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国を救った剣聖ですが、平和になった途端に処刑されました。十年前に戻ったので、今度は王国を救わず好き勝手に生きます  作者: 沢田美


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第十三話 剣聖、一年の軌跡を振り返る

 特別警備部隊としての式典から、更に月日が過ぎた頃。俺はふと、自分がこの時代に戻ってきてから、ちょうど一年が経とうとしていることに気がついた。


 その日は朝から妙に穏やかな天気で、アーレンハイムの街並みも普段以上に活気づいて見えた。依頼の受付を済ませた後、宿への帰り道で見上げた空の色が、あの日目覚めた朝のものとよく似ていたことに気づき、俺はふと足を止めた。


 あの朝、王都の外れの安宿で目を覚まし、十年前の世界に戻ってきたことを悟った日から、数えて三百六十五日。振り返ってみれば、驚くほど濃密な一年だった。名も知らぬ流れの傭兵として始まったこの人生は、盗賊団の壊滅、蒼鷹傭兵団への加入、副官格への昇格、そして公国の特別警備部隊としての正式な認可へと、着実な歩みを重ねてきた。


 宿の窓辺で、俺は懐から一枚の木片を取り出した。リゼから最初に渡された、蒼鷹傭兵団の紋章が刻まれたあの木札だ。今ではもう使うことのないその古びた品を、俺は捨てずに手元に残していた。この一年の始まりを思い出すための、ささやかな記念品のようなものだった。表面に刻まれた紋章は、握り続けた分だけ角が丸くなり、当初の鋭さは薄れていた。それだけの時間が、確かに流れたということなのだろう。


「一人で何を懐かしんでるの?」


 部屋の扉をノックもせずに開けて入ってきたリゼが、興味深そうに覗き込んできた。相変わらず遠慮のない態度だが、この一年で随分と気の置けない間柄になったものだと、俺は密かに思う。


「大したことじゃない。この街に来てから、ちょうど一年経ったことに気づいただけだ」


「へえ、そんなに経つのね。時間が経つのは早いものだわ」


 リゼは窓辺に腰掛けると、外の景色を眺めながら呟いた。


「思えば、あの時のあんた、本当に何も持ってなかったわよね。装備もぼろぼろで、身分もはっきりしなくて」


「今もそう大差ない」


「またそれ言う。全然違うでしょ、今のあんたは」


 リゼは呆れたように笑うと、窓枠に頬杖をついた。


「この一年で、あんたが変えたものって本当に大きいと思うわ。団の規模も、扱いも、まるで別の組織になったみたい。それに――」


「それに?」


「あんたと出会ってから、私自身も色々変わった気がするのよね。斥候としての腕も上がったし、何より、この団にいることに前より誇りを持てるようになった」


 リゼの言葉には、普段のからかうような口調とは違う、率直な響きがあった。俺はしばらく答えを探しあぐねた後、簡潔に応じた。


「それは、お前自身の努力の結果だ。俺の功績にするな」


「はいはい、また謙遜。ま、そういうところも含めて、あんたらしいけどね」


 リゼの言う通りかもしれなかった。装備の質は変わらずとも、俺を取り巻く状況は、この一年で劇的に変化した。誰も知らない流れ者から、公国の特別警備部隊の副官へ。剣聖という称号を戴いていた頃とはまるで違う道のりで、俺は確かな居場所を築き上げてきたのだ。


※


 その日の午後、俺はガレスと共に、団の新人団員たちの選抜試験に立ち会っていた。特別警備部隊としての正式発足以降、団への入団希望者は右肩上がりに増え続けている。この一年前には想像もできなかった規模の変化だった。


 試験会場には、様々な出自の志願者たちが列を成していた。元は隣国の騎士だったという者、生まれ育った村を魔物に焼かれ、剣一本で身を立てるしかなかったという者、あるいは単純に、この街での成功譚に憧れて訪れたという若者。誰もが、それぞれの事情を抱えてこの場に立っている。かつての俺自身も、似たような境遇でこの街に流れ着いた一人だったことを思うと、彼らの姿には自然と親近感を覚えずにはいられなかった。


