20・宇宙の終わり
今日は宇宙が終わる日です。パステル色の海蛇は、チャーハンの銀河とお茶漬けの銀河に電話をかけました。
「もしもし。こちら海蛇。おじいさんとおばあさんはいますか」
「おじいさんはいないわ。おばあさんはたくさんいるけどみんな戦ってるの」
「じゃああなたが来てください」
電話に出たのは、天探女という女神でした。神託を受けたり、ないはずのお告げを偽造したりするのが本来の仕事ですが、今は天音りん子という名前で町内のおにぎり合戦に参加していました。
海蛇は銀河を眺めて待っていました。お茶漬けとチャーハンのいいにおいが漂う、この宇宙がなくなってしまうのはとても惜しいことです。宇宙が温泉だったらいいのに、と海蛇は思いました。あとからあとから宇宙が湧き出てきて、そこに隕石が砕けて溶け込み、腰痛や手足の冷えを治してくれるのです。
天探女はおにぎりを三個持ってきました。一つは鮭、一つはツナマヨ、そしてもう一つはイクラでした。
「これしか取れなかったわ。あとはみんな投げて壊しちゃった。辛子高菜や海老天も食べたかったのに。あら、ここはなんだかおいしそうなにおいがするわね」
天探女は長い髪をツーサイドアップに結び、着物風の青いワンピースを着ていました。あちこちにご飯粒がついていますが、とても元気です。
「あなたはお茶漬けの銀河から来ましたね。チャーハンの銀河からも一人来るので待ちましょう」
「私、あそこから来たの? よく今まで食べられたりしなかったわね」
海蛇は胸が痛みました。今日で宇宙が終わると知ったら、天探女はきっと悲しむでしょう。
しばらくすると、チャーハンの銀河からお天気お兄さんがやってきました。あまりにも小さく、宇宙のチリにしか見えませんでしたが、近くまで来ると人間の姿になりました。
「気象予報士の竹本マユキさんですね」
知ってる、と天探女が言いました。
「いつもテレビで見てるわ。予報通りにならないと自力で雨を降らせてくれるのよね。すごくためになる番組だわ」
ところが、お天気お兄さんは不機嫌でした。
チャーハンの銀河では今、人も動物も虫もロケット花火も強制参加の大運動会がおこなわれているのです。お天気お兄さんは運動会が大嫌いです。一人で走るのが好きなのに、集団で行進をしたり協力して綱を引っ張るなんて我慢できません。
「法律で決まってるからやりますけどね。そうでなければ銀河ごと爆破してやりますよ」
その必要はありません、と海蛇が言いました。
「宇宙は今日で終わりです。あなたたちの銀河も、ここにある全ての星も、なかったことになります」
「じゃあさっさと終わらせてください。予報は必要ですか。ここからでも流せますけど」
ちょっと、と天探女が割って入りました。
「あんたたちはいいかもしれないけど、私はおにぎり合戦の途中なのよ。午後の部にも出るんだから、勝手に終わらせないでちょうだい。とりあえずこれ食べましょう」
天探女がイクラおにぎりを開けようとすると、お天気お兄さんがサッと手を伸ばしました。
「これ、本物のイクラじゃありません。天探女は騙されています」
「何ですって。じゃあ本物はどこにあるのよ」
「北海道からあふれて今はブラックホールです。ブラックホール食べたことありますか。僕はブラックホールが一番好きなんです」
やれやれ、と海蛇は細い頭を振りました。よりによって、一番わがままな二人を呼んでしまったようです。こうなってしまっては、ブラックホールからイクラを取ってくるしかありません。
「二人とも、私に乗ってください」
天探女とお天気お兄さんが乗ると、海蛇はブラックホールに変わりました。とぐろを巻いた体の中に、全てを吸い込む黒真珠のような核があります。
「あれです! あれがすごくおいしいんです!」
お天気お兄さんは目をきらきらさせ、すっかり上機嫌です。天探女はふいに、忘れていたことを思い出しました。
「湯川一覇って、まだ生きてる? そっちの銀河にいたはずだけど」
「生きてますよ。予報出しましょうか」
「いいわ。ちょっと聞きたかっただけ」
天探女は時々別の銀河へ出張します。遠い銀河から来た人を迎え入れることもあります。なのであちこちに知り合いがいますが、いつも覚えているほどの友達はいません。たまに思い出して、どうしているかしらと思うのです。
ブラックホールの核にたどり着くと、それは思ったよりも大きく、半透明に輝いていました。覗き込むと、中でイクラがたくさん泳いでいます。
お天気お兄さんが核に手を触れると、イクラは嬉しそうにぴょんぴょん跳ねました。天探女が触れると、なんだか嫌そうでした。
「じゃあ食べましょうか」
「私、お箸持ってきたわ」
「お箸じゃだめです! 三日間冷水につけて、パン焼き窯でじっくり焼いてあああああああああ!」
天探女が箸を刺すと、核がぱりんと割れてイクラがあふれ出しました。手を伸ばしてもすり抜けていきます。
赤い星屑が散るように、暗い宇宙にイクラが飛んでいきます。何千、何万というイクラの群れです。まるで宇宙のハジマリのように美しく、容赦のない光景でした。
「ああ……ああ……なんてことです……天探女はバカです」
「ごめんごめん。だって知らなかったんだもの」
いつの間にか、二人の前には海蛇がいました。パステル色の体にイクラが散らばり、模様を作っています。お茶漬けの銀河とチャーハンの銀河も変わらずそこにありました。
「二人とも、もう帰っていいですよ」
海蛇は散っていくイクラを見上げて言いました。
「イクラが新しいビッグバンを起こして、宇宙は継続することになりました。りん子さんは午後もおにぎり合戦に出てください。マユキさんは運動会に出なくていいので、市民に無事を知らせてください」
やった、と天探女は飛び上がりました。お天気お兄さんは複雑な表情をしていましたが、ブラックホールと運動会を秤にかけ、運動会に出なくて済むことのほうが大きいと判断したようでした。
「ねえ、これあげるわ」
天探女はイクラおにぎりを差し出しました。
「本物じゃないかもしれないけど、けっこうおいしいのよ」
「いりません。県庁所在地と元素記号でお腹がいっぱいですから」
「あなたが食べなくてもいいの。誰かにあげて」
天探女はツナマヨおにぎりをひと口で食べ、海蛇に鮭おにぎりを渡すと、くるりと宙返りをしてお茶漬けの銀河へ帰っていきました。
お天気お兄さんは海蛇の体にそっと手を触れ、よく生きていましたね、と言いました。
「いつかまた来ます。元気でいてくださいね。僕はブラックホールが好きなんです。本当に好きなんです」
お天気お兄さんが行ってしまうと、海蛇は静かに横たわりました。イクラの散らばった宇宙を囲み、ゆっくりと星が動いていくのを見守りました。
宇宙は丸く柔らかく、今日もそこにあります。ぽよんぽよんと星が飛び交い、イクラと話し、チャーハンとお茶漬けのいいにおいがします。
* * *
教室の隅で、少年がロッカーの上に座って本を読んでいます。鉛筆や消しゴムをぱらぱらと落とし、それでも気にせず読んでいましたが、ふいに切れ長の目を本から上げました。
自分の机に、おにぎりが一つ置いてあります。
「マユキのやつ、余計なことを」
それでも小腹が空いたので、すぐに開けて食べました。中身は星のようにつやつやとしたイクラでした。
最後までお読みくださってありがとうございました!




