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国を救った剣聖ですが、平和になった途端に処刑されました。十年前に戻ったので、今度は王国を救わず好き勝手に生きます  作者: 沢田美


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第八話 剣聖、二つ名を得る

 アーレンハイムへ戻り、副団長の身柄を警備の詰所へ預けた後、俺たちは黒鳶亭へ向かった。道中、リゼは終始上機嫌で、今回の戦果を早く団長に報告したくて仕方がない様子だった。ヴォルフガングは押収した書類の束に目を通すなり、しばらく無言のまま、口の端をゆっくりと吊り上げていった。目を通す紙面が増えるごとに、その笑みは深くなっていく。


「……こいつは、想像以上の拾い物だな」


「団長、これ本物です。エルデシア王国の第三騎士団副団長の身柄まで押さえてきましたから」


 リゼが誇らしげにそう報告すると、ヴォルフガングは書類の一枚を掲げながら、感心したように唸った。


「公国軍にこれを持ち込めば、うちの団の評価は大きく跳ね上がるぞ。国境を脅かす連中を叩き潰し、そのうえ王国相手の外交材料まで持ち帰った傭兵団――そういう触れ込みになる」


「団長、これで公国からの信頼もかなり高まりそうですね」


「ああ。長年かけて積み上げてきた信用を、今回の一件でさらに押し上げられる。いや、それ以上の評価が得られるかもしれん」


 ヴォルフガングは上機嫌な様子で、書類の束を丁寧に揃え直した。この男にとって、蒼鷹傭兵団の名を公国内で高めることは、単なる商売上の思惑を超えた、ある種の悲願のようなものなのかもしれなかった。


「俺の名は出さないでほしい」


 俺が念を押すと、ヴォルフガングは軽く手を振った。


「分かってる。手柄は団のものとして扱う。それでいいな」


「構わない」


 名誉も称賛も、今の俺には必要ない。むしろ、目立たずに済むならそれに越したことはなかった。


 黒鳶亭を出てから、俺は街灯のある通りを選んで宿へ向かった。団長は手柄を隠せとは言わず、公にする名義だけを団のものにすると約束した。報酬も、最初に交わした契約どおりだった。言葉にして決めたことが、仕事の後にも守られる。今は、その一つを確かめられたことが、街の評判よりもありがたかった。


 王家に武勲を取り上げられた時は、文句を言うことさえ忠誠を疑われる口実にされた。今回は、俺自身が名を出さないよう頼んだ。その違いは、報告書の上では分からないだろう。だが、誰が決めたことなのかを、俺と団長は知っている。それだけで、手柄を譲った帰り道も、胸に嫌なものが残らずに済んだ。


※ ※ ※


 数日後、公国軍を通じて正式にエルデシア王国へ抗議が申し入れられたという話が、街中に広まった。ギルドの酒場でも、この話題で持ちきりだった。


「聞いたか、王国の騎士団が隣国で盗賊紛いのことをしてたって話。しかも証拠まで押さえられたらしいぞ」


「あそこまで落ちぶれたのか、あの国は。魔王軍との戦で余裕がないのは分かるが、他国相手に手を出すとはな」


 噂話は面白おかしく尾ひれをつけながら広まっていく。俺はカウンターの隅でそれを聞きながら、密かに口の端を緩めていた。この一件が公になったことで、王国は隣国からの信用を大きく損なうことになるはずだ。魔王軍との戦だけでも手一杯なところに、外交上の負債まで背負い込む。


 旅の行商人が語るところによれば、この一件の責任を巡って、王国の宮廷では既に激しい追及が始まっているという。第三騎士団に今回の仕事を命じた貴族が、バルドー・エッシェンハイムの派閥に属しているという噂もあった。あの男が今頃、保身のために誰かを生贄にしようと躍起になっている姿を思い浮かべると、腹の底から込み上げてくる笑いを抑えるのに苦労した。


 以前の人生では俺を陥れるために暗躍していたあの手腕を、今度は自分自身の首を守るために使う羽目になっているのだとすれば、これほど痛快なことはない。


「あんた、なんだか機嫌が良さそうね」


 隣に座ったリゼが、からかうような口調で言った。


「そう見えるか」


「見えるわよ。まあ、無理もないか。あれだけの戦果を上げたんだもの」


 リゼが考えている理由とは、少し違う。報酬を得たことも、無事に戻れたことも嬉しいが、それ以上に、バルドーの側が言い逃れに追われると思うと胸が晴れた。俺はその理由を話せず、杯を口に運んだ。リゼは勝手に納得したらしく、今回の依頼で買い替えたい道具の話を始めた。