「盛況だな」


 試験会場に集まった志願者たちを見渡しながら、ガレスが感慨深げに呟いた。


「団の名が上がれば、集まる人材の質も上がる。当然の流れだ」


「あんたが来た頃は、こんな盛況じゃなかったんだけどな」


「俺一人の力じゃない」


「またその台詞か。まあ、あんたがそう言うのも分かるがな。だが、この一年のうちの団の変わりようを見りゃ、誰だってあんたの存在が転機になったと分かるさ」


 ガレスの言葉を、俺は特に否定しなかった。事実として、俺がこの団に加わってからの変化は、誰の目にも明らかなものだった。だが、それを俺一人の功績だと誇るつもりはなかった。ヴォルフガングの経営手腕、ガレスたち古参の団員が築いてきた土台、そしてリゼをはじめとする若手団員たちの奮闘。それら全てが噛み合った結果として、今のこの団の姿があるのだと、俺は思っていた。


 選抜試験を終えた後、俺はヴォルフガングの執務室に呼び出された。


「今期の新人、合格者は十二名だ。過去最多だな」


「順調に育っている証拠だろう」


「その通りだ。それに、公国からの資金援助も潤沢になった。装備の質も、これからますます向上させられる」


 ヴォルフガングは満足げに頷きながら、机の上に広げた書類に目を通していた。特別警備部隊としての予算配分、今後の活動方針、新たな拠点設立の計画――この執務室に並ぶ書類の数々が、団の急速な成長を如実に物語っていた。


「団長、一つ聞きたいことがある」


「何だ」


「この先、団はどこまで大きくなるつもりだ」


 俺の問いに、ヴォルフガングはしばらく考え込むような表情を浮かべた後、ゆっくりと口を開いた。


「正直、俺自身にもまだ明確な答えはない。だが、少なくとも一つ言えるのは、この公国で確かな影響力を持つ組織になるまでは、歩みを止めるつもりはないということだ。実力さえあれば誰でも認められる場所――それが、俺がこの団を興した時に思い描いた理想だった。その理想を、もっと大きな規模で実現していきたいと思っている」


 ヴォルフガングの言葉には、単なる野心を超えた、確かな信念のようなものが宿っていた。この男が思い描く未来図の中に、俺自身がどのような役割を果たしていくことになるのか、まだはっきりとした形は見えていない。だが、少なくともこの一年で築いてきたものが、まやかしではない確かな土台になっているという実感だけは、俺の中に確かにあった。


 執務室を出ようとしたところで、ヴォルフガングが思い出したように声をかけてきた。


「そういえば、ヨハン殿から一つ、非公式な話を預かっている」


「何だ」


「北の国境沿い、ザイフェルト辺境伯領で、また不穏な動きがあるらしい。今回は魔物ではなく、人間絡みの話だという。詳細はまだ調査中だが、近いうちに正式な依頼として下りてくるかもしれん」


「厄介事の予感がするな」


「だろうな。だが、それも含めて、この団が公国内でどこまでの信頼を勝ち取れるかの試金石になる。心づもりだけはしておいてくれ」


 ヴォルフガングの言葉に、俺は小さく頷いた。ザイフェルト辺境伯領――地図でしか見たことのない土地の名だが、その響きには、これまでとは違う種類の予感があった。この一年で積み上げてきたものが、次の段階へと押し上げられようとしている。そんな気配を、俺は確かに感じ取っていた。


 人間絡みの厄介事、という一言が、妙に耳に残っていた。魔物や魔王軍とは違う種類の脅威。それはつまり、権力や思惑が複雑に絡み合う、もっと厄介な性質の問題である可能性が高いということだ。かつて王国の宮廷で嫌というほど味わった、あの陰湿な駆け引きの気配を思い出し、俺は僅かに眉をひそめた。剣を交える相手であれば、いくらでも対処のしようがある。だが、腹の探り合いや権謀術数の類は、正直なところ得意分野とは言い難かった。


