余話 あます話
本編後。
コモスがルンをからかう話とその後の思い悩む青少年の独白小話。
【コモスがルンをからかうだけ】
「おい、どうした。貧相な顔がさらに悪いが」
「……え」
朝っぱらから辛気臭い様子のルンが、いつにも増して湿っぽい。
本人から湿度が出ているわけでもあるまいに、じめじめと鬱陶しい。
ただそれだけなら声をかけるのもしないのだが、ルンの持つ香草は状態のいい良品だ。俺がどれほど苦心して選別したか。
より最良の状態を保った一品なのだから、軽々に扱っていい代物ではない。
だから慈悲の心で声をかけてやったのだが、反応は奇妙な物を見る目だった。なんだその目は。
「お前だけならどうだっていい。ただ、不調があるなら、その香草から手を放せ」
「ああ……はい。はい、そうですね、コモス様はそういう御方ですね」
料理の質に関わるだろうと付け足せば、理解したのか息を吐いた。わかったならさっさと雑につかむのをやめろ。サエの影響を受けるのは精神面だけにしろ。粗忽さまで影響を受けるんじゃない。
目線で示せば、ルンは「今します」と静かに言って作業を再開した。
こいつの几帳面な仕事ぶりは買っている。だから俺自らが選りすぐった材料を渡しているし、下処理を任せている。
いるのだが。
おい、また手を止めて鬱々とした顔をするな。
溜息を食材に吐きかけるな。
「やめろ」
「痛!? は、え、なんですコモス様」
思わず頭を軽く叩いたら、心外だとこっちを見た。心外なのはこっちだ。
俺の手が四つあってよかった。一つの手でこいつをしこたま叩いても残り三つで作業ができる。便利な体になったものだ。
そもそも、何におびえているんだ、こいつ。
こいつに何があったかなんて別に興味もないし、断言してもいいが俺に関係があることではないだろう。
まあ、あるとするなら。
「サエか?」
「サエが何か」
ルンの行動原理は大体サエなので、口にすれば即座に反応した。
そして、見るからに警戒して俺を見てくる。
覚えはあまりないが、俺がどうも暴走をしていた時にサエを襲ったらしい。まったくこれっぽっちも記憶にないが、したらしい。
惚れた女のため、命の恩人のためだと、ルンとサエの脚色された話はウータからさんざん聞かされたので嫌でも耳に残っている。
──だからか知らんが、こいつ、俺を危険視している。
呆れた報恩根性と褒めればいいのか、俺を敵視する蛮勇を笑ってやればいいのか。
いや、ルンの場合は俺もろとも燃やせるからあながち蛮勇ではないか。一度燃やされたが、まあ、これも覚えてないので、実質なかったも同然。
ともあれ。
ハリオスなら「いやあ、可愛いよねえ!」と手を叩いて笑うだろうな。そこだけは同情してやってもいい。あの兄の面倒くさい愛情を振り分ける相手が増えたことも、砂粒一つまみ分くらいは感謝もしてやろう。
なので、気にかけるくらいはしてやらんでもない。
「サエとなにかあったか、お前」
「……へ」
「話して直るなら吐き出してしまえ。お前が無駄にする物を補充するのが手間だろうが」
「あ……はい?」
わざわざここまで俺が言っても、疑うように見るとは何事か。
おい、聞こえているぞ。「コモス様が? 私を心配? いや食材ならまだ」と自分を言い聞かせるまで俺の耳に入っているからな。
日々過ごすうちに、どんどん図太くなっていっているぞお前。
料理が出来上がるまで暇だし、顎でしゃくって促す。ついでに空いていた手で小突いて、やっとルンは話しだした。
「実は、フィドモン様主催の愛する者の会に呼ばれたのですが」
「は?」
父上なにやってんだ。
いや、聞いたことあったかもしれん。ハリオスが「僕も既婚歴あるから入れるのでは」と駄々をこねていたやつか。結局、兄と歴代嫁と婚約者の関係について話し合いが設けられて却下されていたっけか。
「そのときに、同室になってからたびたびサエが隣で寝ていることについて相談したところ」
「……続けろ」
面白くなってきたな。ハリオスの面白がる気持ちがわかるかもしれん。
他人の色恋ほどどうでもよく面倒なこともないが、ルンの迷走は聞いていて愉快でもある。
