↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
国を救った剣聖ですが、平和になった途端に処刑されました。十年前に戻ったので、今度は王国を救わず好き勝手に生きます  作者: 沢田美


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/13

第三話 剣聖、牙を隠す

 アーレンハイムに腰を据えてから、半月が過ぎた。街の喧騒にもすっかり慣れ、朝市に並ぶ商人たちの顔ぶれさえ覚え始めた頃だった。


 冒険者ギルドでの評判は、着実に上がりつつあった。盗賊団の壊滅という実績は、この街の冒険者たちの間で瞬く間に噂となって広まった。もっとも、俺は決して目立つような依頼ばかりを選んでいたわけではない。むしろ意図的に地味な依頼――薬草の採取や、街道の見回り、近隣の村へ向かう商隊の護衛といったものを中心に受けていた。実力を誇示することは、いずれ王都の耳に届くきっかけになりかねない。派手な功績よりも、着実な信頼を積み重ねる方が、今の俺には都合が良かった。


 それでも、たまに出くわす厄介な依頼はあった。ある日、街道の見回りの最中に遭遇した、体長三メートルはあろうかという巨大な地竜もどきの魔物がその一つだった。分厚い鱗に覆われたその魔物は、並の冒険者であれば逃げの一手を選ぶような相手だ。だが俺にとっては、瞬きの間に決着をつけられる程度の獲物でしかなかった。


 振り下ろされる尾を軽く跳んで躱し、懐に飛び込みざま、鱗の隙間に切っ先を突き入れる。ただそれだけで、あれほど巨大だった魔物は数秒と経たずに地に伏した。返り血一つ浴びず、息一つ乱すこともなかった。魔王軍の幹部級を幾度も相手取ってきたこの身にとって、この程度の魔物は脅威と呼ぶにも値しない。


 周囲に人がいないことを確かめてから、討伐の証になる角を切り取った。街道のすぐ脇に死骸を残せば、後から通る馬が怯える。藪の向こうへ引きずっていく方が、戦うよりもよほど手間だった。ギルドには場所と魔物の種類を報告したが、どう倒したかまでは話さなかった。証拠を持ち帰る以上、討伐した事実までは隠せない。それでも、手の内まで見せる必要はないはずだった。


 夜になれば、宿の一室で剣の手入れをしながら、これからの身の振り方について思案する時間も増えた。剣聖と呼ばれてからは、こうした時間を落ち着いて過ごすことが難しかった。常に誰かの期待に応え続けることに追われ、自分自身のために時間を使うという発想すら持てなかったのだ。今こうして、誰に急かされることもなく静かに刃を研いでいると、それだけで妙な満足感が胸に満ちてくるのを感じた。


 それでも、あの盗賊団討伐の一件だけは、どうしても隠しようがなかった。受付嬢のミレイユは、あれ以来俺を見る目が明らかに変わっていた。


「ねえ、あんた本当は何者なのさ? 只者じゃないってのは、さすがのあたしでも分かるよ」


「食うために、剣を覚えただけだ」


 俺がそう答えると、ミレイユは疑わしげな目でこちらを見ながらも、それ以上は深く追及してこなかった。この街の流儀なのだろう。過去を詮索しないというのは、様々な事情を抱えた人間が流れ着くこの自由都市において、暗黙の礼儀のようなものらしい。それは俺にとって、この上なくありがたいことだった。


 部屋に隠した書状のことも、忘れてはいなかった。レオンハルト・シュヴァルツという名を調べると、公国の街道沿いで税と輸送を取り扱う役人だと分かった。自治都市に屋敷を持ち、公国へ出入りする商人とも付き合いがあるらしい。顔を合わせる機会を探していたところ、ある日、ギルドの掲示板でその名を見つけた。


 依頼主の名は、レオンハルト・シュヴァルツ。内容は「身辺警護の依頼、口の堅い者求む」というものだった。


 盗賊団が潰れたことで、書状の行方を気にしているのだろうか。書状を手に入れた者が、自分のところへ来るのを恐れている可能性もある。依頼書だけでは分からなかったが、護衛を雇えるということは、まだ身動きが取れる立場にいるらしい。俺は受付へ依頼書を持っていき、面会の手配を頼んだ。


