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迷い仔猫の居候  作者: 小高まあな
第六幕 上手の猫は爪を隠す
20/26

9−5

「どうして、そんなにG016に執着するのですか?」

 エミリに抱えられたマオにちらりと視線をうつし、隆二は訥々と騙り始めた。

「ウサギは寂しいと死ぬらしい。小鳥も構ってやらないと死ぬらしい。そいつはもう、コトリとな」

 自分で言った、然して面白くもない冗談に、意味もなく喉をふるわせる。

 エミリが眉をひそめた。あるいは隆二を哀れむように、あるいは理解しがたいと言いたげに。

「それとこれにどういう関係があるのですか?」

「黙って聞け。だがな、マオは言った。人間はつまらないと死んでしまうんだ、ってな。そういうことは今の俺にはいまいちよく分からないが、ここしばらく一人で居た俺にはマオがいた期間がやけに新鮮に感じられてな」

 一度言葉を切り、軽く目を閉じる。

「もっとも、ほとんど振り回されていたんだがな」

 苦笑しながら付け加える。

「だが、不思議なことに、一人で今までどうやって過ごしてきたのか思い出せない。笑えるだろう? 一人で居た時間の方が長いはずなのに。だから、マオがいないと俺はつまらなくて死んでしまうかも知れない」

 エミリの軽く眉間にしわを寄せた表情が、何を意味するのか隆二にはわからなかった。

「……嬢ちゃん、猫を飼ったことは?」

「いいえ。ありませんが……」

「そうか。俺の知り合いで猫が大好きなやつがいてな。どれぐらい好きかというと、毎日毎日飽きもせずに野良に餌をやりに行くぐらい好きなやつだった。それで、その関係で何度か世話をしたこともあるんだが、猫っていうのは人になつかないで家になつく、とも言われている。それぐらいそっけないんだ」

 話の流れが見えない、とでも言いたげにエミリが首を傾げる。それに構わず話を続ける。

「いつも冷静で冷淡で、こちらが気を引こうと一生懸命になっても向こうは冷めた目で見てくるだけだ。だがな、時々、向こうの都合でしかないんだが甘えてくるんだ。不思議なものでな。ちっとも懐かないから嫌いだ、って思っていた猫も一度甘えられると手放せなくなるんだ。まぁ、この辺は人それぞれかも知れないし、俺も実際に世話をしてみるまでそんなの嘘だと思っていたんだがな。……そうだ、嘘だと思うなら、嬢ちゃんも一度猫を飼ってみればいい」

 つまり、なにが言いたいかというと、

「俺にとってマオはそういうもんだ。わかるか?」

 エミリは心持ち頷く。

「同族意識でも哀れみでもなんでもない。ただ居てくれるとありがたい、っていうだけなんだ」

 自分で言ってから、それが自分の台詞だとは到底思えなかった。

 かつて自分が愛した女性を看取る勇気がなかったそのときに。別れ際、彼女の前で自分は決めていたはずなのだ。

 もう二度と何かに深く関わらないと。

 マオが人ではないとはいえ、居てくれてありがたいという台詞が、まさか自分の口からでるなんて。

 でも、マオとなら永遠だってありえる、死ぬわけないのだから。そんなことを、思っている。

 全く一体、どういう心境の変化なのだろうか?

 この変化を彼女は喜んでいるのだろうか? 恨んでいるのだろうか? 悲しんでいる?

 どことなく後ろめたさを感じて、少し軽めの口調で隆二は付け加えた。

「そうだな、俺とあんたらの関係に少し似ているな。利用しあっている。ただ、決定的に違うと言えるのは、あんた達とはいつ寝首をかこうかタイミングを狙っているが、マオとはそんなことがないところだ。理解してもらえたか?」

 エミリは首を横に振った。

「言いたいことは理解できます。ですが、それがどうして、けがを負ってまでG016に執着する理由になるのかが分かりません。ただの、実験体でしかないのに」

「考え方の違いだな。まず、根本的なところが俺とあんた達とでは違っているな。あんたらはあいつのことを実験体として扱っているが、俺にとっては最初から、そうだな、これからもただの居候猫でしかない。そもそも、それを言うならば俺だって実験体なんだしな」

