第1話 無能付与術師の追放
「おいアルス。お前、今日限りでうちのパーティーをクビだ」
テーブルを叩く大きな音と共に、その言葉が投げつけられた。
王都の高級酒場の一室。きらびやかな鎧に身を包んだ男――Sランクパーティー『金色の獅子』のリーダーであるレオが、俺を冷酷な目で見下ろしていた。
「……クビ、ですか?」
俺は手にしていた羊皮紙の資料から顔を上げ、レオの顔を見つめた。
「耳まで腐ったか? そうだ、クビだ。お前のような無能をこれ以上置いておく余裕は、我が『金色の獅子』にはないんでね」
レオは鼻で笑い、ワイングラスを傾けた。
彼の隣に座る魔術師のミリアが、嫌悪感を隠そうともせずに髪を弄りながら口を開く。
「当然よね。アルスってば、付与術師のくせに大した魔法も使えないじゃない。ミリアの魔力を十パーセントしか増やせないなんて、ただの給料泥棒よ」
「俺の攻撃力もほとんど変わらねえ。アルスのバフなんて、あってもなくても誤差みたいなもんだ。頑丈さだけが取り柄の雑魚を前衛に置く方が、よっぽどマシだぜ」
大柄な重戦士のダグも、肉を骨ごと噛み砕きながら吐き捨てるように言った。
彼らの言葉を聞きながら、俺は内心で深いため息をついた。
(十パーセントしか増やせない、か……)
彼らは理解していない。付与術師の付与効果は通常、加算値だ。しかし、俺の『付与魔術』は乗算――つまり、元々の能力値が高ければ高いほど、効果が跳ね上がる。
さらに言えば、俺が彼らにかけていたバフは、単に魔力や攻撃力を増やすだけではない。彼らの肉体的な負荷を肩代わりし、戦闘中の疲労蓄積を極限まで抑える「生命力付与」も同時に行っていたのだ。
俺のサポートがあったからこそ、彼らは二十四時間連続で高難度ダンジョンを戦い抜くことができた。その恩恵を、彼らは自分たちの「才能」だと思い込んでいる。
「反論はないようだな」
レオが満足そうに頷いた。
「反論したところで、覆らないのでしょう?」
「ハッ、物分かりが良くて助かるよ。これまでの手切れ金だ。受け取れ」
レオがテーブルの上に放り投げたのは、革の財布だった。中身を覗くと、銀貨がたったの五枚。宿に数日泊まれば消えてしまうようなはした金だ。Sランククエストの報酬がどれだけ巨額かを知っているだけに、この扱いには呆れるしかなかった。
「少なすぎませんか? これまでの俺の取り分は――」
「黙れ、無能が!」
レオが鋭い声で俺の言葉を遮った。
「戦力にもならないゴミをこれまで連れ歩いてやったんだ。むしろ命を救ってもらったことへの感謝料として、こちらが請求したいくらいだぞ。それとも何か? 文句があるなら、力ずくで奪い取ってみるか?」
レオが腰の剣の柄に手をかける。ダグもニヤニヤと笑いながら、こちらの反応を窺っていた。
勝てるわけがない。俺は戦闘魔法を持たない、ただの付与術師だ。
前世、ブラック企業で身を削るように働き、最終的にデスクの上で過労死した記憶を持つ俺は、この異世界でも同じように「使えない消耗品」として扱われ、使い潰されたのだ。
「……分かりました。お世話になりました」
俺は銀貨の財布を拾い上げ、立ち上がった。
「二度と俺たちの前に顔を見せるなよ、ゴミめ」
ミリアの冷笑を背中に浴びながら、俺は酒場の個室を後にした。
夜の王都は冷たい雨が降っていた。
傘も持たずに店を出た俺は、瞬く間にずぶ濡れになった。冷気が体温を奪い、足取りが重くなる。
財布の中の銀貨五枚を見つめる。
「転生してまで、またこれか……」
前世での過酷な日々が脳裏をよぎる。毎日終電まで働き、上司に罵倒され、最後は心臓が止まるまで働かされた。異世界に行けば、魔法の才能を開花させて自由気ままに生きられると信じていたのに。現実は、搾取する側の顔が変わっただけだった。
「はは……笑えないな」
足がもつれ、俺は路地裏の壁に手をついた。視界がかすむ。まともな食事も数日摂っていない。生命力付与で他人の身体ばかりを労り、自分の体調管理を怠っていたツケが回ってきたらしい。
冷たいコンクリートのような石畳の上に崩れ落ちそうになったその時、鼻を突く嫌な臭いが漂ってきた。
錆びた鉄と、血と、獣の臭い。
