後編(+蛇足)
◇◇
胸元で、青い宝石が光っている。
六年前、人攫いから助けた男の子が私にくれたものだ。
貧民街にはあまりに不釣り合いな品だから、ただのガラス玉だと思われ、大人たちに奪われることもなかった。
『君は僕の命の恩人だ。いつか必ずお返しをするよ』
別れ際、男の子はこのネックレスを渡しながらそう言った。
その言葉が、私の記憶の扉を開いた。
この世界は、私が好きだった乙女ゲームの舞台だった。
彼がくれたネックレスは、隠しキャラである王太子ルートに欠かせない品だ。
孤児院を訪れた貴族がこのネックレスに気づき、私を養女にする。
そして十五歳になった二年後、乙女ゲームの舞台である王立学園に入学することになる。
物語の山場は、二年生の卒業式。
養父はネックレスを証拠に、私が公爵家の庶子だと明かす。
その後の騒動の末、王太子を襲おうとした悪役令嬢――公爵家の本当の娘――から彼をかばい、私は怪我を負う。
悪役令嬢は、王太子暗殺未遂の罪で処刑される。
王太子は空席となった婚約者の座に、私を選ぶ。
娘を処刑で失った公爵は私を正式に引き取り、公爵令嬢として王太子に嫁いでハッピーエンド。
…………養父?
そういえば、途中から姿を見せなくなっていた。
まあ、舞台は王立学園なのだ。
養父がいなくても、物語に支障はなかったのだろう。
私はもうすぐ貴族に引き取られる。
だから孤児院では、目立つようにネックレスを身につけて過ごしている。
見習いや下働きのような手伝いをすれば、少しは小遣いにもなる。
王立学園に入ったら、きちんと勉強しなければ。
ゲームと違って怠けていたら、ざまぁ系ヒロインのように『断罪返し』されてしまう。
「失礼。ゼシカさんとおっしゃるのは、あなたでしょうか?」
振り向くと、少し陰のある男性が立っていた。
彼の視線は、青いネックレスに注がれている。
予定より一年早いのではないかしら?
◇
孤児院で手伝いをしていたゼシカは、ある日家を出たきり、行方がわからなくなった。
彼女を住まわせていた女性は、こう語った。
「ゼシカですか?
あの子は、私の実の娘が拾ってきた赤ん坊でした。
娘は十歳で商会の見習いとして独り立ちし、家を出ました。
それに比べて、ゼシカはあまり要領のいい子ではありませんでした。
それでも近くの孤児院が、手伝いに通うことを許してくださったんです。
おかげで、あの子も自分の食い扶持を稼げるようになりました。
暮らしも少し楽になりかけた矢先に……。今まで育ててもらって、何が不満だったのでしょう」
身なりのよい男性と貧民街を出たゼシカの行方は、その後まったくわからなかった。
翌朝、王都の外で年恰好の似た少女の遺体が見つかったが、人々は口をそろえてこう証言した。
「あの子はいつも、大きなガラス玉を首に下げていたよ。
顔? 覚えちゃいないね。
けど、『ガラス玉を下げた子』なんて、あの子以外にいなかったからね」
◇
少女の亡骸は、見つかった道端の片隅に埋葬された。
近くに立つ柳の葉は、風に揺れるたび、時おり声をもらすという。
『早くない?』と。
柳にもたれる少女の姿は、今は見えない。
それも当然だった。
待つことに疲れ、彼女は柳の根元で蹲っているのだから。
彼女は誰を待っているのか。
養父となるはずだった男か。
結ばれるはずだった王太子か。
それとも、一目惚れしたあの少年か。
彼の瞳と同じ色をしたネックレス。
死の直前まで手放せなかったのは、名も知らぬ彼との思い出に縋っていたからだろうか。
だが、少女はそれすら思い出せなかった。
◇◇◇
さて、この世界は
カリーナが信じた『恋愛ゲームを題材にした小説の世界』だったのか。
それとも、ゼシカが信じた『乙女ゲームの舞台』だったのか。
あるいは、そのどちらとも無関係な世界だったのか。
ただ一つだけ、確かに言えることがある。
この世にやり直しなど存在しない。
ここは、現実なのだから。