 そこまで言って、そういえば肝心なことを聞いていないことを思い出した。

「ところで、あんた達はどういう目的でマオを造ったんだ?」

「不老不死です」

「不老不死?」

 眉をひそめる。

「なんだ、まだやってたのか、あんたら。いい加減懲りろよ」

 死なない、老いない体の持ち主、かつての実験体は呆れて言う。

「……怒っていらっしゃいますか?」

 エミリが少しだけ、怯えたような顔をした。

「いいや」

 怒ってはいない。ばかにしているというべきであろう。

 人間ってなんて進歩が無いんだろう。まだ、それを望んでいるなんて。

 年もとらずに死ねないということがどういうことだか、実際に不老不死になってみないとわからないだろうか。だが、想像することぐらい出来るだろ? 自分の友人や恋人がどんどん年をとっていき死んでいくのをただ見ていることしか出来ない。

 きっと、それを望んでいる連中はなってから後悔するだろう。

 不死者はそう思ったが、口には出さなかった。

 今更言ったって無意味だから。別にそれを自ら望んだ赤の他人が、後から後悔しても彼にとっては株価が昨日よりも上がったのと同じ程度のことだ。

 代わりに再び質問をする。

「なんたって、未だにそれを?」

「今、それなりに日本は平和だと思いませんか? 医学も発展して、平均寿命というのものびています。それは、日本以外の多くの大国にも当てはまります」

「ああ」

「財産というのも、平均して暮らすのに困らない程度あります。聞いた話によると、贅沢を望まなければアルバイトでもそれなりに食べていけるそうですね?」

 自分の方を見るのは、同意を求めているからだと気づくのに少し時間がかかった。

 確かに隆二はたまにアルバイトするだけのフリーターだ。食べていく、という概念が薄いので失念していた。

「そうだな。とりあえず、家賃と光熱費は払えている」

「一部の多くの財産を持つ者は、お金を払って買えるものはほとんど手に入れてしまい、別の新しい何かを願っています」

「それが不老不死?」

「ええ」

「なるほどね。一生遊んで暮らせる以上の金があるやつなんかはもったいないと思うわけだ。一生遊んで暮らしても余ってしまうわけだし、実際一生遊んで暮らすのもなかなか難しいというか、辛いしな」

「みたいですね。よくわかりませんが」

「それで、不老不死と幽霊にどんな関係があるんだ? 不老不死になりたければ、俺みたいになればいいだけだろう? それとも、研究所にはもう、俺たちを造ったときの資料は残っていないのか?」

「資料は残ってはいるのですが、不完全なものです。それに、その『お金持ち達』は自分達の肉体が改造されることは拒んでいます。不老不死にはなりたいが、もしかしたら途中で死にたくなるかも知れない。そのときに死ねないというのは嫌だ」

「わがまま」

 小さく呟いた。

「それに、貴方のような飛び抜けた身体能力が欲しいというわけでもありません。ですから、私たちは新しく何かを考える必要に迫られたのです」

「別にわざわざそんなわがままな連中の言うことを聞いてやらなくても、他にやることはあるだろう?」

 エミリは隆二を見て小さく嗤った。

「もし私たちが拒絶すれば国際問題に発展しかねませんよ? 一応、研究所は日本にありますが、今は世界各国との共同研究所扱いになっていますから。それに、莫大な研究資金をあなたの言う『わがままな連中』が投資してくださっているので、ご機嫌を損ねるわけにはいきません。他にも色々と、『社会の役に立ちそうな』研究を抱えていますから」

「……面倒だな」

「幽霊を造っているのは、不老不死の研究の一環です。というか、最初は幽霊を作るつもりじゃなかったんですよ」

 一度こちらに視線を向け、問いかける。

「愚問かもしれませんが、ホムンクルスってご存知ですか?」

「ん、ああ。あれだろ? 錬金術にでてくる人造人間」

 人間の精液を、馬糞と共にフラスコに密閉し、四十日間経過すると、この精液は生命を生じる。人間に姿は似ているものの、まだ透明で真の物質ではない。さらに四十週間、人の生き血で養い、一定の温度を保つと、人間の子供と同じように成長する。身体は、女性から生まれた子供よりもずっと小さい。