 彼女の話を聞きながら、俺は押収した命令書のことを思い返していた。かつて俺が知らない場所で、同じ工作が行われていたのか。それとも、南方での敗戦が、王国にこの手を選ばせたのか。今の俺には、どちらとも言えなかった。知っているはずの十年にも、見ていなかったことは幾らでもある。


 以前と同じ順序で出来事が起こると考えるのは、危うかった。俺がヴェルダ平原へ行かなかった時点で、戦況は変わっている。今回の抗議が、公国と王国の取引にどう影響するかも分からない。未来を知っているつもりで目の前の話を聞き流せば、この街で暮らす上でも、判断を誤ることになるだろう。


 本来なら、この先再び剣聖と呼ばれ、王国最大級の戦力となるはずだった俺を欠いたまま、あの国はどんな結末を迎えるのだろうか。


 興味がないと言えば嘘になる。だが、それを見届けるために何かをしてやるつもりは、やはり微塵もなかった。あの国の行く末は、あの国自身が背負うべき荷物だ。俺が肩代わりしてやる義理は、もうどこにも残っていない。


 酒場の喧騒の中で、俺はしばらくの間、自分の中に渦巻く感情を整理していた。王国への恨みなのか、それとも単なる傍観者としての好奇心なのか、自分でも判然としない部分があった。


 リゼに聞かれ、俺は買い替えたいものは今のところないと答えた。彼女は俺の古い剣を見て、信じられないという顔をした。刃は手入れすれば使えるし、剣帯もまだ切れていない。そんな話をしているうちに、いつの間にか王国の噂から意識が離れていた。あの国のことを考えずに過ごせる時間が増えるなら、それも、この街に来た甲斐があったということなのだろう。


※ ※ ※


 それから半月ほどが過ぎた頃、俺はギルドの中で妙な視線を感じるようになった。以前とは違う、単なる好奇の目とも違う、どこか一目置くような視線だ。依頼の受付を待つ間、見知らぬ冒険者たちが遠巻きにこちらを窺い、何やらひそひそと言葉を交わしている光景を、俺は幾度となく目にするようになっていた。


「最近、あんたのこと『無名の剣』って呼ぶ奴が増えてるの、知ってる?」


 ミレイユがカウンター越しに、面白そうにそう教えてくれた。


「無名の剣?」


「大層な肩書を名乗らないくせに、妙に強い剣士ってことらしいよ。最初の盗賊団に、地竜もどきの討伐。あの辺りの話が、まだ出回ってるんだ。東部の一件にも、あんたがいたんじゃないかってね」


 東部の仕事は、団名義で報告したはずだと告げると、ミレイユは、それは知っていると頷いた。副団長を連れて戻った時、荷運びの男たちが俺とリゼを見ていたらしい。そこへ以前の討伐話が重なり、噂になったのだという。誰がどれだけ戦ったのかを、彼らが知っているわけではない。確かな話も憶測も、酒場では同じ杯に注がれてしまうらしかった。


 団長が約束を破ったと考える理由はなかった。公式の報告から名を外しても、人目のある街へ戻れば、見ている者はいる。名を広めたいわけではないが、何もしていないふりをいつまでも通せるとも思わない。俺はミレイユに、随分と適当な名付けだなと言って、苦笑した。


「悪い気はしないだろう?」


「別に、良いも悪いもない」


 否定した割には、呼び名が嫌ではなかった。誰かが功績を量って授ける称号でも、失敗すれば返せと迫る徽章でもない。酒場で誰かが言い出した、少し大げさな噂だ。これから面倒を呼ぶかもしれないが、今すぐに取り上げられる何かを背負ったわけではなかった。


 ミレイユは手元の書類を揃えながら、思い出したように声を落とした。


「他にも、あんたを蒼鷹傭兵団から引き抜きたいって、別の組織からの声もあるって噂よ。それだけ、あんたの名前が広まってるってことでしょうね」


「そんな話は初耳だな」


「まあ、噂は噂だから。でも、これだけの働きを続けてたら、いずれあちこちから声がかかるようになるんじゃない?」


 ミレイユの言葉には、単なる冗談以上の実感がこもっているように聞こえた。この街での立ち位置が、俺自身の想像以上の速さで変わりつつあるのかもしれない。


 ヴォルフガングからは、その後も幾つかの依頼が舞い込むようになった。公国内の有力者からの指名依頼、国境沿いの重要な護衛任務。いずれも、この街に来たばかりの頃には回ってこなかった種類の仕事だ。それだけ、蒼鷹傭兵団の中での俺の評価が高まっている証だった。


