友人 Ver江口
「お前、何のつもりでそんなウソ言うんだよ。」
「えっ、本当のことよ。江口が私のこと何も知らなかっただけでしょ。」
大人の客の多い落ち着いたバーだが、クリスマスシーズンのせいか、テーブル席も、カウンター席も、華やいだ雰囲気だったのに、皆が、会話を止め、俺たちは一斉に注目をあびている。
「まあ、少し頭を冷やせよ。」
そう言って、山瀬が、間に入ってくれた。
俺と山瀬が、ご機嫌で、この店に入って来たのは1時間前。
洋子も、機嫌よく飲んでいたのは、1時間前まで。
1週間ほど前、会社の廊下で洋子とすれ違って
「久しぶり、元気? 近々飲もうよ。」
「いいね。今度、電話するよ。」
「うん」
そんな会話をした。
彼女、三輪洋子は、大学の同級生で、一番仲のいい友人。『じゃあ』、と手を振って洋子を見送っていると、その時、一緒だった山瀬に、
「お前ら付き合っている割には、あっさりしているな。」
と、言われた。
「えっ、俺たち、付き合っていないよ。」
「そうなのか?」
「大学一年の時から、洋子とは妙に息があっててさ、趣味の話でも、女の子の話でも何でもしてきた仲なんだよ。」
「そうなんだ。」
「ただ、あいつから、男の話だけは、相談されたことなくて、最近、やきもきしてんだよな。もう、30超えているからさ。男の俺は、いいけど。あいつには、早く幸せになってほしいんだよね。」
「洋子は、損な性格をしているんだ。大学生の頃から、いつも思っていた。どんな女の子よりも気配りができて、そしてさりげなく、周りの人間をフォローしてくれるんだよ。あまりにも自然でさりげないから、鈍感な男どもは、それが洋子のおかげと判らずにいるんだよね。何度腹をたてたかしれない。そのことを洋子に話したことあるんだけど、くだらないと言う顔をされてしまうのさ。そこもすごいところなんだよ。そして、洋子の料理がうまい。よく、あいつのアパートで飯を作ってくれたっけ。ただし、あいつ片づけはダメなもんだから、おれがあいつのアパートの掃除をしてやったんだ。まあ、交換条件だね。」
懐かしくなってにやにや話していると、黙って聞いていた山瀬が、
「それだけ、ほめるのに、三輪さんを好きじゃないんだ?」
「うーん、そうだな。」
「言われてみれば、初めに出会った時から、俺、彼女がいたからなあ。洋子をそう言う目で見たことなかったな。それは、洋子も同じじゃないか。一回も、そんな雰囲気になったことなかったもの。一生付き合っていく大切な友人? 妹? そんな存在だねきっと。」
改めて、洋子のことを考えていると、
「おまえ、ほんとに、三輪さんと付き合っていないなら、俺に、彼女、正式に紹介してくれないか。」
と、山瀬が言いだした。驚いた。とても驚いた。洋子の存在を認めてくれるやつが現れたことは、うれしいはずだけど、改めて、紹介してくれと言われると、なんかしっくりこない。だまっていると、
「でも、良いか? 俺、三輪さんと付き合うようになったら、悪いけど、お前と友人関係を許せなくなるぞ。そこんところも、よろしく。」
「えっ、どうして、友達は友達だろ?」
「おれは、やきもち焼きだからな。おれより親しい男や俺より思い出を持っている男なんか許せないからな。」
「とにかく、段取りつけてくれよ。」
そう言って、山瀬はさっさと仕事に戻っていった。
そうして、とりあえず、一緒に飲むことだけを洋子に伝えて、いつものバーでと約束した。なぜか、山瀬のことは、口に出せなかった。
この1週間、山瀬が言ったことが気になっていた。
「俺、三輪さんと付き合うようになったら、悪いけど、お前と友人関係を許せなくなるぞ。」
おれは、洋子と会えなくなる人生を考えたことがなかった。山瀬がああ言ったことを、洋子も当然と思うとしたら、おれたちの関係もおしまいだ。そんなこといやだけど、洋子の為には仕方がないと考えることにした。そう、洋子の為なのだから。
そうして、今日、先に仕事を終えて待っている洋子とバーで合流した。店の出入り口のほうを気にかけていてくれたらしく、すぐに俺に気付いて、カウンターから手招きしてくれた。今日に限って、可愛くにっこり笑っている。山瀬を振り向くと、うれしそうに洋子の顔を見ている。
-何、にやけているんだよ-
と、なぜか、おれはむかついてる。そんな自分に戸惑っていると、山瀬が、
「江口、紹介してくれよ。」
「あっ、悪い。洋子、こいつ、知ってるよな。総務の山瀬。同期。」
「今晩は。いつもあなたの仕事の手腕を見せて貰ってます。すばらしいですよ。うちの課でも評判なんですよ。」
「ありがとうございます。そうおっしゃっていただいても、うれしくありません。本気でも、まして、お世辞なら当然。」
「おまえ、何時ものことだけど、可愛げないなあ。」
俺は山瀬を気にしながら、洋子を見た。
「江口、良いよ。こんなところも、三輪さんの面白いところだからさ。」