 なんていう作り方を、記憶の中からひっぱりだしてきて考える。

「それで、ホムンクルスがどうしたって?」

「その、ホムンクルスは自然とあらゆる知識を身につけているが、フラスコの外で生きることはできないっていうのはご存知ですか?」

「そういえば、そんなのだったかも」

「そんなのだったんです。そこで研究班の人間は考えたんです」

「『あらゆる知識を身に付けているならば不老不死についても知っているのではないか?』って?」

「……はい」

 相変わらず、わかりやすい思考をしている人々だ。隆二は少しばかり苦笑する。

「ですが、やはり実験は失敗した。研究班は肩を落として、もう一度挑戦するかどうか話し合おうとしていた、そのときに気づいたんです。フラスコの近くに幽霊がいることに」

「……変な風に作用したってことか?」

「おそらく。もし幽霊が死んだ人間の魂だという説を信じるならば、死んだホムンクルスの霊だったんだと思います。そして、一応それで落ち着いています。ただ、これでも我々は一応科学者なので、科学的に証明できないことは信じていないのですが」

「……ふーん」

 まぁ、確かに、科学者か否かと聞かれたら科学者だろう。人の脳や内臓に手を加えて不死者をつくるぐらいなんだから。

 それに、病気の特効薬の発明とか新しい機械の製造とかに、実はこの研究所は関わっている。非人道的なことも行っているので、決して表沙汰にはならないが。

「なんか、失礼なこと考えていません?」

 顔に出ていたらしい。不機嫌そうな顔をされた。

「いやいやまさかそんなことないよ」

 答える自分も白々しい。エミリは信じていなそうな顔をしてこちらを見た。

「話の続きですが、幽霊というのは不老不死です。肉体がないのだから当たり前なのですが。それでホムンクルスの研究を進める一方で、幽霊についての研究もはじめました。それがG016達です。人がものを認識するのは、ものが光を反射するからなのは当然ご存知ですよね?」

 一つ頷く。

「ならば、その光の反射をあやつることが出来たならば、存在しないものをさも存在しているようにみせかけることも、逆に存在しているものを見えなくすることも可能なわけです。理論上は。G016達はその光をあやつって作ったとされています」

「そういうものかね?」

 それで、あんな幽霊が出来るものだろうか。

「が……、正直私は嘘だと思っています」

 重要なことをやけにさらりとあっけらかんと言われて、一瞬聞き逃しそうになった。

「え?」

「実は派遣執行官であるわたしには詳しいことは説明されていませんし、詳しい理論やなにやらはまったくといっていいほどわかりません。説明されても、正直、理解できるかどうかさえも怪しいですし……。研究班もそれを理解しているのでしょう、余計なことまでこちらに語ってきません。ですから、平気で研究班は嘘をつくんです。秘密保持のために」

 そういってエミリは肩をすくめた。

「……あんた、今随分なことを言ったな」

「そうですか? まぁ、組織なんてそんなものです」

 まさか十六歳の小娘に組織について語られるとは思っても見なかった。

「まあ、そんなこんなで出来たのがマオ、と」

「ええ。ただ、G016の製造工程には何かしらミスがあったようなのです。失敗作というか」

「ミス?」

「本来ならば、あんなに確立した自我は持たないはずなのです。霊というのは精神体ですから、あまり不安定なのはよくありません。多少の感情は埋め込みますがG016の場合は違います。ころころとよく感情が変わり、不安定で……」

 まあ、確かによくわからない感情の発露をする幽霊だ。

「ましてや逃げ出すはずなど、自意識をもつはずなど、ありえないはずなんです」

 エミリがそうやって言い切る。

 この少女は気づいているのだろうか?

 自分が如何に自然の道理に反したことを行っているのかを。感情を持っていることをミスと言い切ってしまうことの残虐性を。

 自分達が行っていることが、どういうことになるのかを。本当に理解しているのだろうか?