※ ※ ※


 シュヴァルツの屋敷は、アーレンハイムの中でも比較的裕福な区画に建てられていた。応接間に通された俺を出迎えたのは、恰幅の良い、いかにも小役人然とした中年の男だった。神経質そうに揉み手をしながら、彼は俺の全身を値踏みするように見た。


「君が例の……いや、噂の傭兵殿か。盗賊団を壊滅させたというのは本当かね?」


「本当だ」


 俺は短く答えると、懐から例の書状を取り出し、テーブルの上に置いた。シュヴァルツの顔から、みるみるうちに血の気が引いていくのが分かった。


「こ、これは……どこで……」


「盗賊団のアジトで拾った。中身は読ませてもらった」


 シュヴァルツの手が書状へ伸びかけ、途中で止まった。俺の視線に気づいたのだろう。口を開いては閉じ、やがて椅子の背へ身体を押し付けた。印を確かめるまでもなく、自分の出したものと分かったらしい。その反応を見届けて、俺は書状を自分の側へ引き寄せた。交渉に慣れたわけではない。ただ、相手を信じて大事なものを手放す気はなかった。


「私を、脅すつもりか……」


 額に汗が浮かび、さっきまで揉み合わせていた手も落ち着きなく膝を擦っている。盗賊団の話をしていた時には見せなかった怯えだった。自分の身に火の粉がかかると分かって、初めて怖くなったらしい。だからといって、この男の人生を俺が裁く必要もない。今ここへ来た用件は、それとは別にあった。


「取引をしたい」


 俺は書状を畳み、懐へ戻した。差し出せば手に入る、という期待は持たせない方がいい。シュヴァルツが身を乗り出しかけたところで、俺は条件を告げた。


「これをギルドや公国の上層部に突き出すつもりはない。俺が欲しいのは、金でも地位でもない。ただ、俺がこの街で働く時や、公国を行き来する際に、余計な横槍が入らないようにしてほしいだけだ」


 その言葉に、シュヴァルツはしばらく怪訝な顔をしていたが、やがて安堵したように大きく息を吐いた。


「それだけで、いいのか……?」


「それだけでいい。俺はこの街で、静かに暮らしたいだけだ」


 シュヴァルツは何度も頷きながら、震える手で握手を求めてきた。俺はその手を握り返しながら、内心で自嘲めいた笑いを漏らした。かつて国のために剣を振るっていた剣聖が、今では小役人相手に裏取引を持ちかけている。滑稽な話だと思ったが、不思議と嫌な気分はしなかった。これは俺自身のための取引だ。誰かに命じられたわけでも、誰かのために犠牲になっているわけでもない。


 公国へ入るための証明や、荷を運ぶ際の手続きで困ったら、屋敷へ使いを寄越せばいい。シュヴァルツは別れ際にそう申し出た。自治都市の全てを動かせる男ではないが、公国側の役所に話を通せる相手ができたことは大きい。恩人になったつもりはないし、向こうも俺を信頼してはいないだろう。それでも、互いに約束を守る理由はあった。


 屋敷を出た帰り道、俺は路地裏で一人の少女とすれ違った。フードを目深に被り、腰には不釣り合いなほど大きな剣を提げたその少女は、俺とすれ違う瞬間、ほんの一瞬だけ足を止めた。俺の気配を探るような、値踏みするような視線を感じた。だが、それも一瞬のことで、少女はすぐに何事もなかったかのように路地の奥へと姿を消していった。


 すれ違った後も、少女の足運びが目に残った。肩は力んでいないのに、脇を抜ける俺の手元を一度も見失わなかった。剣の柄に添えた指には硬くなった皮膚が見える。歳の頃は十代半ばだろうが、稽古だけで身につく身のこなしではない。以前の人生で会った覚えはなく、誰に剣を習ったのかも分からなかった。


 追いかけて尋ねることはしなかった。向こうも声をかけずに通り過ぎたのだ。俺が事情を聞かれたくないように、あの少女にも話したくないことがあるのかもしれない。曲がり角からフードの端が消えたのを見届け、俺は買い物客で混み合う表通りへ戻った。


 それから数日後、シュヴァルツは使いを寄越し、商業ギルドの幹部と、公国軍の下級士官を紹介した。更に、街外れで工房を営む鍛冶師にも話を通してくれた。恩を売っておきたいのだろうが、俺にはありがたい申し出だった。ただ、紹介された相手を信用するかは、それぞれに会ってから決めるつもりだった。一人に何もかも任せた末、誰にも連絡がつかなくなる暮らしには、もう戻りたくなかった。