というか、お前たち同室になったろうに。ほぼ成婚と同義だからなんの問題がある。変なところで気にするというか、潔癖なのか、不能なのか。
「相手の気持ちを慮り、ふるまうべきと教えられたのです」
「ほう」
「どうにも、私は夜うなされてしまうらしく」
「ふむ?」
流れが変わったな。
またルンがじめじめし始めた。
「サエは心配して寝かしつけてくれているようなのです。そう、言われました……私は、私は」
「うん、うん」
適当に相槌を内ながら鍋の具合を見る。ルンの気持ちを反映してか火にムラが出来始めている。こういうところが未熟なのだこいつは。
母上らが「先史以来の特異な能力」と感心していたが、すぐ不安定になるのだからまだまだ改良の余地がある。火のムラで完璧な茹で加減が損なったらどうしてくれる。
なんとはなしに嫌な予感がしたので、直火はやめてそっと持ち上げておく。手が余っていてよかったな。
そしてまだうだうだ言っているルンの話に、一応耳を貸しておく。
「そんなサエに触れたいと、浅ましい欲を……!」
「ふーむ」
なんだ。流れは変わらなかったな。
そんなもの単純に遅れてきた芽生えか何かだ。ルン、お前、その年でこうなのか。どんな人生歩いてきたらそうなる。
ただ、口にすれば、火柱が上がりそうなので賢い俺は口を閉ざした。
代わりに助言をくれてやることにした。
「お前、それは逆だという場合もあるぞ」
「……え」
「サエがお前にそうされたがっているという場合もある、と言った」
「え、あ……えっ」
瞬間。
俺の愛すべき調理場に火柱が登った。もっと簡潔に言うと、ルンの顔から火が出た。お前どんどん器用になるな。いっそ感心する。
ついでに鍋の下からも火がほとばしったので、鍋を避ける。直火を避けていて正解だった。
そして、遅れてやってきたサエに、燃えて顔面が火傷したルンを見られた。
結果。
なぜか俺に突っかかってくるという七面倒なことになった。
「コモス様!? ちょっと! ルンになにするんですか!」
「したのはこいつ。俺は何もしとらんぞ、早とちりはやめろ」
──気まぐれはおこすものではないな。
死守した料理を抱えて、柄にもないことをしたと溜まった息を吐き出した。
***
【その後ルンがもんもんしながら独白するだけ】
ある日から、不定期にサエが寝床に入ってくる。
由々しき問題だった。
嫌かと問われれば、まったくそんなことはない。ないのだが、私にも心の準備というものが必要で。
寝ていたら、物音と触れられる感覚で覚醒して、至近距離に好意を抱く相手がいた。驚かないわけがない。最初は我を忘れて叫びそうになって、眠っているサエを起こさないように舌を思いっきり噛んだことを今もよく覚えている。
いや、今もたまにする。
そうでないと、私はサエに何をしてしまうかわからないから。
もともと、好意を抱かれることがなかった。ましてや、そういう相手が出来ると思ったこともなかった。夢見たことはあったが、まさか叶うとも思わなかったし今も夢か何かではと恐ろしくなることもある。
しかし、最近はそんな憂鬱も全て、唐突に寝床に入り込んできては同じシーツにくるまっているサエに吹っ飛ばされている。
たまに元気よく動く腕がその証拠だとばかりにぶつかるのはまだ良い方で、私の真上に乗っかっていることもあった。
──私は、どうすれば。
面と向かって「好き」と言ってくれる相手が近くに居て、こんなに無防備で信頼しきった姿を見せてくれるのは純粋に嬉しい。
サエがそれだけ私を慕ってくれているのだとわかるからだ。
ただ、同時に、フィドモン様たちから教わったお付き合いの過程や閨の話と驚くほど違うので戸惑う。
フィドモン様主催の愛する者の会では、恋人同士では普通のことだということもあまりしていない。
というよりも、サエの世界やここの世界での恋人同士の接触は過激だと思う。
肌と肌が触れ合うだけでなく、秘め事でするような粘膜接触も普通だとは思わなかった。あんなことを日常でするなんて。
サエに教えられて、初めて口づけた時。
高揚で頭がおかしくなるくらい真っ白になった。あまり慣れていないとあとから言われて、ますます私はこのまま死ぬのではと動悸がしたものだ。