顔を上げると、そこは高い鉄格子で囲まれた古い建物の前だった。看板には『クレイム奴隷商会』と掠れた文字で書かれている。
入り口の脇に置かれた頑丈な鉄格子の檻。その中に、何かがいた。
「……つ、……ぅ……」
かすかな、掠れた声が雨の音に混ざって聞こえた。
檻の隅で丸まっている泥まみれの塊。よく見ると、頭部に小さく垂れ下がった犬の耳が見えた。
それは、ボロボロの布切れ一枚をまとっただけの、小さな獣人の少女だった。
全身が激しい打撲痕と切り傷で覆われており、痩せ細った手足は痛々しく震えている。首には、赤黒い光を放つ金属の首輪――「奴隷紋」が刻まれていた。
少女の瞳が、ゆっくりとこちらを向いた。
光のない、完全に生きることを諦めた瞳。
それは、前世で死ぬ直前、オフィスの窓ガラスに映った自分自身の瞳と、まったく同じだった。
心臓がドクンと大きく波打つ。
「おい、そこの小汚いガキ」
不意に、建物の扉が開き、太った男が姿を現した。手には革の鞭を握っている。奴隷商人だ。
「そこで倒れられて死なれちゃ迷惑なんだよ。うちは死体を片付けるボランティアじゃねえんだ。用がないならとっとと失せな」
商人は檻の中の少女を鞭の柄で小突いた。少女は小さく身を縮めるだけで、声すら上げない。
「……その子、どうするんですか」
気がつけば、俺は商人の顔を見上げて問いかけていた。
「あ? こいつか? 見ての通りもうすぐ死ぬゴミさ。元は前衛用の剣士として仕入れたんだが、体が頑丈なだけで、実戦じゃ使い物にならねえって前の主人がボコボコにして返品してきたんだ。魔力も底をついてるし、明日の朝には息を引き取ってるだろうよ」
商人は面倒くさそうに唾を吐いた。
「死んだらただの廃棄処分だ。金をドブに捨てたようなもんだぜ。まったく、忌々しい」
少女はただ静かに雨に打たれながら、じっと俺を見つめている。
俺の胸の奥で、ドス黒い怒りと、それ以上に強い衝動が沸き起こっていた。
無能と罵られ、捨てられた俺。
役立たずと叩かれ、死を待つだけの彼女。
ここで見捨てたら、俺は前世の自分を、そして今の自分を永遠に許せない気がした。
「……その子を、俺に売ってください」
「はあ?」
商人は信じられないものを見る目で俺を見た。
「耳がおかしいんじゃねえか? 言っただろ、こいつは今夜にも死ぬんだぞ。金を払って死体を買うバカがどこにいる」
「俺が買います。いくらですか」
俺はポケットから銀貨五枚が入った財布を取り出し、商人の前に差し出した。
「手持ちはこれだけです。銀貨五枚。死ねばただの赤字でしょう。それなら、この五枚を受け取って俺に引き渡した方がマシじゃないですか」
商人は俺の顔と、財布の中の銀貨を交互に見つめた。そして、卑屈な笑みを浮かべて財布を奪い取る。
「……フン、確かに死なれるよりは五枚でも現金になった方がいいな。交渉成立だ。契約書なんか作らねえぞ。その代わり、この場で『奴隷紋』の登録譲渡だけはしてやる。名前はルナだ。好きに連れて行きな」
商人が懐から小さな魔石を取り出し、少女の首輪に向けて呪文を唱える。
カチリ、と首輪の魔力パスが一時的に解放され、俺の指先に魔力の繋がりが構築されるのを感じた。
少女――ルナの所有権が、俺に移ったのだ。
「さあ、用が済んだら消えな。そいつの死に顔は余所で見てくれよ」
商人は俺たちを追い払うように扉を閉め、鍵をかけた。
雨脚はさらに強くなっていく。
檻の扉が開かれ、ルナは力なく石畳の上に崩れ落ちた。息は浅く、体温は急速に奪われている。
俺は彼女の小さな体に触れ、抱き起こした。
あまりにも軽い。
「ルナ……聞こえるか」
「……あ……ある、じ……さま……?」
ルナの瞳に、ほんの少しだけ戸惑いの光が宿る。
「今から、君を助ける。だから、少しだけ我慢してくれ」
俺は前世の社畜根性と、今世の付与術師としての全魔力を指先に込めた。
俺の固有スキル『契約魔改造』。
所有者と奴隷を繋ぐ絶対服従の「呪いのパス」を、能力を共有し互いを高め合う「祝福のパス」へと書き換える、世界で俺だけの技術。
ルナの首元に刻まれた、血のように赤い奴隷紋に手をかざす。
俺の体から温かい魔力が流れ込み、不吉な赤黒い紋様が、眩いほどの純白の光へと変化し始めた。




