をかけた。
「それは、どちらで手に入りますか」
「うちの貯蔵庫にたくさん。どうぞお使いください。それに、あのっ、あの、うちの町のダンジョン資源がそうでして。とても美味しい香り草たちがとれるんです。本当です」
「ほう」
一言だけだったが、大層興味がわいたとわかる声でコモスは振り向いた。
「ルン」
「……コモス様、早くに帰るはずでは」
「三日……いや、五日だな。潜る」
「ですが」
「一度戻ればいいだろう。うるさいやつもいるだろうし。なんなら俺一人でもいいが」
「はあ……」
ルンの声は力ない。けれど、何度もあることなのか、諦めもあるようにフェメは思えた。きっと苦労性の従者なのだろう。
(こんなに見目がよくて、品がある御方でも私たちみたいに話したり困ったりするのね)
半ば感心しながら、ダンジョンの場所について聞いてきたコモスにフェメは大人しく答えた。なるべく不興を買わないように丁寧を心がけて言ったが、コモスは対して気にした様子はなかった。むしろ、ダンジョンのほうに興味が傾きすぎてフェメの顔も様子も目に入っていないようだ。
そしてフェメが話せる限りの情報を聞き取ったコモスたちは、礼だと言って大量の料理を置いて宿を後にした。自分たちは少しだけ携帯して颯爽と出て行く姿は、しばらく町の人々の話の種になったくらいである。
残された料理も町の人にふるまったところ、非常に評判がよく、なんと出来たお偉い方々だろうと讃える声すらでたほどだ。
現金なもので、あんなに興味半分で遠巻きに見ていた人たちも、やれ「俺は最初に声をかけていただいた」だの「お優しくわたしを見てくださったの」だのこぞって自慢する者も出た。
もちろん、フェメも自慢に思った。なにせ使ってもらったのはフェメの宿屋である。ただ、口にして威張ったところでいいことはないので口はつぐんだ。女友達たちのやっかみによって身に染みてわかったからである。
そんな分相応に思いとどめ、いつもどおり宿屋の手伝いをした頑張りを天が認めてくれたのかもしれない。
また、不定期にフェメの宿屋にコモスたちが訪れることがあった。
人目を忍んでこっそりと現れてはダンジョンに潜っているらしい。宿屋でふるまう酒の種類や行商人から仕入れているちょっとした品が、コモスの気に召したらしく、ふらっと現れるのだ。
そして、一言二言話したり、調理場を借りていく。
少女期に魅力的な男性を目にし、関わり合うことは、夢を抱いてしまうものであった。
フェメも例にもれず、淡い思いの芽生えを覚えていた。
しかし、現実には厳しいこともきちんと承知していた。恋に恋する夢をみていたいだけだ。
なにせ、町の色男たちと及ぶべくもない品ある美しい男性だった。それでもなお、夢に浸りたいわけで。
仲のいい友達に恋心を吐露してみたり、はしゃいで話したおしたりと充実した日々を過ごさせてもらった。
つい、気持ちが高じて、宿の品を融通してしまったり町の商品の抜け穴やおすすめなど貢ぐようなことをしてしまったくらいだ。
(でも、いいわ。夢のようだから)
ほう、と息をついて調理場をこっそりと見る。
宿のカウンター奥にある作業場から繋がるので、様子をちらちらうかがうにはうってつけの位置なのだ。とくに客の来ないのをいいことに、帳簿作業や品の確認をこれ見よがしにしながら覗き見るのが、フェメの最近のご褒美だ。
どういうわけか、町の人に気づかれることがなく来るようで、フェメたち家族だけの目の保養であった。
光に好けると淡く黄金に輝くような薄緑。ほっそりとしていながらも均整の取れた体つき。世を儚んでいるかのように伏せたまつ毛が影を作っている。その下に嵌まる瞳は、夜空のように美しい。
そして身分が高いだろうに、物腰は柔らかく丁寧。町民であるフェメにも心優しく接してくれ、生まれてこれほどお嬢様みたいな扱いはされたことがないと思った。
(彼は、本当に夢のような人)
視線が会えば、数度ゆるやかに目を瞬かせて静かに目礼された。むしろされるような身分の人だと思うのに不思議だった。
火照りそうになる頬を仰いで、営業用の笑みを精一杯浮かべてフェメは背を向けた。
いつ終わるかも分からない甘い夢想をして、時折聞こえる声に胸をときめかせたのだった。
急に現れたのもそうだが、お別れもまた急だった。
ある日突然、二人の姿は見えなくなった。
彼らは、町の外の人だ。
お忍びで、やはりもう簡単に出歩けないのでは。
家族の中で数度話題にのぼりはしたが、肝心の二人の姿はとんと見ることはなくなった。そして、フェメの淡い恋心ごとやがて古びていった。
しかしながら、初恋というのは記憶に鮮烈に残るのか、あのとき感じたときめきや風景をフェメの頭に深く刻み込んだのだった。
月日は流れてフェメの宿屋は、奇跡的に繁盛して別の町にも商売を広げることとなった。嫁に行くことで、その町の有力者と縁が繋げたのもそのおかげだろう。
つい先日、孫が生まれたことの報告を受けてフェメは久しぶりに故郷に顔を出そうかと思い至った。
町へ向かう馬車を呼ぶために出た店先。
は、とフェメは、今そこで歩いて行った旅装姿の二人を振り返った。
柔らかな表情の、かつての夢の人がいた気がしたのだ。
けれどもすぐに、人違いかとフェメは笑った。仲睦まじい恋人同士らしき男女が町を歩いているだけだったのだから。
夫も先立ち、寂しくなっただけかもしれない。
それでも、どこか懐かしい物腰の青年にエスコートされる女性の微笑む姿が、かつてののぼせ上ったフェメのようだわ、となんとはなしに郷愁を抱かせたのだった。