 ある日、依頼の合間にリゼがふと漏らした。


「団長、あんたのことをかなり買ってるみたいよ。『いずれ副官格に据えたい』とか言ってたし」


「まだ早いだろう」


「私もそう思うけど、団長は本気っぽいわね」


 副官格なら、団長を補佐し、他の団員を動かす立場にもなるのだろう。まだ正式に持ちかけられた話ではなく、リゼが団長から聞いたというだけだ。それでも、単に腕の立つ助っ人としてではなく、団の運営に関わらせたいと考えているらしいことは伝わってきた。街に来て数ヶ月の俺には、予想していなかった話だった。


 認められたことは嬉しかった。だが、頷けば何を任され、今の契約がどう変わるのかは、まだ何も聞いていない。仕事を選ぶ自由を失ってまで肩書が欲しいわけではないし、名だけの副官として団員の前へ出るつもりもなかった。話が本当に来たなら、そこから確かめる必要がある。


 かつての俺には、戦場で兵を動かす力があった。俺が残ると言えば逃げずに踏みとどまった兵も、命令書より先に俺の判断を求めた騎士もいた。だからこそ王家に恐れられたのだろう。だが、その信頼は、宮廷で俺を守る権限にはならなかった。兵の配置も、予算も、俺を裁く手続きも、最後に決めるのは王家と貴族たちだった。


 蒼鷹で役職を受けるなら、何を決められるのかを曖昧にしたくなかった。任されたことに責任を負うには、必要な判断を自分で下せなければ困る。ヴォルフガングがそこまで考えているかは、本人に聞かなければ分からない。まだ実現もしていない話を、王国での暮らしよりましだというだけで喜ぶつもりはなかった。


 それでも、話を聞いてみたいとは思った。断るための理由を探すのではなく、自分がその場所で何をできるかを考えている。その変化に気づいて、俺はリゼへ、団長が本気なら本人から話してくれと伝えてほしい、と頼んだ。彼女は短く頷き、それ以上返事を急かすことはしなかった。


 夜、宿の窓から外を眺めながら、俺は今後の道筋を思い描いていた。エルデシア王国という重すぎる看板を捨て、この地で一から積み上げてきたものが、ようやく形になり始めている。


 机に契約書を広げ、報酬と仕事の受け方を定めた文面に目を通した。今のところ、紙に書かれた約束は守られている。次の話も、これと同じように一つずつ確かめればいい。相手に認められることを喜びながら、自分にとって都合が悪ければ断る。その当たり前のことを、今度は忘れずにいたかった。


 窓の外には、アーレンハイムの夜景が広がっていた。窓に灯りのともる家々、遠くから聞こえる酔客の歌声、路地裏を行き交う人々の気配。この雑多で猥雑な街の空気を、俺はいつしか心地よく感じるようになっていた。


 かつては、通りを歩くだけで剣聖の振る舞いを求められた。疲れた顔を見せれば前線の不安を煽ると咎められ、休めば誰かが次の仕事を持ってきた。今も噂の視線はあるが、酒場の席を立つ時刻まで決められるわけではない。窓の下を通る人々は、俺の部屋を見上げることもなく、それぞれの帰り道を歩いていた。


 王国が何を言い、何を求めてきても、今の暮らしを差し出す気はなかった。俺を知らないまま助けを求めるのなら、数ある依頼の一つとして断ればいい。あの紋章を見ただけで従っていた頃の俺は、もういない。契約書を畳み、荷袋へ戻す手に、迷いはなかった。


 どこまで登り詰められるかは、まだ分からない。副官になるかどうかさえ決めていないのだ。だが、俺が寝る前に考えるのは、国王の顔色よりも、明日会う相手や、選べる仕事のことになっていた。それは、剣聖の称号を得た時には味わわなかった変化だった。


 灯りを消す前に、枕元の剣へ手を伸ばした。刃こぼれを研いでは使い続けてきた安物の剣だ。その柄は、すっかり掌に馴染んでいる。王家から与えられた聖剣は、ここにはない。その代わり、この剣を明日どこで抜くかは、俺が決められる。外から聞こえていた酔客の歌が遠ざかるまで、俺はしばらく、その柄に触れていた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

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