「若気の至り」

「はい?」

 思わず呟いた言葉に、エミリは眉をひそめて隆二を見てきた。

 そう言う表情のある顔をしていれば年相応に見えるのになといつも思う。もったいない。せっかく、祖母譲りの綺麗な顔立ちをしているのに。

「……なるほど、マオが作られた経緯についてはよくわかった」

「そうですか」

 エミリが頷く。

「ただ、納得はできない」

 エミリが少しだけ眉をひそめた。

「まぁ、それがつまり何を意味するかというと……」

 少し体に力を入れる。

「今更だが、俺たちの間に話し合いの余地はないってことだ。話し合いをしても構わないが、一晩かかっても終わらないだろう。一度植え付けられた価値観というのはなかなか払拭できないしな。まぁ、俺があんたらと話し合いで何かを解決したことはないし、ここ最近は敵対してすらいなかったからな」

「……そうですね」

 エミリは一瞬の躊躇の後、ため息をついた。味方から新たに受け取った銃を隆二に向ける。

 黒い三人も同じようにした。隆二を囲むように並んでいる。

「でも、最後にもう一つ聞いてもいいですか?」

「人にものを尋ねるときに銃口を向けろと、研究所では教育しているのか?」

 そいつは愉快な教育方針だ、そう言ってやると、エミリは不愉快そうに眉をひそめたものの大人しく銃を降ろす。

「それで?」

「もし、仮に、貴方のところに行ってG016が存在していけると思っているのですか? 聞いたとは思いますが、まだ試作段階なので定期的に人の精気を摂取する必要性があります。貴方はそれをちゃんと、得ることが出来ますか? 貴方に幽霊のために自分の精気を分けてくれる人間の知り合いがいるとは、とてもじゃないが思えません。ならば、無理矢理奪うことになるでしょう。そうなれば、いずれそれは、他者にばれるかもしれません。そうしたらどうするおつもりなのですか?」

 確かにその危険性はある。今だって問題視しているし、未だに答えは出ていない。それについては、いや、その他の問題についても考えればきりがない。

 それでも、そのリスクを犯さざるを得ないのは……、

「だが、戻ればマオは消去されるだけだろう?」

 そんな事態は避けたいから。

 エミリは少し、眉を上げた。

「言ってたよな。マオは失敗作だ、って」

 エミリが頷くのを確認するよりも早く、隆二は続ける。

「あいつらが失敗作を残しておくなんて考えられない。俺たちを造っていた頃はばんばん失敗作を棄てていったんだしな。消されると分かっているところに連れて行かせられるか」

 エミリは何も言わない。

 沈黙は何よりも雄弁な肯定。

 思い出すのは、あの失敗作と言われて消されていった自分と同年代の子どもの顔。そして、いつ自分の番になるのかといった恐れ。

 自分は成功作として扱われていると気づいたときにも、それらは忘れることが出来なかった。

 あのころは、ずっと悪夢にうなされていた。後ろめたさと罪悪感で。

 そんな気持ちに知り合いを、それも居候猫をさせることなど、隆二には出来なかった。

「それに俺たちがとる精気だって食物連鎖だと考えればいいだろう? 人間っていうのは不思議だよな。豚やら鶏やらいつも平気で殺して食べているくせに、普段食べない犬や兎を食べることを異端とする。どちらも生き物の命を奪っているという事実は変わらないのに。それならば、命を奪ったりしない程度の精気をとることはまだかわいい方だろう?」

 隆二はじっとエミリを見る。

「それは詭弁にしか過ぎません」

 少し沈黙が続き、エミリは絞り出すようにして言った。

「そうだな。詭弁かも知れない。だけど、本当のことだろう?」

 笑う。皮肉っぽく。

「あいにくと俺は、神様を信じちゃいねぇんだ。あんたら造物主を崇めるつもりは毛頭ない」

 そして、小さく息を吐いた。喉に渇きを覚える。

「まったく、今日で一年分は動いたし、しゃべったぞ。これで残り一年は動かずにしゃべらずにいても誰からも怒られないな」

 ついでに血も十年分は確実に流したな、と思う。

 軽口をたたく。口元には笑みが浮かんでいるが、しかし目元は笑っていない。見据えるようにエミリを見ている。

 それをみてエミリは一つため息をついた。

「やはり、素直に譲り渡してくれる気はないのですね?」

「根本的にマオは物じゃないしな。あいつが心の底から戻る気があるならば話は別だが。……マオにそういう感情を抱かせる自信はあるか?」

「わかりました」

 エミリは銃を構える。足下にマオを横たえた状態で。

「貴方のような協力者が居なくなるなんて、残念です」


 銃声。

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