あの柔らかさも、甘さも、熱も。ぜんぶ私が初めてだったと。
だめだ、また、やましいことを考えてしまう。
いけないことだと戒めても、つい視線は物欲しさを混じらせてサエの姿を追う。追って、彼女の柔らかな輪郭をなぞってしまう。
好きだと通じ合うだけで満たされていたものは、際限なくもっとと欲深く求めていくのだ。
サエが私を好きでいてくれるということに甘えて、私はもっと駄目になっている。
「……ぅう、ぐ」
籠った息を吐き出して、落ち着こうとしてみるが、駄目だ。全然、収まりそうにない。
好きとは、愛とはこんなに溢れてやまないものなのか。
誰も私に教えてくれなかった。
お相手の居るフィドモン様やバティスト様、ヌワ様方に相談しても、なんだかわかったような顔で微笑ましそうにみられただけだった。その気持ちを大事にしなさいとは言われたが、それだけ。
思ったことは言えとサエに言われたが、この気持ちを正直に言って引かれてしまったら嫌だ。
けれど、いつかは気づかれてしまうかもしれない。
今日だって、すでに思い悩んで過ごしていたら、コモス様にまで変だと指摘されてしまう始末だ。
コモス様には指摘されたくなかった。サエが遠慮なく話す相手であるし、サエやオウィノー様曰く「デリカシーがない」御方だ。
だが、人の本質をよく理解している方でもある。私の浅ましい欲もすぐに見抜いたのだろう。だからからかうように言われたのだ。
よりにもよって、サエが私を求めているかもしれないだなんて。
おかげで、余計に意識して辛い。
辛い。好きで、好きで、たまらなくって、辛い。
煮え滾る熱と欲望を、消すように燃やすのにも慣れてきた。
サエと一緒の部屋となって、とくにサエが私の寝床へ入り込むようになってからは驚くほど伸びた技術だった。私のしょうもない能力も研鑽をすれば伸びるのだなと他人事ながらに思う。
サエに気づかれないように体の内側に火を灯して痛みで気をそらす。
そうでもしないと、無意識に抱え込んでしまうかもしれない。
人に襲われる気持ちはわかるつもりだ。そうされたこともあるし、階級の低い者たちがそうした被害を受けて心身ともに壊れる姿も見てきた。
私は無上の幸福を感じながら、恐ろしくも思うのだ。
受ける側から侵す側になることも。それを私を救い上げて愛してくれている最愛にすることも。
サエに触れられることは好きだ。幸せだ。
触れ合って、共にどこまでもいられたならどんなにいいか。
まぶしく笑うサエの表情が浮かぶ。
それだけで済めばいいのに、色づく唇に脳内の私の視線が動く。つづけて首元へと下っていき、膨らみへと……続いて。
続いて?
「わあああ!」
思わず口に出して、体を丸める。同時に私の周囲に、不安定に揺らぐ灯火が現れては散ってしまった。
今、部屋にサエがいなくてよかった。
今朝がたコモス様のところで同じように動揺して火柱を上げてしまい、途中で合流したサエによって強制的に部屋に戻されたのだ。
ケガが直るまでは出ないようにと言われた。コモス様に私のだらしない欲にまみれた顔を見られたくなくて咄嗟に燃やしてしまっただけなのに。
「うう……はあ……」
どうしよう。
また、たまらなくなってきた。
排せつが必要のない体なのに、どうして他の生理的欲求は起きるのだろう。いや、答えは知っている。
以前、ユウェタース様がご自身の願いを言うついでに確認していたときのことだ。
メルーは「妊娠出産のメカニズムは学ぶものがありますので、改良はしていますが残していますよ。サエ姉も家族がほしいと言っていましたし、生物の子孫繁栄は本能ですからね」と言っていた。
改良するならば、このどうしようもない感覚を必要時以外起こらないようにしてほしかった。サエに思い余って何かしてしまったらどうしてくれる。
私が我慢すればいいだけ、なのだが。
「……自信がない」
サエがまた様子を見に来る前に、落ち着けないと。
もはや慣れ始めた小さな熱の痛みで身を焼きながら、ベッドの上でうずくまる。
吐いた息は、火が灯ったかと思うほど熱かった。