※


 夕刻、団の執務を終えた俺は、一人でアーレンハイムの街を歩いていた。この一年で見慣れた景色になったはずのこの街並みが、今日はどこか特別なものに見えた。


 大通りを歩きながら、俺はふと、あの処刑台の記憶を思い返していた。国王の冷たい視線、バルドーの勝ち誇った笑み、そして自分を庇うことのなかった戦友たちの横顔。あの瞬間の絶望と虚無感は、今もまだ胸の奥に薄く残っている。だが、その痛みに引きずられることなく、こうして新しい道を歩み続けてこられたことに、俺は静かな誇りを感じていた。


 街角の露店で買った串焼きを頬張りながら、俺は改めて、この一年の意味を噛み締めていた。剣聖という称号を戴いていた頃の俺は、常に誰かのために剣を振るい、その果てに全てを奪われた。だが今の俺は、誰のためでもなく、自分自身のために剣を振るい、その結果として確かな居場所を築き上げている。この違いこそが、あの断頭台からやり直したこの人生における、最も大きな成果なのかもしれなかった。


 もっとも、この道のりが順風満帆だったわけではない。エルデシア王国の混乱は、魔王軍を介した形で、こうして間接的に俺の新しい生活にまで影を落とし続けている。グリセル山脈での一件も、その一例に過ぎない。あの国が抱える問題は、時を追うごとに深刻さを増しているようだった。旅の商人たちから漏れ聞く話では、王都の宮廷内での権力闘争は激化する一方で、バルドーの派閥も、以前ほどの勢いを失いつつあるという。かつて俺を陥れた男が、今度は自分自身の足元を固めることに必死になっている――その皮肉な巡り合わせを思うたび、俺の胸には複雑な感慨が去来した。


 商人たちの間では、こんな噂も囁かれていた。エルデシア王国は、南方戦線の維持のために近隣の小国へも援軍を要請し始めているという。かつて周辺国から一目置かれる大国であったはずのあの国が、今や助けを乞う側に回っている。この一年の間に、あの国の立ち位置は確実に凋落の一途を辿っているのだろう。それを苦々しく思う気持ちと、当然の報いだと思う気持ちが、俺の中で複雑に絡み合っていた。


 だが、それでも俺の選択は変わらない。この一年、俺が積み上げてきたものは、王国という重すぎる看板の下では決して得られなかったものだ。実力だけで勝ち取った信頼、誰かに強いられることのない裁量、そして何より、自分自身の意志で選び取った未来。それら全てが、今の俺にとってかけがえのない財産になっていた。


 串焼きを食べ終えた俺は、夜の街をなおもしばらく歩き続けた。行き交う人々の顔には、一日の労働を終えた安堵と、これからの夜を楽しもうとする活気が入り混じっている。この何気ない日常の風景こそが、俺がこの一年で守り育ててきたものの正体なのかもしれなかった。誰かに命じられて守るのではなく、自分自身がここで生きていくために、自然と大切に思うようになった景色。剣聖として王国のために戦っていた頃には、こうした感覚を抱く余裕すらなかったことを思うと、この変化は俺自身にとっても意外なものだった。


 夜空を見上げながら、俺は拳を強く握りしめた。この一年で築き上げてきたものは、まだ始まりに過ぎない。この先、蒼鷹傭兵団という組織が、そして俺自身が、この公国という土地でどこまでの高みへと登り詰めていけるのか――その答えは、まだこれから先の道のりの中にある。


 あの断頭台で終わるはずだった人生は、こうして新しい形で、確かに前へと進み続けている。この一年の軌跡を胸に刻みながら、俺は次なる一歩を踏み出す決意を、静かに固めていた。


 宿へと戻る道すがら、俺はザイフェルト辺境伯領という、まだ見ぬ土地の名を頭の中で反芻していた。ヴォルフガングの言う通り、そこで何が待ち受けているのか、正確なところはまだ分からない。だが、この一年で積み上げてきた実力と信頼があれば、どのような困難であろうと乗り越えられるという確信だけは、俺の中に確かにあった。この物語はまだ、終わりにはほど遠い。むしろ、本当の意味での始まりは、これからなのかもしれなかった。


 ――王国はもう、俺のいない世界で、自分たちの選択の代償を払い続けることになるだろう。それが、俺という戦力を切り捨てた者たちへの、何よりの報いなのだから。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

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