※ ※ ※


 それから更に一ヶ月が過ぎた頃、俺はギルドの酒場で、旅の商人たちが交わす噂話を耳にした。


「聞いたか? エルデシア王国の南、ヴェルダ平原の方で、魔物の大群が目撃されたらしいぞ」


「まさか、また魔王軍の侵攻か……? だとしたら、あの辺りの村々はひとたまりもないだろうな」


「王国軍は何をしているんだ。剣聖と呼ばれるような腕利きでもいれば、話は違うんだろうが」


「聞いた話じゃ、今の王国軍にはそこまでの戦力はないらしい」


 杯を持ち上げかけた手が止まった。剣聖。それはまだ、俺に与えられていない称号だ。今の王国軍には、その名で呼ばれる者もいない。商人が口にしたのは、危機を覆してくれる英雄への、漠然とした期待に過ぎなかった。それでも俺には、ここにいると名乗るよう求められた気がした。


 俺はカウンターの隅で、それとなく聞き耳を立てながら、手にした木製の杯を静かに傾けた。ついに来たか、と思った。記憶にある未来が、現実のものとして動き出そうとしている。前回の俺が単身で駆けつけ、魔王軍の将を討ち取ることで食い止めた、あの災厄だ。


 行くべきか、という考えが、一瞬だけ脳裏をよぎった。だがすぐに、俺はその考えを打ち消した。


 ――行かない。


 あの時と同じように、剣を振るって英雄を演じたところで、待っているのはまた同じ結末だ。俺はもう、あの国のために血を流すつもりはない。それがどれほど非情な選択だとしても、これは俺自身が決めたことだった。


 商人たちの噂話は、それからも続いた。王国軍の動きが鈍い、防衛線の構築が遅れている、有力な騎士団の到着も遅れ、民衆の不安が募っている――そんな言葉の端々に、俺は複雑な感情を抱きながらも、努めて表情には出さないようにした。


 あの時は、まだ名も知られていなかった俺が敵将を討ち、侵攻の足を止めた。その間に村人が逃げ、遅れて到着した王国軍が防衛線を築いたのだ。今回は、その最初の足止めをする者がいない。別の誰かが間に合うかもしれないが、そうなる保証はなかった。馬を買えば、今からでも行けるだろうか。費用と日数を計算し始めた自分に気づき、俺は杯を強く握り直した。行けないのではない。行かないと決めたのだ。


 杯に残った酒を飲み干し、俺は静かに席を立った。


 窓の外は、既に夕暮れに染まっていた。橙色の光がアーレンハイムの街並みを照らし出し、遠く離れたエルデシア王国の空の下で、今まさに起ころうとしている悲劇とは無縁の、穏やかな光景がそこにはあった。


 道端の露店では、店主が売れ残った果物を籠へ戻していた。明日の仕入れを相談する声が聞こえる。俺は立ち止まりかけ、何も買わずに通り過ぎた。南方の話を忘れようとするほど、何でもない会話が耳に残った。ここで暮らしを続けることと、あちらで失われる暮らしを知っていることが、胸の中でうまく収まらなかった。


 宿の部屋に戻ってからも、俺はしばらくの間、窓辺に腰掛けたまま夜空を見上げていた。星の並びは、前回の人生で見たものと何一つ変わっていない。だが、この星の下で今まさに苦しんでいるであろう名もなき人々のことを思うと、どうしても心が落ち着かなかった。


 寝台の脇には、明日受けるつもりの依頼書が置いてあった。街道の見回り。危険がないとは言えないが、誰かに国の命運を任される仕事ではない。俺はそれを手に取り、集合場所を読み返した。見慣れた文字を追っている間だけは、焼ける村の代わりに、明日の道順を考えていられた。


 王国がどれほど苦境に陥っても、無名の傭兵が一人去ったことと結びつける者はいないだろう。俺だけが、別の結末を知っている。その記憶を持つからといって、全てを引き受け直せるわけではなかった。目を閉じる前に、俺は明日の依頼書を寝台の脇へ戻した。朝になったら、この仕事へ行く。今夜は、それだけを決めておくことにした。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

このお話が少しでも面白いと感じていただけたら、ぜひ「♡いいね」や「ブックマーク」をしていただけると嬉しいです。

応援が次回更新の励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。