そう言って、山瀬は笑ったが、洋子の態度に、俺は、雲行きが怪しくなっていることを感じていた。洋子は、もともと、さっぱりとした性格だが、世間話程度のことに毒を吐くようなことはしないことを俺は知っている。それなのに、しょっぱなから辛辣な話をしているので、困っていたが、同時に、余裕の表情の山瀬に、なぜか、また、むかついている。
このもやもやが何なのか、自分では整理できなくて、戸惑っていると、洋子が、トイレに立った。せっかく、山瀬が洋子と付き合いたいと言っている今、洋子に、このチャンスを無駄にさせたくなかったから、俺も席を立って、洋子が出てくるのを待っていた。
「なに?」
「山瀬が、洋子を紹介してくれって言ったんだ。おまえも、そろそろ結婚しても良いんじゃないかと思って。いいやつだよ。本当に。」
洋子は、俺の顔をにらんで無言のまま、席に戻っていった。
「三輪さんは、旅行が好きなんですってね。どんなところへ行かれるんですか。」
「田舎へ行って、やりたそうな男とホテルに行くんです。」
「えっ!」
「うそでしょ。びっくりしたな。そんな冗談も言うんですね。」
「冗談じゃないわよ。田舎の男は、素朴で良いわ。」
トイレから戻ってきて聞こえてきた話には、俺のほうがむかついた。
「お前、何のつもりでそんなウソ言うんだよ。」
「本当のことよ。江口が私のこと何も知らなかっただけでしょ。」
「まあ、少し頭を冷やせよ。大体、なんで江口がおこるんだ。」
「えっ、洋子は、おれの妹みたいなもんだから。そんなこと言うだけでも、当然、腹立つさ」
「妹ね。私は、貴方が、私の弟だと思っていたわ。」
お互いをにらみつけて言っているのを見ていた山瀬が、くすくす笑い出した。
「まいったな。」
「おれ、お邪魔虫だったわけか。」
「なんだよ、お邪魔虫って。」
「まあ、良いよ。今度おごれよ。」
ぽかーんと山瀬を見送って、何が何だか分からない俺は、コップのハイボールを一気に飲み干し、
「マスター、おかわりお願いします。」
そう、言って、山瀬の言葉を反芻した。
「お邪魔虫?」
「マスター、私に、ギムレット、作って。」
「ギムレットって、お前、そんな強いカクテル飲むのかよ。」
「そうよ、貴方は、私のこと、何も知らないの。」
「わたしは、貴方と同じ32歳。卒業して10年。総合職でやって来たのよ。砂をかむような味気ないことも悔しいことも、経験してきてるの。」
マスターが、ハイボールとギムレットをそれぞれのコースターに置いて少し離れた場所のお客と話し出した。二人とも、黙ってグラスを口に運んで、どのくらいたったのか、洋子が、切り出した。
「もう、これからは、私におせっかいはやめて。」
「おせっかいだなんて思わなかったよ。良いやつなんだ。」
「良い人でも、悪い人でも、とにかく今後一切、かまわないで。」
そう、言って、バーを出ていった。俺は、後を追おうとしたが、会計をするために、出遅れた。
「もう11時だぜ、誰かに襲われたらどうするんだよ。」
洋子が心配で、お釣りも貰わずに店を出てきた。忘年会シーズン真っ最中。酔っぱらいが多くなってる。誰かに因縁つけられたらどうするんだよ。
「どっちに行ったかな。」
「まったく、心配かけやがって。今日に限って。感情的になりすぎだよ。」
ぶつぶつ言いながら、洋子が帰ったと思われる、クリスマスイルミネーションに彩られた歩道を駅へと向かう。
歩いていると、携帯がなった。山瀬からのLINEだ。
―江口。おまえ、鈍感だから、友人として、一言、教えてやるよ。ありがたく思え。―
―何の話だよー
―三輪さんは、お前のことが好きだよ。そして、おまえも、三輪さんを好きだろう?―
―いきなりなんだよ。わけわかんないこと言うなー
―よく、胸に手を当てて、考えてみろ。この1週間、どうだった?―
―友人だなんて、都合の良いところに祭り上げられて、きっとこの10年、三輪さんはつらかったろうなー
山瀬の最後のLINEを読んで、洋子が今頃、泣いているのかと思ったら、いつの間にか、走り出していた。
「おれは、バカだ。」
確かに、ずっと、恋人を作らなかった。それは、洋子がいれば良かったからだ。
山瀬に、友人は、辞めてもらうと言われて、ずっと気になっていた。
洋子を失うことは、あり得ないのに、洋子の幸せのためにと、ごまかしていただけだ。
自分の気持ちに気付いてしまうと、とてつもなく洋子が愛おしい。
焦った。駅へ向かってる洋子に追いつくだろうか?
駅の手前の信号が赤に変わった。
これじゃ、洋子が乗るはずの快速に間に合わない!
―クソ! 酔っぱらいにはきついけど、歩道橋の階段を駆け上がるしかないか!-
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涼音色 ~言ノ葉 音ノ葉~ 第24回 友人 Ver江口 と検索してください。
声優 岡部涼音が朗読しています。
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